マイダネク強制収容所を出た時は、二人とも言葉も無く、ミセス・ナヴィの言う通り、北にキャンパーを向けた。ルブリンの北50Kmほどにあるプワヴィ(Pulawy)にあるチャルトリスキィ邸が有名との事で、行ったがキャンパーが駐車できる場所が無い。
亭主は道端に駐車して、いつでも動ける用意をしてキャンパーで待っているからと私一人館まで行ったものの、ゆっくり中を見ている暇も無く、外観を写真に写し、急いで帰ってきた。
この館は1671年バロック様式で作られたがスエーデン軍の侵略で焼失、18世紀の貴族チャルトリスキィ王子夫妻によって再建された美しい宮殿だとの事。
この館へ来る途中に見つけた道路標識でカジミエーシュ・ドルニイへ行くことにした。ここはヴィスワ河沿いの小さな美しい町で800年以上の歴史を持つという。
丘の上には修復中のカジミエーシュ大王の居城跡があり、又町の中心に立つ教会も内外全部修復中。しかしちょうどこの日から3日間音楽祭が行われていて、市場のスクエアーにはお土産店や屋台が並び、着飾った老若男女が楽しんでいた。
音楽祭は土地の民謡らしく民族衣装の娘さんたちが自分たちの出番を待っている様子。
この民族衣装を見ると、ここがスイスかオーストリアかドイツか判らなくなる。ヨーロッパ諸国の民族衣装は良く似ている。
この鶏の形をしたパンはこの町の伝統的な食べ物で、何百年もの昔鶏を丸焼きにしたことから、作られたものだという。
川淵には面白い形の船が停泊していた。この河を上下する観光船なのだろう。
にぎやかな町で気分を良くし、町外れに見つけたキャンプサイトにチェックインした。
このサイトは川と平行に走る道路わきの低地にあり家族経営の小さなものだが、キャンパーやテントのポーランド人が夏休みでこの辺りに来るらしい。只のWifiがキャンパーの中から使えて、一生懸命このブログを書き送った。
夜中の一時、疲れた目を休ませるべくキャンパーの外に出てみると、隣のホテルの庭からろうそくの熱で空に浮かぶ紙風船(提燈)が次から次と夜空に浮かび、風に吹かれて裏の丘へ流れていった。道路の交通も途絶え、ほとんどの人たちが寝静まったキャンプサイトに、音も無くふわふわ上ってゆく紙風船(提燈)は幻想的だった。
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