雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

Micky Hesseと岩崎茂樹

2007-05-15 06:30:24 | カワサキ単車の昔話
今朝、このURLからのアクセスが相次いだ。

Micky Hesseと岩崎茂樹氏」と題するブログの記事がそこにあった。

是非とも、ご紹介したいと思った。

岩崎茂樹、もう故人となってしまったが、ある意味カワサキを支えた男である。
彼と一緒に、鈴鹿への道を何度も走ったのが懐かしい。

カワサキマニアにとって面白いマシンの話、いっぱいです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もぎたてさっぽろ

2007-05-14 07:27:50 | 北海道&建機
情報収集は私の趣味みたいなものである。

インターネットは情報収集にはこれ以上のものはない。
セットしておけば先方の方から幾らでも情報を届けてくれる。

毎日沢山のメルマガが届くが、
その中で、札幌から届く 「もぎたてさっぽろ」 は毎回楽しみにして待っている。


「みなさま、こんにちは。札幌市観光企画課の屋中です。」 で始まる記名記事はなかなかの力作である。

丁度2000年ごろ、札幌ドームや札幌駅はまだ建設途上であった頃、札幌に2年間ほど単身赴任した。
北海道の夏は本当に爽やかである。
ゴールデンウイークに桜が咲いて、5月爽やかな季節の幕開けである。

そんな季節の札幌を今回は、纏めて紹介している。
その一部をお裾分けしよう。

雪祭りで有名な大通り公園で雪解け後最初のまつりが400本のライラックが咲き誇る「ライラックまつり」で5月23日から、もう直ぐである。
もう今年で49回を数えるとか。
大通り公園は、直ぐ近くの散歩コースだったので、このライラックの花も懐かしい。

祭りと言えば、「雪祭り」と並んで最近では「YOSAKOI そーらん祭り」が素晴らしい。
札幌を真似て各地で同じような催しがあるが、その規模も、踊りのレベルも比較にならないだろう。これに懸ける意気込みの差だと思う。

昨年は350チーム45000人が参加して、観光客の動員は180万人に上ったようである。
若い仲間たちでスタートしたこの祭りも今年で16回目を迎え、札幌のみなならず道内全体を巻き込んだ素晴らしいものに発展している。

そのほか、札幌のワイン、お奨めの写真スポット
極最近2005年から始まった「藻岩山の日
そのアクセスマップなど、
ようこそさっぽろ5月の特集
イベントカレンダーなど盛り沢山である。


観光都市札幌らしく、市民以外に焦点をあてた編集となっており、
今から札幌を訪れる人には非常に役に立つ内容になっている。

市の広報もこのくらいのレベルになると他市との差別化もできて、民間レベルを上回っているように思う。

札幌を思い出して懐かしく楽しい時間を過ごさせて頂いた。 屋中さんに拍手を送りたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

J's -LIME ほか

2007-05-14 05:37:07 | ジェットスキー&KAZE
カワサキの空冷4気筒J系のオーナー元オーナー、マニアの方を対象にしたオーナーズクラブがある。

「J'sーLIME」と名付けられたこのクラブの幹事役のTAKさんは以前、
私のブログに訪ねて頂いて会員の方々に紹介もして頂いたのはよく覚えていた。



極く最近になって、
アクセス元URL解析でこのようなリンクの画面からのアクセスが相次いだ。

ブログの最後に 「雑感日記」 を紹介頂いており、直ぐ下には、「Kawasaki Motors Japan」が、
その次には、故岩崎茂樹君との関係でお知り合いになった、
同じ三木市の 「seaz companyの登山さん」 もリンクされている。

これはどうみても、カワサキの親派のサイトだと思ったが、私はパソコンに弱くて、この後どのようにすればこのホームページにたどり着くのか解らない。
いろいろやっているうちに何とかなったが、どのようにして着いたのかは解らない。

そのホームページがこれである

このホームページのリンクから「雑感日記」に訪れてくれているのである。


それにしても、立派なホームページである。
「Jの系譜」などは、どうしてこんなに詳しく知っているのだと思ってしまう。

中の文章を読むと
「2006年にローソン系というトピックのメンバーを中心に発足したばかりで、
J系のマシンにお乗りの方
元乗ってらっしゃった方
とっても好きでたまらない方    どしどし参加して下さい。」とある。

TAKさん、ご紹介頂いて有難うございました。



同じようなリンクでこちらは650W1が登場する「続、旅するブログ」ここにもリンクして頂いた。

以前から、いろんなところで、リンクして頂いて有難く思っている。

それにしても、どのようにすればこんなにきれいなホームページが作れるのか、羨ましい限りである。

カワサキファンのこのような 「熱い想い」 は本当に有難いことである。
そんな想いを裏切らないように、今後も頑張りたいと思います。




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

5月の我が家の庭

2007-05-12 16:41:47 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
1年で一番美しいと思える季節到来である。

庭の花たちが一斉に開花を始めた。

もっこうバラはもう終わっていよいよバラたちの本格的な出番である。
カクテルからスタートした。
アンクルウオータ、ブライダルピンクも花開いた。

バラはどれも名前がかっこいい。
もう直ぐ開花は、アブラハムダービー、ウェデイングデイ、エバーゴールド、ファーザーズデイ、グリスアンバイエルン、ジュリア、春霞、新雪、羽衣、パパメイアン、ランドラなど、

あと一週間もすれば
アイスバーク、アンジェラ、ガーデンパーテイ、ピエールドロンサール、ザフェアリー、シャルロット、ダブルデライト、チャールストン、ピース、バレリーナ、ブラスバンド、プリンセスドモナコ、ホワイトマジック、ミラマーレ、のぞみ、粉粧楼、グラミスキャッスル、ヘリテージ、メアリーローズ、レデイローズなど

名前を並べただけで、何となく美しさ、艶やかさが想像出来るのではないかと思う。
バラをご存知の方なら、「人気のバラは殆どある」のがお解かり頂けると思う。

バラだけでなく、睡蓮も花菖蒲も花をつけた。
小さな池だが、鯉も20匹ほど元気に泳いでいる。

と書けば、どんなに広い庭かと思われるかも知れぬが、
二つある池の一つはガレージの下を利用した、多分日本でも一つしかないと思える池だし、
バラも庭木の間などにもつるバラを植えて、ぎっしりで庭はバラで埋まる感じである。

庭は決して広くはないのである。

今年はバラの最盛期にあわせて何とかブログに写真を取り込んで、その様子をお見せしたいと思っているのだが、自分だけではまず駄目である。

家内の友達のパソコンの先生に、是非教えて欲しいとお願いしているのだが。

写真をパソコンに取り込むまでは、出来たのでひょっとすると季節はずれには、出来るようにナルかも知れない。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続 田崎雅元さんのこと

2007-05-12 06:09:27 | カワサキ単車の昔話
続 田崎雅元さんのこと  (コメントのお礼)


カワサキ単車の昔話ー56,57で連続して,
現川重会長の田崎さんの若い頃のことを書いたら、ご本人から直接コメントを頂いた。

普通なら、なかなかコメントをするのも難しい立場の人なのに、
仲間のよしみか、実名でコメントをしてくれたのである。
その内容も田崎さんらしく面白いのでご紹介し、お礼も兼ねてコメントしてみたい。


「古谷さん!懐かしい話を有難う」 で始まるコメントは、
「技術屋でありながら会社に残した図面は一枚もありません。唯一裏で作ったレーサーJ1Rの設計図と部品明細表に私の承認印があるはずです。」 と続いている。


「図面を描いたことがない。」 これには、面白い話がある。
彼は本当に頭は柔らかく、技術屋さんらしくない大雑把なところもあるのだが、
そのことに触れて 「苧野さんや田崎さんは技術屋らしくないところがある」, という話になった時。
田崎さん即座に応えて、 「それはな、図面を一枚も描いていないから。」
確かに図面は、きっちりと描かないと役に立たない。
「なるほど、田崎さんが図面を描いたら走らぬ車しか出来ないかな」 と思ったことを思い出す。

「レーサーJ1Rの図面」 は、そんな田崎さんのたった一枚の 「印を押した」 貴重な図面というのである。


更に続いてコメントには
「製造部門にいた私にその権限も責任もないはずですから、これは当時設計部門の大槻さんとの共謀であったとおもいます。」 と結ばれている。


私の 「マシンは闇でつくってーーー」 という表現を、
直接話法で咎めもせずに、 「闇を裏に書き変えて」 とやんわりと修正し、
「ちゃんと承認印も押してある正規のものですよ。」 と匂わせ、

更に続いている文章も、
PLやダンピングなどで大変だったアメリカの裁判社会を実地に切り抜けてきた、
「流石に、スキのないものだ」  と、妙に独りで感心した。

本当にあのPLやダンピングのアメリカでの裁判問題は、カワサキのみなならず大変だったのを今では懐かしく思い出す昔話になりました。



それはともかく、
カワサキがはじめて鈴鹿を走った 「J1Rロードレーサー」 は、こうして誕生し、
山本隆というモトクロスライダーがロードへの道を開いたのである。

ホントにほんの一握りに人しか知らない昔々のお話である。

田崎さん、有難う。 
またいつか、昔話の続きに付き合って下さい。


カワサキ単車の昔話ー57 に田崎さんのコメントがあります
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九州といえば宮崎県

2007-05-12 06:03:39 | 政治
前の日曜日に夕方のテレビで、時の人、東国原宮崎県知事の特集番組があった。

いろいろと面白かった。

東京の一般の人たちに 「九州と言えばーーー県」 と質問してトップが10人になるまでを競ったら、 
「宮崎県10人、大分県1人、残りの県0人」 と宮崎県が圧倒的な勝利。

人の心理に残るのに今更ながら、 
「話題性」とか「広報力」 の凄さ、その中心にいる人の「発信力」みたいなものを感じた。
マスコミも何か 「視聴率の上がる」 「面白いこと」 に一斉に群がるので、その傾向を極端に助長してしまうのだろう。

それにしても、日本人は何か一つの方向と言うか 「流行」 「世の流れ」 に偏り過ぎるきらいがある。
独自性とか自分の主張を持たない、仮に持っていても公表しない。
「世の中の流れに沿って追随する」 そんな傾向が主流である。

みんなと同じ事をするのが無難だし、またそれが受け容れられるのである。

宮崎県のお土産や商品は殆ど全て 「東国原知事のシール付き」 である。
知事の評価を100人に聞いたらその平均点は93点、100点満点なのに120点入れたのもいる。
この105日間にマスコミなどに採り上げられた回数が315回とか。

世のおばちゃんがたの人気も抜群で、知事の行くところどこにでも現れ、バスツアーもあるようだ。



こんな流れを演出した、ご本人 「そのまんま東、東国原知事の言動や行動」 は、
他県の知事さんとは完全に差別化されていて、 「世の中の流れとは異なる」 ところがまた面白い。

なかなか、独自性があり、応答を見ていても、やることを見ても、 「自分の意見が確りとしている」 勉強家でもある。



番組では、先日から採り上げられた、 「石原都知事の発言」「裏金はありませんか発言」「定例記者会見問題」「談合」 などにも触れられたが、横にいた検事さん上がり?のコメンテーターの意見は如何にも常識的で、どちらかと言えば知事の動きを否定する方向であったが、そんなことにも 「するりと切り抜ける、タレント性」 を発揮していた。

「定例記者会見」と「ぶら下がり取材」 について、定例記者会見には権利を持つ既存の社しか出れないようで、権利を持たない新しいところは 「ぶら下がり」 などが唯一の取材の場であるようだ。

定例記者会見を少なくすることは、 「既得権の侵害」 と言っている風にも思えた。
マスコミの世界にも、「談合に似た風土」 があるということか。

(ここまでは、5日ほど前の記述だが、ここから今朝挿入)
「今朝の民放のニュース。
東国原知事、またも記者クラブの問題に触れて、「この問題について考え、議論すること必要」と発言。
長野県でも同じようなこと確か指摘があった。
自由な言論の世界の問題だから、堂々と白日の下に議論をして欲しい。」


ちなみに、コメンテーターは競争入札について 「値段だけでやると質の伴わない安物になる」 と今までの役所の方向を擁護しているとも取れる発言だった。

まだまだ、 「九州と言えば、宮崎県旋風」 は続きそうである。


知事になった直後、「そのまんま東に思うこと」と私見を述べたが

その頃、マスコミが一斉に、一様に報じた論調 「抵抗勢力」 もなびいていまうような 「そのまんま東の勢い」 である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広報みき

2007-05-11 08:34:43 | みっきぃふるさとふれあい公園
NO.121 広報みき

三木市長  藪本吉秀様
  cc    北井市長室長様


前回の庁内会議で5月14日には広報編集方針の検討が議題に上がっています。
市長メールには 「広報みきは月2回も発行する必要はないのでは」 という意見も寄せられています。
広報みきは新しい月2回発行になってほぼ1年が経過しました。
この4月からは広報部門の強化もされ、新しいメンバーで編成されています。

そんな機会に、 「広報みき」 についての私見を参考までに申し上げたいと思います。
思いを書き流しますので、気軽に読み流して下さい。


市民の方のご意見にもあるように、 「月2回の発行は必要ない」 というご意見に対しては,今の形態のままでは、私も 「そうかな」 と思います。
ただ、市長の方針の中で広報は重点課題ですし 「三木のイメージ向上」 のためにも、改めてコンセプトを明確にした上での展開を図られてはと思います。

「2回ある広報のうち一つを、新しいコンセプトでの発行とされる方向で継続して、月2回の発行を継続すべきと思います。」



三木市のイメージの向上は大きな課題です。
そのために、いろいろな施策が、いろいろな行事が展開されています。
いつも申し上げているように、そんな一つ一つを 「繋いでいく」 ことが夫々の価値をより高いものにして、より機能します。

広報みきの一つは従来の広報みきとは完全に差別化して、そんな 「ヨコの連携の核」 として位置づけてはと思います。

具体的に言いますと、例えば、

1.内容としては

三木のことでも市民が意外に知っていないこと。 読み物としても面白いもの。三木市民以外でも興味を持つもの。 三木の新しいイメージの創造に繋がるもの。
三木が外に対して自慢できること(いっぱいあります)

2.対象はむしろ、三木市民以外を意識して、

(イメージは他人が造るものです。他人のものはよく見えます。他人が褒めてくれると嬉しく、胸を張りたくなります。そんな人の心理を上手く利用して)
三木が自慢できる、それを見た人が羨ましく思うようなことで、且つ話題性があり「口コミ」の上りそうなものを選んで編集する。

3.発行部数は現在の3万部を例えば倍増して6万部とし

(部数を増やしても紙代だけで、費用は増えないはずです。)今流行りのフリーペーパーのように、三木市民に配布するだけでなく、適当な場所に市民以外に渡るように置いておく。
場所の候補としては、グリーンピア三木、森林公園、道の駅みき、よかたん、テニスコート、ゴルフ場など、市民以外の人が三木を訪れて 「読めばより強く三木を意識する」 ような場所を選んではどうか。

4.広告媒体としての広告価値という観点から

6万部以上になればそれ自体の広告価値も上がるので増刷り費用以上の広告収入が見込めるかも知れません。実質6万部以上読まれている雑誌はそんなに沢山はないと思います。
読者が「三木」に何らかの形で集約されていることは広告主の立場からいうと「対象が絞りやすく」広告し易いいと思います。
広報誌の広告価値は、想像以上に高いと思います。そう認識すべきです。

5.連載記事もはじめから考えて、

例えば、FMみっきいとの提携、その中で毎週やっている市長のトークなどを活字で紹介する。(意外にみんな聞きたくても聞けない、聞き逃すことは多いと思います。私も聞きたいのですが一度しか聞いていません) 
市長ブログ、部長ブログで面白そうなもの。
年次イベント(これも例えば、三木の伝統行事などもいいですが、BUG IN MIKIのほうが新しい三木のイメージが出ます。またプロのゴルフトーナメント関連など。そのほか「みっきいふれあいふるさと公園」などは、むしろ三木を訪れた市民以外の方のほうが、読めば実感すると思いますし「格好の口コミ材料」なると思います。

6.三木の自慢できるもの、

この際考えて見て下さい。市民の方も一緒に。いっぱいあるはずです。
私が推薦したいもの、あまり三木の方は気がついていないかも知れませんが。

無料の駐車場(遊びに行っても駐車料に泣きます。三木は多分無料駐車場の面積日本一かも知れません。)
無料の施設いっぱい(森林公園、ホーススランド、神社仏閣など)
小学生でも使える芝生のサッカー場。それも3面も。
テニスコート、プールなどのスポーツ施設いっぱい。それも素晴らしい環境に囲まれて。


こんな調子で,きりがありません。このように考えることは、それ自体楽しいことです。
ソフトの分野ですから費用も発生しません。

企画、創造力の源泉はアイデアです。
思考ステップの特徴は 「絞り込んで考え続けること」 です。
会議のときだけ考えるのでは、単なる思い付きになってしまいます。

そんな意味で、専門分野の広報担当者の方のご精進に期待します。


「広報みき」 は三木のいろいろなもを 「繋ぎ、更に高める」 重要な機能を持っていると思っています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企画力、創造力

2007-05-11 05:45:46 | 政治
「ふるさと納税」急浮上。都会で生活、住民税の一部は故郷に。
新聞の見出し、面白そうなので読んでみた。

菅総務相の提唱とあるが、これは非常に面白い発想である。

「高校までは地方が教育などを負担して育てても、いざ税金を払うようになると都市に出てしまう。都会に住んでいる人も、ふるさとに恩返しのために、住民税の一部をふるさとに」という構想である。

珍しく生き生きとした 「新鮮な発想」 だと思ったら、
実現のためにはいろいろと調整も必要で、「ひと山もふた山もありそうだ」と書いている。

まず、一般には受け容れられやすいと思うし、間違いなく賛同の方向となるだろう。
自民党内も賛意を示す人が多いようである。

でも、どうも参議院選挙対策のような匂いもある。
自民党内でも選挙に関係ある人、賛成。元官僚など慎重のようである。



そんな、この問題の議論は別にして、私がいつも思うのは、

政治家も議員も官僚も、そして地方行政でも。
そこで立てられる諸計画などを見ていると、
何故こうも 「新鮮な企画力、創造力に欠けるのか」、 と思っていた。

「時代を先取りして」とか心地よい、耳障りのいい言葉だけは上手に使うが、
その実務は、従来の慣例に従って、とにかく余り大きく踏み出したがらない。
過去の事例を調べてその枠内に止まった計画に留めてしまう前例主義である。

世の中の変化に対応するためには、「新しい発想」 が必要なのである。
新しい発想、創造力こそが 「企画」 と呼べるのだと思っている。
なのに、新しい発想を一つも持たない 「見せ掛けの企画」 がはびこり過ぎている。

そういう意味では 「ふるさと納税」 は新鮮な企画力を久々に見た感じである。



話は少し変るが、「これは新鮮だ」 と身近で感じ共感したこと。

私の住むまち三木の市会議員選挙があって、新しい議員さんも多く当選した。
その中の一人、米田和彦議員、28才。

彼はブログをやっていて
その中で今回、無所属ではなく一人会派を自分ひとりで立ち上げた。
その名を 「市民力」 とするというのである。 その名前も面白い。

不特定多数の末端はヨコ一線なのである。
極端に言えば、何も発言しない市政に無関心な無党派層こそが主流なのである。
そんな個人に働きかけ、市民に関心をもたせ繋いでゆく仕組みこそ、今後求められる方向だという気がする。
「人間の世界をフラットにしてゆく同じレベルの情報交換」といわれルブログは、多分こんな分野でも機能するだろう。

流石、若い28才の感性と思った。
こういう柔軟な「新しい発想、創造力」こそ、今、求められているのである。



こんな話になると、
私のブログに必ず登場する樋渡さん。彼の発想もまたユニークで新鮮である。
企画力、創造力が満ち溢れている。アイデアいっぱいだから、新鮮だから人は振り向くのである。
東国原知事もそうだが、「新鮮な発想」には末端は即座に反応し、賛同するのだと思う。

何も言わなくても末端は鋭く、ウソは直ぐ見抜くのだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BUG IN  MIKI

2007-05-10 05:43:21 | みっきぃふるさとふれあい公園
「BUG IN MIKI」 といって、どのくらいの方がお解かりになるのだろうか。
昨年の今頃は私も知らなかった。

私の住んでいるまち三木で、毎年5月に行われるフォルクスワーゲンが集まるイベントのようである。
もう今年は7回目で三木市も応援するとか、道の駅みきで5月27日、日曜日に開催される。

このような催しはいろいろあるようだが、このイベントは昨年も1万人以上のお客を集めて、西日本最大の規模とか、Wikipediaか何かで読んだことがある。

今年は是非行って見てみたいと思っている。

このイベントに何故興味を覚えたかと言うと、もともとイベント好きなこと、車にも興味があるのだが、
一番興味があったのはこんな大きなイベントを 「個人の方がやっている」 ということだった。

そんなことで関心があったところに、
このイベントの主催者の松原さんが今年の3月にブログを立ち上げたのである

そのブログにコメントなどさして頂いた経緯もあって,是非とも観に行きたいと思っているのである。



そんなことを思っていたら、突然三木市役所の総務から電話が入り、
5月28日に武雄市の樋渡市長が提携調印のために三木市においでになるようだ。 
このブログでも、「武雄市長物語」でも「三木で是非お会いしたい」と言って頂いている。

どうもそれが28日に、現実するようである。


ここからは私の勝手な思いだが,
聞くところによると樋渡さんは26日からずっと関西にご滞在のご予定で、
 「ひょっとしたら、日曜日のいつかは、空いているのではないだろうか」

折角三木に来られるのだから、たまたま開かれる 「BUG IN MIKIもご覧になれば」 と思っている。

樋渡さんは、イベントはお嫌いでないようだし、車も興味がおありだし、開催の場所もいい、三木市の応援するイベントで、 「個人が主催するイベント」 ということも 「一見の価値あり」 と思うのである。

若しお見えになるようなら、多分 「武雄物語」 にも載るだろう。
一日万単位のアクセスのある人気ブログだから、三木市もBUG IN MIKI も知名度の上がるチャンスである。

「旧い伝統の金物のまち三木」 というイメージに加えて 「新しく、かっこいい三木のイメージ」 も加えることが出来る。

武雄市、三木市の交流提携の記念すべき日の前日、
「樋渡さんの三木市への提携記念の贈り物」 として、人気ブログに 「調印の写真と共に」 掲載して頂けないかと、誠に勝手なことを独りで思っているのである。

ホントにひょっとして樋渡さん、このブログを見つけて 「いい日程を組んで頂けたら」。
当日の足ぐらいなら、私でも幾らでもお手伝いは出来ると思っている。


こんなことが勝手に書けるのもブログの効用だと思う。 上手く見つけて頂いたらいいのだが。

BUG IN MIKIのポスターが載ったブログ見つけました

と勝手に使わせて頂いたら、直ぐご本人からコメントまで頂いた。
ISSAさん有難うございました。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの繋ぐ力-2

2007-05-09 06:53:58 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
昨夜のNHKの「クローズアップ現代」、
ブログ新時代と題して、既に800万を越えて世界一のブログ大国となった現代の日本のブログ事情を解析して、面白かった。

一月に20万人を越えるアクセスがある「アルファブロガー」などの話から始まった。
「アルファブロガー」などは私にとって初めて聞く新語だが、「ただ数だけかな」という疑問もあって、少し調べてみると、

アルファブロガーとは、
多くの読者に読まれている影響力のあるブロガー、英語圏ではこの言葉は定着せずA-list-bloggerと言われているとか。
その他、興味深い「視点」を提供するブロガーというのもあった。


番組では、「書き手に対する信頼感」-「信頼できるホンネを言っているか。」
が、アルファブロガーの条件とも言っていた。

アルファブロガーなど数の上では直接関係のない話だが、
「興味深い視点の提供」とか「信頼できるホンネを言う」などは、
一般のブロガーも私でも、気をつけておいたらいい 「そんなに難しくない」 ことのように思えた。

また、アルファーブロガーの特長として,一次情報を二次情報として加工するのだが、その時に 「独自の視点」 から捉えることが挙げられるとも言っていた。


要は、 「自分に正直に、自分なりの視点で、面白いと思われることを書く」 と言うことかと理解した。

一番興味を惹かれたのは、

「得意のジャンルのブロガーをネットワークすることによって、新しいネットサービスの可能性がある。」

また、このようなブログの世界は、
「人間の世界をフラットにしてゆく同じレベルの情報交換」と言う表現も「その通りだ」と共感を覚えた。


この前のブログで「ブログの繋ぐ力」と題して三木市長の藪本さんに提言した内容とも至極関連もあるので、補足記事として「ブログの繋ぐ力ー2」と題してアップします。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログの繋ぐ力

2007-05-09 05:46:58 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
NO.120 ブログの繋ぐ力


三木市長  藪本吉秀様


先日、ヨコの展開について申し述べました。
関連するのですが、ブログについて思うところを述べたいと思います。

私も、昨年の9月にブログを始めてまだ半年ちょっとですが、その間にブログによって現実に繋がった多くの事柄に出会いビックリしています。

武雄市の樋渡市長や、先日三木市で開催されたON ANY SANDAの主催者高下さん、三木にお住まいのseaz companyのToyamaさんなどブログで繋がって具体的な動きにもなりました。
ブログのコメントだけでも、沢山の方とお会いし、直接お話しているような感覚を持っています。

「双方向の情報発信」と言われる所以でしょうし、更に昨今ではインターネットの利用者は情報に対して「受動的な消費者」から「アクテイブに働きかける参加者」へと変ってきていると言われています。


このようなネット社会の環境の中で、三木市の状況を見ますと最近特に顕著な動きが見られます。

以前からも、三木市の方でブログをおやりお方は何人かいらっしゃいました。
スパイシー八木、えみこな奮闘記、はばぁカフェin三木など、三木市に関係の深い記述のブログも存在しました。

今年、市長ブログを始められた前後から急に動きが活発になっています。
三木市の市政に関連するものから並べますと、

まず、市長ブログ以下各部長のブログが立ち上がりました。

「オンブズマン三木」というブログも立ち上がりました。
最初に明確にそのコンセプトが述べられています。公正に前向きに、三木市政を見つめようと言う姿勢が読み取れます。

選挙前から今回市会議員に立候補された米田和彦さんがブログを始められ、ご自分の思いや行動を更新してこられました。
今回初当選され、7日のブログでは、議会の会派に属せず「市民力」という会派を一人で立ち上げていくことが書かれています。

当選後、5月から、大西ひできさんがブログを始められました。
こんな傾向はまだまだ続くのではないかと思っています。

私のこの市長メールもブログで公開しようと思ったのは、そんな環境になってきたという認識も、公開した理由の一つです。

5月末に、市も後援して道の駅みきで行われるイベント、BUG IN MIKIの主催をされる方のブログも3月に立ち上がっています。
一般の市民の方も今後増えることが予想されます。



夫々の立場、主張に若干の違いがあったとしても、
「三木市をよくしよう」
「日本一美しいまちを目指そう」
「みんなのふれあいふるさと公園にしよう」 というようなことに反対はないと思います。


「三木を思う人のブログ」を繋いでいくことによって、更に大きな力になると思います。
何度もご紹介をした、武雄市の樋渡さんの繋ぎ方は抜群です。是非参考になさって下さい。

市長だけでなく、ブログを持つみんな夫々がそういうスタンスになれば、どんどん転がること間違いありません。


ネット社会の中での新しい「市民参画」と言えるでしょう。
従来の施策で採っておられる「市民参画」と共に新しい市民参画の輪を拡げてはと思います。
「市民参画」は市長の2番目の重要施策です。

若し、このようなネット型の「市民参画」を進められるなら、
これは新しい差別化された三木市独特の「誰でも」「いつでも」「自由に」参加できる「自然なシステム」になるでしょう。
「参加の仕方」もいっぱいあります。

そしてもう一つ、市長以下部長の方々も多分「三木市民」でしょうから、より積極的にこの輪の中に入られて「市民参画されては」、と思います。


(もう少し前になるのですが、オンブズマン三木のことや、市長ブログを公開した理由などを別のブログで触れていますが、若し関心があれば、どうぞ。)



 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若いころの田崎さんのこと

2007-05-08 06:23:49 | カワサキ単車の昔話
若い頃の、田崎雅元さんのこと



非常にユニークで、至ってネアカで、好奇心、知識欲旺盛な勉強家でもある。
ご縁もあって、気もあって、30年以上同じ釜の飯を食った仲間である。

「共有する想い出」を沢山持っている。その中から若い頃の田崎さんをご紹介しようと思う。

私のほうが年次で一つだけ上なのだが、カワサキの単車の同じ時代を一緒に過ごした。
何故か本当にご縁があって、一緒に仕事をしたり行動をしたりすることが多かった。
ひょっとすると一番多かった仲間かも知れない。

昨日、アップした源平芸能合戦でも、いろんなことでいろいろ援けてくれた。
ハワイアンの演奏で踊る、女性候補たちを口説いて集めることなどに関しては、私より数段上の能力を発揮してくれたのである。



はじめて彼と出会ったのは、労働組合の常任幹事の会合のときである。
私は、単車がまだ発動機の中にあった発動機部門代表、田崎さんはJET部門代表で出席していた。
そんな労働組合の会議で、どんな議題でも、どんな話題にでも入っていって、また上手く喋って器用にこなしてしまうのである。

間違いなく事務屋だと思っていたら、技術屋と聞いて驚いた。


1964年に単車再建が本格的に決まって、JET部門から大勢の人が単車に移籍した。
高橋鉄郎さんも田崎さんもその時単車に移って来たのである。

それから仕事の上でのお付き合いが始まった。
高橋さんも田崎さんも生産工場関係で、私は販社の広宣担当で関係はなかったのだが、お二人とはレースで繋がったのである。

源平芸能合戦は64年の8月だが、
その翌月、9月13日甲府で行われた山梨モトクロスには、私がライダー関係、田崎さんはメカニックの統括で一緒に出かけている。
私の始めての現場でのレース活動だったが、技術オンチの私を援けてくれた。
先日のON ANY SADAのヴィンテージMXにも出場していた85J1の初陣で、90ccクラスは三吉一行君が乗って優勝している。

このことを以前ブログに書いたら、田崎さんから「その時の彼のツナギ姿の写真」をメールで送ってくれているのだが、私のパソコン技術ではご紹介出来ないのが残念である。



65年5月3日、カワサキがはじめて鈴鹿を走った日。走ったライダーはMXの山本隆君だった。

今年、MFJのふれあいミーテングに山本隆君に誘われ出席したのだが、その帰りの車の中でその時の話になった。

山本独特の語り口でホントはもっと面白いのだが、文章では表現が難しい。
話の中身は、「どうしても、ロードレースに出たかったが、あの頃は会社がモトクロスだけだったので、自分で車を買ってくるからそれをチューン改造してくれませんかと田崎さんに相談したら」
「まかしとけ。車は僕が都合してやると言ってくれた」と言う。

このお陰で、カワサキがはじめて鈴鹿を走ることになるのである。

「マシンは闇で造って、鈴鹿のモトクロスに行くという名目での出場を画策した」のは私だったのだが、
母体の車を都合してくれたのが田崎さんだったのだが、山本とそんなやり取りがあったとは、つい先日山本の話を聞くまで知らなかった。

これが、当日の雨にも援けられて、3位入賞の結果となり、カワサキのロードレースへの進出に繋がってゆくのである。
もっと詳しく知りたい人は、このブログをどうぞ。)
(このブログも、関連があります)

本格的にロードレースへの進出を決めて、
その翌月、6月13日に鈴鹿で行われた6時間耐久ロードレースに出場することになった。
監督大槻幸雄さん、助監督田崎さんで3台6人のライダーで出場した。

神戸木の実の歳森、金谷のコンビで、はじめて金谷秀夫君がカワサキのライダーとして鈴鹿に登場したのである。
こんなライダー関係は私の担当だった。



そんな関係であったが、日記の記録を見ると、その年の7月23日に田崎さんのアメリカ行きが決まり、大槻さんのドイツ留学も決まっている。

そして、8月10日にレース関係者で明石デパートの屋上ビヤホールで「大槻、田崎さんの送別会」をやっている。
ちなみに、会費1000円、当時としては相当の額であった。


田崎さんとの付き合いは、その後延々と続くのだが、ここまでが、私(33歳)も田崎さんも(31歳)未だぺいぺいの若い頃、レース関係で繋がっていたころの昔話である。

田崎雅元さんは、元川重社長、今、会長である。
川崎重工業を「柔工業に」と提言し実行した、アタマの柔らかい田崎さんの若い頃です。




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カワサキ単車の昔話-56

2007-05-07 05:41:01 | カワサキ単車の昔話
源平芸能合戦出場

ホントに単車がスタートしたばかりの昔話である。
「源平芸能合戦」、福助足袋がスポンサーの当時TVの人気番組であった。

1964年8月22日のことだから40年以上前の話である。「知ってる」と答える人は50代以上の方だろう。

出場2チームが夫々4種目ずつ自慢の芸能を披露し、その点数を競うという内容の番組であった。
「ゴールデンタイムのTV番組にタダで出場出来ますよ。」と言うある広告代理店のお誘いに乗って始まった。8月8日のことである。

「タダで出場できる」 が魅力で飛びついたのだが、4種目ぐらいの芸能は簡単に何とかなると思っていたのが,そうはいかなかった。
忘年会などでの芸達者は幾らでもいるのだが、テレビ番組での芸能披露となると簡単ではなかった。

全国的にも「トップレベルの合唱団」が明石工場で組織されていて、これは直ぐ決まった。
手塚さんが「真剣での剣舞」をとこれも決まった。
岐阜工場に「ハワイアンバンド」があってこの出場をということになったが、演奏だけでは面白くないので「フラダンス」を添えようと、そこまでは決まった。

ところが、40年も前のことである。今では考えられないと思うが、出場してくれる女性を探すのが大変だった。
今川重の会長をしている田崎さんなども「口説く役割」を担当してくれて、何とか人数は揃ったが、腰蓑がどうのこうのとこれがまた大変だった。

後一つがどうにもならなくて、困り果てて広告代理店に頼み込んだら「少し金はかかるが」とのことだったが、吉本興業に頼み込んだのである。

吉本興業の企画案は、月を目指しているロケット宇宙時代を先取りした「かぐや姫の寸劇物語」という流石に素晴らしいもので、筋書きから演技指導も含めて手伝ってもらった。
フラダンスの演技指導もついでにお願いした。

本社の岩城常務の耳にも入り「うちは芸人を飼っているのではないから、芸に負けても、応援だけは負けるな」と妙なハッパもかかり、連日の応援練習が始まった。

応援の内容はその頃、藤田まことを起用して流していたテレビCMの「カ ぁちゃん,ワ ても、サ んせい、キーメタ。 カワサキ。」から流用して身振りよろしく声を張上げるという勇ましいものだった。。

前日の8月21日には、ABCのディレクターにわざわざ明石までも来てもらって「通し稽古」もした。
「こんな会社ははじめて」とABCも驚く熱の入れ方だったのである。

連日の練習の成果もあって、本番前の練習でも、応援は相手の「三洋電機」を圧倒して,よく揃って差は歴然であった。



いよいよ本番、四つの出し物も上手くいって、100点を越える高得点であったのだが、三洋も淡路浄瑠璃など抜群の演技で僅少差で負けてしまった。

「演技では負けたが、応援で勝ったからいいか。」と帰りのバスの中で自分を慰めていたが、後日テレビに映った画面を見て驚いた。

あれだけ揃って立派にこなせた応援も、テレビ写りはもう一つだし、声もそろってはいるがこれも映えないのである。

それに対して三洋の応援は、オリンピックの応援団よろしく階段にユニホーム姿の女性を並べて、ただ動いているだけでもう一つと思っていたら、これのほうが余程テレビ写りがいいのである。
動作の不揃いなどアップの映像になれば関係なく、美しいのである。

テレビの画面では、応援は完敗であった。
テレビに慣れている「スマートな三洋」と、「無骨な男、カワサキ」の差が歴然と出た勝負であった。


「タダでテレビ番組に出場できる」でスタートした企画であったが、
吉本興業への支払い、応援練習の夜食代、岩城常務に「よく頑張ったから、全員に記念品を」などいろいろあって、当時の金で300万円位掛かったのである。ちなみに、サラリーマンの年収50万ぐらいの頃のお話である。

かぐや姫役の上路さん、剣舞の手塚さん、ハワイアンの増木さん(津カワサキ)をはじめ合唱団や応援団など多くの人たちが参加してくれた。

応援団などで活躍してくれた田崎さんも私も、まだ「ぺいぺいの元気な頃」だった。
その後いろんなイベントに関係したが、これが一番神経をすり減らした私にとっては思い出多いイベントであった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダートスポーツ

2007-05-06 05:54:20 | スポーツ
もう現役を離れてから10年近くになった。

現役の頃は、モータースポーツにも関係し、広報関係などにも自ら関わった時期もあった。
新車の発表会などで、大勢の専門マスコミとのお付き合いもあったりしたので、普通の人よりは「知っている」と自信もあったのだが。

つい先日、その「自信を喪失」するような出来事に出くわした。


ON ANY SANDA の翌日、このブログでその日の様子を「ヴィンテージな走り、荒井市次、山本隆」と題してアップしたのだが、「荒井市次」が「荒井一次」になっていた。名前の字を知っていなかったのではなく、パソコンの漢字転換のミスである。

半日ほど経って、間違いに気付いて直ぐ修正したのだが、たまたまこのブログがダートヌポーツに紹介されていたのである。
その記事には「荒井一次、山本隆」と間違ったまま記載されていた。

困ってしまった。
先日、「宇野順一郎さんの字を間違ったとわざわざ丁寧な訂正記事もあったりした」直後の関連した記事なので、何とか連絡しようとした。

サイトでメールを探したが探しきれず、いろいろやった後月刊ダートスポーツのホームページを見つけて「荒井一次」と間違ったので訂正を依頼するメールを打った。



ところがである。
月刊ダートスポーツ編集部の稲垣さんから「知り合いではありますが、関係はありません。ホッパーさんに転送しておきます。」とのメールが届いた。

いつも何となく「ダートヌポーツ」の「ヌ」がおかしいと思ってはいたのだが、これは「レタリング」で間違いなく「ダートスポーツ」と信じて疑わなかったのである。

ビックリしたが、どうしようもなく、稲垣さん宛てに「お詫びとお礼の」メール返信をしたのだが、
その後「ダートヌポーツのホッパーさん」からも直接メールを頂いて「ヌポーツ」の意味もよく解ったし、メールだけだが、ホッパーさんともお話出来たのはよかった。


今はちゃんと「ヴィンテージな走り 荒井市次、山本隆」と訂正されている。

10年も経つと、現役とは遠く離れていることがよく解った出来事であった。



この件では、やっと解決した直ぐあとだったが、「ハラさん」からコメントで「ス」と「ヌ」では大違いですよと,親切に丁寧なご指摘を頂いたりもした。
改めてハラさん有難うございました。

ON ANY SANDA 一日の小さなイベントから、沢山の人たちに繋がったし、昔のことも沢山想い出した。

昨日は、この日のスターだった山本隆君から、あの日のレースの様子を写したDVDが送られた。
DVDには「荒井市次と山本隆のヴィンテージな走り」が再現されていた。

私にとっては、本当に楽しく有意義なイベントであった。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヨコへの展開

2007-05-05 06:04:09 | 発想$感想
NO.119   ヨコへの展開

三木市長  藪本吉秀様


タテ型の発想、ピラミッド型の組織でも上手く機能する仕事は沢山あります。
例えば、受注生産など 「決められた事をちゃんとやる」 には適したものであると思います。
お役所の一般の仕事には、それは適しているかも知れません。

然し、市長方針の3番目「ビジョン、夢、イメージ」というテーマに絞り提言を続けている、 「三木市のイメージの向上」 などには、ヨコ展開でどんどん繋いでゆく発想でない限り、効果は表れないと思っています。

この問題は、基本的に「戦略広報的発想」「創造力」などを必要とし、視点はピラミッド型の頂点辺りにいる市民よりはもっと一般の、市政に関心を持たない層やむしろ市民以外に注がれるべきと思います。

そして、マスコミや一般の人たちと、ダイレクトコミユニケーションが、より重要な要素になります。ホームページやインターネットは非常に有用なツールと思います。

それ故に第1回から今までずっと、トータルのシステムの構築が必要と提言を続けてきました。
そのためのツールの一つとして「ブログ」などを提案し、採用して頂いています。

そういう意味で、「ヨコ展開を取り入れて、トータルの仕組みを造ろう」という市長のご意思は、いろんな発言や指示のなかにも、庁内会議の議事録を見てもよく解ります。
先日来、少し問題になった「理事職」の問題にしても「事務部門のヨコの連携を図ろうという意思」の表れだと思っています。

ただ、ヨコ展開はタテ型、ピラミッド型の組織の中で育った方たちにとっては、アタマでは考えられても具体的な実務として展開するのは、殊のほか難しいことはよく解ります。そいう体質になっていないからです。
民間企業でもなかなか上手くいかないのが実情です。

慣れればそんなに難しくもないのですが。
「要は、今まで仕組んだこと、実績となって手の内にあるものを極力利用して効果を上げようという、スタンスさえあれば、簡単なのです。」



広報みき5月1日号に、「みっきいふるさとふれあい公園」が紹介されました。
森田さん他プロジェクトチームの力作で素晴らしいと思います。

市長表彰され、広報みきで市民に紹介する。
これを読む人たちは三木市の進む方向に、多分、賛同するでしょう。
「日本一美しいまちみきをめざす」というコンセプトの理解も進むと思います。

それなりに効果はあるのですが、ヨコに結んで更に効果を高め、関係した人に更にやる気を出させる。
関心を持った市民の関心を更に高める、そんな配慮が残念ながら見られません。

そういう配慮を、「仕掛け」と私は呼んで、物事を実現してゆくためには、最も重要だと思ってます。



この問題について、少し具体的に、例を挙げてみます。
このプロジェクトは、まちづくり部のプロジェクトチームの発想です。
部長の西山さんもこのプロジェクトに相当の思い入れがあるのはよく解ります。

8回に亘って連載で書かれた西山さんの部長ブログには「その想い」がよく出ています
それはこのブログを読んだ人が寄せているコメントを見ても明らかです。

広報みきを読んで、「関心を持った人たちに、このブログを読んで貰ったら、理解は更に深まります。」
コメントもまた増えるでしょう。それに答えることで更に関心も深まり、広がってゆくでしょう。

三木市が全国に先駆けて展開している「部長ブログ」への評価も関心も高まり機能します。

広報みきの記事はそれなりに立派なのですが、残念ながらタテ型の発想のままで完結してしまっています。

「もっと詳しく、このプロジェクトをお知りになりたい方は、まちづくり部長のブログをご覧下さい。このプロジェクトに懸ける想いが伝わるはずです」ぐらいの紹介コメントでもあればと思いました。



関連した話ですが、今朝この市長メールを書くためのチェックに三木市HPを訪れました。
このプロジェクトの市長への報告会のときの発表資料にもう一度目を通しておきたかったのですが。
私の探し方が悪いのか,一時あれほどあちこちにあったこのプロジェクトの内容が見つかりませんでした。

「広報みき」にこの記事を載せるときには、このプロジェクトの最も基本的な詳しい発表資料、それも市長表彰するほどの内容は、出来れば「広報みきの発送に合わせてHPの特集に編集する」ぐらいの配慮があればいいと思うのですが。

広報みきの特集記事は、三木市のホームページでも特集を組む、そんなヨコの繋がりがあるべきです。




異なる観点から、
三木市役所の方で、特に管理職や広報みきの編集担当の方が、どのくらい西山さんのブログをどの程度きっちりと読まれているのでしょうか。

事務関係を統括される理事さんは? 編集に携わったメンバーの方は?

自分のセクション以外のことには関心が持てない、単に広報誌の5月1日号でのプロジェクトの紹介記事が「出来たらいい」、というのはタテ型の発想です。
そこで「出来た」と完結してしまっているのです。
何事もそこからが、「広がりのスタート」なのです。
その時その時に「次の広がりのための仕掛け」が用意されるべきです。


普通一般の仕事では、今のままでも合格点なのだと思いますが、
市長が目指されている、3番目の課題 「ビジョン、夢、イメージ」 などについては、
このような、ヨコ型の発想と展開、それに事前に仕組まれる仕掛けがないと、なかなか実効が挙がらないのではと思っています。


今からでも、間に合うこと沢山あります。是非考えてみて下さい。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする