林 住 記

寝言 うわごと のようなもの

宝籤 買ってエルメス

2006-12-17 | 風に吹かれて

    ●ココはシャネル店さま

北鎌倉の用事は早めに済ませて、数寄屋橋へ行った。交通費だって馬鹿にならない境遇だもんね。
着いたのは3時。宝籤売場は窓口が10もあるのに、その内の7つは長蛇の列で、30分並ばないと買えない、という看板を持った警備員が何人もいる。
全員ホリデイプアかワーキングプアだが、数万円以上の買い方。一体全体どうなってるんだい。
憧れのエルメスでは青い目のお嬢さんが、
   「雪は降る、あなた、来ない(?)」
と待っているのだ。30分も待てないから空いている3つの窓口で、30枚9000円買って、急いでエルメスへ行った。

狭い入り口には洒落たドアボーイ。恭しく開けてくれたので、威風堂々と入ったぞ。ちょっと石段でけ躓いたのは情けないが......。
先客は一人。店員さんは7~8人。あのお嬢さんはパリの屋根の下のようで、全員ジャポネーゼだ。
クリスマスの飾りつけも控えめで、物凄く趣味がいい。
地階の紳士ものの売場へ下りた。
ネクタイ。.......トレビアン! 象の子柄が欲しい。値段は14500円。..........安い。
鳥打帽が気に入った。値札が無い。.........怖い。
来年の手帳。小さな小さなプライスブロックがあった。?。150000円。........安い
飯能日高辺りの百貨店では、商品に一寸手を出しただけで、いらっしゃいませ、とやられるが、ここでは完全に無視。.........。嬉しくて、寂しくて、口惜しくて、悲しい。
10センチ四方の小さいが素敵なカタログがあった!
さりげなく、あの、頂いて帰宅してそして、.....その、検討したいので、と店員さんに伺ったら、
   「どうぞ、どうぞ」
とご親切なのだ。頭よさそで美しいのだ。全員そうでいらっしゃる。
エルメスさんは本当に素晴らしい。ブラボーです。

引き続き、コーチ、和光、カルチェ、ルイビトン、ティファニー。
素晴らしかった。写真撮ろうとしたが、いい紳士(森男のこと、念の為)が簡易デジカメでは恥ずかしいし、大勢の警備員に押さえ込まれそうで、外からこっそり撮影した。だからなおさら不出来だ。
クリスチャン・ディオールは映像を多用して、チカチカピカピカの万博風だから敬遠。
ミキモトは狭い入り口の樅の木の脇で、姿のいいお嬢さんたちが巻尺取り出して、敷石の御影石を計測中。....で入れなかった。何なんだ、あれは。

  
  
  ●左から和光、ティファニー、ルイ・ビトン、コーチの名店さま

今回は日本橋寄りの店しか行けなかった。みんな立派でハイソでラグジュアリーな店だった。
次回は新橋寄りの店へ行こう。
宝籤の当選発表前だから買い物はしなかった。(木村屋の元祖アンパンは購入)。
だが、絨毯にはしっかりと足跡を、ガラスケースにはべったりと指紋を付けて、綺麗なカタログはごっそりリュックに入れてきたぞ。
このしょぼいブログの豪華な画像として使わせて頂こう。

   ●エルメス2006秋冬スカーフコレクションから    

この記事を書き終えて朝刊を見たら、驚くべし。あのマドモアゼルがまた見開き全段広告に出ていらっしゃる。
今度は、襟元にファーだ。お客さんはお店に大勢行っているのだ!
気のせいか、お顔もずっと和やかになった。
この調子ではクリスマスイブの朝刊には、毛皮のコートを着て、大笑いしているお姿を見せてくれるだろう。その場合、隣のお馬さんはどんな衣装を身に付けるか......。
今から楽しみである。
お馬さん、「ヒ、貧ヒ~ン」とは嘶かないだろう。

  

和光さんはHPで過去現在の素晴らしい飾り窓を随想付で展示している。
流石、日本一の老舗だ。エルメスさんに拮抗している。

◇馬と美女は朝日新聞広告から切り抜きました。あれっ、馬にかかる雪片は同じ位置、同じ形


TOMBE LA NEIGE 雪

2006-12-16 | 歌の翼に

 

   Tombe la neige
   Tu ne viendras pas ce soir
   Tombe la neige
   Et mon coeur s'habille de noir
   Ce soyeux cortege
   Tout en larmes blanches
   L'oiseau sur la blanche
   Pleure le sortilege
   Tu ne viendras pas ce soir
   Me crie mon desespoir
   Mais tombe la neige
   Impassible manege
   La......la......la......la......
   Hum......hum......hum......

SALVATORE ADAMO作詞作曲歌唱の「TOMBE LA NEIGE」。
日本語ではサルバトーレ・アダモの「雪が降る」。名曲ですね。

アダモが日本に来る時、機中でこの歌がBGMで流れた。客室乗務員がアダモに、この歌、日本の歌よ、いい歌でしょ、と自慢した。
アダモは生涯最高の賛辞として受け止めたそうだ。

実はアダモの歌唱より、森進一の日本語の方が好きだ。
「冬のリビエラ」は無理しちゃって、という印象だがこれは別。もう日本の歌である。

写真の美形はエルメスのマドモアゼル。お馬さんはペット。パリのマンション最上階の窓を開けて人を待っている図である。

日本法人のエルメス・ジャポンは朝日新聞見開き全段新聞広告を出した。世界のトヨタ、三菱東京UFJ銀行も成し得なかった快挙である。
全体が入りきらないので周囲を切り取ってしまったが、原図はフランスらしいエスプリを効かしたエルメスの素晴らしい広告だ。

内容は、クリスマスセールをやってるから来てね、という広告であると拝察した。
何故お馬さんが高価なエルメスのネッカチーフをしているかといえば、同社はもともとパリの馬具屋だったからである。
業種業態転換に大成功して「世界のエルメス」になった。

日本は同社にとって、アメリカ以上の重要なマーケット。支店が40店近くもある。
エルメスの上得意は故グレース・ケリー公妃や故ダイアナ元皇太子妃だったが、日本では、朝飯我慢して車内化粧に夢中のオネエさんだって、エルメスを買う。

森男は年に2回、数寄屋橋のエルメス旗艦店へ「視察」に行っている。これまではどちらかというと、とっつき難い店だった。
今年はこんな素敵なマドモアゼルが待っているなら、雪が降っても矢が降っても、高速道路下の売店に並んで、ジャンボ宝籤買って、必ず見に行くからね。
当選したら、ワンフロア買い占めるぞ。

もちろん作業着は着替え、オーデコロン振り掛けて。
地下足袋は履かないで行くよ。


山頭火に学ぶ

2006-12-15 | 拍手

   種田山頭火 句夕・近木圭之介氏撮影
                              (NHK刊「私のこだわり人物伝」より)

種田山頭火。1882~1940。山口県防府市出身。自由律俳句の代表的な俳人。
自由律俳句とは、季語が無く、五七五に言葉を閉じ込めない自由な極短詩のこと。
不肖・森男が選んだ山頭火の代表的な「俳句」は以下のとおりです。

 ・わけいってもわけいっても青い山
 ・秋風行きたい方へ行けるところまで
 ・うしろすがたのしぐれてゆくか
 ・霜しろくころりと死んでゐる
 ・誰か来さうな雪ちらほら

森男の「林住記」にだってこのくらいの台詞は転がっている。
しかし、ちっとも読まれやしない。
山頭火や、あいだみつおばかりが何故もてる、と僻んでいた。

だが冷静に考えれば.......。
山頭火は財産家の生まれ。母親が自邸の井戸で自殺。生家の没落。
古本屋に失敗。離婚と家庭崩壊。父と弟の自殺。出家遁走。アルコール依存症。
各地を放浪等々、過酷な人生だった。
人生のコストは森男よりかけているのだ。もてないのは仕方が無いな。

山頭火を「広告のコピーに通じる」と名コピーライターの仲畑貴志さんが解説。
「知るを楽しむ」というNHKの教養番組である。

12月5日(火)の第一回目の放送で、仲畑さんは、山頭火が残した発句のポイントを紹介。

 1.情に溺れるなかれ
 2.足すより捨てよ
 3.ウケを狙わず道を極めよ

う~ん。なるほど、そうか!

中畑さんは、自分は職業柄ウケを狙っている、と言った。
森男も、実は閲覧者数増加を願っている。だから3には目を瞑ろう。
感情的になってはいけない、だらだら書かず省略せよ、か。

「山頭火」はいい番組だが、ナレーターが気に入らない。
不気味な声で、おどろおどろしく、山頭火の句を読まないでもらいたい。
情に溺れているのではないか。


所沢で第九

2006-12-14 | 歌の翼に


所沢MUSE アークホール

「第九」はご勘弁願いたかった。それでも聴きに出かけたのは、所沢偏屈さんのお招きがあったからである。
氏は春先から[所沢で第九を歌う]会に入って、猛練習をしているらしかったから、である。
また、「第九」を辞退するようではこれから先、街を歩けないと慮ったからである。なにしろ、重厚深刻なベートーベンなのだ。敬愛すべきで敬遠では拙いのだ。

会場の[ミューズ]は所沢市が競輪で潤っている頃に建設した壮麗な施設。今では維持に四苦八苦しているはずである。大ホールは一寸蕎麦屋か天麩羅屋のような和風な内装で美しく、真正面のパイプオルガンは楚々として鎮座している。
いい席を取ろう、と保谷偏屈さんと会場1時間も前からパティオの日向に並んでいたが、意地悪警備員が日陰の吹きさらしに行列を移動させたので、体の芯から冷え切って入場した。

「第九」が苦手な理由は、大昔、この種の演奏会に行くと、深刻顔で演奏を楽譜で確かめている嫌味な奴等が多かったからだ。お前さんたち、ほんとに楽譜が読めたのかい。
ところが今日日、「第九」は家族団欒音楽祭なのである。やたらに和やかなのだ。
聴衆は所沢偏屈さんの場合と同様、合唱団の家族や知人友人ばかりらしいのである。
[所沢フィルハーモニー管弦楽団]も趣味でやっている人ばかりだから、全聴衆は応援団なのである。2000席は3階席を除いてほぼ満席の盛況だった。
開演前は子供たちが走り回り、演奏が始まっても合唱団背後の3階席では、おばさん二人が立ったり座ったり席を移動したりと落ち着かない。

そういう雰囲気の中での演奏だったが、約百人の管弦楽団の演奏が上手いのだ。チェロ群がちょっと軽いように聞こえたが、本格的な演奏なのだ。奇音怪音フライングは皆無だった。トライアングルを最後に数回鳴らすだけのお嬢さんまで参加している贅沢な管弦楽団であった。
また、202人の大合唱団も奮闘した。楽譜(いや、ドイツ語カナ書きのアンチョコかな)を誰も持ってない。
いつもはシニカルな所沢偏屈さんが、幼稚園児のように大口開けて、顔を赤くして、

  O Freunde, nicht diese Tone !
    sondern lasst uns angenehmere anstimmen, 
    und freudenvoiiere !

などと絶唱しているのは、声は聞こえなかったが、可笑しかった(失礼)。また羨ましくもあった。後で寝込まなけりゃいいけどね。

指揮とソリストさんたちはプロだそうで、森男には分からないが、上手く演ったのだろう。少なくともステージ衣装は本格的だった。
ま、上々出来の「第九」だった。
出演の皆さん、後で盛り上がったろうな。本当に羨ましい。
生演奏の全曲を聴いたのは初めてだが、しっかり聴いてみれば「第九」も悪くない。
「第九」が好きなら、鉋くらい持ってるはず。入場券が有料だったのなら、鰹節のお礼くらいはしなければ義理が廃る、と考えているほど立派な演奏会だった。

それにしても、年末に植木屋が忙しいのは分かるが、何故「第九」が忙しいのだろうか。森男が「第九」を敬遠していた理由はここにもあったのだ。
流行りものは嫌いなのだ。

♪言い訳
  歌詞の「Tone」の「o」には、上にチョンチョンウンムラウトを付けるのだが、見つからない


国境の長いトンネル

2006-12-13 | 知ったかぶり

「国境の長いトンネルを出ると雪国だった」。

川端康成の「雪国」の書き出しである。
この「国境」を、つい最近まで「こっきょう」と読んでいた。
ところが、月に1回都会へ一緒に出かける偏屈さん二人は「くにざかい」、と読む。
物識りの二人だから、間違いないんだろうが............。
確かに「こっきょう」では、イタリアからスイスに行くようだ。雪国湯沢では「くにざかい」かもしれない。
守男は70年近くも、間違えたまま暗くて長いトンネル内にいたわけだ。
やはり、朗読の習慣は頭と体に必要だわな。

ここで、脱線。
年末だから話の特集社1977年初版、和田誠著「倫敦巴里」からの仕入れで、出血大サービスします。
和田さんが当時から人気があった人の文体模写で、「雪国」を書いている。
その中から一部を転記する。ほんの一部だから、本はネットで買って下さい。ゼッタイ損はしない、文豪川端康成以上の最高傑作です。

■司馬遼太郎
 島村を乗せた汽車がトンネルを出たのは七時四十分である。そこは雪国であった。
 トンネルは群馬と新潟の県境にある。大正十一年から昭和六年にかけて作られた。
 長さは九七〇二メートルである。
 (夜の底が白くなった)
 と、島村には感じられる。
 信号所に汽車が止まった。
 婦人が立ち上がって、窓を開けた。
 島村は、途上、窓ガラスに映る婦人の横顔を観察している。
 ---美しい。
 と、その時おもった。
 婦人は窓にのり出して、
 「駅長さあん」
 (以下略)

■横溝正史
 金田一耕助のすすめで、私がこれから記述しようとするこの恐ろしい物語は、昭和十
 ×年×月×日、国境の長いトンネルを汽車が通り抜けたところから始まった。
 そこはもう雪国である。事件の舞台となったこの雪国には湯-温泉という名で知られる
 湯治場があり、保養客を集めるのがこの辺りの村々のもっとも主ななりわいの道であっ
 た。
 信号所に汽車が止まったのは、夜の八時ごろのことだった。
 夜の底が白くなった、と私は感じたのだけれど、今にして思えば、恐怖の前兆で髪の毛
 が白くなったのではないかという気がする。それほど私は恐ろしい経験をしてきたのだ。
 (以下略)

■宇能鴻一郎
 トンネルを抜けたら雪国だったんです。国境のトンネルとっても長かった。
 夜の底、まっ白みたい。そう思ってたら、信号所に汽車がとまったんです。
 あたし、エロチックな気持になってしまった。
 これは内緒なんだけど、トンネルを通るたんびに感じちゃうみたい。
 トンネルがいけないんです。
 トンネルに汽車が入ると、あたし、いけないことを連想しちゃうんです。
 ああ、あたしにも逞しい汽車が入ってきて欲しい、なんて思ったりして.......。
 (以下略)

■谷川俊太郎
 トンネルでたら ゆきぐにだった
 ゆきのなかには うさいがいてね
 どろのなかには うなぎがいる

 ジャックをのせて きしゃははしった
 メリーをのせて きしゃはとまった
 とまったところは しんごうしょ

 メリーがまどを すとんとあけた
 つめたいゆきが はいってきた
 つめたいいきが でていった

 (以下略)

●安倍晋三
 ま、わたくしと致しましてはですね、
 ロングトンネルを抜けると美しい国つまりスノーカントリーでございましたです。
 シグナルコントロールコーナーで汽車は停まりましたです。はい。
 中川官房長官に窓を開けさせさせましたが、開きませんのでございます。
 再チャレンジさせて頂いて、しっかり下ろしたら開きましたでございます。
 「ブッシュさあん」
 と叫ばせて頂きました。
 W・B・N(注)から顔を出したのは、雪焼け顔のライス国務長官でございました。
 「あら、晋ちゃんね、ジョージは今イラクで........」(以下略)
    (注)W・B・N=White Bottom of Night 夜の白い底の意

他に、つかこうへい先生、村上龍さん、浅井慎平ちゃん、みんな凄くうまいんです。
似顔絵もいいんだけど、あたし、疲れたから省略しちゃった。
もう、トンネル出なくちゃね。



●その後、NHK衛星放送の演歌番組で、アナウンサーが「くにざかい」と朗読していたのを聞いて、自分の間違いを確認しました。


ロス・トレス・アミーゴス

2006-12-13 | 歌の翼に

大したことは無かろうと思っていたが、どうしてどうして大した演奏だった。
左の二人の風采が芳しくないので、ドサ回りの出稼ぎ外人位にしか見ていなかったが、一流の芸人なのである。
ロス・トレス・アミーゴスの演奏は感動的。そして楽しかった。
一緒に行ったいつもの二人の偏屈さんも手拍子を打つんだから大したものだった。

南米大陸のフォルクローレは以前から好きだったが、生演奏は初めてだった。
哀愁を帯びた旋律は馴染み易く、演歌よりも垢抜けしていて、明るく乾燥している。
例のコンドルは飛んで行く、花祭り、灰色の瞳のほか、イパネマの娘、エル・チョクロ、珈琲ルンバ、シェリト・リンド等々全19曲、すべて結構結構また結構。
親方(?)のルイス・カルロス・セベリッチ(ヴォーカル・ギター)が作曲した「ラマシカ」はぞくぞくするほど素晴らしい旋律に戦慄した。
サービスで演奏した荒城の月、竹田の子守唄は、彼らが音頭をとらなくても自然に合唱になるほど盛り上がった。モーツァルトの40番も良かった。

帰り道は、飯能市民会館大ホールから、氷雨の降る暗闇の観音寺の墓地を通り抜けて、飯能駅まで歩いたが、気分は暖かかった。
チャリティ募金箱に入れた千円札も惜しくはなかった。

♪画像は川崎市の朗読ボランティアグループ「さんざし」のものをお借りしています。
  飯能での公演はもっと簡素なものでした。


熊の行方

2006-12-12 | 高麗便り

熊は、回覧板によると結局13箇所で目撃された。
12箇所の熊が全て小熊で、JR高麗川駅そばの住宅地で捕まった小熊が最後の発見なら一件落着だが、回覧では詳細は分からない。
だが、最近は真冬の寒さだから、親熊その他の熊はひもじいまま冬眠に入ったのかもしれない。

と思っていたら、日本橋の高島屋のクリスマスセールに可愛らしく変装して現れた。
しばらく華のお江戸に行っていない。歳末の賑わいを見ながら、安く手に入るなら買ってこよう。
高島屋の飾り窓は銀座和光と並んで、一見の価値があるし、店内も飽きない。
日高飯能や池袋の百貨店ではセンスは磨けないや。

★画像は高島屋の素敵な新聞広告をコラージュしました★


地下足袋

2006-12-12 | 林住期


厳島神社で(中國新聞記事)

地下足袋を愛用している。庭仕事に欠かせない。
蒸れない、小石が入らない、安い。足の指先に力が入る。脚立に乗ったり、木の枝に足をかける時は、足裏の感覚が敏感で安全だ。足の指先に力が入れられる。

最近、近所の山歩きにも地下足袋で行く。
結構注目されるようで、いいですねどこで買いました?、と声をかけられることもある。
少し湿った土の道や、落葉の中を歩くのには最適だ。石ころ道は、慣れないうちは痛かった。慣れてくれば青竹踏み効果もある。

格好悪いと思う人がいるようだが、それは職業差別で偏見だ。
西欧人のバックパッカーの中には、格好いいと履いてる人がいた。上野公園の白人の大道芸人は地下足袋を履いていた。彼らには偏見が無い。
色柄物の地下足袋を履く勇敢な女性も現れている。ファッション ショーにまで登場した。
守男が銀座の歩行者天国を歩いてみても、似合い過ぎて誰も振り返らないだろうな。


山門のおじいさん

2006-12-12 | 遠い雲

写真は笠智衆の写真集のものである。
撮影は小沢忠恭、文章は小田豊二という人で、朝日新聞社から発行された。写真集の題は「おじいさん」。
上は円覚寺山門。下は浄智寺境内である。

森男はこの写真集を14年前に買った。
今から30年前に死んだ父が、少し笠智衆に似ていたからである。
また、北鎌倉の場面がいくつかあったからでもある。
勿論、父は笠智衆ほど格好よくはなかった。背は低く、ちょっと太っていたし、姿勢も良くなかった。

父は小言と愚痴を言い続けた。年中、微分積分の勉強をしていて、真面目なばかりで面白くない人だった。
家の者が大声で笑うと不機嫌になった。父は家族から孤立していた。
昔からの行きがかりで、町内の世話役を渋々勤めていた。
役所では出世しなかった。しかし自尊心だけは高かったようだ。
祭の時に我が家に滞在する神主さんのお相手を、年端も行かない森男に押し付けた。
中学生になった頃は、すっかり父が嫌いになった。
数学が苦手だったのは父の教え方の所為だ、と今でも思っている。
父は郷土史にも明るかったようである。ご近所の若い人たちには熱心に教えていたようだ。
母の葬式で、近所の方からはむしろ懐かしがられていた。お世辞半分にしても、そういう一面はあったのだろう。

就職した時、お祝いに青いワイシャツと鰐革のベルトをくれた。
当時、会社では色物のワイシャツが禁じられていたし、高価かもしれないが鰐革ではあんまりだと思った。結局一度も身に着けないうちに無くしてしまった。
進学も就職も何も相談しなかった。結婚式の費用は、そのくらい親にさせろ、との言い分を呑んで、全額父に負担させた。ずるいことをしたと思う。

父が死んだ歳に近くなった。あの頃の父の気持や行動が分かるようになった気がする。
よく考えると、森男は父と同じことをしているようだ。文句と悪口が多い。
今頃になって、父からもっと色々聞いておくことがあった、と考えている。当時は、黴臭い話はまっぴら、と避けていた。いま、少し後悔している。

円覚寺の山門は60年代までは茅葺だった。茅葺屋根を修理する時のために、木製の長い梯子が2階の屋根まで、取り付けられていた。
勤めを辞めた頃、母から聞いた話がある。
森男が幼児のころ、梯子を中間まで登って下りられなくなった。母は蒼くなって、抱えて下ろしてくれたそうである。
その後山門の屋根は銅板葺きになり、梯子は外された。

暖かい鎌倉にも紅葉の季節がある。しかし風台風が来ると、海側の山の木々の葉は茶色に縮れてしまう。今年はどうだったろうか。
親がいなくなると、だんだん故郷は遠くなる。遠くから想うだけになる。


勤続疲労

2006-12-12 | じゃじゃ馬馴らし

7日朝、パソ野郎はうわ言を呟き始め、一向に働くなってしまった。
5日間入院させた。今朝戻ってきて、付き添ってきた介護士が長時間何やら弄っていた。
色々説明してくれたが良く分からない。故障の原因が分からないことだけははっきり分かった。
高い入院治療費を払ったのだから直ったことにするしかない。
デジカメソフトは行方不明。単語登録、メールアドレス、受信発信記録などは全部消えてしまった。マイピクチャから画像処理ソフトの[JTrim]へコピー出来ない。
ウィンドウズの更新は30分もかけたが「失敗した」、と呟いている。
直ったかどうか分からないのはご主人様の森男と同じ勤続疲労。騙しながら働かせるしかない。

大切な事はパソコンのようないい加減なものに任せてはいけない。
また、しょぼいブログを再開するとしよう。


城峰山に車で登山

2006-12-06 | 風に吹かれて

城峰山に行った。
出発する時、熊除けの鈴が無い、ガス欠寸前など不具合があって出発が遅れた。
城峰山の登山口に着いたのは10時半。見上げると山は深く高い。
道路工事の人に、車で城峰神社まで登れる、と言われて、九折の細い林道をはらはらどきどきしながら石間峠に辿りついた。
そこから城峰神社、城峰山山頂(1,038m)、石間峠、鐘掛城(1,003m)、石間峠と歩いた。
山はもう冬。霜柱をザクザク踏みながら、汗をかいた。熊は冬眠したようだ。
城峰山山頂は、バラボラアンテナ塔に上れる。上は360度の展望!
八ヶ岳、浅間山、草津白根は真っ白になって奥秩父の山岳の向こうに見えるが、デジカメにはハッキリ写ってはいなかった。
秩父盆地や両神山の特異な山容は、逆光でやはりうまく写らなかった。

 
 
 
 

帰途、龍勢会館に寄って、栃餅、柚子ジャム、梅ジャムを買った。
龍勢会館は、木と白壁のネパール風の建物が美しかったが、映画撮影に急拵えで建てた半端な家屋が残っていて、台無しの状態。
どこもかしこも景観に対する配慮無し。

 
 

正丸トンネルに入る時には暗くなっていた。
往復109キロのドライブだった。


今がいい巾着田

2006-12-06 | 高麗便り

彼岸花の喧騒が去って、巾着田はいま静かである。
高麗川の清流は冷たい。
これから春先までが本来の巾着田である。
商店街は無くなったが、道路や草原の舗装は残された。醜い看板群も大半が残っている。猪軍団が耕してしまうといいのだが、ここまではまだ進出していない。
俄か作りの堤防や架橋は流された。
視察に来た県知事に多勢の市会議員さんたちが握手して、競って写真を配布したから、また何か出来るのかもしれない。
こんな原っぱでは恥ずかしいから、物産館か、将軍標か、野外ステージか、大噴水か何かを作らなければ、というのが日高市民の願望。

美しい風景だけを切り取って掲載した。

 
   
 
 


多峰主山競演

2006-12-05 | 高麗便り

秩父の山に登ろう、と朝早く起きたが寒くて着替えする気にもならなかった。
結局午前中はブログ6連発という不健康なことで終始してしまった。
午後薄日が射してきたので、また多峰主山に登った。

昨日からの伐採はまだ続いていて、チェンソーの音が喧しい。
居合わせた爺様たちは、見晴らしがよくなったもっと伐れ、と大喜びである。
頂上の周囲は案の定惨憺たる有様であった。
全く何とかならんかね。
原生林ではないのだから、雑木林を伐採する事に闇雲に反対するつもりはない。
伐採するなら、対象をよく選んで、後始末をしっかりして、景色を少しでも良くする心配りをして欲しいのだ。
ま、美しい国ニッポンでは無理な希望だろうな。

遠くからかすかに不思議な音色が聞こえてくるので、頂上からは退散。
少し離れた[常盤平]という平地で、白髪の紳士が何とバグパイプを吹いていた。
スコットランドのものとは異なるドイツ型だそうで、笛が3本しかないから、少し淋しい音色である。
やはり奥方から煩がられて山に逃れてきたそうだ。
チェンソーの唸り声の何十倍もいい音色だが、毎日聞かされる奥方には迷惑かも知れない。
既にこの山中で、サンポーニャ、オカリナを聞いて、今日はバグパイプである。
次ぎはどんな楽器を聞かせてもらえるか、楽しみなことである。
それにしても、チェンソーは喧しい。

同型のもの。[近藤治夫・バグパイプ工房]から。


ワク組

2006-12-05 | じゃじゃ馬馴らし

 
「モリサワ活字」パンフから

「林住記」は知人に見られたくないが、知らない人にはやはり見てもらいたい。
記事や画像がお粗末だから、レイアウトで見せようと焦っている。
文章は短く、改行や行空けを多く、画像を上手く配置しよう、と。

  「企画書は1行」、「人は見た目が9割」、だからね。

その結果、画像の横に複数行を記入出来ないから、上下が長い記事になってしまう。
[goo事務局]は出来ないと回答するが、実際は画像横に複数行を記入しているgooなブログもある。不思議なことだ。
また、公開画面の横幅と、記事記入枠の横幅が一致していないから、字配りに配慮するのが骨折りだ。
文字の大きさ、位置、斜体などの操作もややこしい。

慣れれば簡単に解決出来ることかも知れない。
しかしgooさん、ワク組改善お願いします。


アズナブール!

2006-12-05 | 歌の翼に

シャルル・アズナブールが来日中である。
最後の日本公演になるそうだ。

 ・帰り来ぬ青春
 ・ラ ボエーム
 ・街角の瞳
 ・イザベル
  ...........。

哀切でドラマチック。フランス語は分からないが、よく分かる。
青春をありがとう。