せやさかい・330
突然の悲鳴に慌ててコンパートメントに戻る!
ガチャ!
先頭のさくらが開けたコンパートメントに異変は無かった。というか、誰も居ない。
「こっちか!?」
ガチャ!
もう一つのコンパートメントを開けるけど、そこにも人影はない。
「ちょっと、みんな居てるよね!?」
眉を逆立てて、さくらが振り返る。
みんな、目玉だけ動かして互いの安否を確認する。
さくら……留美ちゃん……古閑さん(メグリン)……ソフィー……頼子さん……そしてわたし(詩)
「ひょっとして……密航者?」
留美ちゃんが唇を噛む。
オリエント急行は国際列車だ。EUが存在する21世紀の今日、EU圏内の往来は自由だ。
でも、不法難民や、世界中を敵に回して戦争やってる国の人間は大っぴらには移動できない。あるいは、マフィアとか、某国と某国のスパイ同士の抗争とか!?
「死体無き殺人事件!?」「異世界からの逃亡者!?」「攻殻機動隊!?」「被害者は転送された!?」
さすがは元文芸部、怯えながらも妄想逞しい。
すると、ソフィーがコンパートメントの中に入って、ぐるりと見渡して、静かに言った。
「犯人は、この中に居る」
「「「「「ええ!?」」」」」
「せ、せやかて、死体無いし、人の気配もせえへんし」
「こっちよ」
進行方向の壁を探るソフィー。
「これだ」
ソフィーが軽く抑えると、かそけき音をさせて、人一人が通れるほどに壁の一部が開いた。
「これは、XOタイプと云って、隣のコンパートメントと繋がっている。一見ただの壁だけど行き来ができるんだ。お忍びとか、立場上必要な者が利用した」
「せやけど、隣はカギ締まってるしぃ」
そう、わたしたちが使ってる二つを除いて施錠されている。
「内側からは開く。アガサクリスティーもこれを利用した……」
そう言うと、ソフィーはそっと秘密のコンパートメントに入って行った。
ドギュン!ドギュン!
銃声が二発したかと思うと、ズサッっと人が倒れるくぐもった音がした!
ヒャ!!!
みんなの息を呑む音。人間、ほんとうの恐怖に襲われた時は叫び声も出ないものなんだ!
「ちょっと、見てくる!」
頼子さんが隠しドアの前に出た。
「いえ、わたしが行きます!」
古閑さんが、前に出て、体を斜めにして入って行く。
…………………………
「誰も居ません」
体を斜めにして戻ってきた古閑さんが、緊張した顔で報告する。
数秒の沈黙があって、ソフィーが静かに口を開いた。
「リッチは、どうして最後尾にいるのかなあ……」
リッチとは学校での頼子さんの愛称『ヨリッチー』を縮めたものだ。縮めた分親しみが深い。
「え?」
「最後にお手洗いに行ったのはさくらだよ。悲鳴があがったときは、わたしとお手洗いの間に居たから、最後尾はさくらになってなきゃおかしいよ」
「あ、そう言えば、悲鳴が上がった時、食堂車に……」
そう、食堂車に頼子さんの姿は無かったような気がする。
……みんなの視線が頼子さんに集まる。
フフフ……フハハハハハ!……ギャハハハ(థꈊథ)!!
狂ったように笑うと、頼子さんは首元に手をやって「メリメリメリ」とシリコンのマスクをとった!
「ク、何もの!?」
ソフィーが見構え、みんな後ずさり……そして、現れた顔は……!?
やっぱり頼子さん!
「どうだ、ビックリしたか(*`ㅅ´*)!?」
アハハハハハハ……と笑うしかないわたしたち。
「だって、せっかくのオリエント急行だよ、オリエント急行ってば『オリエント急行殺人事件』でしょーがぁ」
「で、ソフィーもグルなん(^_^;)?」
「それは、永遠の謎……」
「でも、あの銃声はどうしたんですか?」
「スマホに効果音のアプリ入れてるのさ」
「な、なるほど」
「けっきょく、うちがお手洗い行ってるうちに、頼子さんがコンパートメントに行って悲鳴を上げて、そのすぐあとに秘密のドアで隣に行って、あたしらを引っかけたっちゅうわけですね!?」
「ハハハ、まあ、そんなとこさ」
「わたしの推理は当たったんだね。みんな、今日からは、わたしのことを『アガサクラ・クリスティー』と呼びたまえ!」
「ええ、さくら一人だけが?」
「ほんなら、えと……名探偵ポワラ!」
「なに、それ?」
「ポワロの複数形やんかぁ! 名探偵団ポワラ!」
こうして、名探偵団ポワラを乗せたオリエント急行はバルカン半島を横断していくのであった。
バルカン半島……進行方向の右側にはルーマニア、吸血鬼ドラキュラの故郷、コマネチの出身国。チャウシェスク大統領のルーマニア社会主義共和国は今は共和国すら取れてルーマニア。西側の大半を版図にしていたチトー大統領のユーゴスラビアは今は無く、マケドニア、スロベニア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、クロアチア……だったけ、分裂を重ねた。
はしゃいだ後、さすがに疲れが出て、みんなお昼寝。
わたしは、ぼんやりと車窓からの眺め……見ていると、大学で習った地理や歴史のあれこれが湧き上がって、かえって眼が冴える。
そうなんだ、二年もすれば卒業。
マスターやドクターを目指すほどのめり込んでいるわけじゃない。でも、勉強したいとは思っている。
留学はコロナのおかげで流れてしまったけど、頼子さんとの縁でヨーロッパを斜め上に縦断していると、ぼんやり景色を見ているだけで、湧き出してくる知識の断片。
そうだ、ルーマニアって、正しく発音するとロマニア、その昔はローマ人の国であり、幾多の民族の歴史が積み重なっている。その一つ一つを理解……なんてできっこないんだけど、ボンヤリと民俗とか人々の暮らし……ボンヤリのボンヤリなんだけど、昔話とかフォークロア、そういうものに浸っていられたら……許されるなら、ね、もう十年は学生……さすがに、ハンガリーに入るトンネルが見えたころには目蓋が重くなってくる。
眠りに落ちる寸前、ヨダレを垂らしたさくらの顔が見えて、その顔が――そんなんどうでもええやんか――と言っているような気がした。
ちょっと、さくらのコンパートメントは隣だよ……zzzzz
☆・・主な登場人物・・☆
- 酒井 さくら この物語の主人公 聖真理愛女学院高校一年生
- 酒井 歌 さくらの母 亭主の失踪宣告をして旧姓の酒井に戻って娘と共に実家に戻ってきた。現在行方不明。
- 酒井 諦観 さくらの祖父 如来寺の隠居
- 酒井 諦念 さくらの伯父 諦一と詩の父
- 酒井 諦一 さくらの従兄 如来寺の新米坊主 テイ兄ちゃんと呼ばれる
- 酒井 詩(ことは) さくらの従姉 聖真理愛学院大学二年生
- 酒井 美保 さくらの義理の伯母 諦一 詩の母
- 榊原 留美 さくらと同居 中一からの同級生
- 夕陽丘頼子 さくらと留美の先輩 ヤマセンブルグの王位継承者 聖真理愛女学院高校三年生
- ソフィー 頼子のガード
- 月島さやか さくらの担任の先生
- 古閑 巡里(めぐり) さくらと留美のクラスメート メグリン