議会:行橋市 /福岡 - 毎日新聞
=====【引用ここから】=====
安全保障関連法案の反対デモをした学生への就職差別の可能性をブログで示唆した小坪慎也市議に対し、辞職勧告決議を求める陳情が東京都新宿区民ら2900人から出されたが、採決はされなかった。
=====【引用ここまで】=====
この記事を読んでも、時系列や経緯が全く分からない。字数制限で仕方なかったのか、記者に悪意があるのかは不明だが、とにかく経緯が分からない。
分かるように、この陳情提出について並べておくと、
(前提のルール1:「請願」であれば採決の対象となるが、「陳情」であれば議場配布のみとなる。)
↓
小坪慎也市議の辞職勧告決議を求める「請願」を提出するとして、ネット上で署名活動が開始される。
↓
ネット上の署名活動の結果、2900名分の署名が集まる。
↓
署名活動の主催者が、提出直前段階で勝手に「請願」から「陳情」に切り替える。
↓
陳情書として提出されたため、議場配布され、採決の手続きから外れる。
↓
この陳情書を読んだ議員の1人が、別の形で決議案の提出を企画。
↓
(前提のルール2:決議案を議会に提出する場合は、最低で提出議員1名と賛成議員1名が必要。)
↓
この議員が、賛成議員3名を募って決議案を提出
↓
賛成議員3名のうち、2名が賛成を撤回
↓
提出議員1名、賛成議員1名という要件は満たしているものの、提出議員が決議案を撤回
○「小坪慎也氏の辞職勧告決議に関する陳情」について: こんにちは 徳永克子:です
=====【引用ここから】=====
提出者は私・徳永克子、賛成者は3人として『「表現の自由が守られ、表現の自由が保障される社会」をすすめる決議』を期限内に提出しました。しかし、賛成者のうちの2人が「賛成者から降りる」と議会事務局に連絡、結局、提出することは無理と判断せざるをえませんでした。このうちの1人は、決議文案を共に考えた会派の人(最初の原案は私が作りました)です。
=====【引用ここまで】=====
そもそも、全国から寄せられた2900名の署名者の意思は、署名を募った者が予定どおり請願として提出していれば、採決の場が与えられたはずだった。請願を陳情に勝手に切り替えたこととによって、2900名の署名は採決の機会すら奪われてしまった。
さて、以前、当ブログにて、
請願と陳情は、別物である ~ 陳情書の形式面について批判 ~ - 若年寄の遺言
=====【引用ここから】=====
「これを受けて議会が『今後の発言に自粛を求める決議』を審議します。」
とあるが、どこからの情報なのだろうか。陳情にはそんな効力はない。9月2日時点で、ホームページを見ても決議案の上程に関して何にも掲載されてない。現時点では、この決議案は提出を予定している議員の脳内にしか存在しない・・・となると、提出を予定している議員からの情報提供以外に知る方法はない。
=====【引用ここまで】=====
と疑問を呈していたのだが、上記市議がその答えということのようだ。
さてさて、話は変わって。
憲法は、「国家権力は○○するな」として国家を名宛人とする規範であって、「市民のみなさんは○○しましょう」という個人に対する行為規範ではない。立憲主義における自由とは、国家権力に対する妨害排除請求権、不作為請求権であり、個人の領域に介入しないことを国家権力に求めるものである。
ここで、表現の自由の保障に関して、地方議会ができることは何かを考えてみよう。
地方議会は、条例や予算を議決する権限を有している。条例には、様々な規制や罰則を盛り込むことができ、条例を根拠として行政処分が行われる。
表現の自由を保障しようとする議会を目指すのであれば、表現の自由を制約する条例案を首長が提出してきた時に、憲法上問題となりうる規定を修正・削除し、あるいは条例案そのものを否決し、表現の自由を制約する行政処分を事前に防止するといった活動が考えられる。
また、地方議会は、地方自治法に基づき、国会、内閣、裁判所や中央省庁といった機関に対し意見書を提出することができる。国が表現の自由を制約する法律の制定を予定している時に、表現の自由を制約する立法をしないことを求める意見書を送付し、国の機関に要請することができる。
憲法は国家権力を名宛人とするものであるから、憲法上の表現の自由の保障を目指す地方議会としては、上記のように首長の条例提出権や国の立法権といった国家権力に対して働きかけることが、立憲主義における本来の筋道となる。
一方で、前回述べたとおり、地方議員は本会議や委員会を離れてしまえば法律上の特別な権限は何もなく、ただの個人でしかない。
もし、地方議員が本会議や委員会においてデモを不当に制約する議案の提出をしたのであれば、
「 国家権力(議会における提出議案) ⇔ 個人(SEALDS) 」
という構図となるが、本会議や委員会と関係のない場面での発言であれば、
「 個人(議会外における議員のブログ) ⇔ 個人(SEALDS) 」
という構図となる。その個人としてのブログの内容を指して「脅迫だ」「損害賠償だ」という刑法上、民法上の主張なら成立可能なのだが、そこに憲法上の問題は生じない。議会外ではどう逆立ちをしても公権力の行使にならないからだ。
”表現の自由”でも『一線』を超えると制限されるが扱いはデリケート | みずほ中央コラム | 東京・埼玉の理系弁護士
=====【引用ここから】=====
(1)『人権侵害』は誤用率が高い
誤用率の高いフレーズに『人権侵害だ』というものがあります。
<『人権侵害』の誤用例>
・他者に暴力を受けて怪我をした
→『これは人権侵害だ!』
・他者にヒドいことを言われて凹んだ
→『これは人権侵害だ!』
法律学としては,これは間違いです。
悪意のない取り違えでしょうけど。
人権は,対国家,公的機関という場面で使われます。
典型例は刑罰です。
対私人では人権自体は登場しないのです。
<正確な表現>
『民法上の不法行為による損害賠償請求が成り立つ』
『違法性のある行為だ』
=====【引用ここまで】=====
ということで、長いシリーズになりましたが、
「国民は憲法を守ろう」という主張は、立憲主義と相容れない。このことを合点していただけましたでしょうか?
憲法は国民が守るべきルールではなくて、国家権力を縛るためのものという基本に立ち返ってもらえたら幸いです。
=====【引用ここから】=====
安全保障関連法案の反対デモをした学生への就職差別の可能性をブログで示唆した小坪慎也市議に対し、辞職勧告決議を求める陳情が東京都新宿区民ら2900人から出されたが、採決はされなかった。
=====【引用ここまで】=====
この記事を読んでも、時系列や経緯が全く分からない。字数制限で仕方なかったのか、記者に悪意があるのかは不明だが、とにかく経緯が分からない。
分かるように、この陳情提出について並べておくと、
(前提のルール1:「請願」であれば採決の対象となるが、「陳情」であれば議場配布のみとなる。)
↓
小坪慎也市議の辞職勧告決議を求める「請願」を提出するとして、ネット上で署名活動が開始される。
↓
ネット上の署名活動の結果、2900名分の署名が集まる。
↓
署名活動の主催者が、提出直前段階で勝手に「請願」から「陳情」に切り替える。
↓
陳情書として提出されたため、議場配布され、採決の手続きから外れる。
↓
この陳情書を読んだ議員の1人が、別の形で決議案の提出を企画。
↓
(前提のルール2:決議案を議会に提出する場合は、最低で提出議員1名と賛成議員1名が必要。)
↓
この議員が、賛成議員3名を募って決議案を提出
↓
賛成議員3名のうち、2名が賛成を撤回
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提出議員1名、賛成議員1名という要件は満たしているものの、提出議員が決議案を撤回
○「小坪慎也氏の辞職勧告決議に関する陳情」について: こんにちは 徳永克子:です
=====【引用ここから】=====
提出者は私・徳永克子、賛成者は3人として『「表現の自由が守られ、表現の自由が保障される社会」をすすめる決議』を期限内に提出しました。しかし、賛成者のうちの2人が「賛成者から降りる」と議会事務局に連絡、結局、提出することは無理と判断せざるをえませんでした。このうちの1人は、決議文案を共に考えた会派の人(最初の原案は私が作りました)です。
=====【引用ここまで】=====
そもそも、全国から寄せられた2900名の署名者の意思は、署名を募った者が予定どおり請願として提出していれば、採決の場が与えられたはずだった。請願を陳情に勝手に切り替えたこととによって、2900名の署名は採決の機会すら奪われてしまった。
さて、以前、当ブログにて、
請願と陳情は、別物である ~ 陳情書の形式面について批判 ~ - 若年寄の遺言
=====【引用ここから】=====
「これを受けて議会が『今後の発言に自粛を求める決議』を審議します。」
とあるが、どこからの情報なのだろうか。陳情にはそんな効力はない。9月2日時点で、ホームページを見ても決議案の上程に関して何にも掲載されてない。現時点では、この決議案は提出を予定している議員の脳内にしか存在しない・・・となると、提出を予定している議員からの情報提供以外に知る方法はない。
=====【引用ここまで】=====
と疑問を呈していたのだが、上記市議がその答えということのようだ。
さてさて、話は変わって。
憲法は、「国家権力は○○するな」として国家を名宛人とする規範であって、「市民のみなさんは○○しましょう」という個人に対する行為規範ではない。立憲主義における自由とは、国家権力に対する妨害排除請求権、不作為請求権であり、個人の領域に介入しないことを国家権力に求めるものである。
ここで、表現の自由の保障に関して、地方議会ができることは何かを考えてみよう。
地方議会は、条例や予算を議決する権限を有している。条例には、様々な規制や罰則を盛り込むことができ、条例を根拠として行政処分が行われる。
表現の自由を保障しようとする議会を目指すのであれば、表現の自由を制約する条例案を首長が提出してきた時に、憲法上問題となりうる規定を修正・削除し、あるいは条例案そのものを否決し、表現の自由を制約する行政処分を事前に防止するといった活動が考えられる。
また、地方議会は、地方自治法に基づき、国会、内閣、裁判所や中央省庁といった機関に対し意見書を提出することができる。国が表現の自由を制約する法律の制定を予定している時に、表現の自由を制約する立法をしないことを求める意見書を送付し、国の機関に要請することができる。
憲法は国家権力を名宛人とするものであるから、憲法上の表現の自由の保障を目指す地方議会としては、上記のように首長の条例提出権や国の立法権といった国家権力に対して働きかけることが、立憲主義における本来の筋道となる。
一方で、前回述べたとおり、地方議員は本会議や委員会を離れてしまえば法律上の特別な権限は何もなく、ただの個人でしかない。
もし、地方議員が本会議や委員会においてデモを不当に制約する議案の提出をしたのであれば、
「 国家権力(議会における提出議案) ⇔ 個人(SEALDS) 」
という構図となるが、本会議や委員会と関係のない場面での発言であれば、
「 個人(議会外における議員のブログ) ⇔ 個人(SEALDS) 」
という構図となる。その個人としてのブログの内容を指して「脅迫だ」「損害賠償だ」という刑法上、民法上の主張なら成立可能なのだが、そこに憲法上の問題は生じない。議会外ではどう逆立ちをしても公権力の行使にならないからだ。
”表現の自由”でも『一線』を超えると制限されるが扱いはデリケート | みずほ中央コラム | 東京・埼玉の理系弁護士
=====【引用ここから】=====
(1)『人権侵害』は誤用率が高い
誤用率の高いフレーズに『人権侵害だ』というものがあります。
<『人権侵害』の誤用例>
・他者に暴力を受けて怪我をした
→『これは人権侵害だ!』
・他者にヒドいことを言われて凹んだ
→『これは人権侵害だ!』
法律学としては,これは間違いです。
悪意のない取り違えでしょうけど。
人権は,対国家,公的機関という場面で使われます。
典型例は刑罰です。
対私人では人権自体は登場しないのです。
<正確な表現>
『民法上の不法行為による損害賠償請求が成り立つ』
『違法性のある行為だ』
=====【引用ここまで】=====
ということで、長いシリーズになりましたが、
「国民は憲法を守ろう」という主張は、立憲主義と相容れない。このことを合点していただけましたでしょうか?
憲法は国民が守るべきルールではなくて、国家権力を縛るためのものという基本に立ち返ってもらえたら幸いです。