若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

立憲主義と、憲法尊重擁護義務の射程範囲

2015年09月09日 | 地方議会・地方政治
憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

これについて、次のような議論がある。

憲法調査会/日本国憲法に関する調査特別委員会関係資料 2 最高法規性と憲法尊重擁護義務
=====【引用ここから】=====
憲法尊重擁護義務
・憲法尊重擁護義務の主体には、国民も含まれる
・公務員だけでなく、国民が憲法あるいは法令を遵守しなければならないという規定も憲法に明確に設けるべき

~~~~(中略)~~~~
・公務員の憲法尊重擁護義務をなくし、国民の憲法尊重擁護義務を規定すべきとの議論があるが、これは憲法の権力制限規範としての性格を縮小し、憲法を国民の行為規範とするものであり、近代立憲主義的憲法を否定し、人類の歴史的英知から離脱するもの
=====【引用ここまで】=====

前二つの見解は自民党の国会議員、後ろの見解は共産党の国会議員が述べたもの。この点については、共産党の考え方が正しい。憲法は国家権力を制限するための規範であり、「国民は憲法を守って行動しましょう」という国民の行為規範ではない。これが近代立憲主義である。

立憲主義における自由は、国家権力に対する不作為請求権、妨害排除請求権である。思想良心の自由や表現の自由は、「国家権力は個人の表現活動や思想研究活動等を邪魔をしない」という形で達成される。

では、本会議や委員会で議決権、議案提出権、検査権といった公権力を行使する場面以外において、地方議会議員が私的な発言、情報発信をした場合に、それが他者の表現の自由、思想良心の自由を侵害し憲法に抵触するということがあるだろうか。

ここで、一見すると、地方議員は憲法第99条にいう憲法尊重擁護義務の対象となる公務員なので、抵触するということになりそうではある。

しかし、本会議や委員会が行われていない場においては、法律上、地方議員に特別な権限は何もなく、ただの一般人でしかない。本会議や委員会を離れた地方議員がただの一般人であるならば、そこに「国家権力 対 個人」の関係は存在せず、憲法上の問題は生じ得ない。むしろ、一般人・1人の国民に過ぎない者の発言に対し憲法上の表現の自由、思想良心の自由の問題として追及するということは、憲法を国民の行為規範と捉えるものであり、立憲主義を否定するものである。

公務員の「憲法尊重擁護義務」って? しんぶん赤旗
=====【引用ここから】=====
憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めています。
 公務にたずさわる人のすべてが、国に法秩序の最高規範である憲法のしめすところにしたがって、偏りや誤りのないように政治や行政を遂行する義務を、主権者である国民にたいして負っていることをあらためて確認している規定です。
 この規定には国務大臣や国会議員などが特別に明示されています。ですから、仮に改憲の立場に立つ政治家であっても、行政や立法にたずさわるときには「憲法尊重擁護義務」が重くあるということです。

=====【引用ここまで】=====

本会議や委員会から離れた場での発言内容によって、有権者の評価が下がり次回選挙で落選するということは十分に考えられる。地方議員も政治家である以上、全ての発言が選挙結果という政治的責任にリンクするものと考えなければならない。しかし、こうした政治的責任と憲法上の問題と混同するのは不正確である。

・憲法は権力制限規範であって、国民の行為規範ではない。
・地方議員は本会議や委員会を離れて公権力を行使することはできない。
・したがって、本会議や委員会を離れた場での地方議員の発言は、憲法上の表現の自由や思想良心の自由に抵触する問題とはならない。(むしろ、表現の自由の保障対象となる。)

ということである。


(今回の記事では共産党や赤旗の記述をやたらと引用しているが、それについてはまた別の機会に)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする