笑うかどには福きたる

日常生活で見たこと、聞いたこと、感じたことを牧歌的にのんびりと書いています。

アメリカ大統領選に興味津津

2008年08月31日 16時43分09秒 | テレビ
ヒラリー ばーさす オバマ の争いは、投票には何の関係もない極東の小国の住民の私でも、「面白いな~」と興味を持っていました。どちらもマイノリティー(と呼ばれる層の代表)同士のガチンコ勝負でしたよね。ヒラリーには人生をかけた勝負だったに違いありません。演説会の途中で思わず涙ぐんだ場面を見て、ホロリときた女性は多かったに違いないのです。オバマだってマイノリティーだけど、世界の半分を占める「女性票」を集める力があるかといえば、ギモンだ、と私は思います。ヒラリーは十分に政治的な女性ですけれど、私たちと同じ「女性」には違いないのです。

ヒラリーが負けて、オバマ ばーさす マケイン になり「オバマで勝ちかもね~」などと思っていたところに、突如登場した、サラ・ペイリンなる女性。彼女の登場で、ここにきて更に、テレビドラマ以上に面白くなった感のあるアメリカ大統領選挙です。

オバマ指名後、民主党は副大統領候補に政治外交ともに大ベテランのバイデンを指名することで、若さとパワーで切り込むオバマ、知識と経験の深さで参謀を務めるバイデン、というハリウッド映画さながらの配役をしてみたわけですよ。
ところが敵もさるもの、女性たちがヒラリーに求めていた「変革」というキーワードを背負わせる人物を、副大統領候補に女性を据えることで実現する作戦に出たわけです。で、探したらまさにドンピシャな人物がいたのですね。しかも若くて美人。。。一夜にしてマスコミの関心をさらうことに成功した感があります。

このサラ・ペイリンという女性ですが、その経歴がありえない。。。(^^;)
こういう経歴を見て驚くのは、私だけですか? 多くのアメリカ人は驚かないのでしょうか?

高校時代はバスケットの選手としてならし、
20代なミスコン荒らしとしてならし、
その後地元のテレビ局でスポーツキャスター、
結婚後は、漁業に従事、
市議→市長→知事と上りつめる。
プライベートでは、2男3女の母、長男はイラクに派遣、次男は障害を持つ。。。

あなた、人生何回やったんですか? ってくらいのワンダーウーマン。
アラスカには彼女しか女性がいないのか? と聞きたくなりません?(^^;)スミマセン

さすがにこれで単純に女性票が集まるとは思いません。ヒラリーを大統領に望んだ女性たちは「ヒラリー・クリントン」を自分たちの代表として支持したのであって、単純に「女性」だから支持したがったわけではないと思いますから。
でも、サラ・ペイリンのような女性が「生息」しているアメリカという国の凄さを、今回しみじみ感じてしまいました。
「ガラスの天井」はあるけれど、立ち向かえさえすれば登れる階段が用意されている国なのね~、という。

オバマ陣営は彼女の経験不足を指摘し「大統領にもしものことがあった場合にその代理となる副大統領の立場としては、疑問だ」などと言っているようですが、舞台が役者を作る、ともいいますしね(^^)それに投票はしなくても、彼女の考えや話を聞きたいという女性は多いはずです。私も聞きたいな~。「どうしたら、そんなに多くのことを一回の人生でできるんですか?」とか(^^;)

いろんな意味で今回の「アメリカ大統領選」、これからも関心を持って見続けて行きたいと思ってます。
※文中の敬称は略しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キョンキョンのステキな言葉

2008年08月29日 11時55分52秒 | 日々雑記
発達心理学的な用語で言うと、中年期(だいたい40代以降)の80%くらいが「中年の危機」を迎え、心身ともに不安定になるのだそうです。たしかに体力も記憶力も集中力も瞬発力も10代20代のころに比べると、正直落ちていますね~(^^;)。

でも、大きく違うのは「そういう自分をきちんと意識して生活するようになっている」ことなんですね。
現在の自分をきちんと意識して、それなりの向き合い方をしている、ってところが10代20代にはないところだと思うのです。だから、ユングはこの中年期以降こそ「個性化」が始まる時期、とも呼んでいるわけなんです。

10代20代で叫んだり、もがいていた、「個性」とか「自分流」がその後の人生で消えたり浮かんだりしながらしながら中年まで転がってきて、その熱い想いを自分で制御できるようになって、初めて「個性化」される、とでも申しましょうか。
こういう考え方って、「そうか、これからなんだ」なんて、妙にがんばれる(^^;)自分になったりしますよね。

なんで、こんなことを思ったのかというと、「グーグーだって猫である」という映画に主演するキョンキョン-小泉今日子さんのこんな言葉を目にしたからなんです。キョンキョンらしいとてもステキな言葉だったので、そのまま載せておきます。
---------------
私自身これまで、生きることが少し怖いと感じていたところもありました。でも40歳になって「人生、折り返しですね」と言われた時に、「なるほど!これからは一回来た道なんだ」って。怖いから目一杯走ってきちゃったけれど、ゆっくり景色を見ながら、来たところに戻ればいいという気分になってからの方がやっぱり人生おもしろいし、だからこそ麻子さんを演じることは、私にとってとても楽しい時間でした。
(8/28朝日新聞・朝刊より)
--------------
※麻子さんは映画の主人公

「折り返しですね」って言った人は、話の流れでなにげなく言ったのかもしれないけれど、ひょっとしたらキョンキョン自身が心の中で、「自分のこれから」に出口を見つけたい、落しどころが欲しいと思い続けていて、それがこの一言で化学反応をおこして、「ゆっくり景色を見ながら、来たところに戻ればいいという気分」という、ステキな言葉になったのかもしれないな、と私は感じたのです。

同じ言葉に「そうね、あと半分しかないのね~」とか「残りの人生がんばらないとね~」なんて考え方もあるわけで、そういう考え方もアリですが、それでは死ぬまで「未知との遭遇」になってしまいますよね。「未知との遭遇 OK!」ってヒトもいるかも知れませんが、やはり大部分のヒトは「死ぬまで未知との遭遇は、ちょっと。。」ってハズ。しかも体力・記憶力・集中力・瞬発力は衰えていくしねぇ(^^;)

何歳で折り返すかは、ひとそれぞれだけれど、折り返して、それまで見逃していた景色を今度はじっくりとしっかりと味わって眺めて、消えかかっていた「自分流」を掘り起こしたり、そのままになっていた土地に「経験」という名の種を撒きなおしたりしながら、元の場所に戻っていけばいい。
この考え方って男女問わず誰にでも優しくてちっとも無理がないですよね。なによりステキだなと感じるのは「自信をもっていいんだよ」というメッセージが込められていることだと、私には感じられるのです。
自分の人生を戻る楽しみは自分にしかわからない。だって「これからは一回来た道なんだ」から、って。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック雑感-野球とシンクロ

2008年08月23日 19時21分20秒 | テレビ
今日はお昼から野球→シンクロのハシゴです。

野球には関心はなかったのですが、昨日の段階で「全く勝っていない」という事実を知り、それでも今日の試合で勝てば「銅メダル」って、なに、それ?という気分で眺めていました。で、逆転で負けてしまっていました。これで全敗です。

ところで、前々から不思議だったのですが「○○ジャパン」って言い方、いつごろから使われ始めたのでしたっけ?
長嶋ジャパン、オシムジャパン、岡田ジャパン、反町ジャパン、そして今回の星野ジャパン・・・。
じゃあ、女子ソフトボールの監督と女子サッカーの監督って同じ「なでしこ」なんですか、と(^^;)
試合をするのは監督ではないのですから、きちっと「ナショナルチーム」と言ってあげましょうよ。選手にだって失礼だと私は思うのです。

ちなみに「星野ジャパン」への期待って、「大日本帝国海軍」の「山本五十六と戦艦大和がいれば、日本に勝利はもたらされるのだ~」みたいな、まるで根拠のない(幼稚な)期待論のように私には感じられたのでした。「彼ならやってくれるだろう」と。でもね、もう一度言いますが「試合をするのは監督ではない」のです。で、帰国後にはお決まりの戦犯探しが始まるのでしょう。
まーくんも無理してこんなオリンピックに出なくてもよかったのにね。きっと野村監督にも同じこと言われるよ(^^;)

さて、チーム力では女子ソフトボールに決して引けをとらないシンクロチームでしたが、今日の試合を観ていてつくづく日本のシンクロが「時代遅れ」になったという印象を持たざるを得ませんでした。かつてはアメージングだった、日本の足技のスピードや統一感はもう世界では当然のもの(スタンダード)で、ロシア、スペイン、中国といった上位のチームが繰り出すアクロバティックな技や奇抜な演出には驚かされるばかり。これはもう水上の体操競技とでも言いましょうか、とにかく日本のシンクロ演技には残念ながら最後まで「サプライズ」を感じることが出来ませんでした。観ていた私自身、その差にはショックを受けました。

少なくとも今後のシンクロチーム・フリーでは、「いかに水上でアクロバティックな演技が出来るか」=「魅せ場」を持てるか、が技術点や芸術点のかなりのポイントになってくるように感じます。一度派手な出し物を体験してしまうと、「もっともっと」となるのがこういう競技の世界です。選手に求められる技も広範囲になってくるのだろうな~、と思わずため息をついてしまったのでした。
日本のシンクロ、ピンチかも、です。
野球と違ってシンクロは今後もオリンピック競技としてあるわけですから、がんばれ~!、と願うばかりです

※写真は優勝したロシアの演技(まるで床運動!)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若村お姉さまの件

2008年08月17日 22時54分36秒 | テレビ
いよいよ「篤姫」も後半でございます。大奥から去る幾島を演じた松坂慶子さま、お疲れ様でございました。本当に骨の髄までの女優魂、幾島魂を演じていらっしゃいました。松坂慶子、大女優!でございます。

さて、後半の見所もいろいろあるのですが、個人的に注目したいのが若村麻由美さまでいらっしゃいます。和宮の生母、観行院役で、一緒に「江戸に下る(大奥に入る)」ことになります。ちなみにこれに中村メイコさんが加わります(^^;)。
若村麻由美さんは、時代劇ファンならご存知のように、粋な芸者姿で出演されることも多く、私も個人的に好きな女優さんです。
この若村姉さんが現在、東京12チャンネル金曜夜8時からの「刺客請負人」なる時代劇に出演されているのです。役柄は「闇猫のお吉」と申しまして、女殺し屋の役なのですが、これがなんとも現実離れの美しさ。。。極致的なコスチューム姿といい、台詞の言い回しといい、爪の長さ(それじゃ仕事できないと思う)といい、一言「ありえない」(^^;)。。。

で、この「お吉」を金曜日に観て、今後は日曜に御所言葉をお使いになる「観行院」を観ることになるわけで、「ひぇ~、どうしましょ~」な自分がいるわけです。せめて役柄が近ければ理解も出来るのですが、平たく言うとですね「金曜の夜はレディースの総長しているヒトが、日曜のお茶の間で皇室スマイルするヒトになっている」ような状態なわけです(^^;) この落差を狙った事務所も思い切ったことしますよね~。
もうねぇ、どちらを本当のお姿として視聴者は受け入れればいいのでしょうか? 初登場の今日なんか、和宮の隣の観行院(若村さん)に思わず「お吉がっ!」と言ってしまったではないですか(^^;)
でもまぁ、篤姫の母役であの樋口姐さんもお出になっていることですし、そういう意味でも(どういう意味?)これからますます楽しみな「篤姫」でございます。お吉風に啖呵きってみてくれませんかねぇ、篤姫に(^^)。うわ、それ観たいかも

「刺客請負人」の公式サイトはこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック雑感-はやラスト

2008年08月17日 00時30分55秒 | テレビ
なぜラストかといいますと、私の夏休み昨日で終わり、今日からお仕事モードに入ったからです(^^;)冷静になった?
ここ数日ず~っとオリンピックモードでしたので、頭を切り替えるのがとても大変。

切り替えることはヤブサカではないのですが、残念なのが明日の女子マラソンを観られないこと。今回は、中国の街がどんな感じなのか観るのを楽しみにしていたんですよね~。私にとってのマラソンの楽しみって開催国の街並みを延々と眺められることなんです。仮にその国に旅行できたとしても、じゃマラソンコースを巡りましょうか、ってことはないですよね。特に今回は「中国」だし(^^)こんなにあちこちなかなか観られないですよ。なので、私の興味はメダルより「北京の街を眺めた~い」なのでした。

きっと道も広くて、空も大きいんだろうな~と想像します。でも今の北京の空はスモッグで鉛色と言われています。もったいないですよね。空がきれいな青なら、それだけでも素晴しい景色なのでしょうに。
そういうのも含めて、明日の女子マラソン観たかったんです。。。

というわけで、読売新聞に「選手目線で移動できるマラソンコース」ってサイトがあったのでリンクしておきましょう。事前にコースのリサーチをしたい方はこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック雑感-その3

2008年08月15日 13時39分04秒 | テレビ
しつこく柔道ネタです(^^;)昨日体操の内村航平クンのスバラシい演技があったにも関わらず。。。
※ちなみあの鉄棒で15.4ってなんですか?どうすればあれ以上の得点取れるんですか?どこが減点なんですか?

大昔「柔道一直線(?)」というテレビ番組があって、子供心にもうっすら記憶しているのですが、とにかく、いかに相手を「投げるか(または投げ飛ばすか)」。つまり私の頭にインプットされている「柔道」とは、とにかく投げて相手を転がす、これ以外にはありえない。だから、今の柔道が正直わからないのです。あんなにもルールを複雑にする意味自体理解できない。
私は柔道門外漢なので、詳しくは各自で調べて頂ければ、ですが、ある時点で世界競技としての「柔道」のルールが変わったそうで、なんでも、

・技の効きかた(押さえ込みの時間)では、
一本

技あり(20s)

有効(15s)

効果(10s)

・反則(意味)では、
警告(悪質な競技違反、とみなされた場合)

注意(故意に場外に逃げた、とみなされた場合)

指導(勝負を避けた、とみなされた場合) 

と超おおまかにはこのようになるそうです。こう見ると一本で勝負するよりもポイントを稼いで勝った方が楽な気もしますね。。
怖いのが指導とか注意でしょうか。これもポイントになっていましたよね。この指導や注意は「攻める気持ちが感じられなかった」場合なのだとか。う~ん。。それじゃ「気持ちを切り替えるために数秒相手に背を向けた」、「酸欠気味なのであくびが出た」だけで「指導」あたりが、飛んできそうじゃないですか(^^;)とにかくお互い持ち時間中は攻め続けろ!ってことなのですね~。考えんでもエエから、ワザ出せワザと。でも4,5分の持ち時間でこれはキツくないですか?そんなことを考えてたら、今朝のYahooニュースにこんな記事が出ていました。

要約すると、欧米では「柔道」とは言わず「ジャケット・レスリング」と呼ばれたりしているとか。えぇ~?って感じですが、にわか観戦者の私でさえ「レスリングぽくないか?」と思いましたもの。そもそも柔道って向かってくる相手をひらりと投げる(?)スポーツですよね。間違ってたらごめんなさい(^^;)相手のタイミングを外して手や足で相手をひらりとひっくり返すその技を競いましょうね、と。
この「ひらりとひっくり返す(?)」日本人の美意識が国際競技ってものに合わないのではないかと、個人的には感じるのですね。
辺境のブログで好き勝手に言わせていただくと、「道」のつく国技は国際競技になりえない。アボガド巻は「寿司」じゃないぞ、と。(^^;)

じゃあ、柔道に限らず競技の国際化で日本の選手はみんな淘汰されるのか、と言われれば「そんなことは断じてない」と私は信じてます。
谷本選手は自分の競技スタイルを「一本とること」と言っていましたよね。それは彼女の競技者としての「美意識」だと思うのです。体操の内村クン(選手と言いなさい(^^;))の美意識は「着地」。「着地が決まれば勝てる」。彼はきっと自分の着地が美しいと感じているはずです。北島康介選手の美意識は「世界最速」。。。競技者としての自分にきちんとした「美意識」を持っている、そしてそれがぶれない選手はきちんと「結果」を出せる、と、私は思うのです。でね、その「結果」ってメダルではないんです。メダルも大切かもしれないけれど、人々の記憶に残る、ってこと。それこそメダル以上に大切なことだと思うんです。内村くんは「着地のきれいな、あの選手ね」ってきっと、人々に記憶され続けると思うのです。
そしてこういう「美意識」は、多分「選手の育成・強化」という枠組みで作られるものではないと感じるのです。

大切なのは「どんな自分に忠実でありたいか」。これってスポーツの世界だけのことではないと思いませんか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック雑感-その2

2008年08月14日 10時50分59秒 | テレビ
競技時間はだいたい午前11時から始まるので、当然仕事中はテレビを見ることができません。
なので、観たい競技については結果を知りつつも、帰宅後に録画放送で観たりするのですが、その録画放送すら見落とした場合は、Youtubeなんかで、その部分だけ「観戦」したりします。まぁ、時間のかかる競技は無理ですが、例えば水泳とか柔道とかね。
柔道女子63キロ級の試合は準決勝まで観ておきながら、不覚にも決勝を見逃してしまったのです! 結果は家族から「一本で金メダル」と聞いたのですが、どうしても「その一本」を観たく、散々探し回りまわったのです。柔道の「一本」って、観ている方も競技している本人もものすごく気持ちイイと思うんですよね。特に「ものすごくいい一本だった」と聞けば、探さないわけには行きません。
で、見つけました(^^)/ いや~インターネットって本当に便利ですね~♪

このソースは何かのニュース番組だと思うのですが、谷本選手の勝ちっぷりもいいのですが、その後のコメントもスバラシイ。
そうですよね、「私の試合が、子供たちのためになってくれれば」って。谷本スバラシイ!
多分この一本で、柔道しているお子らは「あんなふうに投げたい!」と練習に励むことになると思うんですよね。
で、翌日の朝日新聞での、「谷本選手金メダルを手にするの図」が掲載されていまして、これもまたスバラシイ笑顔でした。
競技中とても真剣な(むしろ怖いくらいな)表情だけに、この笑顔の可愛らしさはなに!?(^^)もうねぇ「お嫁さんにしたいアスリートNo1」の笑顔でした。(しかもメダルを齧ってない!)

さて本日はこれから、男子200メートル決勝と体操個人が午後にはあります。
甲子園もいよいよ佳境を迎えていて、本日は神奈川の2校が出場。。。と落ち着いて自宅仕事が出来なくなりそう。。

※記事が削除されたのでリンクはありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オリンピック雑感-その1

2008年08月11日 17時09分47秒 | テレビ
まずお断りしておきますが、私は柔道の国際ルールは全く知りません。
そんな私でも、女子柔道48キロ級、谷選手の「負け方」には納得できません。
相手選手の「勝ち方」にも納得できません。
ああいう状態で「勝負」をつける柔道のルールってどうなんでしょうか?

私の思い込みなのかも知れませんが、スポーツの醍醐味は、単純に「勝ちに行く」ことだと思うんです。勝ちに行かなければ負けるものだと。
ヒトより早く走る、高く飛ぶ、速く泳ぐ、多く得点する。。。と、とにかく「ヒトより優れた自分の能力で競って」勝負をつけるものですよね?

谷選手の準決勝の試合ぶりを観ていて「これはスポーツなのか?」と首をひねってしまいました。
まるで、シャモの突き合い。
お互い相手の出方を待ち、隙をついて勝ちに行こうという作戦だったのかもしれません。特に今回谷選手は「ママでも金」を狙っていたはずだから、「絶対に負けたくない」気持ちが優勢だったことでしょう。
私は、そこに「勝負の落とし穴」があったのでは、と感じるのです。

金メダルって、その種目ですばらしい試合をして勝った選手に与えられるものだと思うのですね。
その「すばらしさ」って、実は勝っても負けても人々の記憶に残るもののことで、決して「金メダルを齧っている」選手の写真が記憶に残るのではない、と私は思うのです。
一貫してリスクを押さえ、始終守りに入ってポイントで準決勝を勝ち抜こうとした谷選手の姿には、「アスリートとしての谷」の姿は、残念ながらほとんど感じられませんでした。失いたくない一心で守りに徹した結果は、何一つ彼女の良いところを披露することもなく、素人にはよく分からない反則ポイントで、負けてしまうというものでしたよね。だから3位決定戦の谷選手の方が、とても彼女らしかったと思うのです。ここで勝つには、もう自分の全てで当たるしかない、という気迫でした。彼女の中で「私はあんなもんじゃない」というアスリートとしてのプライドに火がついたでは、と想像するのです。せめて上位に残りたい、とか銅メダルが欲しいとかじゃなかったと思うのです。「私は世界の谷だぞ」という気迫でした。

もちろん彼らはプロのアスリートですから、準決勝ではあの方法で試合を乗り切ることが究極の判断だったのかもしれません。でもいちスポーツ選手として、守って負けるのと、攻めて負けるのでは、どちらの負けに納得できるのでしょうか?
私は、座して死を待つより、打って出るタイプの人間ですから、テレビを観ながら心の中で「攻めなきゃだめ!」と叫んでいましたよ。

守りは所詮守りにしかなりませんが、攻めは攻めと同時に守りにもなる、と、私は常々考えています。
「ママでも金」を目指したなら、なおさら攻めなくちゃ。ママは子供の為になら「攻めることさえ厭わない」。そんな意味でも「ママ選手谷」にちょっぴり期待してもいたんですけど(^^)まぁ周囲からのプレッシャーも相当だったんでしょう。「銅メダル」だってすごいことなのにね。

オリンピックに出る選手のプレーって、勝っても負けてもそれを観ている多くの人たち(特に子供たち)の記憶に残るハズですよね。だから、メダルも大事でしょうけれども、その種目の代表として精一杯の一番良いプレーを魅せて欲しいし、それで世界一になれてメダルを持ち帰ったら、とんでもなくスバラシイよね~と、メダルに縁のない外野の、更に外側にいる私などは思うのですけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑中お見舞い

2008年08月09日 20時41分47秒 | 日々雑記
ここのところ会ってないな~という同業のお友達に、写真はがきの暑中見舞いを送りました。
文具店であれこれ写真を見比べながら「彼女なら、これ」というものを選んだのですが、気に入ってくれたでしょうか?

私は小学生の頃、お友達への年賀状は裏表全て「手描き」で書いていました。はがきの裏面って結構な面積があって、どんなに文字を大きく書いてもかなりの余白が残ります。私の気持ちとしてその「かなりの余白」につまらなさを感じたわけですね。そこである時期から、まず自分で干支のイラストを描く、そして文字を書く、そして余白に干支スタンプを捺す、という工程で年賀状つくりを始めたのです。(出来はともかく)これがかなり自分的に気に入って、結果年賀状作成は年末の楽しい「マイ行事」になったのでした。

さて、年賀状にイラストを描いている時、私が何を考えていたかというと、相手の顔だとか、遊んだ時のこととか、話した話題など、つまり相手と自分のエピソードを思い出しながら描いていたのです。すると面白いことに、相手によって同じ干支の動物の動きや台詞、しぐさや表情も違ってくる。つまり、子供の稚拙な絵なのに、相手との親密度によって「絵の描き方」に違いが出てくるのです!
小学生時代に私がお友達に出しまくった年賀状は、今から思えば世界中でオンリーワンの年賀状だったんですね。

さて、この「親密度」を大人の言葉に置き換えると、「労力に見合う」といった感じでしょうか。
大人は「親密度」が一定以上になると、「ま、いいか」となるような気がします。「今更改まった仲でもないし」と。で、速攻デコメで、となる(^^;)
これが「超えられない距離がある中で、親密度が高いあるいは高く求めたい」となると、それを「労力」という単位に置き換えるのではないかな~と、うっすらと感じます。そういえば、大好きな先生に出す年賀状は、色をいっぱい入れたり、字をやけに丁寧に書いたり、子供なりに涙ぐましい「労力」かけていましたっけ。
その労力は年明けに先生からもらう「一生懸命年賀状を書いてくれてありがとうね。可愛い絵ね」などという言葉で報われるわけですが。

大人になると、言葉だけのはがき一枚作るのにも「労力」を感じる割合の方が多いですよね。「やれやれ」度とでも言いましょうか。。
その上更に労力が要求される「手書き」が「面倒くさーい!」と敬遠されるのもとてもよく分かります。

これは私の思い込みかもしれませんが、一行一行考えながら文章を手で書いていると、しばらく会っていない相手との距離がだんだん縮んでいく感じもするのです。で、最後の締めの言葉になると、絶対に会おうね!とか、本当に心配しているから! と、なんかもう完全に「感情移入の世界」になっている。(^^;)
なるほど、ここぞという時には「手書きで」という意味がよく理解できます。

暑中お見舞いの文面なんて、ほんの数行ですが、涼しげな絵の中に自分の「熱いキモチ」込めてみるのも、たまにはいいかもしれません(^^)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スイカ丸いか四角いか

2008年08月01日 23時14分49秒 | 日々雑記
「へぇ~」と、思わず立ち止まったショーウィンドウの前。
お中元用のスイカがずらりと並んでいたのですが、どれも「丸く」ない。。。(^^;)

根がケチな私は、即座にこれらのスイカを何人で等分できるか(それも満足いくサイズで)を考えました。
四角はまだいい。三角錐と円錐はどうよ、と。円錐に至っては、同じサイズのスイカより中身少ないでしょう。
「なんか、切るときに気を使ってしまいそう。。。」、というか切ったあとモメそう。。(^^;)
やっぱスイカは単純にザクッと切って、塩を思いっきりふりかけ、パクつけるモノでなくては。。。「家族で夏の全国高校野球なんかを観ながら食べるスイカ」という絵こそが、食べる私たちも、食べられるスイカたちにも「幸せな食べ方(食べられ方)」だと、私は勝手に考えるのでありますが。

あと、こんなスイカをお中元で頂けるヒトってどんなヒトなのか興味ありますよね~。ゼロ確実に4つありますし(^^;)
我が家でないことは確かですが、もし万が一頂けたとしたら、それはそれとして喜ぶ反面、「普通のスイカを10個くらいくれたほうがいいのにね~」などとのたまうのはマチガイない、と思っています。

でも、スイカ畑に円錐形のスイカが転がっているって絵もなかなかシュール。
で、もしスイカがもともと円錐だったら、今度は球形のスイカなんかを、農家はがんばって作るんだろうな~。
人間って、基本的に「無い物ねだり」なのかもね(^^)

お中元には「球形のスイカ」を、ひとつヨロシク
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする