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大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・『河東 けい という名女優』

2013-04-25 05:33:48 | エッセー

『河東 けいという名女優・その一』
 

 これは、昨年秋(1912)に書いた『大いなるもの』を加筆したものです

 書こうと思って、一つは半年が、もう一つは二年がたってしまった。

 わたしは、思い立ったら、すぐに文章にしてネットで流してしまい、時に批判をうける。
 その、わたしが書けなかった。

 で、思い直した。不細工でも書けないということを書いてみれば、書けないことをネガにして、読む人にポジにしてもらえ、ある程度通じるかもしれない。

 人間というものは、あまりに大きなものを目にすると描写ができないものである。
 たとえば、ビルの陰をまわったら、目の前に大きな黒い壁の前に出てしまった。あまりに唐突で、それが何であるか、しばらく分からなかった。やがて、それが巨大な船であると教えられた。タラップを上がり、船上に上がったが、船内は迷路のようになっており、デッキに出てみて、なんとか船らしいことが分かった。
 これは、幼稚園のときの実体験である。幼稚園に帰り、その船の絵を描くことになったが、幼いわたしの頭の中で、それは船のカタチをしておらず。最初の印象の巨大な黒い壁を正直に描き、先生や仲間からは「?」であった。

 人にも大きさがあることは、頭では分かっていたが、現実に会って、その大きさのあまりに書けないことは、この二回が最初であった。

 この春に、長年の友人の紹介で、関西でも指折りの大女優さんに会うことができた。関西芸術座の『河東 けい』さんである。
 若い頃に、この人の舞台を観た。『奇跡の人』で、ヘレンケラーの家庭教師サリバン先生をお演りになり、それ以来、わたしは、この女優さんのファンであった。
 この人は親の反対を押し切り女優になった。
 今時の親ならば、こう言う。
「なにを夢みたいなことを言って。将来の保障なんかないじゃないか」と反対する。
 この人の親は、こう言った。
「にするためにここまで育てたんじゃない!」で、勘当(親子の縁を切る)されてしまった。

 この人が女優になったのは、終戦直後で、世間の演劇人に対する認識は、おおむねこのようであった。「アカ」という非難のしかたもあり、その言い回しは、わたしが若い頃にはまだ存在していた。
 こういうことは予想していたので、さほど驚かない。

「わたし、女優志望じゃなかったの」
 
 この言葉に面食らった。わたしは、この四十年間、この人は女優であると思っていた。それも頭に「大」のつくそれである。それが女優志望ではなかったとおっしゃる。
 女学校を出てしばらく、この人は、芝居がおもしろそうなんで、移動劇団について回り、雑用をやっていた。で、しばらくすると、劇団員から声がかかり、正式な劇団員になった。しかし入ったところは……。

 演出部……であった。

「わたし、そんな美人てわけじゃないし、スタイルもね……人前にでるのも恥ずかしかったし」
 と、意外な答えがかえってきた。
 この人の舞台での存在感は圧倒的である……このことは説明がいる。個性が強く華があるという意味ではない。
 この人が、舞台に立つと、役が舞台に立つのである。現役の役者の多くは、自分の個性で舞台に立ち、スクリーンに出てしまう。このことは善し悪しである。役者個人が魅力的であって、観客もそれを望んでいるのであれば、それで十分である。
 マリリンモンローが、そうであった。何をやってもモンローで、アメリカのセックスシンボルと言われ、そう言う意味での女優としては成功した。しかし、モンローは、そういう自分に限界を感じ、いろんなことが演れる女優になりたいと思い、リー・ストラスバーグのアクターズスタジオに通い、他の駆け出しの俳優たちといっしょに演技の勉強を始めた。残念ながら、その成果が現れる前にモンローは、亡くなってしまった。

 わたしが会った、この大女優さんは、モンローのようなタレント性が自分に無いことを十分知っていたので、演出部に入ったのである。
「演出の勉強なんかしてなかったわよ」
 平然と、この大女優はおっしゃった。煙に巻かれたようなので、つっこむと、こう答える。
「見よう見まね」
 で、終戦直後の劇団は、どこでも人と金がなかった。そこで、演出部に籍をを置いたまま、片手間で女優も演るようになった。
 で、わたしは、この人の片手間を観て大感激したのである。

 素人のわたしが観ても、この人の芝居は、スタニスラフスキーの演技術。そしてリー・ストラスバーグのアクターズスタジオのメソードを使っていた。それを指摘すると、答はこうだ。
「いやいや、とんでもない。そんなの少しは知ってたけど、わたしは見よう見まね」
 並の俳優が言うと、嫌みな謙遜にしか聞こえない。しかし、この人は本当に「見よう見まね」と思っている。
 かつて、先輩の俳優に、こう言われた。
「君らの一生懸命はこんなもん(指を五センチほど広げた) 僕らの一生懸命はこれくらい(両手を一杯に広げて見せた)」
 この人は分かり易かった。本番の舞台を観にいっても努力の跡がわかるのである。
「ああ、この見せ場の、この間の取り方やなあ」という具合。

 しかし、この大女優さんは、舞台での存在感が自然なのである。サリバンさんのときは、その女優ではなくサリバンさんとして、そこに存在している。テレビで脇役を演っておられるときなど「え、どこに出てはったん?」である。エンドロールを見ると、確かに名前が出てくる。で「え、あのオバハンが……」と分かる。
 で、わたしは圧倒されてしまう。
 この感動はメリル・ストリープで感じた。『プラダを着た悪魔』『マンマ・ミーア』『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』『マディソン郡の橋』の主役・主役級の役が全てメリル・ストリープであったと気がついたときの感動と同質である。

 で、その秘訣と、その人の歴史が知りたくて、四時間あまり話をうかがったが、結局は、幼稚園児がいきなり巨大な船のドテッパラを見せられたようなもので、とてもその全体を形容することができない。
 あわよくば、この人をモデルに小説を書いてみたかったのであるが、こんな小文を書くのに半年もかかってしまった。

 関西芸術座のサイトを開いてみると、個々の役者さんの写真と共に、その役者さんの肉声が聞くことが出来る。おけいさんの言葉は、一音一音、そっと確実に置かれていくようで耳に心地よい。悪くとられると困るのだが、女性であることを超えて人間の声としての確かさと潤いがある。ラーメンのコマーシャルではないが、「嘘だと思ったら聞いて下さい」である。

 タイトルは忘れたが、おけいさんの別役の芝居を観た。別役=難解という人。また難解に演出したり、演技してしまう人がいるが、おけいさんの(たぶん)お母さん役は、ちゃんとお母さんだった。一家でリヤカーを曳いて旅をするような芝居だった。「ああ、これは一家の歴史を描いた芝居なんだな」と思って、ロビーでお会いした本人に「この芝居は人生ですね」 そういうと「あたりまえやんか」という表情を、まるで、女学生のように弾んだ表情でされた。当時は○十代であられたであろうか。反応は、まるで日頃相手にしている女子高生のようであった。


 この稿は、また続編があるかもしれません………♪

※写真は『日本タレント名鑑』からお借りしましたが、著作権上の問題で使えません。サイトの画像でごらんください。 
 

 
コメント
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