カワサキの二輪事業において、販売の経験者、マーケッテングの解る人、これが極端に少ないのが特徴である。
これを解決するのは難しいが、課題ではあると思う。
昔話ではあるが、今の話なのかも知れない。
これは、事業展開が国内だけに絞られていた1960年代前半、販売に関係した人は、全てメイハツとメグロの人たちだったことから始まっている。
そのシステムは、ある意味、今でも続いている。
私はたまたまその頃(25才頃)営業に配属されたが、販売関係で上の人は全てメイハツ、メグロの人たちだった。
そんな平社員の頃の販売の経験は、私の体質となって非常に役に立ったと思っっている。
「若し仮に、カワサキ航空機の人たちで販売をやっていたら、多分、三菱や富士重やBSなどのように、この業界からの撤退を余儀なくされたであろう。
カワサキが生き残ったのは、国内ではメイハツ、メグロの人たち、アメリカではアメリカ人が販売を担当してくれたお陰だと思う。」
と社内の昇格論文に書いて怒られたが、今でも正しいと信じている。
海外市場の開拓期その中心となったのは、
ヨーロッパ、イギリスはメグロ出身の内田道夫君(故人)だった。彼はイギリスの後、カナダも担当した。
東南アジアの販売は、当時のカワサキオートバイの耕守正昭君や久後淳一郎君が担当し耕森君はその後ずっと東南アジアを担当し、エキスパートとして認められている。
先日も触れたが、アメリカのKMCの対策の一つとして富永邦彦君、日野勉君が逆出向をした。
この人たちはみな、入社当時からの販売経験者である。
川重籍で販売が解る人が、少なくなってきていることが心配である。
確かに、海外や国内の経験のある人はいるにはいるが、本当に若い時代から一線に近いところにいた人が少ないのである。
「管理職としての販売の経験ではなかなか本当のことは解らない」ということは、
北海道川重建機で二輪車と違う建設機械を経験してみてよく解った。
解ったような気がするだけである。
「そう思ってくれるといいのだが、本当に解ったと錯覚するのがこわい。」
少し楽観的なことをいうと、バイクが売れるのは「販売力ではない」圧倒的に「商品力」である。
Z,FX,ゼファーなどホンダさんと対抗できるほどよく売れたのは間違いなく商品力である。
確かに、難しそうな課題ではあるが、
基本的に「末端への視点」があり、本当に「末端を知ろうという心」があれば、経験などなくても解決するのかも知れない。