CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ランダムにレコード紹介、その7 “新世界のづぼらやは〜♪♪”

2018年11月06日 | BRITISH ROCK
これを書いたらお里がバレてしまうのだが….

1980年代、シンガポールで新米の駐在員として働いていた時、日本から来ていた仕事関連の年配のお客さんをホテルに送るように上司から言われ、その人を後部座席に乗っけて車を運転していた。

あの頃は本当に若かった。

話を戻して、そうするとホテルではなく“新世界”にある彼の得意先の事務所まで連れて行って欲しいと車内で言われた。

その人はあまり英語が出来なくて、“新世界”と言ったのだ。

えっ!新世界? 

大阪に住んでいる人だったら新世界と言えば、通天閣がそびえ立つあの辺りの繁華街を思い起こし、さらにディープな大阪人であればローカルのフグの名店の深夜のコマソンだった“新世界のづぼらやは〜♪♪”な〜んて歌い出す。

シンガポールに新世界なんてあったっけ? 

それってどこです? と何回も聞いて彼の言ってる新世界とは、New Worldのことだとようやく理解できた 。

太平洋戦争以前に、シンガポールのナイト・ライフを楽しむため、映画館、キャバレー、レストランなどが集まった場所New World、Gay WorldそしてGreat Worldなど3カ所が市内に開発された。

一番最後まで存続していたNew Worldが80年代半ば頃に姿を消し、三カ所全てが最開発され今ではその影も形もなくなってしまっている。

そうNew Worldでいつも思い起こすのは、1976年に出たエレクトリック・ライト・オーケストラ(ELO)のA New World Record!と凄いこじつけ!

ニューヨークの夜空に突如オーロラと共に謎の物体が出現! 

多分“世界新記録”って意味で名付けられたのじゃないかとは思うのであるが、私は“新世界レコード”つまり今まで誰も聴いたことの無い新しい音楽のレコードと解釈している。

ちなみに邦題は、ジャケのデザインにオーロラらしきイラストが描かれているので“オーロラの救世主”と取ってつけたような間抜けなものとなっている。

それはさて置き、ELOはアメリカではニュー・アルバム発売毎に徐々に人気を高めて来たわけだが、彼らのお膝元のイギリスではそうでもなかった。

しかし、このアルバムでアメリカ(全米5位)とイギリス(全英6位)の両方でついに大ブレークし、記念すべきアルバムとなった。

久々に聴いてみて、売り上げがA New World Record(世界新記録)とはならなかったものの、十二分に “新世界レコード”と言えるELOの新しいアイデアが炸裂した大ヒット・アルバムであることは間違いない!


日本盤のレーベル。UA傘下のJet Reocord。あれ? 1977年と印刷されている。日本での発売は遅れて翌年の始め頃だったのかな? 


40周年記念盤はエピックから。


クリヤー・ビニール仕様で出た

ディープなレコード・コレクターは“新世界のELOは〜♪♪”と歌い出す。


ランダムにレコード紹介、その6 ゴダイゴ

2018年11月05日 | JAPANESE
日本のロック・バンド、ゴダイゴの1980年のアルバム、Kathmandu。



なんとブルー・カラーのレコード盤が付いて来た。

70年代後期、ガンダーラ、モンキー・マジック、ビューティフル・ネームや銀河鉄道999などでヒットを連発するが、この頃になると何と無くちょっとマンネリ化したのか人気も下降していく。

シングル・カットされ風邪薬のコマーシャルに使われたComing Together In KathmanduやNamasteなんかは 今でも覚えているが、他の収録曲についてはそれぞれ個々の出来は悪いとは思わないが少しばかりインパクトに欠けていたように思う。

カトマンドゥの皆様、こんにちわ! 日本からやって来ました。

このバンドのポリシーとして、アルバムは全編英語の歌詞、シングルは日本語と英語のチャンポンとこだわりがある。

英語のタイトルばっかり。

しかし一般的な日本人のリスナーにとっては全編英語の歌詞で歌われると一発で虜になるようなサビのパートでもない限り、中々取っ掛かりを見いだすことが出来ないんじゃないかと….

もしアルバムにも半分ぐらいに日本語の歌詞をつけて歌われたなら、曲に対する共感がもっと得られたのではないか….

と少しばかりエラソーに言ってみる。

ところで、近所に2軒のインディアン・レストランがある。どちらもそれぞれネパール人のオッチャンが経営しているようだ。

わざわざカトマンドゥに出向かなくともネパールの人結構日本に住んでるみたい。

Coming Together In Kathmanduが出た1980年からすでに38年経ち、今やComing Together In Japanと様変わり。

カトマンドゥの皆様、ナマステ〜! ようこそ日本へ。

ランダムにレコード紹介、その5 デイブ・メイソン

2018年11月03日 | BRITISH ROCK
ギタリスト、デイブ・メイソンと言えば、英ロック・バンド、Trafficの初期のメンバーで、脱退後はDelany & Bonnie & Friendのツアー・メンバーやセッション・ギタリストとして数多くの ロック・アルバム参加し60年代末活躍し、その後、ブルーサム・レーベルと契約しソロ・デビューを果たす。

そのブルーサム時代1970年に出たアルバム、Alone Togetherは名作と言われているが、個人的にはコロンビア・レーベル移籍後の2枚目の1974年のソロ・アルバム、Dave Masonがお気に入り。


5人編成の自身のバンドを率い、バンド・メンバーと呼吸もぴったりの演奏を繰り広げる。


自作曲以外にサム・クックのBring It On Home To MeやディランのAll Along The Watchtowerなど計3曲をカバーしている。


特にAll Along The Watchtowerでの熱のこもったギター・ソロも中々のもので、カバーのアプローチは異なるものの、かってジミヘンがカバーしたバージョンと肩を並べる出来ではないかと思ったりする。

連休の秋の夜長、渋いサウンドをおかずに一杯。

大昔免税店で買ったもう残り少ない響17年。最近日本のウヰスキー・ブームらしく、免税店ではその姿を見ることはなくなり、今後新品では二度とお目にかかることができない存在となるだろう。

しかしながら、もし中身が同じサントリーの角に入れ替わっていたとしても、そうと言われなければ多分区別がつかない舌の持ち主でなので、実際のところウヰスキーの味がすればなんでもオーケー。

そう、一旦酔ってしまえば、もう何が何だかわからない様な手合ですから....

失礼しました。

ランダムにレコード紹介、その4 Bursting At The Seamsを苦労の末ゲットした

2018年11月02日 | PROG ROCK
今日は英国の基本トラッド・フォークにプログレ・ロック・サウンドの味付けが売りのStrawbs。

彼らのデビュー・アルバム、Strawbsが1969年に世に出てから、まだ現在もメンバーチェンジを繰り返しリーダーのデイヴ・カズンズ中心に現在も活動中と非常に息の長いバンドである。

彼らを初めて知ったのは、1974年に出たアルバム、Hero & Heroinで、このアルバムの出来にぶっ飛んで、早速過去のアルバムを買い揃えようと試みたのだが、マイナー・バンド故に日本盤は初回盤で廃盤。あちらこちらのレコード・ショップを探したもののどこにも在庫がなかった。

そこで、当時ロックに詳しい友人から街の繁華街にあった輸入盤専門店を教えてもらいこのアルバムをゲット。

それは1973年の5枚目のスタジオ・アルバム、Bursting At The SeamsのUK盤だった。

ペラペラのクラフト紙でできた安っぽいシングル・ジャケット。

ジャケ裏

Bursting At The Seams、 バンドがそれまでのフォーク・ロック路線の枠内におさまりきれず、枠の継ぎ目から破裂したと言うことだろうか….

ロック色を濃くすることによってサウンドにさらにメリハリをつけ、バンドの新しい方向性を示した 。

このアルバム、Strawbsの長いキャリアでもっとも売れたアルバムで全英2位を獲得、そしてもっとも売れたシングル、デイブの熱唱が聴けるLay Down(全英12位)とコミカルなハドソン/フォード作Part Of Union(全英2位)の2曲を収録。

それらはサイドー2に収録されている。

1974年当時の外貨の円に対する為替レートは、調べてみると米ドルに対して変動相場制に移行した頃で 1ドルが300円前後で、1英ポンドは700円近辺。

当時は円は外貨に対して非常に弱い存在で、また海外からの輸入コストなんかも余分にかかることから、現在と正反対で輸入盤は国内盤と比べてかなり割高だった記憶がある。

自宅から電車2本乗り継ぎ、一時間ほどかけたどり着いたショップでようやく見つけたアルバムだったので、少しばかり高かろうが手ぶらで帰るわけにもいかず、買ってしまった。

昔は売れ線から外れたレコードを購入するには最初ラジオや雑誌なんかで乏しい新譜情報を収集し、ワクワクドキドキしながら繁華街の専門のショップまで出張って購入する。

これは非常に手間がかかる作業だが、それだけ苦労してゲットしたのだから、いまでも非常に思い入れのあるアルバムとなっている。

今なら、通販サイトでワン・クリックすれば、たとえ海外からの直接輸入であっても、商品があっさりと手元に届いてしまう。

あまりの便利さ故、欲しいものをゲットしてもありがたみはそれほど感じなくなってしまった今日この頃である。

ランダムにレコード紹介、その3 元気ですか〜!

2018年11月01日 | JAPANESE
元気ですか〜! と問われて 元気です〜!って答える。

と言ってもアントニオ猪木との会話ではない。

還暦間近かそれ以上の年齢の方で、60年第末期から70年代当初のフォークソングをかじったものなら理解できるこの言葉。

そう、日本のフォークの帝王、吉田拓郎が1972年に出したアルバム、“元気です。”


それまでフォークにさほど関心がなかった人たちまでも、レコードを買う買わないは別として、そのレコードの存在を知らしめるほどよく売れたアルバムだった。

私は当時ロック専門に聴いていたので、 和物フォークにはさほど興味も抱かずまた眼中になかった。

時は流れて2018年、最近ふらっと立ち寄ったとある中古レコード・ショップの店先のジャンク箱にあまり元気がないようにひっそり埋もれていたこのレコードを発見。

発作的に購入に至った。お値段、消費税込みで108円也!

ダメージのないしっかりしたダブル・ジャケットになんと宣伝帯までついてくる超お買得盤。

とは言え、ビートルズなど特定のレコード以外の宣伝帯はさほど値打ちはなく、無いよりはマシというレベルの存在ではあるが….

このアルバムには、 春だったね、旅の宿とか祭りの後などなど、吉田拓郎の代表曲が収録されている。

その中で、お気に入りはやっぱり“たどり着いたらいつも雨降り”かな。

このアルバムでは、カントリー調の少しテンポを落としたアレンジがなされているが、個人的には深夜ラジオなんかで聴いた鈴木ヒロミツのロックな歌唱が光るモップスのカバー・バージョンがなかなか良かったとはるかかなたの遠〜い記憶を思い起こす。

当時学校なんかで一緒だった皆さん〜!、洋楽ロック聴いてる奴なんてクラスに全くいなくてちょっとがっかりしたけど、いまでも元気ですか〜?

まあ老化現象は止めようがないけれど 、私は不毛なブログをシコシコ続けながらもなんとか“元気です。”