敗戦直後、全国にあった軍関係の病院が、厚生省に移管された。
まさに財政と医療が逼迫した時代である。
当時の亀山孝一厚生次官は活用法に困り、松村厚生大臣に指示を求め、
医療事務に慣れたくろうとには、果断な方策が立ちません。
大臣のようなしろうとが、思い切った絵図を書いて下さい。
松村大臣は、決めた。
大都市に2か所、普通の府県には1か所程度の国立病院にする。
他は全て民間に開放する。
日曜に想うの筆者・曽我豪編集委員は続けて書く。
既存の権力と価値観が崩壊した混沌の夏、
国民に対する誤魔化しを拒み、国民と同じ素人の目線に立とうとした
首相・閣僚・官僚がいた。
コロナ禍が続く76年後の夏、混沌の最中は同じでも、
為政者の心構えの彼我の差は、改めて書くまでもない。
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そのほか詳しくは、
8月15日朝日朝刊の「日曜に想う」をお読みください。
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「国立病院機構相模原病院」というのがあります。
敗戦前までは「東京第三陸軍病院」だったそうです。
たぶんこれも当時の松村大臣が決めたことでしょう。
昭和天皇が行幸された写真が飾ってありました。
新聞引っ張り出して読んでみます。
酸素ステーションでしたっけ?
これから詳細を決め 各地に開設するとか
いま必要なのは 野戦病院を作り 感染者を自宅に放置せず 集約し 加療することが必要なのではないでしょうか
デルタより恐ろしいラムダが上陸しています
一切が手遅れかもしれません
だんだん恐ろしくなってきました
田中角栄なら どういう手を打つでしょうか
先ず あの虚ろな目を 取り除くことが急務です