コッペリア・22
菜種梅雨がすっかり桜の花を散らし、久々の青空に恵まれて、神楽坂高校の始業式と入学式が挙行された。
颯太は非常勤講師なので、式に参列する義務はない。だけど美術と言う教科柄一年と二年の美術を持つので、生徒の様子を見るために、午前の始業式も午後の入学式も出ることにしていた。
始業式で見た生徒たちに覇気はなかった。まあ授業になれば意欲を見せる生徒もいるだろうと、式の半ばで会場を出た。
水分咲月のことが気になったからである。
留年生は始業式には出られない。別室で待機し、始業式が終わるのを待って新しいクラスに合流する。
颯太は、咲月のクラスが見える渡り廊下で、その時を待った。
やがて始業式を終えた生徒たちが戻ってきて教室に入り始め、その流れに紛れ込むようにして咲月が教室に入っていく。
クラスの何人かは咲月を見知っているようで「あれ?」というような顔をしたが、すぐに無関心を決め込んで前の学年での同級生や、友達同士で喋り始めた。咲月は完全に孤立している。
中年の担任のオッサンが入ってくると、みんな大人しくなり、咲月の孤独は目立たなくなった。あまり熱のある担任には見えなかった。必要な書類を配って事務連絡が終わると、さっさとホームルームを終えた。
「あらら……」
良くできた担任ならば、なにか口実を設けて留年生は残し、懇談というかコミニケーションを図るものである。咲月はノロノロと配られたものを鞄に入れると、まるでビジネスホテルをチェックアウトするように、一人ぼっちで教室を出て行った。
「ねえ、ちょっと」
声を掛けられると同時に、頭をはられた。振り返ると栞が怖い顔をして立っていた。怖い顔と言っても颯太には、ディズニーアニメのキャラのようにしか見えないので、迫力はない。ただはられた時の痛さで、かなりむくれていることは分かった。
「妹のことはほったらかしといて校内見学!?」
「ばか、学校じゃ他人だ。お前の保護者は大家の鈴木さんなんだから、オレが関われるか。で、クラスはどうだった」
「まあ、なんとかなりそうだけど。面白そうなのは先生にも生徒にもいない。ま、ルーチンワークみたいな高校生活になりそ」
「穏やかなのは、なによりじゃないか。オレ入学式見て、教科の準備してから帰るから、晩飯の用意よろしく」
「もう、そーゆうとこだけ妹扱いなんだから。だいたいね……」
「だいたい、なんだよ」
「もういい。味は保証しないわよ、晩御飯」
栞は、例の写真立ての女の人のことを聞きたかったが聞き逃した。しまったという気持ちと、これでいいんだという気持ちが交錯する。
栞の姿が見えなくなると、食堂で簡単な食事を済ませ、入学式を待った。
式までには時間があるので美術準備室に戻り、咲月の印象を絵にしてみた。描き終ってうろたえた。今まで気が付かなかったが、咲月の印象は写真立ての後ろに隠してある、あいつに似ていた。
気分を変えて栞を描いてみた。これは吹きだした。まるで『アナ雪』のアナの不機嫌なときの顔にそっくりだ。
「令和三年度、第九十七回入学式を挙行いたします。全員起立」
お決まりの「君が代」が流れる。さすがに起立しない教職員はいないが、声に出して歌っている者は一人もいない。中には授業中に当てられた生徒のように不承不承突っ立ているだけという先生もいる。
「ここも、どうやらアホばっかりみたいやなあ……」
久々に大阪弁の呟きをもらした颯太であった。