↑北九州から羽田に向かう夕暮れの空。
太陽の残光の真上に細い三日月が輝いていた。
その月に必要なメッセージをお届けします。
2013年3月をより快適に過ごすための
ヒントにして下さいね♪
************************
今月のキーワードは「依代(よりしろ)」
スイッチをいれると今回はなぜか
「祭礼」とか「幸い(さきわい)」とか
お神社などで使うような、神道の言葉なのだろうか、
そんな系統の言葉が浮かんできた。
依代(よりしろ)とは、
たとえばお正月のときに年神さまが
家の中に入って来て下さるように目印として
“門松”を家の前に置き、そこに宿って迎え入れる
もののことをそう呼んでいる。
その他に、“岩”だったり“ご神木”“鏡”
“お神輿”や“神楽”など(“横綱”も依代なのだそう)
マナ(外来魂)が宿るための媒体としての存在をさす。
そういった意味では森羅万象すべてが依代なのだという。
*****************************
日本には古来から森羅万象のものに対し
神や魂が宿るというアニミズム的な考え方があり
多くのものや事柄に対し「畏怖や畏敬の念を抱く」という
考え方や
物に対する感謝や、物を大切する
大事に使う・大切に丁寧に利用したり
感謝の気持ちで食べたりという考えに基いて
様々なものを依代として祀ってきた。
今月は、
いま一度その“大いなるすべての存在”に対して
敬意を表して感謝の気持ちを新たにしていくことが
次なるステップに進むための
大きなチカラとなっていく。
生きていく上で
人間の力ではどうにもならない問題や、
この先どうしていいのか皆目検討もつかない
事象に途方に暮れてしまったり、
頭では理解していても、行動に移せなくて
事態が膠着していることや
何度もおんなじパターンを繰り返しているのに
またもやそのループに迷い込んでしまったりして
立ち止まったり、停滞したり、
時に目をつぶり耳をふさぎ、
すべてを投げ出したりしたくなるような感覚に
襲われることもある。
「神も仏もあるものか」というフレーズは
その依代を見失ったとき、
ココロにぽっかりと穴が空いてしまったときに
思わず湧き上がってきてしまうのかもしれない。
*****************************
けれど、
私たちはみな自然の、地球の、宇宙の
愛すべき存在のひとつであり、
いつでも、たとえどんなときでも
どんな状況にあったとしていも
ちゃんと見守られている。
そして、
愛されている。
古来の人々が感じていたように
森羅万象すべてに宿るマナは
ずっと昔から、今も、今この瞬間も
未来へも変わることがないだろう。
それは、
自分自身にも宿っている。
春の息吹が目覚める3月、弥生のころ。
眠っていたものが動き出す気配。
今月はまず、時空を超越するような
とにかく果てしなく大きなスケールに
思いを馳せ、畏敬の念を感謝の気持ちを
捧げていこう。
そんな気持ちをしっかりと持っていれば
これから始める新しいことも、
今悩んでいることも、
もうあきらめてしまっていたことも、
きっとすべてが
いい方向へと計らわれていくのだと思う。
太陽の残光の真上に細い三日月が輝いていた。
その月に必要なメッセージをお届けします。
2013年3月をより快適に過ごすための
ヒントにして下さいね♪
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今月のキーワードは「依代(よりしろ)」
スイッチをいれると今回はなぜか
「祭礼」とか「幸い(さきわい)」とか
お神社などで使うような、神道の言葉なのだろうか、
そんな系統の言葉が浮かんできた。
依代(よりしろ)とは、
たとえばお正月のときに年神さまが
家の中に入って来て下さるように目印として
“門松”を家の前に置き、そこに宿って迎え入れる
もののことをそう呼んでいる。
その他に、“岩”だったり“ご神木”“鏡”
“お神輿”や“神楽”など(“横綱”も依代なのだそう)
マナ(外来魂)が宿るための媒体としての存在をさす。
そういった意味では森羅万象すべてが依代なのだという。
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日本には古来から森羅万象のものに対し
神や魂が宿るというアニミズム的な考え方があり
多くのものや事柄に対し「畏怖や畏敬の念を抱く」という
考え方や
物に対する感謝や、物を大切する
大事に使う・大切に丁寧に利用したり
感謝の気持ちで食べたりという考えに基いて
様々なものを依代として祀ってきた。
今月は、
いま一度その“大いなるすべての存在”に対して
敬意を表して感謝の気持ちを新たにしていくことが
次なるステップに進むための
大きなチカラとなっていく。
生きていく上で
人間の力ではどうにもならない問題や、
この先どうしていいのか皆目検討もつかない
事象に途方に暮れてしまったり、
頭では理解していても、行動に移せなくて
事態が膠着していることや
何度もおんなじパターンを繰り返しているのに
またもやそのループに迷い込んでしまったりして
立ち止まったり、停滞したり、
時に目をつぶり耳をふさぎ、
すべてを投げ出したりしたくなるような感覚に
襲われることもある。
「神も仏もあるものか」というフレーズは
その依代を見失ったとき、
ココロにぽっかりと穴が空いてしまったときに
思わず湧き上がってきてしまうのかもしれない。
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けれど、
私たちはみな自然の、地球の、宇宙の
愛すべき存在のひとつであり、
いつでも、たとえどんなときでも
どんな状況にあったとしていも
ちゃんと見守られている。
そして、
愛されている。
古来の人々が感じていたように
森羅万象すべてに宿るマナは
ずっと昔から、今も、今この瞬間も
未来へも変わることがないだろう。
それは、
自分自身にも宿っている。
春の息吹が目覚める3月、弥生のころ。
眠っていたものが動き出す気配。
今月はまず、時空を超越するような
とにかく果てしなく大きなスケールに
思いを馳せ、畏敬の念を感謝の気持ちを
捧げていこう。
そんな気持ちをしっかりと持っていれば
これから始める新しいことも、
今悩んでいることも、
もうあきらめてしまっていたことも、
きっとすべてが
いい方向へと計らわれていくのだと思う。