笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

鎌倉でファンタスティックビーストとアジフライを楽しむ♪

2023年08月20日 15時43分44秒 | 日々雑記
お盆過ぎだし、猛暑も山を越すだろうくらいに構えていたのですが、朝から既に気温は27度。予想される猛烈な暑さに、「不要不急の外出、日中の運動を控えてくださーい」と警報が発せられておりました。
でも、先月から予定して楽しみにしていたし、お寺めぐってご飯食べるだけだし、と、19日の土曜日、横浜のお友達と鎌倉を半日巡ってまいりました。

ちょうど5か月前の3月19日、観桜を兼ねて一気にお寺詣でをしたときに訪問しきれなかったお寺が3つあり、そこに行きたかった私の希望と、2022年の6月、鎌倉にアジサイを見に行った際にお昼を食べた「尾崎」で他のお客が食べていた美味しそうなアジフライをどうしても食べたかったお友達の希望を合わせて、次のような予定を立てて出発

8:30 鎌倉駅集合
 →八雲神社
 →教恩寺
 →蛭子(ひるこ)神社
 →尾崎で昼食(アジフライ)
 →鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム カフェでかき氷

実際は、尾崎の開店時間に合わせたので時間調整のため、以下のようになっちゃったのですが(むしろ大正解♪)

8:30 鎌倉駅集合
 →八雲神社
  →安養寺
  →上行寺
 →教恩寺
 →蛭子(ひるこ)神社
 →鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム カフェでかき氷(~11:30)
 →尾崎で昼食(アジフライ)
  →ヲガタでコーヒータイム(~14:00)

<八雲神社>


八雲神社は、厄除けの神社として有名なのだそうです。こんもりとした木々に囲まれているせいか、心地好いひんやり感があります。鑑賞中も近所の方が普通に手を合わせていきました。
ちなみに、ここから祇園山見晴らし台までは30分程度とのことなので、富士山がきれいにみられる冬場に歩いてみるのもいいかもな~、なんて思いました。

本堂


唐破風懸魚 鷹に松


二重虹梁 上の蟇股 鶴


水引虹梁 蟇股彫刻 龍



※虹梁が二重構造になっているものを二重虹梁というそうです(もういろいろ過ぎ…(T_T))
 このブログでは、正面の虹梁を「水引虹梁」、その上の小さな虹梁を「二重虹梁上」ということにします。。。
 虹梁上の彫刻は「蟇股彫刻」、とします。。。

木鼻彫刻 見返り型の獅子

阿形「うう、くしゃみが出そう~。。」


時間もあったので、近くの安養寺、上行寺にも立ち寄りました。

<上行寺>
こちらには3月にも訪問していて、海老虹梁の龍の彫刻に大感動した場所です。
今回、さらにチェックを進めると。。。

山門の、龍の鬼瓦(ガンダム風?(^^;))


本堂の木鼻彫刻 獅子と獏


山門裏側の「左 甚五郎」作の龍←(失礼ながら)本当だろうか?




それにしても上行寺、(失礼ながら)お寺全体の佇まい、なんとかならないのかなぁ(お寺の維持管理って大変なんでしょうね)。。

<教恩寺>
八雲神社の道路を挟んだ反対側に位置するお寺です。


山門の欄間には十六羅漢の彫刻


本堂


木鼻は見返りの獅子


水引虹梁の蟇股彫刻は龍


<蛭子神社>
「えびす」かと思ったら「ひるこ」と読むのだとか。この日は地域の方総出のお盆後のお掃除Dayだったらしく、場所の確認のみとしました。 


ちょっと変わった踊るチワワと牡丹の飾り瓦がちょこんと乗っている小ぶりで華やかな神社です。こちらには改めて伺おうと思います(^^)
もともと本覚寺の夷(えびす)堂が明治の「神仏分離」によって分けられ、他のお寺の神様と合祀されて現在の「蛭子神社」になったのだそうです。ちなみに、「ひるこ」とは「えびす」の幼名で、「本覚寺が夷堂建てちゃったから、戻れなくなっちゃったのよ」と教えてもらいました。

手入れの行き届いた手水場の獅子と獏の木鼻



さてお目当てのお寺も全部回っちゃったし、尾崎の開店時間までは1時間もあります。暑い中2時間も歩いたし、先に鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムで一服することにしました。
まだ10時半だし店内はがらがら。お目当てのかき氷を頂きました(^^♪


コーヒーゼリーとほうじ茶アイスのかき氷
二人とも思わず「うわぁ~、生き返る~~~。。。」


ゼリーに窓から見える青空が映っています!


ここで1時間ほど休息。その後尾崎に向かいます。




揚げたてで熱々ふっくらのアジフライ 期待通りのお味でした(^^)
ごちそうさまでした


コーヒータイムは、ヲガタで。

きれいなカップで美味しいコーヒーを頂きました(^^)


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本日のお土産は、なんと鎌倉の「ずんだ餅」専門店(小町通りにはなんでもある(^^;))の「居」なるお店で買った、ずんだ大福・ずんだ饅頭・ずんだどらやき


どれも美味しかったけど、ずんだ度が一番高かったが「ずんだ饅頭」 こちらでは山形のだだちゃ豆を使っているのだそうです。
今回ずんだシェイクが品切れだったので、次回頂きたいと思いま~す(^^)

いや~、充実の半日でございました。
さぁ、明日からまたがんばろ~(^^)/
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「京都駅近くに泊まっただけの、2023年夏休み」 ~書き残し

2023年08月15日 12時00分04秒 | 日々雑記
書き残しや、後から分かったこととか、備忘録とか。。

<東本願寺 阿弥陀堂門正面の牡丹の木鼻>


牡丹まで、しっかり阿吽の呼応になっていた!


<こんなイベントがあった>

 ”木彫刻の寺”東本願寺の魅力再発見‼
   「井波彫刻師による東本願寺 の彫刻ガイドツアー
  なるものがこの春に開催されたとかで、解説動画をここで観られます。
  「解説完全版」は見応え十分。
  見所いっぱいの東本願寺、また行かなきゃ~(*^^*)

<で、井波彫刻師って?>
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「物語から飛び出したかのような、躍動感のある彫り」が特徴

井波彫刻の始まりは、18世紀・江戸時代中期頃と言われています。「井波」とは、現富山県南砺市の地名であり、元々技術水準の高い大工が存在していました。当時、井波に建立された瑞泉寺の本堂再建に当たり、京都本願寺の御用彫刻師である前川三四郎が派遣され、これに地元大工である番匠屋九代七左衛門ら参加し前川三四郎に彫刻の技法を習ったことが始まりとされています。
1792年(寛政四年)、浮き彫りの技法で作成された瑞泉寺勅使門「菊の門扉」と門の両脇の「獅子の子落とし」は、番匠屋九代七左衛門の代表作であり日本彫刻史上の傑作と称されています。

KOUGEI JAPANより
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<本願寺はなぜ東西に分かれているのか>

妹殿あたりから「あんた、そんなことも知らないの?」と直球で言われそうですが(^_^;)
ゴメンよく知らないの。というわけで、ほんのちょっと調べてみました。

 ・もともとはひとつの浄土真宗であった
 ・東と西に分かれた理由は、織田信長の石山本願寺戦争にある
 ・本願寺内で、徹底抗戦派と和睦派に別れ
  (信長の死後も、この分裂が後々まで本願寺のお家騒動に繋がり)
 ・秀吉の京都再建に伴い京都に戻るが(これが現在の西本願寺)
  (その後地震や火災により建物が消失し、1760年(宝暦10年)に現在の姿になった)
 ・本願寺内のお家騒動を利用した家康はかつての主戦派側に土地を寄進し、
  別に寺を建立させ分断を図る(これが現在の東本願寺)
  (東本願寺は戦禍や火事のため全焼し、1895年(明治28年)に現在の姿になった)
 ・西本願寺は「浄土真宗本願寺派」を名乗り
 ・東本願寺は「真宗大谷派」を名乗っている
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<興正寺の彫刻が東本願寺の彫刻に似ていることについて>

これはあくまでも、根拠のない想像ですが、、、
「彫刻ガイドツアー」によると、1762年に井波瑞泉寺が焼失した時に、東本願寺の彫刻師が井波に来て技術を教え、その後1895年の東本願寺の再建事業の時に井波の彫刻師たちが大活躍したのだそうです。
興正寺は火災により多くの建物が焼失し、「1912年(明治45年)に御影堂が、1915年(大正4年)に阿弥陀堂が完成」とあるので、ひょっとしたら井波の彫刻師たちも関わったのかもしれません。。

<WEBにあった、興正寺の寺紋>


<やっと一息>





2日目の夜、「都路里 京都伊勢丹店」にて。
一日お疲れ様でしたの「黒蜜のかき氷」と、窓側のカウンター席から見えた京都タワー

今度は、パフェ食べよ~っと(^^)b
コメント (2)
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「京都駅近くに泊まっただけの、2023年夏休み」 ~その2

2023年08月14日 11時55分02秒 | 日々雑記
3日目の早朝は、興正寺と西本願寺を訪問しました。

<興正寺>
まず先に訪問したのは、ホテルから近かった興正寺でございます(午前6時開門)

興正寺のWEBによると、
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江戸時代を通じて興正寺は西本願寺の末寺でしたが、本山として独立しようとする気運も根強く、第27世本寂上人(1808-1877)の時代であった明治9年(1876)に一派本山として独立を果たしました。
明治35年(1902)、興正寺は火災によって、いわゆる「ひとつ御堂」と称せられた本堂をはじめほとんどの堂舎を失います。残されたのは鐘楼(1774年建立)や経蔵(1848年建立)などわずかな建造物だけでした。翌年に再建の議が決し、明治45年(1912)に御影堂が、大正4年(1915)に阿弥陀堂が完成しました。
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位置的には西本願寺のすぐお隣なのですが、(私もだけど)東・西本願寺を観たら多分"お腹いっぱい"になるだろうし、ここを訪問する人そんなには多くないかも。。。

興正寺 三門




木鼻は、正面、側面共に獅子



門扉には豪華な牡丹の彫刻が!


このように牡丹の葉が大輪の花を抱きかかえる構図を「抱き牡丹」(だきぼたん)というのだとか。ちなみに、本願寺は東と西では寺紋が異なり、

西本願寺は「九条下り藤」


東本願寺(大谷派)は「抱き牡丹」


興正寺(本願寺派)も「抱き牡丹」


でもよく見ると、東本願寺の「抱き牡丹」は花を上から描いているのですが、興正寺の「抱き牡丹」は側面から描いているように見えます。
寺紋なんかも調べれば、その根拠となる歴史があるんでしょうね(^^)
ちなみに「抱き牡丹」は、近衛家、鷹司家の家紋でもあるそうです。

さて、三門を入ると御影堂があります。



御影堂の踊るチワワ
阿形、吽形では尻尾の形が違います



木鼻は、獏
彫刻の雰囲気が東本願寺にとてもよく似ています。


興正寺 阿弥陀堂(飾り瓦は牡丹)



木鼻は、象(金網でよく見えない)


さて、興正寺のサプライズは、何と言っても「阿弥陀堂門」(^o^)/
この門、裏と表に踊るチワワの飾り瓦を据え付けてあるのです。


裏側なせいか、やる気も緊張感もどことな~く薄いようなチワワたち。。。


阿形「あ~、なんか入っちまったよ~」


吽形「まぁ、入っちまったモンはしかたなくね?」


って感じの表情が笑えます。「見てるだけかぃ!?」と、思わず呟いちゃいました(^_^;)
でも正面を見れば「確かに"彼ら"を突破されたら、こんな表情になるしかないか」とも思えます。

興正寺 阿弥陀堂門(正面)



(やる気満々)阿形のチワワ


(やる気満々)吽形のチワワ
※阿吽で口元が逆っぽい?


木鼻は、正面が獅子、側面は獏(金網がっ!!)


そして、いよいよ阿弥陀堂門のクライマックス、門柱の大きな龍の彫刻!!!
思わず、なにこれ~!!!! と叫んじゃいました。
★もうねぇインスタ映え間違いなし!!(^o^)


阿形



吽形


これはクセになる。。恐るべし興正寺(^^;)。絶対にまた来ます!!

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<西本願寺>
さて、西本願寺でもう一度「会いたかった」のが龍虎殿の「踊るチワワ」♪

ひとめ惚れでございましたよ(*^^*)


アップもカワイイ!!!!!!


唐門






吉兆、瑞兆のてんこ盛りがよくわかりますね~。
個人的に極彩色はあんまり趣味ではないですが、とてもきれい


重要文化財の書院玄関の懸魚と2羽の大きな鳳凰


ちなみに、阿弥陀堂の懸魚の奥板(名称不明)の彫刻も鳳凰でした。
大きなお堂の屋根下なので、彫刻も大きい!!


正面、右側


正面、左側


3日目も完全独り占めの霊獣巡りでございましたv(^o^)v
興正寺の霊獣と西本願寺の龍虎殿上でがんばっている踊るチワワにエネルギーを貰って神戸に向かったのでした。
叔父叔母孝行もできたし、思いがけずの霊獣巡りもできたし、よくやった自分、な2023年夏休みでございました。
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「京都駅近くに泊まっただけの、2023年夏休み」 ~その1

2023年08月13日 11時08分18秒 | 日々雑記
今年の夏休みは「お墓参りと琵琶湖近くの古刹を巡ろう」と計画していたのです。
訪問場所が京都寄りということもあり、宿は京都駅近くと決め予約も1か月前に済ませて準備万端。が、今月に入り長くホームに入居していた叔母の体調に変化あり、という連絡を受けたのです。最後に叔母を訪問したのが2018年4月。我が家の事情やコロナ禍もあり、5年もお見舞いから遠のいていたことになります。またホーム側のルールも変わり、身内のほとんどが訪問できていませんでした。

そんなこともあり「琵琶湖近くの古刹を巡ろう」を急遽変更、私は諸事情から「叔父担当」ということで、3日間「京都に泊まり、神戸に日参する夏休み」、となりました\(^o^;)/

結果から言えば、「史上かってないほどの、殺人的な猛暑・酷暑・激暑」な今年の夏。この時期の屋外観光、ヤバくね?な感じだったし、琵琶湖の古刹巡りは(お墓参りに組み込んで)次のお楽しみ、とし、その分のエネルギー全開で叔父叔母孝行をして参りました。

ただ、(アキちゃん風に)「京都まで来で、霊獣のお姿を一度も見るごとなぐ済ませでいいのが!?」というは気持ちはあり、ホテルの湯船につかりながらふと思ったのが、

京都駅の近く、ということは、東・西本願寺があるじゃないか。。。

開門時間を調べると、
東本願寺は午前5:50分、西本願寺は午前5:30分

よっしゃー!! \(^o^)/

「オバさんの朝活の底力」ここで発揮しなくてどこでする!?、と。
2日目早朝に東本願寺、3日目早朝に興正寺と西本願寺を、"開門と同時に訪問だぁ"とすることに決定。
前回は初めての東・西本願寺訪問で時間も限られていたので見逃しも多かった気がするし、今回は「見逃しを中心に」巡ることにしました。
ちなみに、3日目に訪問した興正寺は(失礼ながら)全く存じ上げなかったのですが、私的には本願寺以上にインパクトのあるお寺でございました(^^)

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<東本願寺>
前回、東・西本願寺を訪問したのが2022年10月13日
この時、阿弥陀堂門は修復工事中で(2022年10月末に完了)見ることはできなかったのですよ。今回はしっかり拝見することができました。

東本願寺 阿弥陀堂門

金具が朝日を浴びてきらきら光っています。



阿弥陀堂門の木鼻 正面が牡丹、側面は阿吽の獅子



門柱の錺(かざり)金具は、ぐるっと麒麟


東本願寺 阿弥陀堂



堂々とした、大きなお顔の踊るチワワ



木鼻は、象
東本願寺の霊獣の「目力」は半端なく、表情が活き活きしているように感じられます。



水引虹梁上の彫刻
阿形側(右側)が龍、吽形側(左)が虎


東本願寺 御影堂



飾り瓦は、踊るチワワではなく、なんと亀!!!(玄武ではない)
堂々としたお姿ですね~(^^)



遠目だと違いが分かりずらいのですが、アップにするとこの通り
口元の表現、喉のしわの本数で見分けがつきますね。



木鼻は、獏


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早朝なので、東本願寺をほぼ独り占め状態。(心ゆくまで)霊獣鑑賞ができましたv(^o^)v

一旦ホテルの戻り、叔母のいる大阪、その後叔父のいる神戸に向かいます。
霊獣にパワーも頂いたし、さぁ、がんばって行こう!!
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