鴻上尚史さんの書籍は過去に一冊読んでます。20代の頃に読んだ「恋愛王」。
当時の職場の仲良しが鴻上さん主宰の第三舞台の大ファンで、かつ二人とも雑誌「JJ」の読者で。確か一緒に本屋で買ったと記憶しています。
鴻上さんの語り口は、面白くて優しくて、それでいて辛辣な棘を持ち、と結構面白おかしく読めたものでした。
鴻上さんのその後は、テレビMCでの活躍、イギリスに演劇修行に行った、なんて情報を見聞きするだけだったのですが、1月21日の朝日新聞に「好きが生き延びる武器になる」という見出しでこの本が紹介されていたのです。
あの「恋愛王」の鴻上さんが「特攻隊」について書いている。。。「恋愛王」から30年、どんなことを書いたんだろう、そして9回も生還した特攻兵がいたなんて。。と、その日本屋に行ったのです。
なぜ9回も生還できたのか、という鴻上さんの質問に、元特攻兵 佐々木友次さんは「寿命でしょう」と繰り返します。寿命は自分では決められないのに、なぜ「寿命」と言えるのか、鴻上さんが聞きたかったのはここなのです。そして「自分(が佐々木さん)だったら途中で諦めて敵艦に突っ込んでいただろう」というのです。なぜならば、何度も生還する佐々木さんに対して、所属長が繰り返した命令は「次は必ず、死んで来い」。行くも地獄、戻るも地獄、だったのですから。
だから鴻上さんは「自分だったら途中で諦めて敵艦に突っ込んでいただろう」というのです。
あんな状況で人の強さは長くは続かない。なぜ佐々木さんはそこまで強くいられたんですか?(P179)と。そしておそらくこの後のインタビューが、タイトルの言葉に繋がるのですね。
佐々木さんはここで「飛行機に乗るのが大好きだった」「空に浮かんでいればなんでもいいんでね」「特攻機は乗りやすくていい飛行機だった。これに乗って自爆したくない気持ちがあった」などど語っているのです。
いい飛行機なので、自爆したくない。。。
私は、この言葉が、佐々木さんの寿命を決めたのではないかと感じるのです。
「寿命」とはある意味「何かに生かされる」ことでもあるのではないか、佐々木さんの言う寿命とは、生き物としての自分の寿命のことではなく、森羅万象、この世に存在する全ての物や現象に生かされた自分であった、ということなのではないか、と思えるのです。私にはそうとしか思えない。
おそらく、いろいろな人が、いろいろな視点で読むんだろうな、という難しい面を持つ本でもあります。
図らずも読んだ時期が平昌オリンピック期間中。佐々木さんは戦後、日本の国旗を笑顔で高々と掲げる、当時の自分達と同年代の選手たちをこれまで何度も見てきたんだ、と気づいた時、私は涙を抑えることが出来ませんでした。
鴻上さん、素晴らしい本をありがとう。