★ 「カワサキZ50周年祭」も2日後に迫りました。
「明石から世界へ、Zの偉大なる足跡と未来」
とありますが
明石は私の生まれ故郷でもありますし、本籍も明石です。
高校も明石の野球部でしたし、甲子園にも出ることが出来ました。
勤めもカワサキの二輪事業の明石工場でしたし、
そんな想い出いっぱいの明石で開催される今回のイベントです。
登録をされると、当日実況のYou Tubeがご覧になれます。
★カワサキの二輪事業がスタートしたのは昭和35年(1960)で62年も前のことなのです。
戦後、軍事産業だったということで7年間ほどの中断があって、
再開した川崎航空機工業は広大な敷地にこんな工場だけの厳しいスタートでした。
入社3年後の昭和35年(1960)に、二輪車の生産工場が建てられ、
開発・生産・販売までの一貫事業がスタートするのですが、
私は初めて出来た「単車営業課」に配属され始まったばかりの単車事業に従事することになったのです。
ご縁があって、以降退職する1999年まで約40年間を
二輪車の広報・レース・第一線営業・企画・販社経営と
主としてマーケッテング分野を担当したのですが、
退職後も何となく二輪関連の皆さんと繋がりがあって、
ずっと「二輪の世界」と繋がって生きてきたような気がします。
★ 今回のイベントでは、トークショーの皮切りに
「カワサキ単車創世期 事業スタートからZ1誕生前夜」
と題して約20分のスピーチをすることになっているのですが、
20分とは長いようで短く、なかなかムツカシイ時間のような気がします。
一応は「カワサキ二輪事業創生期」として
時系列に当時の出来事を並べた資料を会場の皆さんにはお配りして、
何となく格好は付けているのですが、
すべてを詳しく話す時間もないので、
「7シーンの写真」も用意して、その場の雰囲気なども感じながら、
20分を消化しようかなと思っています。
★ 多分私の「生涯の最後のスピーチ」になると思うので、確りとやろうとは思っているのですが、
2日前になっても、その内容は確りとは決まっていません。
現役の時もそうでしたが、スピーチに原稿など作ったことは一度もなく、
ぶっつけ本番だったのですが、
「話」というのは、「話す相手の方」との「協同作業」なので、
「現場の反応とか雰囲気」を感じずに一方的に喋っても、
「説得力はない」と思っていて、
いつも現場での対応になってしまうのです。
ただ、今回は同時進行で、You Tube の実況放映もあって、
まさに「明石から世界へ」流れますし、記録にも残ります。
You Tube の登録数は会場の人数とほぼ同数ぐらいになっていて、
私自身も登録しましたから、あとで自分でも聞けるというようなことは
初めての経験です。
そんなこともあって、いろいろと考えてはいるのですが、
「纏まらない」のはいろいろと欲があり過ぎるからだと思います。
★ 今回のイベントのトークショーは、
私の後に本命の「大槻幸雄さんを中心とした開発物語」や
「有名ライダー10人のトークショー」があるので、
イベントそのものの成功は間違いないと思います。
そんなこともあって、気楽にいつもの通り「ぶっつけ本番」で行くことにしようと思っています。
果たしてどんなことになるでしょうか?