六本木から青山方面を望む。
帰ろうと表に出たら雲が夕陽に
染まりかけていた。
ずっと屋内にいて(外は暑いので)
窓の外を見なかったから。
空の色にも気づかないでいた。
トーキョーにいると、あまり空を
見ない。
第一、地上の道を歩くことが少ない。
トーキョーに限らず都市部ではほぼ
そういうことだろうな、今どきは。
地下道、地下鉄、地上に出てタクシー、
歩いてもほんの百メートルかそこら。
アスファルトの熱で倒れそうなので
なるべく歩かない。
歩くのは夕暮れて涼しくなってから。
もう空は暗くなっているから、結局
ほとんど見上げることはない。
スーパームーンや流星群の夜も
たまたま見上げたところに
あらっという感じで観る。
待ち構えたりしないのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d2/206912e233f47973628105d699e83747.jpg)
届いた、夢の中の女。
ぎっしりと梱包材に包まれて
傷つかず、無事に到着。
これから末永くそばにいてくれる。
テラコッタの制作者は川上順一さん。
先日、予約しておいてよかった。
個展の最終日に多くの来場者があり
この女人をいいね、いいね、という
人もいたという。
予約された作品には赤いピンをつけ
てあるのだが、他人のモノになったの
はよけいに、いいねと欲しくなる。
そういう心理もはたらくものだ。
だが、実際にとても雰囲気があって
一目ぼれしたのだが、長年の友人で
ある彼は売ってくれないのである。
あんたには売れないよ、カワナクテ
イイ。
そう言われると困るので黙っていた。
黙って帰り、あとで電話してキープ
してもらい強引に買い取った。
へへへへ、これでうちには川上家
から来たテラコッタ嬢が二人に
なった。
一人目はもう十年くらい前になるが
絵といっしょに梱包されてきた。
嬉しかった。展示されていたとき
その前にしばらく立っていたのを
見られていたのであるね。
カードといっしょにいただいた。
森の家の低い本棚の上に置かれて
その前を通るときいつも目に入る。
ときどき、撫でていく。
彼女は立ち姿である。
今度の女人はまさかの寝姿!
宙に浮いて、気に入った。
このテラコッタは高度な技術で
作られている。
この色を出す秘密を知っているが
ここには書かない。企業秘密だかんね。
ある高名な大御所の版画家がその
技法を彼に尋ねたくらいである。
ブロンズではなくテラコッタ(粘土)
でこのような輝きと色を出すこと
ができる人は日本にはいないという。
そういうことで気に入ったわけでは
もちろんなくて、単純にぱっと好き
になって、忘れ難かったからである。
後でお礼の電話をした時に、色の事を
気になって尋ねた際に聞いたのである。
川上さんはイバラナイ。
アーチスト風をかもしていない。
マスターのままである。
マスターが店を閉めた後、帰る私の
自転車を押してアパートの近くまで
送ってくれたことがあった。
チェーンが切れて乗れないので
一緒に歩いてくれた。
なんのことはない、今もそんなふうで
バカ娘を保護するようなまなざしで
いい年になってしまった私を見る
のである。
この夏の再会は楽しかった。
わたしの好きなアーチストたちは
主張しない人たちだ。
作品が主張してるから、なんて話では
ないよ、もちろん。
自然のなかで、たぶん目に見えない
ものたちと会話してるんだろ、と
思う。自分でも気づかないうちに。
あたたかなひとびと、
いつも暖を取らせてもらうばかりで
与えるものがない。
なんにもないのもとりえ? とか
言って、あそんでもらっているが
これでいいのか
これでいいのだ
そういうことにしておこう。
夏は暑い、そゆこと。
帰ろうと表に出たら雲が夕陽に
染まりかけていた。
ずっと屋内にいて(外は暑いので)
窓の外を見なかったから。
空の色にも気づかないでいた。
トーキョーにいると、あまり空を
見ない。
第一、地上の道を歩くことが少ない。
トーキョーに限らず都市部ではほぼ
そういうことだろうな、今どきは。
地下道、地下鉄、地上に出てタクシー、
歩いてもほんの百メートルかそこら。
アスファルトの熱で倒れそうなので
なるべく歩かない。
歩くのは夕暮れて涼しくなってから。
もう空は暗くなっているから、結局
ほとんど見上げることはない。
スーパームーンや流星群の夜も
たまたま見上げたところに
あらっという感じで観る。
待ち構えたりしないのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/d2/206912e233f47973628105d699e83747.jpg)
届いた、夢の中の女。
ぎっしりと梱包材に包まれて
傷つかず、無事に到着。
これから末永くそばにいてくれる。
テラコッタの制作者は川上順一さん。
先日、予約しておいてよかった。
個展の最終日に多くの来場者があり
この女人をいいね、いいね、という
人もいたという。
予約された作品には赤いピンをつけ
てあるのだが、他人のモノになったの
はよけいに、いいねと欲しくなる。
そういう心理もはたらくものだ。
だが、実際にとても雰囲気があって
一目ぼれしたのだが、長年の友人で
ある彼は売ってくれないのである。
あんたには売れないよ、カワナクテ
イイ。
そう言われると困るので黙っていた。
黙って帰り、あとで電話してキープ
してもらい強引に買い取った。
へへへへ、これでうちには川上家
から来たテラコッタ嬢が二人に
なった。
一人目はもう十年くらい前になるが
絵といっしょに梱包されてきた。
嬉しかった。展示されていたとき
その前にしばらく立っていたのを
見られていたのであるね。
カードといっしょにいただいた。
森の家の低い本棚の上に置かれて
その前を通るときいつも目に入る。
ときどき、撫でていく。
彼女は立ち姿である。
今度の女人はまさかの寝姿!
宙に浮いて、気に入った。
このテラコッタは高度な技術で
作られている。
この色を出す秘密を知っているが
ここには書かない。企業秘密だかんね。
ある高名な大御所の版画家がその
技法を彼に尋ねたくらいである。
ブロンズではなくテラコッタ(粘土)
でこのような輝きと色を出すこと
ができる人は日本にはいないという。
そういうことで気に入ったわけでは
もちろんなくて、単純にぱっと好き
になって、忘れ難かったからである。
後でお礼の電話をした時に、色の事を
気になって尋ねた際に聞いたのである。
川上さんはイバラナイ。
アーチスト風をかもしていない。
マスターのままである。
マスターが店を閉めた後、帰る私の
自転車を押してアパートの近くまで
送ってくれたことがあった。
チェーンが切れて乗れないので
一緒に歩いてくれた。
なんのことはない、今もそんなふうで
バカ娘を保護するようなまなざしで
いい年になってしまった私を見る
のである。
この夏の再会は楽しかった。
わたしの好きなアーチストたちは
主張しない人たちだ。
作品が主張してるから、なんて話では
ないよ、もちろん。
自然のなかで、たぶん目に見えない
ものたちと会話してるんだろ、と
思う。自分でも気づかないうちに。
あたたかなひとびと、
いつも暖を取らせてもらうばかりで
与えるものがない。
なんにもないのもとりえ? とか
言って、あそんでもらっているが
これでいいのか
これでいいのだ
そういうことにしておこう。
夏は暑い、そゆこと。