反「スーパー公務員」ネタも今回で第5弾となった。
過去、私はこのシリーズの中で
「まちづくり・まちおこしをしたいなら、公務員を辞め、民間のコンサルタントとして企業や商店街にアドバイスすべきだ。」
「役に立つのは会社であって、役所・役人ではない。高野氏がこれからも『役に立つ人』であり続けたいのなら、公務員を辞めて、自身が立ち上げたブランド米販売会社にいくのが一番良いと思う。」
と主張してきた。
「まちづくりへの情熱を持って役所に入ったが、地域の課題を解決しまちづくりをするためには、税金に依存せず地域住民自らで利潤を生み出すことが必要だと考え、役所を辞めて地域で活動する」
・・・そんな公務員が理想だと考えてきた。
今回、若くしてこれを体現した人物を発見した。
【地方公務員最前線 変わる仕事と役割】<5>出会いが育んだ新境地
======【引用ここから】======
NPO法人代表理事の佐藤翔平(27)は、山あいの集落を訪ねては農家の経営相談などに乗る。佐藤も「よんなな会」で刺激を受けた一人。今年3月まで町職員だった。
高校卒業後、大阪や東京での料理人修業を経て帰郷。町史を調べ、山間地の農林業など先人の苦労を知った。「てこ入れしたら、もっといい方向に行く」。14年度に町役場に入り、農業振興担当になった。
15年、高千穂郷・椎葉山地域が世界農業遺産になり、そのPRにNPOを設立。高千穂牛や焼き畑のソバなど旬の食材と生産者のインタビューを一緒に届ける季刊誌「高千穂郷食べる通信」を知人と創刊した。
「通信」は収穫物を売り込む農家が名刺代わりに使うほど評判を呼んだ。だが軌道に乗るほどに、自分の活動が「公か民間か」分からなくなった。
「1%の向上」。佐藤の頭に浮かんだのは、「よんなな会」で脇が繰り返した言葉だった。たどり着いた結論は「自分は地域活動のプレーヤーになった方が、町のためになる」。4年勤めた役所を辞めた。
======【引用ここまで】======
これ、これ、これである。
農業振興を志して町職員となり、
農家の経営相談に取り組み、
食材と農家をPRする季刊誌を作り、
町職員を辞めて自らが設立した法人の代表となった。
この佐藤氏は素晴らしい能力と理念を持った人物である。
少なくとも、この新聞記事を読んで私はそう思った。
「スーパー公務員」を礼賛する界隈では、
「公務員は役に立つことをしなければならない」
という主張をよく見かける。
しかし、これには注意が必要だ。
調整力のある職員であれば、役所内部での協議を経て予算を獲得し「僕の考えた最強の事業」を展開をすることができる。
しかしこれは、この事業が住民の役に立つことを証明するものではない。
事業の予算、元手は税金である。
役所が1,000万円の予算をつけてある事業を展開した時、本来、1,000万円分の効果があっただけではダメなのだ。1,000万円+徴税コストを上回る効果が確認されてはじめて、その上回った分が付加価値となる。付加価値を住民にもたらしたと評価できて初めて「役に立った」と言える。
この付加価値が無ければ単に
「Aさんから税金をとり、中抜きしてBさんに配った」
だけのことになる。
役に立ったどころの騒ぎではない。公務員による泥棒である。泥棒が言い過ぎだとしても、自分で「役に立った」と悦に入るただの自己満足、自慰行為である。
泥棒稼業(あるいは自己満足)は、強制力が無ければ継続することはできない。
役所は強制力をもって税金を集める組織なので、ある事業に着手したとき、それが役に立つ事業なのか泥棒なのか自慰なのかを評価しないまま、税金を投入し事業を継続できてしまう。
役所の世界では、この評価の部分がどうも手薄であり軽視されている。価格メカニズムが働かないので、役所には事業の評価は無理なのかもしれない。
一方、民間には強制力が無いので、取引相手に付加価値をもたらしていなければ事業を継続できない。
「こいつと取引して高い金を払っても、何も自分にとって得がない」
と思われたら打ち切られてしまう。民間の個人・団体が事業を継続できているのであれば、その継続の事実が「役に立っている」と評価する根拠となる。
上記NPO法人の佐藤氏はまだ公務員を辞めたばかりということであるが、ぜひ、強制的に集められた税金に頼ることなく、地域の中で活躍して事業を継続していってほしい。そう願わずにはいられない。
「スーパー公務員」を礼賛する側は、この「役に立つ」の評価・判定についてどう考えているのだろうか。
【地方公務員最前線 変わる仕事と役割】<6完>記者ノート 住民に寄り添い、考える
======【引用ここから】======
九州大大学院の嶋田暁文教授(行政学)は、求められる地方公務員像について「住民に寄り添い、逃げずに、できる方法を考える。覚悟を持って地域のために自分事として住民と接すれば、住民も信頼する」と話す。
連載では、それを地でいく「スーパー公務員」を取り上げた。
======【引用ここから】======
分権時代における自治体職員の働き方(自治研作業委員会報告)
第1章 なぜいま「自治体職員の働き方」なのか? 九州大学大学院法学研究院准教授 嶋田 暁文【Word:43KB】
======【引用ここから】======
「自治体職員にとって『いい仕事』って何だろう?」。いつの頃からか、とても気になり始めました。
自分なりに考えた、いまのところの結論は、「自治体職員にとっての『いい仕事』とは、市民を幸せにし、自分自身をも幸せにするような仕事のことである」というもの。
======【引用ここまで】======
第2章 求められる「自治体職員の働き方」 九州大学大学院法学研究院准教授 嶋田 暁文【Word:75KB】
======【引用ここから】======
しかし、いま求められているのは、市民にとって有益な存在としての「有能な、プロ職員」なのです。それに関連して私が思いだすのは、「すぐやる課」で有名な千葉県松戸市の市役所のエントランスに掲げられているという次の言葉です。
「市役所は市民に役立つ所・市民にとって役に立つ人がいる所」
ドラッグストアチェーン日本最大手の「マツモトキヨシ」の創業者で、1969年から1973年まで松戸市長を務めた松本清氏の言葉です。
======【引用ここまで】======
市民にとっての幸せとは何か。
市民にとって何が有益か。
市民にとって何が役に立つのか。
嶋田暁文氏という大学の先生が公務員の働き方について自治労向けの報告書を作成している。
この報告書を読んでみたが、何をもって「役に立つ」としているのか非常に曖昧である。費用対効果といった考え方を意図的に避けてすらいるようだ。
(ちなみに、マツモトキヨシは非常に役に立っている。強制力を使わずに長い間事業を継続できているからだ。)
その一方で、嶋田氏は現場対応する公務員の裁量的判断を強調する。
終章 「やりがいの源泉」と「自治体職員の役割の重さ」 九州大学大学院法学研究院准教授 嶋田 暁文【Word:47KB】
======【引用ここから】======
「裁量的判断の余地」こそ、自治体職員の腕の見せどころであり、「創意工夫による、仕事を通じた自己実現」の源泉となります。
======【引用ここまで】======
目的たる「役に立つ」の中身・基準は非常に曖昧。
同時に、手段を縛らず現場の裁量的判断を良しとしている。
目的は曖昧、手段は裁量的で無限定。
現場の公務員のやりたい放題を是認している印象を強く受ける。
嶋田氏が推奨する考え方は、公務員が自分のやりがいのために住民から徴収した税金を投じる新手の「やりがい搾取」である。
危険な考え方だと思ったのは私だけだろうか。
強制的に税金を徴収し、裁量的判断に基づき分配する。これを繰り返す中で、担当公務員とつながりのある者が優先され、つながりの無い者はただただ税をとられる生贄となる。そこでは価格メカニズムは機能せず、ある所ではヒト・モノ・カネが余り、ある分野では圧倒的に足りないというミスマッチが随所で出てくる。公務員が中立的な立場から裁量的判断で調整しようとしても、あちらを立てればこちらが立たずで辻褄がどんどん合わなくなった。
そんな公の世界を離れ、冒頭の佐藤氏は民の世界に軸足を移した。
提供するサービスを評価されれば、報酬が得られる。
報酬は強制力の結果ではなく、取引相手の主観的な満足から生じる。
これを継続できれば取引する双方に利潤が生じる。
不足があればそこに新たな利潤を生む機会が生じる。
地域の企業家精神を持つ者が利潤機会を発掘することで、雇用が生まれ地域生活が改善され、そしてこの者にも利潤がもたらされる。
この積み重ねで地域は豊かになる。
まちづくりは、この道しか無いのだ。
佐藤氏にはぜひ才能を発揮してこの道を進んでいってほしい。
過去、私はこのシリーズの中で
「まちづくり・まちおこしをしたいなら、公務員を辞め、民間のコンサルタントとして企業や商店街にアドバイスすべきだ。」
「役に立つのは会社であって、役所・役人ではない。高野氏がこれからも『役に立つ人』であり続けたいのなら、公務員を辞めて、自身が立ち上げたブランド米販売会社にいくのが一番良いと思う。」
と主張してきた。
「まちづくりへの情熱を持って役所に入ったが、地域の課題を解決しまちづくりをするためには、税金に依存せず地域住民自らで利潤を生み出すことが必要だと考え、役所を辞めて地域で活動する」
・・・そんな公務員が理想だと考えてきた。
今回、若くしてこれを体現した人物を発見した。
【地方公務員最前線 変わる仕事と役割】<5>出会いが育んだ新境地
======【引用ここから】======
NPO法人代表理事の佐藤翔平(27)は、山あいの集落を訪ねては農家の経営相談などに乗る。佐藤も「よんなな会」で刺激を受けた一人。今年3月まで町職員だった。
高校卒業後、大阪や東京での料理人修業を経て帰郷。町史を調べ、山間地の農林業など先人の苦労を知った。「てこ入れしたら、もっといい方向に行く」。14年度に町役場に入り、農業振興担当になった。
15年、高千穂郷・椎葉山地域が世界農業遺産になり、そのPRにNPOを設立。高千穂牛や焼き畑のソバなど旬の食材と生産者のインタビューを一緒に届ける季刊誌「高千穂郷食べる通信」を知人と創刊した。
「通信」は収穫物を売り込む農家が名刺代わりに使うほど評判を呼んだ。だが軌道に乗るほどに、自分の活動が「公か民間か」分からなくなった。
「1%の向上」。佐藤の頭に浮かんだのは、「よんなな会」で脇が繰り返した言葉だった。たどり着いた結論は「自分は地域活動のプレーヤーになった方が、町のためになる」。4年勤めた役所を辞めた。
======【引用ここまで】======
これ、これ、これである。
農業振興を志して町職員となり、
農家の経営相談に取り組み、
食材と農家をPRする季刊誌を作り、
町職員を辞めて自らが設立した法人の代表となった。
この佐藤氏は素晴らしい能力と理念を持った人物である。
少なくとも、この新聞記事を読んで私はそう思った。
【役に立っているかどうかの判別法】
「スーパー公務員」を礼賛する界隈では、
「公務員は役に立つことをしなければならない」
という主張をよく見かける。
しかし、これには注意が必要だ。
調整力のある職員であれば、役所内部での協議を経て予算を獲得し「僕の考えた最強の事業」を展開をすることができる。
しかしこれは、この事業が住民の役に立つことを証明するものではない。
事業の予算、元手は税金である。
役所が1,000万円の予算をつけてある事業を展開した時、本来、1,000万円分の効果があっただけではダメなのだ。1,000万円+徴税コストを上回る効果が確認されてはじめて、その上回った分が付加価値となる。付加価値を住民にもたらしたと評価できて初めて「役に立った」と言える。
この付加価値が無ければ単に
「Aさんから税金をとり、中抜きしてBさんに配った」
だけのことになる。
役に立ったどころの騒ぎではない。公務員による泥棒である。泥棒が言い過ぎだとしても、自分で「役に立った」と悦に入るただの自己満足、自慰行為である。
泥棒稼業(あるいは自己満足)は、強制力が無ければ継続することはできない。
役所は強制力をもって税金を集める組織なので、ある事業に着手したとき、それが役に立つ事業なのか泥棒なのか自慰なのかを評価しないまま、税金を投入し事業を継続できてしまう。
役所の世界では、この評価の部分がどうも手薄であり軽視されている。価格メカニズムが働かないので、役所には事業の評価は無理なのかもしれない。
一方、民間には強制力が無いので、取引相手に付加価値をもたらしていなければ事業を継続できない。
「こいつと取引して高い金を払っても、何も自分にとって得がない」
と思われたら打ち切られてしまう。民間の個人・団体が事業を継続できているのであれば、その継続の事実が「役に立っている」と評価する根拠となる。
上記NPO法人の佐藤氏はまだ公務員を辞めたばかりということであるが、ぜひ、強制的に集められた税金に頼ることなく、地域の中で活躍して事業を継続していってほしい。そう願わずにはいられない。
【公務員側の考える「役に立つ」基準はどこに】
「スーパー公務員」を礼賛する側は、この「役に立つ」の評価・判定についてどう考えているのだろうか。
【地方公務員最前線 変わる仕事と役割】<6完>記者ノート 住民に寄り添い、考える
======【引用ここから】======
九州大大学院の嶋田暁文教授(行政学)は、求められる地方公務員像について「住民に寄り添い、逃げずに、できる方法を考える。覚悟を持って地域のために自分事として住民と接すれば、住民も信頼する」と話す。
連載では、それを地でいく「スーパー公務員」を取り上げた。
======【引用ここから】======
分権時代における自治体職員の働き方(自治研作業委員会報告)
第1章 なぜいま「自治体職員の働き方」なのか? 九州大学大学院法学研究院准教授 嶋田 暁文【Word:43KB】
======【引用ここから】======
「自治体職員にとって『いい仕事』って何だろう?」。いつの頃からか、とても気になり始めました。
自分なりに考えた、いまのところの結論は、「自治体職員にとっての『いい仕事』とは、市民を幸せにし、自分自身をも幸せにするような仕事のことである」というもの。
======【引用ここまで】======
第2章 求められる「自治体職員の働き方」 九州大学大学院法学研究院准教授 嶋田 暁文【Word:75KB】
======【引用ここから】======
しかし、いま求められているのは、市民にとって有益な存在としての「有能な、プロ職員」なのです。それに関連して私が思いだすのは、「すぐやる課」で有名な千葉県松戸市の市役所のエントランスに掲げられているという次の言葉です。
「市役所は市民に役立つ所・市民にとって役に立つ人がいる所」
ドラッグストアチェーン日本最大手の「マツモトキヨシ」の創業者で、1969年から1973年まで松戸市長を務めた松本清氏の言葉です。
======【引用ここまで】======
市民にとっての幸せとは何か。
市民にとって何が有益か。
市民にとって何が役に立つのか。
嶋田暁文氏という大学の先生が公務員の働き方について自治労向けの報告書を作成している。
この報告書を読んでみたが、何をもって「役に立つ」としているのか非常に曖昧である。費用対効果といった考え方を意図的に避けてすらいるようだ。
(ちなみに、マツモトキヨシは非常に役に立っている。強制力を使わずに長い間事業を継続できているからだ。)
その一方で、嶋田氏は現場対応する公務員の裁量的判断を強調する。
終章 「やりがいの源泉」と「自治体職員の役割の重さ」 九州大学大学院法学研究院准教授 嶋田 暁文【Word:47KB】
======【引用ここから】======
「裁量的判断の余地」こそ、自治体職員の腕の見せどころであり、「創意工夫による、仕事を通じた自己実現」の源泉となります。
======【引用ここまで】======
目的たる「役に立つ」の中身・基準は非常に曖昧。
同時に、手段を縛らず現場の裁量的判断を良しとしている。
目的は曖昧、手段は裁量的で無限定。
現場の公務員のやりたい放題を是認している印象を強く受ける。
嶋田氏が推奨する考え方は、公務員が自分のやりがいのために住民から徴収した税金を投じる新手の「やりがい搾取」である。
危険な考え方だと思ったのは私だけだろうか。
【公より、民】
強制的に税金を徴収し、裁量的判断に基づき分配する。これを繰り返す中で、担当公務員とつながりのある者が優先され、つながりの無い者はただただ税をとられる生贄となる。そこでは価格メカニズムは機能せず、ある所ではヒト・モノ・カネが余り、ある分野では圧倒的に足りないというミスマッチが随所で出てくる。公務員が中立的な立場から裁量的判断で調整しようとしても、あちらを立てればこちらが立たずで辻褄がどんどん合わなくなった。
そんな公の世界を離れ、冒頭の佐藤氏は民の世界に軸足を移した。
提供するサービスを評価されれば、報酬が得られる。
報酬は強制力の結果ではなく、取引相手の主観的な満足から生じる。
これを継続できれば取引する双方に利潤が生じる。
不足があればそこに新たな利潤を生む機会が生じる。
地域の企業家精神を持つ者が利潤機会を発掘することで、雇用が生まれ地域生活が改善され、そしてこの者にも利潤がもたらされる。
この積み重ねで地域は豊かになる。
まちづくりは、この道しか無いのだ。
佐藤氏にはぜひ才能を発揮してこの道を進んでいってほしい。