Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

末期がんの経過

2020-07-09 23:41:38 | 日記

亭主は10年前全く同じ左肺下葉にできた癌で手術した。当時78歳、日ごろから元気で病気もしたことがないくらいだったから、左肺下葉摘出術も問題なかった。術後5日目にして退院し、病院がロンドンブリッジ駅のすぐ近くだったこともあり、電車で15分わが家の近くの駅まで乗って帰宅した。車だと一時間くらいかかるだろう。

帰宅してからは無菌療養をするため、娘にも電話以外はわが家に近づけず、通ってきてくれたのは地域のディストリック・ナースだけだった。

帰宅後2週間ほどしたころ、1月の寒い日に私がロンドン市内のコンサートへ行った帰り、予定外の大雪に見舞われ、電車が途中で止まってしまって帰れない。あと一駅のところまでメインロードを歩いたものの、バスもタクシーも通っていなくて亭主に電話した。術後の経過は良いものの、雪の中を車を運転して迎えに来てくれた。

術後初めての検診では、左肺が摘出した後の空間を埋めてしまっているとドクターも驚くくらいだった。術後5年の検査も問題なく、10年後の本人も忘れていた昨年、ひょんなことからまた同じ場所に肺がんが見つかった。

亭主は幸せな人生を送ったからもう治療しないで残りの人生を楽しもうと言ったのに・・・・ドクターから貴方のように元気な人はもう一度放射線療法をしてみたらと言われその気になった。

放射線療法をする前には肺の細胞検査をする必要があると言われ、一時は拒否したものの、する羽目になった。それまでのペッツスキャンでは肺の3センチの腫瘍ほかに転移は見られないとのことだったが、細胞穿刺後のペッツスキャンでは3か所に転移がみられるようになった。(亭主も私もは穿刺のせいだと思っている。)

薬物療法だけは絶対したくないと言い通していたので、背中に転移したがん細胞を放射線で治療した以外、一切のがん治療をしていない。

5月末まで右足が丸太の様に腫れあがり(足の付け根のリンパ腺のせい)歩けなくなった。それ以来、ベッドから行けるのはトイレだけ、食欲も無くなり肺がん患者特有の血痰が止まらない。病状は急激に悪くなってくる。

この数日トイレさえも困難になり、ベッドに寝たっきりになりつつある。意識はあるものの混濁がみられ話の半分は何が欲しいか、何がしてほしいかが判らない。

2日前から毎晩1時間から30分おきにトイレへ行きたいと訴えるので、彼も私も睡眠不足。とうとうたまりかねてモルヒネの水溶液を飲ませて、日中は良く寝てくれるが、昨夜など薬を拒否して一晩9回も起こされた。

娘がホスピスへ連絡して今夜から3晩ナイトナースが来てくれるという。彼女がどういう処置をしてくれるのか? 昔は日本で看護婦として末期がん患者も診てきたが、病院だとカフェター(尿管)を付け、睡眠薬を飲ませ、栄養剤の点滴をし、あらゆるコードにつながれる。自宅では自分の夫を一人で見れるほど体がもたないと初めて分かった。

死ぬまで周りの人たちから有形・無形の助けをもらって、亭主は決して一人で死んでいくわけではないと強く思っている。

 

 


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