Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

へ‐ドリアン・ウオール踏破 Heddon-on-the-Wall

2024-08-26 00:10:26 | へードリアンウオール踏破2024

朝7時半に起き、ホテルの朝食ーイングリッシュブレックファースト(英国独特の朝食)

ベーコン2枚、ソーセージ2本、ブラックプディング(これだけは食べない)トマト半切りを焼いたもの、ベイクドビーンズ、トースト、スクランブルドエッグ、・・・・こんな高カロリーの朝食を7泊中、4回食べた。

9時に大きなスーツケースを預けてバムバックと小さなリュックに水ボトル2本とビスケット、カメラを入れて出発。今日は15マイル(24.2Km)の予定。天気は良いが強い向かい風、太陽は後ろから昇って私は自分の影を追いかけながら歩いていた。

街が途切れるまではしっかりとした散歩道で、コーナー毎に上のサインがある。

写真がボケて申し訳ないが、歩きながら通りすがりの女性に、一体何の煙突だと聞いた所、昔のガラス工場の煙突とのこと、もう廃墟らしい。

ガラスもローマ人が此の国にもたらしたもので、長い歴史がある。

川縁の1っ箇所にこんな説明案内があった。此の場所で1640年8月28日英国軍とスコットランド軍の戦があったと言う。2000年前から両国は仲が悪かったらしい。

川向うに英国軍が陣取りスコッチ軍は丘の上から襲ってきている。4人のウオーカーが熱心に読んでいたが、私は写真を撮してそのまま先行。

麦畑は取り入れを待つばかり、こんな畑の隅っこがPablic Foot Passになっている。

冬用の動物の餌に牧草を刈り取りおむすび状にして保存する。

此の川縁の歩道の脇にスティーブンソンの生家があった。ナショナルトラストが管理しているが此の日は開いていなかった。スティーブンソンは蒸気機関車で有名な人、しかし1781年生まれの彼はまだ学校教育はされておらず、機械に興味のあったかれが実際に鉄道エンジンを開発したのは32歳からだった。67歳で亡くなるまで彼は鉄道の父と呼ばれた。

此のコッテージを1km以上も行ったところで道を訪ねたらずーっと前に丘に登っていくべきだった、あのコッテージまで戻ってその後ろから登りなさいと言われ、がっくり。コッテージの後ろの農道は急坂で、ハアハアあえいで上り、やっと自動車道にでた。

たどり着いたところは広大な手入れの行き届いたゴルフ場で、オフイスの前にいた男性にHeddon-on-the-Wallはどう行ったらいいかと聞くと、とっても親切に教えてくれた。

途中の道端のお屋敷の庭に今まで見たことのない花が咲いていた。グーグルで検索するとバラだというが葉が違う。誰か知っている人はいませんか?

こじんまりとした村のコッテージの前庭、へ‐ドリアンの壁よりも花が好き。

やっと探し当てたB & Bは母屋から離れた一軒家でリヴィングとキッチン、2シングルベッドの寝室とシャワートイレ、朝食用にパンやミルク、セアリアル、何でも良いとのこと、明日のお昼用にサンドイッチも作って持っていきなさいとハムとチーズも置いてあった。

昔買った蝶のコレクションで、我が家にもあるので、話がはずみ孫の写真の見せ合いから、日本の庭園を是非見たいと言う。京都の庭の写真コレクションの本を送る約束をしてしまった。

ここが離れの1軒家、

ここは母屋のコッテージでとっても親切な夫婦だった。此の場所まではローマの遺跡は殆ど残っていない。明日からが楽しみ。此の日に万歩計は35,252歩を記録した。多分15マイル(24KM)くらい歩いたかもしれない。

コメント (3)
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