イレギュラーエッセー GO AHEAD! 003
『とと姉ちゃんの初月給』
とと姉ちゃんが初月給をもらった。
昭和12年だから、あたりまえであるが手渡しだ。
で、これに感動したので、いささかの駄文を書く。
現役時代の前半の給料は手渡しだった。初任給は2号給の4号俸、手取りは14万ちょっと。それまでもらっていたバイト給料の倍近い厚みがあった。とても幸せな気持ちになったことを覚えている。
給料は定型大型の茶封筒に入っていて、事務長のデスクの上に、全職員分が箱に収まっていたように記憶する。
「はい、大橋先生」
顔を見ながら手渡しされ「ありがとうございます」とか「いただきます」とか「どうも」とか言って受け取り、朱々と朱肉を付けたハンコで受け取り表に捺印。人にもよるが、その場で金額を確認していた。
年月を経るに従って、給料袋は分厚くなり、給料の重みが実感できた。
箱の中に給料袋が並んでいるので、人の給料の多寡も、ザックリと分かってしまう。
今の郵便料金で言うと、82円の厚みと92円の厚みのものがあり、82円のものでも、薄いものから厚いものまで色々である。
また、受け取りの書類には職員全員の名前と給料の金額が書かれていて、捺印するときに、嫌でもお仲間の金額が目に入る。
冬のボーナスの日に、所用が合って校長室に行ったことがあった。
「校長先生、ハンコお願いします」
そう言って、事務長が黒塗りの盆に載せたボーナスを持ってきた。
「大橋センセも、帰りにお願いします」
そう続けている間に、校長は受け取りにハンコを捺した。
このとき、校長になんの話をしに行ったのかは忘れてしまったが、盆の上に載った校長のボーナス袋は忘れない。
なんと、ボーナス袋の口が閉まらず、開きっぱなしの口からは岩波ジュニア新書ほどの札束が覗いていた。
用事を終えて、事務所でもらったボーナス袋の中身は、テレビゲームのマニュアル程度の厚みしかなかった。
これが振り込みになって、そっけなくなった。
給料は通帳の数字でしか分からない。ときめきと言うか実感が乏しい。まして、お仲間の給料の多寡などは知る由もない。
55歳で早期退職したので、退職金を最後に給料が振り込まれることは無くなった。
しかし、習慣で給料日の17日に生活費を引き出しに行く。
引き出す作業は、給料をもらっていたころと変わらない。同じキャッシュカードと通帳を機械に飲み込ませ暗証番号と金額を打ち込む。出てきたお金を備え付けの封筒に入れ、通帳とキャッシュカードを回収。
通帳を見れば身銭が減っていくことは分かるのだけど、作業が現役のころと同じなので、給料袋時代の退職者と比べると、はるかに実感は薄いだろう。
ほんの僅かだけれど、毎月息子に小遣いをくれてやる。
銀行で引き出すときに(一部両替)のボタンを押す。すると1万円ぶんだけ千円札で出てくる。
で、息子には千円札で小遣いを渡す。五千円札や万冊よりも分厚くなって、たくさん渡した感じになる。
「ほれ、今月分」
「どうも……」
小遣いを渡すときの、息子との定型文のようなやりとり。
わたしは、昭和原人なので、あっぱれ小遣いをやった気になる。
息子がどう感じているかは……聞かないことにしている。
ちなみに、とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎭子さんとわたしは同じ苗字である。なんだか親類の子が初月給をもらったような気になった朝ではあった。
『とと姉ちゃんの初月給』
とと姉ちゃんが初月給をもらった。
昭和12年だから、あたりまえであるが手渡しだ。
で、これに感動したので、いささかの駄文を書く。
現役時代の前半の給料は手渡しだった。初任給は2号給の4号俸、手取りは14万ちょっと。それまでもらっていたバイト給料の倍近い厚みがあった。とても幸せな気持ちになったことを覚えている。
給料は定型大型の茶封筒に入っていて、事務長のデスクの上に、全職員分が箱に収まっていたように記憶する。
「はい、大橋先生」
顔を見ながら手渡しされ「ありがとうございます」とか「いただきます」とか「どうも」とか言って受け取り、朱々と朱肉を付けたハンコで受け取り表に捺印。人にもよるが、その場で金額を確認していた。
年月を経るに従って、給料袋は分厚くなり、給料の重みが実感できた。
箱の中に給料袋が並んでいるので、人の給料の多寡も、ザックリと分かってしまう。
今の郵便料金で言うと、82円の厚みと92円の厚みのものがあり、82円のものでも、薄いものから厚いものまで色々である。
また、受け取りの書類には職員全員の名前と給料の金額が書かれていて、捺印するときに、嫌でもお仲間の金額が目に入る。
冬のボーナスの日に、所用が合って校長室に行ったことがあった。
「校長先生、ハンコお願いします」
そう言って、事務長が黒塗りの盆に載せたボーナスを持ってきた。
「大橋センセも、帰りにお願いします」
そう続けている間に、校長は受け取りにハンコを捺した。
このとき、校長になんの話をしに行ったのかは忘れてしまったが、盆の上に載った校長のボーナス袋は忘れない。
なんと、ボーナス袋の口が閉まらず、開きっぱなしの口からは岩波ジュニア新書ほどの札束が覗いていた。
用事を終えて、事務所でもらったボーナス袋の中身は、テレビゲームのマニュアル程度の厚みしかなかった。
これが振り込みになって、そっけなくなった。
給料は通帳の数字でしか分からない。ときめきと言うか実感が乏しい。まして、お仲間の給料の多寡などは知る由もない。
55歳で早期退職したので、退職金を最後に給料が振り込まれることは無くなった。
しかし、習慣で給料日の17日に生活費を引き出しに行く。
引き出す作業は、給料をもらっていたころと変わらない。同じキャッシュカードと通帳を機械に飲み込ませ暗証番号と金額を打ち込む。出てきたお金を備え付けの封筒に入れ、通帳とキャッシュカードを回収。
通帳を見れば身銭が減っていくことは分かるのだけど、作業が現役のころと同じなので、給料袋時代の退職者と比べると、はるかに実感は薄いだろう。
ほんの僅かだけれど、毎月息子に小遣いをくれてやる。
銀行で引き出すときに(一部両替)のボタンを押す。すると1万円ぶんだけ千円札で出てくる。
で、息子には千円札で小遣いを渡す。五千円札や万冊よりも分厚くなって、たくさん渡した感じになる。
「ほれ、今月分」
「どうも……」
小遣いを渡すときの、息子との定型文のようなやりとり。
わたしは、昭和原人なので、あっぱれ小遣いをやった気になる。
息子がどう感じているかは……聞かないことにしている。
ちなみに、とと姉ちゃんのモデルになった大橋鎭子さんとわたしは同じ苗字である。なんだか親類の子が初月給をもらったような気になった朝ではあった。