雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

北京オリンピック野球日本代表決定

2008-07-18 08:25:43 | スポーツ
昨日、オリンピックの日本代表候補を予想してこんなブログをアップした。

今朝の新聞に正規に選ばれた24人が載っている。
投手11人が10人になり、野手が逆にひとり増えた。

個人的な感想をいうと、

投手をひとり減らしたが、これはそれでいいと思った。
岩隈ではなく田中が選ばれたのは、中継ぎに使うのはどちらがいいかという判断かと思う。
小笠原が落ちたのは意外であった。
森野、荒木の中日勢はどこでも守れる、走れると言う役割か。
中島は内野が多すぎると思ったが、選ばれて当然の活躍である。

順当なところだろうと思う。

だが団体スポーツなので、監督なりコーチが変われば、また違うメンバーの選出になるだろう。
もう1チーム造ったとしても、実力的にほぼ互角だろうと思う。

もし大リーグの選手たちも入れて全日本を造ったら、どんなチームになるのだろう。
日本の野球も強くなったことは間違いない。
金メダルを期待したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

JJSBAの昔話

2008-07-18 04:53:00 | 7万台の挑戦の時代
JJSBAジェットスキーの日本のレース協会である。
ジェットスキーはカワサキの商品名であるから。このレースはカワサキのワンメークのレースである。
カワサキが主体的にリードしてゆかねばならないのである。


これは91年の話である。
平成3年3月25日に『JJSBA運営方針の変更について』というレポートがカワサキ社内で出されている。

新しく初めてのことに挑戦すると、いろんな問題も出てくるのである。
ジェットスキーのレースは、もともとカワサキのメーカーが始めたものではない。
もともとは好きな人が集まって、輸入元であった西部自動車やごく一部の販売店やユーザー、それにカワサキの孫会社などが協力したりしてスタートしていたのである。


JJSBAを設立したのは84年で、そのころからカワサキも関係を持ち始めたのである。
私はまだメーカーの企画にいて、JJSBAの設立のためにKMCに苧野さんとご一緒したりはした。当時のKMCは今川重の会長の田崎さんだった。
鶴谷君がオーストラリアから戻って、福井君らとジェットスキーの専門担当を始めたころである。
明石のカワサキ単車部門には企画部門以外にジェットスキーを担当する部門などまだなかった時期である。

ジェットスキーは発動機部門でエンジンを作り、リンカーン工場で組み立て、KMCがアメリカ市場だけに正規に販売をしていたのである。
輸入元は日本では西部自動車さんでどこからか輸入されていた。

そんな時代から、国内販売を起案し年間2~300台であった販売も、新しい販売ネットを作ったりして、91年ごろには5000台を超える水準になっていたのである。



当然JJSBAのレースも本格的な規模へと推移して、
当初の愛好者の集まりの組織体制では矛盾もいっぱい生じていたのである。

資料から抜粋すると、
組織の現状は次のようなものでいろんな人たちの集まりであった。

特別会員  カワサキジェットスキー販売、西部自販     2社

法人会員  KJSと西部の関係会社             2社
      KJSの販売店                 38社
      西部の販売店                 11社
      会則に合わない法人会員            33社

個人会員                        約1000人




この運営方針の変更は、当時の担当責任者の鶴谷君(現川重商事社長)が策定しているのだが、
西部自動車、販売店、協会実務担当者などなど過去の歴史を引っ張ってきているものを適当に整理しすっきりとしたものに再編成するためのものではあるが、
微妙に個人の利害関係や立場の想いなどもあって非常にその整理は難しいものだったのである。

幾ら案を立てて見ても、社内決済で解決できるものではなく、総会の議決で決まるものであった。
その議決権も運営費のほとんどを負担しているカワサキもその他の人たちも同じ議決権数なので、それを可能にするためには高度の政治的な配慮みたいなものがいったのである。

具体的な問題はいろいろあったが、結果それらを解決してJJSBAは今日に繋がっているのである。
端的に言って、当時の会長を勤められた故苧野豊明さん(初代JJSBA会長)と後JJSBAの会長も勤めた鶴谷君の精力的な努力がなかったら問題は解決しなかったと思っている。



この11月中旬に、神戸のメリケンパークでミニSLのフェスタを開催することになっている。
この6月には神戸フルーツフラワーパークで開催したのだが、初めてではあったが何とかなったのである。

次回の開催は神戸市のメリケンパークという公園で『神戸海洋博物館』『カワサキワールド』主催でおこなうことになる。場所が公園だしいろんな問題もありそうである。
主催といっても実務は愛好者グループを中心にまわしていく必要がある。
お盆前までには案を纏めて今度は神戸市と調整に入らねばならない。
華やかなイベントも裏ではいろんなことがあるものだ。


そんなことで創成期のJJSBAを思い出したのである。
そのころ一緒に苦労した仲間の福井君がいるにも何かのご縁である。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする