最近また、小野田滋郎さんをよく思い出す。フィリッピンの小野田中尉の弟さんである。
ずっと年賀状のやり取りをしてきたのに、今年は来なかった。どうされたのか心配である。
何より考え方や発想が素晴らしく、無茶苦茶厳しかったが、それでいて文学青年みたいな一面もあって酒が入れば古文や和歌がどんどん飛び出す、人を惹きつけてやまぬ人間っぽいところが魅力だった。
私の前の広告宣伝課長で、これを最後にカワサキを辞められたのだが、
送別会のとき、「雑音に耳を貸すな」と言われたのが残っていて、ずっと守ってきた。
雑音に耳を貸さずに突っ走るのは簡単なようでそれなりの覚悟が要るものだ。
最近は、ホントに独りで行動をしているが、会社の中と違って雑音が一切聞こえないのは気持ちがいい。
仮に雑音があったとしても、何の関係もないのがいい。
小野田さんには、そのほかにもいろんなことを教えて頂いた。
曰く「戦場へ着くまでの行進は縦列,戦闘状態はヨコ展開」
「ちゃんと理解しているのか。図示説明してみろ。図示できないのはちゃんと理解できていないのだ。」
確かにちゃんと理解できていないと、図に描いて示すのは難しいのである。
単車事業育成のために広告宣伝費1億2千万円を開発費として本社が計上してくれた。
私の年収が50万円にも満たない時代であったから、この金額は広告代理店にとって相当の魅力であったのだろう。
電通、博報堂、大広をはじめ各社の本社スタッフが連日訪れた。
小野田さんと二人でその選考に当たったのだが、当方の出した幾つかの設問の中に
「貴社の広報企画力を図示説明してください」というのがあった。
そのとき、加藤純三さんに出会ったのである。
大広チームは役員、部長など10数人のチームで来たのだが、このチームを実質的に引っ張っていたのは、ヒラの加藤さんであった。
私より少し若かったが、広告理論も、説得力も迫力も群を抜いて素晴らしかった。
実際に大広とお付き合いをして後も、彼から吸収したものは本当に大きかった。
私が広報やレースを離れ仙台に異動するとき、どうしても送別会をすると言って、はじめて彼と夜、飯を食い酒を飲んだ。
3年間、仕事一途、喧々諤々のお付き合いだった。
42年間の会社生活で「この人にはどうしても、太刀打ち出来ないと思った二人」
それは、小野田滋郎さんと加藤純三さんである。
私も30才前後の若さだったが、そんな時代に逢えて本当に良かったと思っている。
加藤さんは芦屋の辺りにおられるとか、加藤さんも小野田滋郎さんも、お元気なことを祈っている。
ずっと年賀状のやり取りをしてきたのに、今年は来なかった。どうされたのか心配である。
何より考え方や発想が素晴らしく、無茶苦茶厳しかったが、それでいて文学青年みたいな一面もあって酒が入れば古文や和歌がどんどん飛び出す、人を惹きつけてやまぬ人間っぽいところが魅力だった。
私の前の広告宣伝課長で、これを最後にカワサキを辞められたのだが、
送別会のとき、「雑音に耳を貸すな」と言われたのが残っていて、ずっと守ってきた。
雑音に耳を貸さずに突っ走るのは簡単なようでそれなりの覚悟が要るものだ。
最近は、ホントに独りで行動をしているが、会社の中と違って雑音が一切聞こえないのは気持ちがいい。
仮に雑音があったとしても、何の関係もないのがいい。
小野田さんには、そのほかにもいろんなことを教えて頂いた。
曰く「戦場へ着くまでの行進は縦列,戦闘状態はヨコ展開」
「ちゃんと理解しているのか。図示説明してみろ。図示できないのはちゃんと理解できていないのだ。」
確かにちゃんと理解できていないと、図に描いて示すのは難しいのである。
単車事業育成のために広告宣伝費1億2千万円を開発費として本社が計上してくれた。
私の年収が50万円にも満たない時代であったから、この金額は広告代理店にとって相当の魅力であったのだろう。
電通、博報堂、大広をはじめ各社の本社スタッフが連日訪れた。
小野田さんと二人でその選考に当たったのだが、当方の出した幾つかの設問の中に
「貴社の広報企画力を図示説明してください」というのがあった。
そのとき、加藤純三さんに出会ったのである。
大広チームは役員、部長など10数人のチームで来たのだが、このチームを実質的に引っ張っていたのは、ヒラの加藤さんであった。
私より少し若かったが、広告理論も、説得力も迫力も群を抜いて素晴らしかった。
実際に大広とお付き合いをして後も、彼から吸収したものは本当に大きかった。
私が広報やレースを離れ仙台に異動するとき、どうしても送別会をすると言って、はじめて彼と夜、飯を食い酒を飲んだ。
3年間、仕事一途、喧々諤々のお付き合いだった。
42年間の会社生活で「この人にはどうしても、太刀打ち出来ないと思った二人」
それは、小野田滋郎さんと加藤純三さんである。
私も30才前後の若さだったが、そんな時代に逢えて本当に良かったと思っている。
加藤さんは芦屋の辺りにおられるとか、加藤さんも小野田滋郎さんも、お元気なことを祈っている。