大橋むつおのブログ

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大人ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評『リンカーン』

2013-04-20 12:53:01 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評
『リンカーン』


この映画評は、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している映画評ですが、もったいないので転載しました



 いやはや、まず言うべきはD・D・リュイスの凄まじいまでのリンカーン像ですね。

 S・フィールドの妻役も迫力がありました。 自分も かつて下手ながら芝居をしていたので感覚的に判るのですが、役者は演じているキャラクターに引っ張られる傾向があります。D・D・リュイスはこれが極端に出る人で、一旦仕事に入ると24時間役柄のまんまに成る事で有名。奥さん……大変ですねぇ 耐えてますねぇ だって嫌でしょう 家にリンカーンが帰って来るんですよ! うっとおしいじゃありませんか ねぇ!
 さて、映画ですが 今年見た作品の中で一番難しい映画でした。ただの一瞬のシーンを見落としても、一言の台詞を聞き逃してもいけない、だからといって決して辛くはない 2時間半心地よい緊張が続く。  ただ、全編 「修正憲法13条」を巡る政治的駆け引きの1ヶ月のクローズアップ、ゲティスバーグ決戦もアトランタ炎上も有名な演説も一切出て来ない。政治の裏側に興味が無ければ全く面白くない……かも……。
 ただ、ここに一つの現実がある、本作は硬派テーマの作品ながら昨年11月全米公開以来、今年の2月まで13週間に渡ってボックス・オフィス10位以内に留まり(途中2週圏外)1億7千万$の興行収入を叩き出している。何より本作に対して「難解だ」という評価を聞いた事がない。あの「クラウド・アトラス」程度の映画を難解だとして敬遠するほどアメリカの観客の質は劣化してしまっている。そんな観客に本作の意味が浸透するのだろうか。詳しく書くとメモリーオーバーになるので ふ~ん位に読んでいただきたいが、まずリンカーンが攻撃したのは“南部の奴隷制”であって 当時北部にも黒人奴隷は存在していて、有名な奴隷解放宣言に彼らは含まれていない。つまり北部に奴隷は存在するが“奴隷制”すなわち奴隷は家畜と同じく所有者の財産である。つまり同じ人間ではないとする考え方は無かったものの、当時 女性に選挙権が無かったのと同じ偏見は有った。人間とは認めても対等の存在とは認めていなかったという事をまず知らなければならない。
 修正憲法13条が上院を通過し、下院の2/3の賛成を得れば成立するのだが、この段階では全米ではなく あくまで北部だけの決定である事。成立しても この後、南部を降伏させ この憲法を認めさせなければならない。アメリカが真っ二つに割れていた訳だが、北部も一枚岩だったのではない。民主党は13条成立によって黒人奴隷の人権が無制限に広がるとみて断固反対の立場(何故か 日本人はリンカーンが民主党大統領だと思っている人が多いが 彼は共和党、北部で黒人の人権を制限したがったのはリベラル民主党である) 共和党が優位ではあるが民主党を切り崩さないと必要票数に届かない。再度確認するが、黒人の人権を白人と同等に認める考えはない(リンカーン本人も)、この事に関しては政党間に亀裂が有り、同政党内にも温度差がある。
 もう一つに、当時 長引く南北戦争に嫌気しており、停戦交渉は別個に始まっていた。13条決議前に停戦してしまうと 南部の意向も考慮しなければならず、そうなると反対票が一気に増えて成立は絶望的になる……そういうギリギリのタイムラインに乗っていたと言うことも大きい。
 こういう捻れに捻れた状況下、強力なスタッフ 議員はいるものの心理的にリンカーンは殆ど孤軍奮闘しており、次男の従軍、妻との葛藤……バックアップするべき家族も彼の上に重くのしかかっている。  相対化するつもりは全く無いが、リンカーンにだって“光と闇”は当然有る。と しても、アメリカ最高のカリスマ英雄である、神聖とさえ言える。その絶対的英雄を崇拝すること無く、一定の距離を置いて その人生を深く掴もうとしたスピルバーグの姿勢はもっと絶賛されてよい。
 この繊細微妙かつ迫力有る作品がヒットした背景には、主人公がアメリカ最大の英雄である事と 大人の観客が戻ってきたという事実がある。
 とは言っても、この1ヶ月の政治駆け引き物語は極めて複雑である、相当に難しいと言える。これがアメリカ人に当然のごとく受け入れられるのは かれらが大部分を既に知っている以外に有り得ない。この事実を知っているだけで アメリカ人は日本人の百倍 政治的人間である。かつて フロリダに行った事があるが、その時痛感したのは「よくもこんな途轍もない国と戦争したなぁ~ 勝てる訳ゃぁ有り得へん!」という事。本作を見て思ったのが「こんな政治的人間と政策駆け引きなんかしても勝ち目は限り無く“0”じゃんかいさ」って事です。
 てな訳で、言いたい事は山程あるんですが 私がゴチャゴチャ書くほどに観客の足を引っ張るような気がしてきました。すべての人に とは言い切れませんが一人でも多くに見ていただきたい映画です。
 アメリカの黒人が 当たり前の人権を得るには リンカーンからさらに百年、公民権運動の成功を待たねば成りません。そして それが社会に根付くのにさらに数十年…ベトナムで死傷した兵士は圧倒的に黒人が多かった、歴史は這うようにしか進まない。しかし、進むべき方向を定めるべく社会構造を変革するイベントは急激に起こる。その起点がリンカーンである事に違いはなく、そのインサイドストーリーに触れるのは貴重な体験であります。
 ドキュメンタリー色が強い作品ですが、間違いなくドラマ。有名なシーンは一切ありませんが、リンカーンが通信士に語る ユークリッド幾何学に例えた人間存在の意味、議会で飛ばすヤジに籠められたユーモアとウィットにとんだ切り返し……一瞬の台詞も揺るがせに出来ないのは 解らなくなると言う以上に“勿体無い”からです。リンカーン家に勤める黒人女性の「私には自由の意味(アメリカに住む黒人が自由である事)など解りません。私達は自由になるため戦って来ました。そしてこれからも戦いは続きます」……この台詞が一番重く響いた。
 ご存知の通り、リンカーンは暗殺されて二期目早々に亡くなる。諸説あるが、誰がどのような意図で暗殺したのか未だに不明です。彼の運動は敵を新たに産む運動であり、殆ど自殺を目指したのと同じだというのは本人にも自覚が有った筈、命懸けで無ければ何事も成し得ない……見事な映画でした。
 本作が アカデミー作品賞を穫れなかったのは、アカデミー協会内で優勢とはいえ ジワジワ保守勢力の台頭を許しているリベラルの最後の抵抗だったと実感しました。作品賞は“アルゴ”への配慮から仕方が無いにせよ、本作を見た後では 監督賞はアン・リー(ライフ オブ パイ)ではなくスピルバーグでしょう。この決定に至る論評を知りたいものですが 英語力“0”の私には1年たたないと解らんのやと思います。 自分の不勉強を責めるしかございません……阿呆!


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