タキさんの押しつけ映画評
『そして父になる』
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
結婚すらしていない俳優が二組の家族を演じ、それを父に成れなかった60男が見ている。
二人の子供がいて、6年前、同じ病院で生まれた。看護婦の悪意で取り違えられ、別人の子供とは知らず育てて来た。
育てて来た年月をとるのか、血の繋がりをとるのか、究極の選択を迫られる大人達……。
当然、「自分ならどうするのか?」と、問うてみるけど、結論など出ない。自分がやりそうなのは、無理苦理にでもなし崩しに二家族を一つにしてしまう方法を考える? 全く違う家族が大人同士は互いの異質さに感じる嫌悪を隠しながら、子供に真実を告げる日を先延ばしにする……臆病な自分ならそうするだろうなぁ、今は子供を傷つけたくない、と 言い訳しながら。映画は結論を出していない。
ある意味、今後、今自分が考えたような関係になって行くのかもしれない。子供の取り違えによって、新たに親戚が増えるようなものである。二組の家族で二人の子供を育てる。血縁に対する我欲(支配欲)
を押さえ切れるならば……残念ながら親に成れなかった身には確答が見えない。
自分にも取れる立場はあるが、それは後にして、まずは映画の話。
監督の是枝裕和は日常の切り取りが巧い人だ、決して結論を急がない、押し付けない。“誰も知らない(柳楽優弥/カンヌ史上最年少最優秀男優賞)”“歩いても、歩いても”“空気人形(ビニールのダッチワイフに命が宿る)”これらが私の知る監督の全て、いずれの作品もまったく押し付けがましい結論は無い。
福山雅治は半人前の父親として顕在していた。スター福山雅治はどこにもいない。そして“父”になろうとする、一人の男として実在していた。リリー・フランキーの演じる斎木は、野々宮(福山)より少し年上、強い嫁さん(真木よう子)に支えられて気のいい親父を演じる。父と言うよりは一番デカい子供の雰囲気。野々宮はエリートサラリーマンで、何でも与えてくれそうだが、子供の目からは斎木の方が気楽だろう。
その意味で斎木も未だ父親になりきってはいない。
二人の妻は、その点立派に母親である。母性愛はやはり最強の愛情の在りようだと思う。斎木ゆかりは三人の子供を揺るぎなく抱き留めている。野々宮みどり(尾野真千子)は慶太を産んだ後の予後が悪く、その後、子供を持てなくなったが、その分慶太への想いは大きい。夫を深く愛しながらも、慶太に「このまま二人で遠くに行こうか」と語りかける。おそらく、その時慶太が「パパは?」と聞かなければ実行しただろう。
女性は出産を通して本能的に母親となる(中には、その本能の弱い方もいらっしゃるようですが)。 映画は、その本能的強さの上に「そして“母”になる」行程をも描いている。それは、野々宮の母(事情有り)の姿を通しても語られる。
えらそうな言い方を許して貰えるならば、人間は毎日を自ら選択しながら生きている……などと思うから傲慢になっていく。しかし、これを“与えられている”ととらえるならば感覚が変わるのじゃないだろうか。 野々宮は選択の繰り返しの中で、常に勝ち上がって来た強者であるが、この究極の選択の前で「選択出来ない自分」を発見したのではないだろうか。
押し付け、説教のない作品ながら「人は子によって親にしてもらうんだよ」というメッセージだけは、一本の大黒柱として屹立している。親になりそこねた私が言うのはおこがましい限りではありますが……そんな私が、この作品を自分なりに受け止める視点は「子供の視点」です。
いかに、取り違えられた存在であろうとも、子供にとって両親と暮らした6年は自分にとっての全てです。まったく幼い自我とはいえ、それは両親から与えられ育まれて培ってきたものです。この映画の事情は6歳の子供には100%の理解は不可能です。しかし「今日からお前は、あちらの家の子供だよ」と言われる意味は理解できる。幼い魂にどれだけ深い傷が残るか……こんな残酷な仕打ちもないだろう。
私にも、ほんの短い間だが、両親と離れて母方の祖母と暮らした時期がある。両親が離婚の際にあり、暫く離れて暮らした。弟と一緒に預けられ、毎日が宙に浮いたような頼りなさの中で過ぎて行った。幸い、両親との日常は取り戻されたが、暫くは親の顔色をうかがい、しかし、決してうかがっていることを知られてはならないという事も解っていた。 だから、外に飛び出すより、静かに本を読んでいる方が落ち着いた。
年を経るに従い、両親のあり方への理解もついて、今やこの事は傷でも何でもないが、ユングやフロイトに言わせれば「立派にあんたのトラウマだっせ」といわれるんだろうなぁ。
歳と共に行動範囲は広がり、自分なりの世界を築くようになる。自分を築くのは両親ばかりでななくなり、人は社会的生き物になっていく。しかし、ここに至っても不動なものは“家族”という存在であり、人は「そして“親”になる」のであり、かつまた「そして“子”になる」のである。
私の家は、映画ほどではないにせよ「野々宮家」に近かったかもしれない。だから二人の子供の内、野
々宮慶太の傷により感情移入できる。描かれざる本作の結末に、幸多かれと願うばかりです。私事ばかり書くようですが、映画を見終わっての一番の感慨は、今や亡き両親への感謝でした。
ありがとう、あなたたちの子供で幸せでした。俺はあなたたちの子供として、少しは幸せを伝える事ができたのでしょうか。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!
ラノベとして読んでアハハと笑い、ホロリと泣いて、気が付けば演劇部のマネジメントが身に付く! 著者、大橋むつおの高校演劇45年の経験からうまれた、分類不可能な新型小説、高校演劇入門書!
お申込は、最寄書店などでお取り寄せいただくか、下記の出版社に直接ご連絡いただくのが、一番早いようです。ネット通販ではアマゾンや楽天があります。青雲に直接ご注文頂ければ下記の定価でお求めいただけます。
青雲書房直接お申し込みは、定価本体1200円+税=1260円。送料無料。
送金は着荷後、同封の〒振替え用紙をご利用ください。
大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』
高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。
60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)
門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471
『そして父になる』
これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。
結婚すらしていない俳優が二組の家族を演じ、それを父に成れなかった60男が見ている。
二人の子供がいて、6年前、同じ病院で生まれた。看護婦の悪意で取り違えられ、別人の子供とは知らず育てて来た。
育てて来た年月をとるのか、血の繋がりをとるのか、究極の選択を迫られる大人達……。
当然、「自分ならどうするのか?」と、問うてみるけど、結論など出ない。自分がやりそうなのは、無理苦理にでもなし崩しに二家族を一つにしてしまう方法を考える? 全く違う家族が大人同士は互いの異質さに感じる嫌悪を隠しながら、子供に真実を告げる日を先延ばしにする……臆病な自分ならそうするだろうなぁ、今は子供を傷つけたくない、と 言い訳しながら。映画は結論を出していない。
ある意味、今後、今自分が考えたような関係になって行くのかもしれない。子供の取り違えによって、新たに親戚が増えるようなものである。二組の家族で二人の子供を育てる。血縁に対する我欲(支配欲)
を押さえ切れるならば……残念ながら親に成れなかった身には確答が見えない。
自分にも取れる立場はあるが、それは後にして、まずは映画の話。
監督の是枝裕和は日常の切り取りが巧い人だ、決して結論を急がない、押し付けない。“誰も知らない(柳楽優弥/カンヌ史上最年少最優秀男優賞)”“歩いても、歩いても”“空気人形(ビニールのダッチワイフに命が宿る)”これらが私の知る監督の全て、いずれの作品もまったく押し付けがましい結論は無い。
福山雅治は半人前の父親として顕在していた。スター福山雅治はどこにもいない。そして“父”になろうとする、一人の男として実在していた。リリー・フランキーの演じる斎木は、野々宮(福山)より少し年上、強い嫁さん(真木よう子)に支えられて気のいい親父を演じる。父と言うよりは一番デカい子供の雰囲気。野々宮はエリートサラリーマンで、何でも与えてくれそうだが、子供の目からは斎木の方が気楽だろう。
その意味で斎木も未だ父親になりきってはいない。
二人の妻は、その点立派に母親である。母性愛はやはり最強の愛情の在りようだと思う。斎木ゆかりは三人の子供を揺るぎなく抱き留めている。野々宮みどり(尾野真千子)は慶太を産んだ後の予後が悪く、その後、子供を持てなくなったが、その分慶太への想いは大きい。夫を深く愛しながらも、慶太に「このまま二人で遠くに行こうか」と語りかける。おそらく、その時慶太が「パパは?」と聞かなければ実行しただろう。
女性は出産を通して本能的に母親となる(中には、その本能の弱い方もいらっしゃるようですが)。 映画は、その本能的強さの上に「そして“母”になる」行程をも描いている。それは、野々宮の母(事情有り)の姿を通しても語られる。
えらそうな言い方を許して貰えるならば、人間は毎日を自ら選択しながら生きている……などと思うから傲慢になっていく。しかし、これを“与えられている”ととらえるならば感覚が変わるのじゃないだろうか。 野々宮は選択の繰り返しの中で、常に勝ち上がって来た強者であるが、この究極の選択の前で「選択出来ない自分」を発見したのではないだろうか。
押し付け、説教のない作品ながら「人は子によって親にしてもらうんだよ」というメッセージだけは、一本の大黒柱として屹立している。親になりそこねた私が言うのはおこがましい限りではありますが……そんな私が、この作品を自分なりに受け止める視点は「子供の視点」です。
いかに、取り違えられた存在であろうとも、子供にとって両親と暮らした6年は自分にとっての全てです。まったく幼い自我とはいえ、それは両親から与えられ育まれて培ってきたものです。この映画の事情は6歳の子供には100%の理解は不可能です。しかし「今日からお前は、あちらの家の子供だよ」と言われる意味は理解できる。幼い魂にどれだけ深い傷が残るか……こんな残酷な仕打ちもないだろう。
私にも、ほんの短い間だが、両親と離れて母方の祖母と暮らした時期がある。両親が離婚の際にあり、暫く離れて暮らした。弟と一緒に預けられ、毎日が宙に浮いたような頼りなさの中で過ぎて行った。幸い、両親との日常は取り戻されたが、暫くは親の顔色をうかがい、しかし、決してうかがっていることを知られてはならないという事も解っていた。 だから、外に飛び出すより、静かに本を読んでいる方が落ち着いた。
年を経るに従い、両親のあり方への理解もついて、今やこの事は傷でも何でもないが、ユングやフロイトに言わせれば「立派にあんたのトラウマだっせ」といわれるんだろうなぁ。
歳と共に行動範囲は広がり、自分なりの世界を築くようになる。自分を築くのは両親ばかりでななくなり、人は社会的生き物になっていく。しかし、ここに至っても不動なものは“家族”という存在であり、人は「そして“親”になる」のであり、かつまた「そして“子”になる」のである。
私の家は、映画ほどではないにせよ「野々宮家」に近かったかもしれない。だから二人の子供の内、野
々宮慶太の傷により感情移入できる。描かれざる本作の結末に、幸多かれと願うばかりです。私事ばかり書くようですが、映画を見終わっての一番の感慨は、今や亡き両親への感謝でした。
ありがとう、あなたたちの子供で幸せでした。俺はあなたたちの子供として、少しは幸せを伝える事ができたのでしょうか。
『まどか 乃木坂学院高校演劇部物語』
青雲書房より発売中。大橋むつおの最新小説!
ラノベとして読んでアハハと笑い、ホロリと泣いて、気が付けば演劇部のマネジメントが身に付く! 著者、大橋むつおの高校演劇45年の経験からうまれた、分類不可能な新型小説、高校演劇入門書!
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大橋むつお戯曲集『わたし 今日から魔女!?』
高校演劇に適した少人数戯曲集です。神奈川など関東の高校で人気があります。
60分劇5編入り 定価1365円(本体1300円+税)送料無料。
お申込の際は住所・お名前・電話番号をお忘れなく。
青雲書房。 mail:seiun39@k5.dion.ne.jp ℡:03-6677-4351
大橋むつお戯曲集『自由の翼』戯曲5本入り 1050円(税込み)
門土社 横浜市南区宮元町3-44 ℡045-714-1471