先日は杉村太蔵議員がいきなり「公認してちょんまげ」演説会を開いたりで、真冬に向かう当地も遅ればせながら総選挙ムードが高まってきましたが、先がけて天下国家にまったく関係ないながら聞き逃せないニュースも飛び込んできました。
TBSの昼ドラ2枠『愛の劇場』(月~金13:00~)『ひるドラ』(同13:30~)が来春4月から廃止されるとのこと。同局としては他局に後れを取っている昼時間帯を総合的に改編して、大型の情報・報道番組に拡充する方向のようです。
『ひるドラ』は『ドラマ30』として、確か昭和50年代初期から、『愛の劇場』はさらに遡って昭和40年代前半から始まっている歴史ある枠です。昼帯をこよなく愛する大きなTVっ子月河は、平成に入ってからはおもにライバル局・フジテレビ系東海テレビ制作の13:30~枠を主力ウォッチしてきたため、最近のTBS昼とはあまり縁がなかったのですが、全国の昼帯ラヴァーズの中でも、“元気”“前向き”“家族愛”“夢実現”などのタームを快とし、当日午後や明日の仕事の活力にしたい人、けなげな子役さんたちの可愛さに萌えたい人はTBS系、月河のようにあくまで大人の人間の暗部や負の感情の衝突が起こす波濤をドキドキエグエグ面白がりたい向きにはフジ系と、個人のテイストに合わせて棲み分けしながら互いに“もっと面白い、新鮮なものを”“向こうさんに負けないように”と切磋琢磨して行ってくれればいいなと思っていたので、今般のTBSの「昼帯でドラマはもうやりません、数字取れてないから」宣言はショックです。
いつも贔屓にしている枠の裏枠で、「たまたまチャンネルが合っていたため目に飛び込んできたシーンが印象的でそのまま見続け、気がついたら“贔屓移転”していた」っていうのがいちばん幸せなドラマとの出会いではないかと思うのですが、TBS系では04年『虹のかなた』『メモリー・オブ・ラブ』辺りは雑誌情報からかなり目的意識を持って序盤を観たものの、結局“移転”には至りませんでした。
05年『デザイナー』も一条ゆかりさん原作という点にかなり不安を抱きつつも(実写化で満足行く出来になった作が、好みもありましょうが従来皆無)、仮面ライダーギャレンに変身しない天野浩成さんを見てみたく挑戦しましたが、画面の白っぽさとセット空間構築のスカスカさに大いに失望、『緋の十字架』に戻って来たりして、やはりTBSのここの枠は“軽み”“明朗さ”に専念したほうがいいかもね、と思った記憶もあります。
枠によって担当するプロデューサーさん、製作プロダクションと抱えるスタッフも違うので、得意とする作風も違って当たり前。たぶん月河とは反対に、いつもTBS系をレギュラー視聴していて、出演者や原作情報でフジ東海系を試し見、「この重さエグさにはついていけないわ」「子役さん可愛くないし棒読みだし(←作品によるのに)」と戻って行った人も少なくないことでしょう。
ただ、「数字が取れていない」と嘆かれれば、いち視聴者としてむべなるかなと思うふしがないでもない。現行踏ん張っているフジ東海系も含めて、昼帯ドラマとは、“月~金オビ”というフォーマットにこそ最大の強みがあるのに、それを活かそうという姿勢、思考のベクトルがあまり感じられなくなっている。「今日の続きが、明日のこの時間にもう観られる」「待たされても週末2日だけ」というのは、連続もののフィクションドラマに食いつかせ、離させない上でたいへんな牽引力だというのに。
1作品の1クール3ヶ月の間、リアルタイムで1話30分、フル視聴できる日は数えるほどしか持てず大半録画視聴の月河ですら、「帰れば『○○』のビデオが待っている、帰れば再生して観れる」だけで、昼間どこで何をしていてもテンションがちょっと上がったりするのです。13:40頃ふと手を止める瞬間があると「今頃レコーダーが稼動しているんだろうなムフフ」と挙動不審スマイルになったりもする。
そうこうするうちに土日の、たったの2日のインターバルが長く感じられるようになってくるのです。たった2日が街ち遠しいなんて思わせてくれる機会は、同じ連続モノでも週一のドラマには間違っても望めません。かつての『女優・杏子』や、『愛のソレア』中盤まで、『美しい罠』後半などはそんなノリで楽しませてくれました。
最近の昼帯ドラマは、「月~金オビでどんな話をやったら面白いだろうか」「今日の続きが明日観れるとしたらどんなドラマが観たい?」というところからクリエイティヴに、建設的に出発するのではなく、「月~金のこの時間帯TVを観ているのはどんな層か、性別は年齢は職業は年収は家族構成は」という広告代理店主導のマーケット限定がまずありきで「そういう人たちはどんな話が好きか、どんな漫画や小説を読んでいるか」「どんな俳優を起用すれば食いついて来るか」と、狭く狭く考えては、ますます狭い作品しか作れなくなっている気がする。
フジ東海系最近の諸作、たぶん広告代理店分析では愛読者と視聴者層がかぶっているのであろう人気漫画・レディコミや、古典的大衆小説・少女小説に取材した作品が多く製作されていますが、原作よりも面白かった、或いはせめて「これを原作にとって正解だったな」と思わせてくれた作は残念ながらほとんどありません。
オビということで言えばNHK朝の連続テレビ小説、所謂朝ドラも同じような傾向で長期低落が続いています。やはり“毎日オビで続きモノ”という枠の利点をほとんど武器にできず、“頑張る若い女性の職業・結婚根性サクセスモノ”にこだわってみずからクビを絞めている。こちらは土曜も入れて週6ですから、できることはもっともっとあるはずなのに。
枠が減るに従って、オビであることを活かして書ける脚本家さんが払底して来ていることも大きいと思います。いま日本のTVドラマ界で筆力あるとされる脚本家さん、特に伸びしろある若手中堅どころは、ほとんど1話完結、単発2時間、せいぜい週一全10~11話までしか書けない人たちでしょう。
原則1話完結で半年26話、1年50話ぐらいを複数脚本家のローテーションシリーズ構成で一貫させて行くノウハウも、それこそ特撮やアニメの一部の製作チームにしか確立されていません。
TBSの昼ドラ撤退宣言は、ある意味日本のTVドラマ界の“話の面白さで視聴者を吸引し続ける力”の減衰を端的に表したとも言える。そういう力がTVドラマに確かにあるということを、あろうことか当のドラマの作り手が信じなくなって来てもいるようです。
「この時間帯TV観ているのはこんな層だから、その層に受けるモノを」とあらかじめ狭く限ってスタートするのではなく、「面白いモノを作りさえすれば、面白いモノを観たがって、求めている人が、層を問わず集まって来るはず」とハラくくってなぜ作れないのか。家庭用録画機材や、(著作権の問題がつきまといますが)インターネットでの画像データ共有がこれだけ普及している現在、「面白い、続きを観たい」と思わせることさえできれば、その時間にTVの前に居ない人をも、いくらでも客にできるのに。
現に、月河は『杏子』でそうしてこの枠の客になりました。
この機会に、生き残ったフジ東海はもちろん、今般背を向けてしまったTBSも、「オビでドラマを作る(作っていた)ことの意味」を考え直すべきだと思います。
ひいては“TVにドラマというジャンルのある意味は?”という、根元的問いにもなってくるに違いありません。