雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

嬉しい招待状

2007-02-18 05:59:53 | カワサキ単車の昔話
仙台の服部君から突然の電話、声を聞くのは10年振りである。

電話の声は、10年の空白からか最初は非常に硬く緊張したものだった。
こちらが、むかしの通りの対応をしたので、直ぐむかしのままの服部君に戻った。

「3月6日に開店30周年の記念パーテイをやるので、出席して頂けないか」というご招待である。
「喜んで出席します。」と即答した。

服部謙治君。東北を担当した仙台時代にいろんな思い出がある。
宮城カワサキの工場長で特に4サイクルのエンジンの技術があって、当時はまだメグロの白バイが主力の時代だったから、白バイのメンテナンスを一手に引き受けていた。
もう一つ、モトクロスが好きで、且つ早かったし職場に大沢,柄沢という同僚も居てチームとしてやっていた。

私がレース担当直後だったこともあり、ファクトリーにまだ顔も効いたし、レースそのものが好きだったのでいろいろと面倒をみてあげた。

彼が今の店を開くとき、故郷岩手の遠野に戻ってと言うのを「それは仙台でなければ」と無理やり仙台を薦めたのはよく覚えているのだが、それから30年というのがどうしても私の計算と合わないのである。


今朝、こちらからもう一度電話を掛けて確かめた。

開店は昭和52年3月6日、間違いなく30周年である。その時、私はメーカーの方に戻っていた。
服部君曰く、「出来たら東京、仙台は絶対、遠野は駄目」と確かに言ったという。
どこで、どんなときに言ったのだろうか。一度、日記を引っくり返して調べてみよう。

人間の記憶は、ホントに断片的で頼りないものだと思う。

言った内容は合っているのだが、時期については自分の思いと約7年も開きがある。不思議なものである。

あれから30年、立派な店になった。
年齢は抜き去ることが出来ないので、私などは偉そうに「服部君」などと呼んでいるが、営業の連中にしたら「ホントにエライ服部さん」の筈である。

私が東北にきてはじめて営業を経験した40年ほど前、代理店の社長さんはみな「エライ人」だった。


開店30周年記念にご招待を受けて、本当に感謝している。
コメント
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