雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

堀川運平さんのこと 昔話ー31

2007-02-19 06:13:39 | カワサキ単車の昔話
堀川運平さんのこと

川重の本社から来られて、2年ほど単車事業部の企画室長を務められた。

丁度その頃、販社から企画に戻ってお世話になった。

高橋宏さんが部長で、課長クラスは私や田崎、田付、種子島、係長クラスに武本、岩崎、佐藤、森田,今城、繁治さんなど、後々単車や川重を支えた人たちがいた。

堀川さんは、後、企画室長のほかに営業も生産も見られるようになるのだが、「私は生産など解りませんから、人を決めてその人に乗るのですわ」と広言されていた。
「生産は安藤さん(故人)に乗るんです」と言われていた。


堀川さんはもともと財務、資金のご専門で、量産の単車事業などは初めての経験であったのだが、その発想は非常にユニークで、非常に先輩に失礼だが間違いなく、武雄市の樋渡市長のいう「奇人、変人」の範疇に入る素晴らしい方だと思う。

私自身、本当にお世話になった。
堀川さんが本社に戻られてからのことだが、「国内販社の今後の方針」の本社決済をお願いしたとき、その計画の内容は本社スタッフの案とは全然異なる反対の方向であったのだが、「君がそのように考えたのなら、それでいきましょう」と言って頂いた。

今、カワサキモータースジャパンがあるのは、その一言のお陰と思っている。


1983年、単車存亡の危機のとき、本社で会議の直ぐ後立ち話ではあったが、「事業部は50億まではいいですよ」とささやかれた。

「単車の赤字は50億ぐらいまでは、船やその他で何とかする。その代わり販社のほうは、ちゃんとやれ。」ということだと解釈した。

事業部の赤字は、他の事業部で埋められても、販社の決算は連結で直接本体に影響するのである。

「その販社のほうは、財務対策はできても本社に販社経営のノウハウはなく本社でコントロール出来ない、そこのところをちゃんと頼む。」と言われたと解釈して、事業部の企画担当で事業部損益管理責任はあったのだが、むしろ海外販社の損益改善中心にに全力を傾注した。

この堀川さんの二言は大きな影響があったし、その判断は非常に的確であったと思っている。

一度機会があれば、真意をお聞きしてみたいと思う。覚えておられるだろうか。
コメント (3)
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