「言葉」は生き物ですから、時代と共にその使用が変わってくるのは仕方ないものだ、と、私にも理解できます。
が、個人的にどうしても「許せない使い方」もあるのです。
昨日は、コールセンター勤務でベテランオペレータの友人と久しぶりに食事をしました。
その会話の中で、若いオペレータ(=若い女性スタッフ)は数年前と比べて日本語の使い方が変だと思う。
という話を聞きました。
彼女が許せないのは「とんでもございません」という言葉だそうで、確かにおかしい(笑)
勿論、彼女の言い分は「コールセンターの、プロのオペレータとして、言葉使いの公私での切り替えができていない」ことに憤慨していたもので、いわゆる「最近の若者は…」ということではありませんので、念のため。
日本語は「書き言葉」と「話し言葉」が異なるので、そのあたりをしっかり意識して会話しないと、会社が恥をかく(本人も恥をかく)、ということをプロである彼女は言いたかったのだと思います。
ところで、コールセンターの皆さんは目の前に鏡を置いておいて、常に自分の「良い表情」を意識しながらお客様と話をするのだとか。
なるのど、「ステキな笑顔」は「明るい声」にも繋がるんですね。がんばれ、コールセンターの皆さん!
さて、帰宅後、NHKの「NEWS WEB24」という番組見ていたら、オバマ大統領の指名受諾演説が流れていて、その字幕を見てびっくりしました。
「…耳障りの良い…」などという翻訳文が画面に出ているではありませんか! あーた、天下のNHKでですよ。
以前野田さん(野田総理)の演説で「耳障りの良い」という台詞があって「民主党なんかもう投票に値せず」と思った私ですが、NHKの受信料払うの止めるか、と一瞬思いましたよ(個人的にはそれくらいこの変な日本語が嫌いです)
放送前にこの翻訳を見て、「これ変じゃね?」と感じたNHKのスタッフいなかったのでしょうか?
番組のディレクターさん、キャスターの橋本さん、、ねえ。
「耳障り」は「肌触り・手触り」と全く使い方は違います。そもそも漢字が違いますでしょ?
「肌(手)」は「触れる」器官ですので「触り」です。
オムツやタオル、洋服など、「触る」は肌に触れるモノ自体への評価や価値をいいますよね。
では、「耳」に触れるものにはどんなものがあるでしょうか?
例えば、かなり至近距離まで接近を許された人(恋人)やモノ(イヤホン)あたりでしょうか。
100歩譲って仮に「さわる」モノがイヤホンだとしても「耳触り」いう漢字になるはずで、それは耳に当たっている部分への評価、モノへの評価です。「耳障りが良い」のいう漢字は到底あてはまりません。
耳は不特定多数に開かれた器官であり、耳の役目は「声・音」の聞き分けです。
だから、私たちは必要な声や音と、不必要なそれらを区別します。
つまり、「要らない」から「障り」なのです。
「耳障り」はそれ自体で究極のネガティブワード。この「障る」という漢字が「耳」にくっついている限りは未来永劫「耳障りが良くなる」ことはありえません!
「耳に心地よい音・言葉・響き」という使い方が正しい。
更に言えば「耳触り」なんて言葉自体存在しないはずです。
これが私の持論です。
でも、まぁ、そのうち「肌ざわり」「耳ざわり」なんて、いつの間にか「困った時のひらがな表記」で一緒くたにされる日がくるのかもしれません。でも私の目の黒いうちは、「耳障りが良い」なんて日本語は絶対に許しませ~ん。
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この件でネット検索していたら、なんとNHKにこんなWEBがありました。
言葉って難しい
NHK放送文化研究所・
ことばの研究