
評論家は分かっているのだろうか?
そこにひとつの疑問がある。
確かに学歴も、職業も積んでおり、その言い方、解釈はある意味で的をえており正しいかもしれない。しかし、それはあくまで一般論であり、正論ではない。
土台、個人が考えている、悩んでいることについても、その本人が時間をかけ、家庭、学校、友人、職場等の人間関係を生きた中での苦悩はその個人にしか分からない。
「甘えるな、人生とは厳しいもの、仕事は遊びではない」
「世の中にはもっと不幸な人がいるし、戦争や紛争で傷ついている人は沢山いる」
それは分かっている。
しかし、彼等には今が大事であり、今の時間、人間関係が大切なのである。
綺麗毎でなく、心を分かってくれる信頼できる人が必要なのである。
今の世の中、個人を大切にする世になり、学歴の、優秀なものによって支配される傾向があるけど、確かに物事を動かすには大切な要素かも知れない。
いま、何が欠けている。
それは血の通った未来が明るい、安心して家族が作れると言う補償だろう。
一時しのぎの政策は何も生まないし、何も生まれない。
私は昭和世代である。
ある意味で経済は貧しかったけど、一人の人間として、家族として、心は豊かであったし、自然が至るところにあって調和が取れていた。
その環境に戻せ、人間関係に戻せ、そうは言わないけど、人を蹴落とし、弱いものを犠牲にして、学力が全て、そのための塾、私立校の有名校に幼稚園から入学させる、そのためにすべてを犠牲にして働く。
そこにあるのは大いなる野望しかない、ひとつの頂点、権力と地位を入れるためのピジョンしか描かれていないのである。
格差。
格差と差別化は、人間が存在する限り避けられない現実であり事実である。
「もし、神が存在してこの地に下りて、人間を誕生させたのであれば、その神が犯した唯一の犯罪であろう」
何て言うと宗教者に非難されるだろうし、だからこそ今の宗教は堕落していると新興宗教者はそう話すであろうし、改革が必要であり、今の宗教は間違っていると言うだろう。
私は言わせれば人間は生きている。
家庭、地域、社会、国際(世界)のなかでいろんな人と関わって生きているのである、だからこそ協調と相手の習慣などを重んじないと駄目だと思うのですが彼らは否定するけどね。
何が大切か?
それは家庭の存続と展望である。
家族が明るく笑えて話せてフランクに未来に向かって安心して生きていける社会である。
老人が粗大塵にならない家族の生活であり、強いものが弱いものを守る人間関係が大切なのである。

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます