笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

「ボヘミアンラプソディ」   〜ミスター ラミ・マレック、素晴らしいフレディをありがとう!

2018年11月22日 19時13分04秒 | 映画

The Official Queen Website (http://www.queenonline.com/)より


「君じゃなきゃダメなんだ。」
と、自分以外の誰かに言って貰える人は多分この世に多くはない。

クイーンのギタリストは、ブライアン・メイでなければダメだし、
クイーンのドラマーはロジャー・テイラーでなければダメ、
クイーンのベーシストはジョン・ディーコンじゃなければダメ。

そして、クイーンのボーカリストはフレディ・マーキュリーじゃなければ絶対にダメなのだ。

例によってレディスデーに高校時代の友人と「ボヘミアンラプソディ」を観てきました。彼女はクイーン初来日の時の武道館コンサートに行ったとかで、「いや、ちょっと待て、お互いまだ子供だったじゃん」と言ったら「当時高校生だった近所のお姉さんに連れて行ってもらったんだよ~ん」と(^_^;) 筋金入りだったでござんす。で、「その後4回コンサートに行った」そうで、4回目は短パンに王冠かぶってたんだとか。
フレディがレザージャケット着始めたあたりで私はクイーンから離れちゃったので、そう考えるとおよそ20年のクイーンの歴史の中で私が猛烈に熱狂していた時期って先っちょのほんの5,6年程度だったんですね。。

さて、この作品はもちろんクイーンファン必見かもしれないけれど、フレディ・マーキュリーというひとりのアーティストの愛と哀しみを描いたヒューマンドラマとして観ることもできるんじゃないかと思います。

もうねぇ、泣けるのよ。
どんな時でも彼を暖かく迎え見守っていた両親、そして彼を待っていてくれたクイーンの仲間に。ライブエイドの日、自宅に立ち寄り父親と和解するフレディに。。

(もう長く生きられないことを知っていた)1985年から亡くなる91年まで、どんな気持ちでフレディが、クイーンが作品を作っていたのかと思うと胸が締め付けられる想いです。
彼にも、他のメンバーにもこんなに長く辛い時期があったなんて、全然知りませんでした。(いやいや、最後まで自分達らしく、楽しく、賑やかに作品を作っていたと信じましょう)

遅ればせながら、91年に発表したフレディ生前最後の「イニュエンドウ」、そして死後4年後の95年に発表された「メイド・イン・ヘヴン」、これからしっかり聴いてみようと思っています。

フレディ役のラミ・マレック、役作りに1年かけたんだそうです。世界中にファンがいてしかも生前のフレディを知っているファンも多いわけだから相当なプレッシャーだったと思います。でもほとんど気にならなかった、というのが正直な感想です。だってこの映画で似てる似てないなんて、それこそ「問題じゃない」から。(それにしても、ブライアンもロジャーも、極め付けはジョン! あんたは本人か? ってくらいの出来でした!(≧∇≦))


「多分こうだったんじゃないか劇場?」 オペラ座の夜製作場面の彼ら


知らなかったフレディの物語を教えてくれて本当にありがとう、という感謝でいっぱいになった、私の「ボヘミアンラプソディ」でした。

改めてクイーンの歴史を確認したことは言うまでもありません(反省)
クイーンのウィキは、こちら
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今月のヘビロテは、もちろんクイーン!

2018年11月19日 12時17分45秒 | 音楽



クイーンのアルバムは、LP版では「世界に捧ぐ」まで持っているのですが、CD版で持っているのがこの4枚です。
一番良く聴くのが2枚目の「Queen2」。自慢じゃないけどどの歌詞も(途中まで)英語で口ずさむことができます v(^^*)

クイーンと出会ったのは「キラークイーン」でした。フレディの圧倒的な高音美ボイスに10代の乙女心をワシ掴みにされた、って感じでしょうか? この曲が収録されている「シアー・ハート・アタック」を張り切って買いに行った時は、汗まみれの男たちのジャケットに思わず「ドン引きした」自分をよく覚えています(^_^;)

当時は大きなステレオで、これまた大きなヘッドフォン付けて、大音量で、全身で「聴いていた」ものです。
遡って購入した「戦慄の女王」はなぜか土曜の午後2時くらいに聴いていたせいか(多分順番に聴いていたんだと思う)、「なんとなく、土曜の午後2時」な気持ちになります。
ミュージックライフも毎月購入して彼らの記事を読み、特集号が出ればしっかり購入していたものです。(残念ながらコンサートには行ってません)

クイーンを知ったことで、その後ブリティッシュロックの門をたたき、ついでにプログレッシブロックをち齧り、ELPだの、レインボーだの、ジューダスプリーストだの、オジーオズボーンだの、ゲイリームーアだのエアロスミスだの、、に出会うことになったわけです。。

私の洋楽観を作ってくれたのが、クイーンでした。
そして何よりも「(美しい)男性ボーカルの基準」を教えてくれたのがフレディでした。
(ちなみに女性ボーカルの基準は、カレン・カーペンター)


「クイーン2」での彼らのビジュアル


初期のクイーンが「自分のクイーン」である私には、「JAZZ」あたりからのクイーンは正直受け入れ難かったのですが、ここ数週間YouTubeでこれまでの楽曲やライブ映像を遡って視聴しています。
ビジュアル的には全く違うフレディがそこにいるのですが、ひとつひとつの曲に耳を澄ませば、昔と変わらない彼の歌声があるんですよね。。

で、なんでここにきてクイーン聞いているのかと言えば、もちろん映画を観に行くため(^^)/
映画の感想は、また後日
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2018年GPシリーズ フィンランド大会・ロシア大会 ~羽生結弦は、羽生結弦を超えて行く

2018年11月18日 01時22分47秒 | テレビ

平昌オリンピックって、今年の2月だったんですよね。
なんだか、もう随分前のように感じます。。。(^_^;)
いろいろなことがあっという間に過ぎていき、今年もフィギュアのシーズンになりました。

精魂込めた「Seimei」でオリンピック2連勝。国民栄誉賞貰って、園遊会に招かれて、5万人が集まるパレードして。。。まだ23歳だから(本人が望めば)競技者として第一線で活躍できると思うけれど、「モチベーションをどうやって保つのだろう。何を目指すんだろう」って、外野のそのさらに外側にいるような私でさえ思ってました。

これ以上何をするの?って。

でも羽生選手は新しいプログラムで、9か月ぶりに競技会に戻ってきました。
彼が考えたプログラムは「自分の原点への回帰」。
小さいころから大好きで憧れていた、J・ウィアーとM・プルシェンコのプログラムを自分の表現で演じる、という挑戦でえす。

J・ウィアーのしなやかで耽美的な表現と、M・プルシェンコのドラマチックで力強い表現を、羽生選手がどう演じるのか、2つの大会をテレビの前で、釘付けで観てました。


フィンランド大会は優勝
フリープログラムには(おそらく初めての)黒い衣装で!



ロシア大会も優勝
特にショートプログラムは、素人目にも「ノーミスなのでは!?」と思える演技でございました!


ここまで仕上げるにはものすごい努力をしてきた(している)のだと思います。
ライバルは自分。もう他の選手と戦っていないもの。なんというか、一人だけ次元の違う世界にいる、って感じ。

まだ23歳の若者に、倍以上年取ってる私がいつも教えられることは本当にたくさんあるのだけれど、その中でも特に「今に集中する」彼の姿勢には本当に頭が下がる思いがします。
(選手生命が短いといわれる)フィギュアスケーターと、仕事人生の残り時間が少ない中高年を一緒に考えては失礼だけど「今を大切に、そしてひとつひとつの仕事を丁寧に、自分に恥じないパフォーマンスをしよう」、って気にさせてくれるんです。

「自分も負けられないよね」って気にさせてくれる存在なんです。私にとっての、羽生結弦というアスリートは。

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※ロシア大会のフリー当日の練習で、羽生選手はなんとまた右足を負傷したとかで全治3週間は安静なんだとか。12月のグランプリファイナルと全日本は欠場かもしれません。。
残念だけど(ご本人が一番無念な気持ちでしょうね。。)、ここはしっかり休養してもらって、今シーズンのプログラムをいつか「完全版」で観られることを楽しみに待つことにしましょう。
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