当ブログでは、過去2度にわたって、地方自治法の改正に伴う総合計画のあれこれについて取り上げてきた。
○総合計画の基本構想のみを議決対象としたい自治体へ - 若年寄の遺言
○議決事件として「総合計画の策定」を挙げている議会基本条例、自治基本条例 - 若年寄の遺言
この中で、
「総花的な総合計画を作る必要があるのかどうか、疑問は多々残る」
「作るだけ作ったけど、実際には職員も議員も首長も誰も見ないような計画なら、自治法改正を機会に策定を止めてしまった方が良い」
と述べてきた。
そんな私の想いが届いたのか、遂に、総合計画を廃止する自治体が登場したのだ!!!(拍手っ)
○藤沢市:「総合計画」廃止へ 市長任期ごとに指針策定 /神奈川 毎日新聞 2013年02月19日 地方版
=====【引用ここから】=====
藤沢市の鈴木恒夫市長は18日開会した2月定例市議会で、長期的な市政の方向性を示す「総合計画」を廃止する方針を示した。代わりに4年単位の「指針」を策定する。総合計画をやめる自治体は珍しく、鈴木市長は「総合計画と予算の乖離(かいり)、事業の総花化、計画の形骸化の問題を解決したい」と説明した。
総合計画は自治体の計画の最上位に位置づけられ、藤沢市では1957年以降、市長が交代する度、7回にわたって策定された。現計画は海老根靖典前市長時代に策定され、30年度までの20年間を対象にしている。12年に就任した鈴木市長の下で計画の在り方を検討し、11年の地方自治法改正で基本構想策定義務が無くなったことで廃止を決めた。
=====【引用ここまで】=====
総合計画を廃止し、代わりに4年単位の指針を作るということで、計画が全く無くなる訳ではないが、まずは一歩前進。
上記引用箇所で書かれているように、「総合計画と予算の乖離」は様々な所で長く指摘されてきた。
「総合計画に書いてあることは実現しなければならない。総合計画に書いてない事業は実施してはならない」
という拘束力は全く無い。そのため、総合計画を作ったけれども、予算に反映されないということが発生する。
一方で、総合計画は、場当たり的な職員の思いつき事業や、議員や地元有力者がねじ込むバラマキ事業を食い止める防波堤にもならなかった。
総合計画は、
「ここに書いてあることだから、実施して悪いことは無いんじゃない?総合計画は議決されてるんだしー」
程度のもの。既存の事業に、薄っすらとした正当性、お墨付きを付与させる位の役割しか無い。
藤沢市では、「総合計画の仕組みに替えて、新たな市政運営の総合的な指針を策定」し、この中で3-4年での重要性や緊急性の高いものを挙げることとしている。
この動きに対して、次のような懸念が提示されている。
○政策シンクタンク PHP総研 藤沢市が総合計画を廃止へ
=====【引用ここから】=====
一方で懸念される点もある。まず、「市政運営の指針」は条例で規定されてはおらず、議会のチェックを受ける仕組みが確立されているわけではない。公約が必ずしも妥当な政策ばかりとは限らないので、費用対効果がよく吟味されていない公約などについて、歯止めをかける仕組みが必要となろう。
=====【引用ここまで】=====
この懸念は、ちょっと私の感覚に合わない。
チェック機能を持った議会であれば、議決を経て策定される総合計画が無くても、予算案に計上された個別事業の費用対効果を分析するであろうし、著しく妥当性を欠いた事業なら予算修正案で削除しようとするだろう。
逆に、チェック機能を失ったシャンシャン議会であれば、総合計画を議決事項としていても、そもそも総合計画がフリーパスで可決してしまう。また、上述のように、総合計画は行政に対する「お墨付き」にはなっても「歯止め」とはなりえない。
であるならば、
「市長が、自分の選挙公約に基づき4年間の重点箇所を挙げた指針を作る。指針に基づき予算案を編成する。議会は、市長から提出された予算案について、個別事業の費用対効果をチェックする。」
これ↑で良いじゃないか。
総合計画が出てくる幕は、どこにもない。
市長が、「5年後の市役所をこんな風にします」というのは分からなくもない。市役所は市長が率いる組織だから。市長自身が率いる組織の有り方や、市役所が所有している建物、施設、道路、橋、上下水道管などの維持管理計画を定めておくことは必要だろう。(最終的には市役所が所有する建物等はゼロに限りなく近づけていくのが望ましいが、所有する限りは効率よく管理し、無駄な追加費用が生じないようにしていかなければいけない。)
だが、市長が総合計画で「10年、20年後の将来都市像はこうです。市をこうします。」というのは筋が違う。市は市長の所有物ではないのだから。
「あれもしよう、これもしよう、全部計画に盛り込んで、農家も漁師も商店街も酪農家も子どもも高齢者も障がい者も生保受給者も教員も職員も社協も議員も自治会長も首長もJAも建設業も、みんな、ハッピハッピハッピー♪」
という、実現不可能で総花的な総合計画を作る時代は終わったのだ。
○総合計画の基本構想のみを議決対象としたい自治体へ - 若年寄の遺言
○議決事件として「総合計画の策定」を挙げている議会基本条例、自治基本条例 - 若年寄の遺言
この中で、
「総花的な総合計画を作る必要があるのかどうか、疑問は多々残る」
「作るだけ作ったけど、実際には職員も議員も首長も誰も見ないような計画なら、自治法改正を機会に策定を止めてしまった方が良い」
と述べてきた。
そんな私の想いが届いたのか、遂に、総合計画を廃止する自治体が登場したのだ!!!(拍手っ)
○藤沢市:「総合計画」廃止へ 市長任期ごとに指針策定 /神奈川 毎日新聞 2013年02月19日 地方版
=====【引用ここから】=====
藤沢市の鈴木恒夫市長は18日開会した2月定例市議会で、長期的な市政の方向性を示す「総合計画」を廃止する方針を示した。代わりに4年単位の「指針」を策定する。総合計画をやめる自治体は珍しく、鈴木市長は「総合計画と予算の乖離(かいり)、事業の総花化、計画の形骸化の問題を解決したい」と説明した。
総合計画は自治体の計画の最上位に位置づけられ、藤沢市では1957年以降、市長が交代する度、7回にわたって策定された。現計画は海老根靖典前市長時代に策定され、30年度までの20年間を対象にしている。12年に就任した鈴木市長の下で計画の在り方を検討し、11年の地方自治法改正で基本構想策定義務が無くなったことで廃止を決めた。
=====【引用ここまで】=====
総合計画を廃止し、代わりに4年単位の指針を作るということで、計画が全く無くなる訳ではないが、まずは一歩前進。
上記引用箇所で書かれているように、「総合計画と予算の乖離」は様々な所で長く指摘されてきた。
「総合計画に書いてあることは実現しなければならない。総合計画に書いてない事業は実施してはならない」
という拘束力は全く無い。そのため、総合計画を作ったけれども、予算に反映されないということが発生する。
一方で、総合計画は、場当たり的な職員の思いつき事業や、議員や地元有力者がねじ込むバラマキ事業を食い止める防波堤にもならなかった。
総合計画は、
「ここに書いてあることだから、実施して悪いことは無いんじゃない?総合計画は議決されてるんだしー」
程度のもの。既存の事業に、薄っすらとした正当性、お墨付きを付与させる位の役割しか無い。
藤沢市では、「総合計画の仕組みに替えて、新たな市政運営の総合的な指針を策定」し、この中で3-4年での重要性や緊急性の高いものを挙げることとしている。
この動きに対して、次のような懸念が提示されている。
○政策シンクタンク PHP総研 藤沢市が総合計画を廃止へ
=====【引用ここから】=====
一方で懸念される点もある。まず、「市政運営の指針」は条例で規定されてはおらず、議会のチェックを受ける仕組みが確立されているわけではない。公約が必ずしも妥当な政策ばかりとは限らないので、費用対効果がよく吟味されていない公約などについて、歯止めをかける仕組みが必要となろう。
=====【引用ここまで】=====
この懸念は、ちょっと私の感覚に合わない。
チェック機能を持った議会であれば、議決を経て策定される総合計画が無くても、予算案に計上された個別事業の費用対効果を分析するであろうし、著しく妥当性を欠いた事業なら予算修正案で削除しようとするだろう。
逆に、チェック機能を失ったシャンシャン議会であれば、総合計画を議決事項としていても、そもそも総合計画がフリーパスで可決してしまう。また、上述のように、総合計画は行政に対する「お墨付き」にはなっても「歯止め」とはなりえない。
であるならば、
「市長が、自分の選挙公約に基づき4年間の重点箇所を挙げた指針を作る。指針に基づき予算案を編成する。議会は、市長から提出された予算案について、個別事業の費用対効果をチェックする。」
これ↑で良いじゃないか。
総合計画が出てくる幕は、どこにもない。
市長が、「5年後の市役所をこんな風にします」というのは分からなくもない。市役所は市長が率いる組織だから。市長自身が率いる組織の有り方や、市役所が所有している建物、施設、道路、橋、上下水道管などの維持管理計画を定めておくことは必要だろう。(最終的には市役所が所有する建物等はゼロに限りなく近づけていくのが望ましいが、所有する限りは効率よく管理し、無駄な追加費用が生じないようにしていかなければいけない。)
だが、市長が総合計画で「10年、20年後の将来都市像はこうです。市をこうします。」というのは筋が違う。市は市長の所有物ではないのだから。
「あれもしよう、これもしよう、全部計画に盛り込んで、農家も漁師も商店街も酪農家も子どもも高齢者も障がい者も生保受給者も教員も職員も社協も議員も自治会長も首長もJAも建設業も、みんな、ハッピハッピハッピー♪」
という、実現不可能で総花的な総合計画を作る時代は終わったのだ。
間違いなく、作らない方が得になるなる。小野市の蓬莱市長は、「職員の方針管理を徹底すれば従来型の計画は相当減る」と言い、「行政改革計画」はもう作っていないと言う。行革などは各課の仕事になっていて、各課が自分で成果を評価し、評価が低ければ人事に影響させるとのこと。
10年計画などは首長の票集めの道具。いかにも長過ぎて、目標達成が任期中にできない。長期の構想は、役所が手伝っても良いが、「市民が作り」それを首長が守るしかない。