雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

年賀状  雑感

2019-12-02 06:34:14 | 私の生き方、考え方&意見

★ 12月になった。
5年前までは11月末から12月上旬は猛烈に忙しい毎日を何十年も過ごしていた。
 毎年出していた100枚の年賀状を書き上げるのが大変だったのである。

年賀状はその枚数を100枚と決めて、すべて毛筆で書いていたのだが、
2014年に母を亡くして、『印刷した喪中はがき』を発送したものだから、
それが途切れて、いろいろ考えた結果、
2015年からは年賀状の発送を止めてしまったのである。


★ 年賀状に関して5年前の2014年11月のブログにこんなことを書いている。

毎年100枚と数を限って、自分の手で毛筆で年賀状を書いてきました。
私なりにその時代時代に、100人を選んでいたと思います。・・・・・・
親戚や子どもたちにも、出していましたが、娘家族がアメリカに行って10年、年賀状などの仕来たりのない国ですから、出すにも出せなくなりました。・・・・・
ネット社会で、パソコンを使えば簡単に年賀状も創れる世の中になりましたが、年賀状は日本の文化ですから、昔のママがいいとずっと毛筆で書いていたのですが・・・
 
昨年母が亡くなりました。 『初めて喪中はがきの印刷されたもの』を発送しました。


★  個人的に『印刷した葉書』を発送したのは 、この時が初めてのことだった。
それまでは、転勤時の連絡や、お礼状もすべて自筆で、お一人、お一人に書いていたのである。 
葉書を出す相手の方に対して、『私なりの想い』を『私なりに』書くべきだと思ったし、すべて一律というのもどうかな?と思っていたりしたのだが、
喪中はがき』を発送してしまって、
そんな『私なりのやり方が途絶えてしまった』のが、一度考えてみようと思ったきっかけなのである。

毎年出していた上司の方なども、年々数は少なくなるし、100人の相手の方の半数近くがFacebook などで繋がっているなど、周りの環境の変化もあったのだが、
私なりのやり方が途絶えてしまった』ことが最大の理由だったと思うし、『やる気』を失ってしまったのだろう。



   

 これは年賀状そのものではなくて、ネットに出した年賀のご挨拶なのだが、
こんな感じで1枚1枚相手の方に対して文章の違ったものを出すのは結構な労度であったのは間違いなくて、それなりの覚悟みたいなものが要ったのである。

 今思うと、ちょうど『やめる時期』だったのかなとも思ったりする。


★ それにしても、日本の年賀状はまだ健在で、今でも約70%の人たちが、年賀状を出しているらしい。

 当方から、年賀状を出さなくなって、もう5年にもなるのだが、毎年我が家には何枚かの年賀状が届くのである。
気を遣って頂いて、誠に恐縮なのだが、敢えてご返事など出さないことにしている。

一方で、Facebookでは、 歳が変わると直ぐ、『謹賀新年』のご挨拶を出させて頂いたりしている。

 これが今年の新春にFacebook にアップした新年のご挨拶である。


   
 
 
 こんなことを思ってスタートした2019年もあと1ヶ月である。

 『今年何か新しいこと』見つけられたかな? と今思っている。
 何か、あったような気もする。
 この1ヶ月、じっくり考えてみようかなと思っている。
 
     
 
 
 
    
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祖父と孫の関係など、普通はどうなんだろう?

2019-12-01 06:02:57 | 発想$感想

★ 私には男の子ばかりだが4人の孫がいる。
 その『祖父と孫』の関係は、結構仲良くてトモダチみたいなところもある。
 Facebook などではまさしくみんな『トモダチ』で繋がっている。

私自身は、父方の祖父も母方の祖母も、私が生まれた時には既に亡くなっていたので、私は知らないし、少なくともおじいちゃんやおばあちゃんから『遊んでもらった』経験など全くないのである。

父方の祖母』は102歳まで長生きしたのだが、
昔の祖母らしい毅然としたところがあって、話などはしたが甘えたことは一度もない。

『母方の祖父』は私が朝鮮にいた小学生の頃は、年に何度か京城(今のソウル)の我が家に来ていたが、父と碁を打っているのをヨコから観ていたようなことが多くて、直接話をしたことなどは覚えていない。

昔の孫と「祖父や祖母」との関係はこんなのが普通だったのだろうか?
私の母と息子や娘の関係』も、どちらかというとそれに近く『一定の距離感』があったような気がする。

それに比べると、『私と家内の孫との関係』は、全然違ってホントにトモダチみたいなところがあるのだが、
そんなことになる原因は、孫側にあるのではなくて『おじいちゃんとおばあちゃん側』にあるような気がする。
私と家内』は、孫に対して毅然としたところなど全くないのである。



★ そんな『孫たちとのお付き合い』だが、
今週の木曜日、12月5日には娘のほうの孫の次男・門野真也が1ヶ月ほど三木に遊びにやってくる。
大体『祖父母のところ』に単身でそれも1ヶ月も遊びに来ようと思うのは、何故かな?
と思ったりする。


門野真也、今はアメリカのサッカーのプロ選手だが、こどもの頃は私が一番連れ歩いた孫である。
誰に似たのか、『変わったところ』が沢山あって、
家内のところには、しょっちゅう電話を掛けてきて、いろんなことを喋っている。

『日本が好きなのか?
アメリカの大学で初めての日本人のキャプテンであったからか、
真也の周りにはいつも『日の丸』があって、

  

  
 下宿の部屋にも、自分の部屋にも日の丸が飾ってあった。

  



サッカーも子どもの頃は、下手くそでリフテイングも碌に出来なかったのに、
アメリカに行って努力して、まさかと思ったが、ホントにプロのサッカー選手になってしまった。

何をやっても熱中し努力する。 
子どもの頃は『カブトムシ』を獲るのに熱中して、
 

こんなに沢山獲っていた。





絵もなかなか上手くて、こんな鉛筆画をネットで送ってくれたりする。

       

  
 
 
 不思議なことに料理も得意なのである。
 これはごく最近ネットに出ていた写真からだが、

 こんな牛タンを買ってきて

 



 ちゃんと自分で料理して
 


 こんな『タン料理』に仕上げている。

 



 サッカーより料理のほうが上手いのではと思ったりするが、
サッカーでも先日は、名門Strikers FC Academy のOB戦で2得点して、そのホームぺージにこのように載せて貰っている。

  
 
  


★ 私自身も何事にも、結構熱心に努力はするのだが、
プロや専門家』を目指すほどの熱心さはない。 
そんな分野は、努力のレベルが高すぎて『しんどいだけだ』と思ってしまうのである。

それが、孫の真也を見ていると『努力の真面目さ』が全く違うレベルで、
料理にしても、トレーニングにしても、そのやり方を見ていると、
熱心さが中途半端ではないところがある。

前回来た時は、まだ大学生だったので、日本の焼肉や、回転ずしはびっくりするほど食ったのだが、今回は果たしてどんな体調管理の生活をするのだろう。

 年末から新春にかけて、結構賑やかになりそうである。
 多分、年末からは孫の長男の力也もやってくるのだろう。
 なかなかイイ『祖父・祖母と孫との関係』だとは思うが、
 
 今は、世間一般に昔と違って、こんな感じになってるのだろうか?


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