雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

野茂引退に思うこと

2008-07-20 04:57:16 | スポーツ
野茂が大リーグ引退を決めた。
ひとつの時代が終わって、それを引き継ぐ新しい時代になりつつある。

プロ野球選手は、野球と言うスポーツ競技の中で、自らの記録を中心にチームへの貢献も考えながら毎日プレーしている。
プロ選手であるから、個人の成績が一番である。
世間の選手への評価も当然のことながら、個々の選手の記録に対してのものが一番重要視されるのである。

金田、長島、王。
旧くは川上、藤村、別当、現役で言えば、イチロー、松井、松坂など。
みんな素晴らしい選手であったし、みんな素晴らしい記録を持っている。
その記録が故に評価されているのである。


野茂秀雄。
彼への評価は、これらのスターたちと違って、ちょっと別次元のもののような気がする。
もちろん選手としても大選手であることには間違いない。
日米での新人賞をはじめ輝かしい多くの記録を持っている。
日米通算で201勝とは今回始めて知ったが、
野茂の評価はそんな個人の成績の次元を超えた先にあると思っている。

まだ誰も大リーグなどに目を向けなかった時代に、日本のプロ野球界の常識を破って独り海を渡った。
何の保証があったわけではない、誰かが支援したわけでもない。
自らがやりたいことを、自らの力で切り拓いたのである。



人の生き方はいろいろある。
目標の定め方もいろいろあって当然である。

企業や行政の世界でも、
『何になりたいか』を望む人は多い。むしろそれが一般的で、

『何をやりたいか』は本来真っ先に考えるべきかと思うが、
意外に『なりたい』ほうが優先されて、
それになれた途端に『何をやりたかったか忘れてしまった』ような生き方の人たちも多いものである。

政治家は、本来『何かをやりたくて』その道に入るのだと思うが、
『何になりたい』人の集団に成り下がってしまっているような気もする。


野茂の生き方は明らかに『何かをやりたい』意識が明確であった。
アメリカでもマイナーチームを持ったり、日本でもチームを持っている。
引退をしたからと言って、『やりたいこと』がなくなってしまったわけではない。

一時の職位や記録を超えた次元で『また、やりたいことを』見つけたらいいのである。


野茂秀雄が見つけるであろう、今後の『何か』に期待したいものである。
野茂にとって引退は単なる区切りのひとつである。
今からまた新しいものに向かって、多分既にそのスタートは切られているだろうと思う。


コメント
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