笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

Qちゃん、お疲れ様でした

2008年10月29日 09時52分09秒 | 日々雑記
Qちゃんが走っている姿を見るのは、とても楽しかったです。

走るのって、とっても楽しいことなんだよ~って全身で表現していた高橋尚子さん。
マラソンレースを観る、というよりもQちゃんの走りを楽しみに、チャンネルを合わせていた私です。
なんというか、彼女の走りは伸びやかで力強くて、それでいてとってもすがすがしかったんですよね。
観ていて元気をもらえるような、そんなマラソン選手だったのです。

プロ高橋(トップアスリート)ではない自分が引退の理由、というようなことを会見で言っていたQちゃんを見ていて思い出したのが、「満足できるパフォーマンスを出せない」といってやはり引退した野茂のことでした。トップアスリートは「とりあえず」って逃げ場を決して自分に許さないものなのだな~、としみじみ感じました。独立してからは(多分)孤軍奮闘だったQちゃんの自分の追い込み方は、ちょっと前に宣言していた、3大会出場のスケジュールを知ったとき、同じ女性として「彼女賭けに出たんだな~」って感じがしてましたから。

競技者としてのQちゃんの走りをもう見られないのは本当に残念ですが、「完全燃焼した」という彼女に心からの拍手とお疲れさま、の言葉を送りたいと思います。

「Qちゃん、お疲れさまでした!」
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「トイレマーク」について考えた

2008年10月28日 18時53分58秒 | 日々雑記
もし、トイレの男女マークが全く同じだったら、とっても不便だと思うのです。
仮に自分が間違えなくても、世の中には悪気はなくてもきっと間違える人がいて、もしそういう人同士がトイレで鉢合わせしてしまったら、どちらかが(多分多くの場合女性の方が)とても気分を悪くするだろうな、と、私は想像するのです。

じゃ100歩譲って、違う形で色を同じにしたらどうでしょうか?
これも多分間違う人がいて、やっぱり混乱することでしょう。
では、文字で区別したらどうか? こちらはきっと文字が読めない人が混乱しますよね。

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「女は赤でスカート」などの従来型のマークでは「区別が固定化して差別を生むことを懸念し、いっぺん同一にしてみようかと(踏み切った)」
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と、この記事では、作業を率先した当時の担当者は考えたそうです。
他県ですが納税者の一人として、私には確認したいことがあります。

公共の場でそのマークを採用するにあたっては、当然事前リサーチなどを実施しているはずですね。被験者の多くが男女トイレの区別を間違わず、従来のものよりも良いと判断したのですよね?
そうでなければ「税金」を投入してまでの事業にはなりにくいと思うのですが。。。
※残念ながら記事には「理解を求めてきたが、浸透するに至らず、云々」とありました。市民の貴重な税金が無駄になったってことです。

そもそも論として、トイレのマークが「男性ズボン青(黒)、女性スカート赤」でなにか不便や不自由があるのでしょうか?

だれでも一生に一回くらいは「トイレどこ~!?」と半べそかきながら、くだんの場所を見つけ、とび込んだ経験はお持ちだと思うのですが(^^;)、その時「こっちが男性、こっちが女性」と-金の斧銀の斧じゃあるまいし-考えている心理的余裕はないと思うのですね。赤が見えたら女性、青(黒)だったら男性です。「アイコン」とはもともとそういう役目のもので、ユーザーに一瞬でも考えさせてはいけないものなのだ、と私などは考えています。

自然界の動植物の色や形をはじめとして、スポーツチームのトレードマークやチームカラーを考えても、ヒトの感覚に一番早く届くのは「色」ですよね。色で区別さえ出来れば、形など2の次3の次でもいいのではないでしょうか?
個人的にはトイレのドアの色を赤と青(黒)に塗り分けただけでも十分な気がするのです。

「男性ズボン青(黒)、女性スカート赤」のトイレマークは「社会的なアイコン」で、決して「男女差別」ではないと思うのです。どうしても変えたいのなら、「ご当地マーク」として定着させればいいと思うのですね。「男女共同参画」なんて考えを振りかざす必要は全くない、と私は思います。

こんな記事を読むと、せめて自分の「緊急事態」には、チラッとみただけでわかる「しかるべきマーク」であることを心から願うばかりです(^^;)

※写真:10月28日11時24分配信 中日新聞(Yahoo ニュース)
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スターバックス ダブルショットを飲んでみた

2008年10月25日 16時25分56秒 | 食べてみた飲んでみた
コンビニに並んでいる、いわゆるプレミア缶コーヒーの類は、ほとんど飲まない私ですが、山手線の車内に貼られたなんともレトロなポスターにひかれて、コピーの指示通りコンビニに行き、スターバックスのダブルショットを購入。さっそく飲んでみました。

写真左が、エスプレッソドッピオ。右がエスプレッソ コンパーナ。

ドッピオは、すっきり無糖タイプ。
缶コーヒーの無糖タイプには、以前それこそ「苦い」経験があって(それほど大げさなものでもないのですが)、自販機のボタンの押し間違いで出てきた「それ」を仕方なく飲み、その苦さに「二度と飲むか」と思った経験(^^;)
それ以来「無糖の缶コーヒー」=「不味いもの」という方程式が私の中にあったので、それほど期待はしていませんでした。ドッピオは、この無糖の苦味がまろやかになった、って感じでしょうか。ただなんとなく深みが足りないかな~。まぁ缶コーヒーだから仕方ないのかもしれませんね。

で、コンパーナはすっきりクリームタイプ。カフェオレです。
こちらはカフェオレ缶コーヒー独特のミルクっぽい甘さがなく、とてもさっぱりしています。さらにこのさっぱり感が時間が経っても続くところがいい感じです。カフェオレタイプの缶コーヒーって、時間が経つと甘みが増すような感じがするんですよね。コンパーナにはそれがないみたいです。個人的にはこっちが気に入りました。

ただ、お値段が170円台なんですよね。サイズも小さいし(エスプレッソを意識して?)。だから1本178円(コンビニ価格)を喜んで出すか、と言われると、う~ん(^^;)ってところでしょうか。少なくとも私は。それに缶コーヒーって確実に太るし(^^;)。。。

缶コーヒーを買うにしても、やっぱり私には庶民派の「FIRE 挽きたて微糖シリーズ」があっているのかも・・・でも差し入れするならコンパーナでお願いしますね(^^)/
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いつから牛乳を飲まなくなった?

2008年10月17日 12時13分35秒 | 日々雑記
来春、牛乳が最値上げされるそうです。

牛乳の消費量は年々減っていて、その原因が「少子化・清涼飲料の充実」にあるとか。
私には子供の頃から今まで、日常生活の中に「牛乳」があったので、この理屈がいまひとつピンとこないのです。
牛乳は我が家の冷蔵庫の常備品です。お風呂上りには必ず牛乳。ちょっと喉が渇いた&小腹も空いた、ってときも手っ取り早く「牛乳」。。

子供の頃は誰でも必ず牛乳って飲みますよね。大人は飲まない? でも牛乳って子供だけが飲むものではないですよね? 牛乳を飲んで育った大人はいつから牛乳を飲まなくなるのでしょうか? 牛乳を飲まなくなった大人は何を牛乳代わりに飲むのでしょうか?
大人は牛乳を飲まない、ということは、大人の日常から牛乳がなくなるわけですから、そこに子供が生まれても、親になった大人が意識しない限り「牛乳」が日常生活に入り込む余地は非常に少ない、ということにもつながりますよね。
「子供がいるから牛乳を買う。でも子供が大きくなったら牛乳はお役御免」。こんな構図が続いた結果が、本当の「牛乳の需要減」の原因じゃないのか、と私は感じるのです。

日常生活から「牛乳」が見えなくなっている。

このまま牛乳の値上げがされ続けると、今度は「牛乳は高いから買わない」といった、更なる需要減に繋がると思うのです。
安くて、栄養価が高くて、年代を問わず安心して供給される飲みもの、が「子供が飲むための割高な飲みもの」にはなって欲しくないな、と思います。
記事によると、業界は「商品開発や啓蒙活動で需要を喚起する考え」とありますが、そもそも清涼飲料水と牛乳は存在の意味が全く違うと思うのです。偶然にも昨日「午後の紅茶」のことを書きましたけれど、清涼飲料水は「嗜好品」です。メーカーが考えて考えて考え抜いて作った「人為的な」飲みものですよね。
でも牛乳は、健康なお母さん牛が、自分の子供を育てるために、自分の身体から搾り出している「恵み」の産物です。だから、これ以上の商品なんてないと思うのです。

牛乳って、飲んですぐに何らかの効果が期待できる飲みものではありません。気分がスカッとしたり、気持ちよく酔っ払ったり、全員で乾杯するような飲みものでは、決してないのですね。なんというか、日々の生活の中の「静かな習慣」として取り込まれているもの、といった感じでしょうか。それこそ「冷蔵庫を開けたら牛乳がある」というような。

ひょっとして今って、そういう生活自体が、それこそ「牧歌的なもの」になりつつある、ということなのでしょうか?
それにしても値上げはいやだなぁ~

※写真:10月17日8時5分配信 フジサンケイ ビジネスアイ (Yahooニュース)
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「午後の紅茶」 ジンジャーレモンを飲んでみた

2008年10月15日 23時40分33秒 | 食べてみた飲んでみた
仕事柄、喉の健康には人一倍気を使っています。

喉頭炎になって3週間くらい声が出なくなったことが、過去3回くらいありましたから。これ完治するのに軽く1ヶ月はかかります。
熱は無い、食欲もある、元気一杯。でも声が出ない。これでは全く商売にならないわけですね。
病院に行って、お医者さんに「どうしましたか?」ときかれても声が出ないわけで(^^;)筆談したこともありました。
初めて喉頭炎になったときは、「もう一生声が出ないかも。。。」と本気で心配したものです。

なので喉の健康の為に11月くらいから電車の中ではマスク着用だし、日々の手洗い、うがいは毎日欠かしません。
飲み物も基本的に冷たいものは飲みません、飲み物は常にホット。暖かい紅茶の入ったマイポットを持ち歩いています。
これから4月あたりまでは、本当に体調管理には気をつけなければいけません。

さて、昨日電車の広告で見たこの商品をさっそく飲んでみました。
この「午後の紅茶」シリーズはとても好きな商品です。どれも美味しいんですよね。一番好きだったのは、オードリーのCMの「アールグレイ」でした。今この商品は無いんですが、復刻して欲しい商品を聞かれたら、迷わず「午後の紅茶 アールグレイ」と言うと思います。
で、今回、どうしてこの商品に興味を持ったかというと、「ジンジャー」、つまり「しょうが風味」だと言うところ。「しょうが」は喉にとても良いのです。

紅茶+はちみつ+かりん+しょうが=喉に良い (^^)♪

広告見て、即コンビニへ直行しました。

味の印象としては、口あたりはハチミツ風味のレモンティー、ごくんと飲んだ後、喉元にしょうが風味が残る感じです。
この、「喉ごしに、しょうが風味が残る」というところに私はポイントを置きました。なんか喉がしょうがで守られている感じで(^^;)考えすぎ?

ジンジャー風味の商品ってまだ無いと思うので、この冬は購入する機会も多くなる気がします。
ただ、コンビニで1本156円って価格が気になるところですかね~(^^;)
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「篤姫」-滝山の一本道

2008年10月11日 18時44分58秒 | テレビ
「篤姫」もいよいよ佳境に入りました。あと12,3話くらいで完結ですね。

長州征伐、薩長連合と、物語りも加速的に進んできています。ここ数回は嫁(和宮)姑(篤姫)の心の行き違いが主な内容だったのですが、これからは多分、篤姫を中心に大奥の女性たちがいかに一致団結して江戸城開場の時を迎えるかまでが描かれることでしょう(あくまで予想です)。
「女の道は一本道」という作品全体を貫くテーマが、まさにその時生きてくるのでしょうね。

そんなことを予感させたのが、滝山の言った「天障院様と同じく、ここを死に場所とする所存でございまゆえ」という台詞でした。(正確な台詞でないかもしれません)。
この作品は本当に伏線の張り方が上手いですよね。前にも書きましたが、最後に大奥に鍵をかける人物が滝山だったそうです。
稲森いずみさんの滝山はもう完璧なのではないでしょうか。出番も台詞も決して多くはない滝山ですが、稲森さんは立ち居振る舞いや言葉使い、目線、と、一寸の隙もなく「聡明なキャリアウーマン滝山」を演じています。「静寂」が着物を着ているような風情すら感じます。

ところで、「篤姫」ではいわゆる「大奥モノ」にありがちな、ねちねちとした湿度がほとんどありませんよね~。これも多くの女性ファンを獲得した要因じゃないかな、と私は思うのです。正直なところ、私も番組の予告を観て「大奥かぁ~」と、観るのどうしましょうかね~なカンジだったのですから(^^;)。でもフタを開ければ、そんな「大奥」など作風に合わないのもわかりましたし、何より作品で描きたかった「大奥」の女性たちは、自分できちんと物事を考え、見つめ、行動できる、現代の私たちと同じ「女性」であった、ということが私にも感じられてきたのです。
そんな中、「ここを死に場所と。。」と言える滝山は、なかなかそうも言えない現代の真面目に働く女性のあこがれかもしれません。
そういう意味で、滝山にそう言わせた脚本は、もうお見事としか言いようがありません。

ちょっと褒めすぎの私でもありますが(^^;)えへ、今後の「篤姫」はそういう女性たちの歩み方にも注目したいところです。
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緒形拳さんのこと

2008年10月07日 07時30分51秒 | 日々雑記
今朝のニュースで知りました。私が一番好きな俳優でした。

「変幻自在」。この言葉が一番ぴったりくる役者さん。
善人、悪人、凶悪人、なんでも演じることのできる稀有な存在だったと思います。
でも私が一番好きなのは緒形さんの「笑顔」でした。演技ではない、時折インタビューなどで見せる、困ったような照れたような、少年のような「笑顔」。

まだ71歳と言う、役者としてはこれからも楽しみな方だっただけに、とてもとても残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。
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「悩む力」-読了

2008年10月05日 10時48分45秒 | 読書
電車の中で本を読む時、私は表紙を外してしまって、書名などが外から分からないようにしています。だって、なんだか気恥ずかしいじゃないですか。「あ~、このひとこんな本読んでるのか」なんて他人に一瞬でも思われるなんて。自意識過剰ですかね~(^^;)
自己啓発の本などは、だいたいセクション毎の見出しが本文よりも大きくなっていて、「第一印象は30秒で決まる!」なんて見出しが突然出てきた日には、思わず慌てちゃいます。そのページだけさっさとめくったりしてね。
と言うわけで、電車の中での読書にも結構気を使う、小心者の私です。(^^;)

さて、夏目漱石の本は高校生の時に読んだきりで、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」くらいしか正直印象が無いのです。これらの作風に馴染んだ勢いで「それから」や「門」「心」あたりに進んだ私は、その「暗さ・重さ」になんとなく引いてしまい、漱石作品にそれ以上進むことはありませんでした。

この「悩む力」は、(私が進まなかった)漱石の作品を手がかりに「今」という時代を考えてみませんか? という本です。
漱石が丁度不惑の年(40代)を迎えたのは、今からほぼ100年前です。その時代は日露戦争で日本がロシアを破り、今風に言えばイケイケどんどんの世の中。まさに新しい時代、新しい価値観を持った「新人類」が勝ち組とされた時代で、姜さんは、100年後の今はまさにその時代のようではないか、と言うのです。だから100年前の漱石の悩みやもがきは、今の時代を生きる我々ととても共通しているのだよ、と。

本の中で私が「あぁ、そうだよね」と特に感じ入ったのが、こんなくだりでした。
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社会というのは、基本的に見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生きるためには、他者から何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです。働くことによって初めて「そこにいていい」という承認が与えられる。
 ※集英社新書 「悩む力」姜尚中 P122より
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「なんのために働くのか」という中の一文なのですが、私は、この、「そこにいていい」 というどこにでも転がっているような言葉こそ、自分を含めあらゆる立場の人が、それも多くの人が欲しがっている「言葉」なのではないのかな、と感じたのです。高校生の自分に、「暗い・重い」漱石作品に面白みも共感も持てなかったのも、私がそこにいることが当たり前のこととして周囲に承認されていた(自分もいて当然と信じていた)からだったのでしょう。社会に出て、仕事や人間関係で悩んだり、あちこちにぶつかったり、転んだりしながら、よいしょよいしょと生きてきた今なら、ひょっとして「それから」も「門」も「心」も、もっと深く読み、共感できるのかも知れない、という気もしています。

「悩む力」は1年前では早すぎて、1年後では遅すぎる作品だと私は思います。
この本がベストセラーになる背景として、これからの日本の社会で「生存していくこと自体」に危機を感じている人が多い、「健康的である」とはとても言えない世の中になりつつあるんだな、という感じを持たざるを得ません。

じゃあ、解決策はどこにあるのでしょうか? 「悩む力」にその解決策は書かれていません。姜さんは「さぁ、テーマは与えましたよ。各自で思い思いに解決策を考え、そして真面目に悩んでください」と私たちに宿題を出すのみです。
ナルホド。さすが大学教授でございます(^^)
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川村カオリさんのこと

2008年10月02日 00時31分01秒 | 日々雑記
今朝の朝日新聞2面の「ひと」に「川村カオリ」という女性が載っていました。
どこかで見た顔、聞いた名前なんだけど。。。「あっ」と思い出したのです。

NHKドラマ「新宿鮫」の「屍蘭」「毒猿」で、「晶」役を演じた女優さんでした。
この作品の「晶」役には今まで3人の女優(歌手)が扮しているのですが、原作のイメージに一番近いのがこの「川村カオリ」さんだと私は思っていました。日本人とロシア人のハーフで、画面の中の彼女にはどことなく「肝の据わった」印象を持ったことを憶えています。以来私の中では「晶」イコール「彼女のイメージ」だったのです。

その彼女が「乳がん」を患っていて、しかも再発した、というのです。
まだ37歳の若さです。小さいお子さんもいるということで、その不安はいかばかりのものでしょう。
彼女のブログには、

前進あるのみ

後は振り向かない

時々へたれるかもね

でも黙って消えたりしないから

とあります。

「新宿鮫」での晶も鮫島に同じようなことを言っていた場面があったように記憶しています。
本人の苦しさを分かってあげることはできないだろうけれど、せめて、「負けないで」と、一歩でも回復に近づけることを、心から願うばかりです。

川村カオリさんのブログはこちらから
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