2021年5月21日 <父>
今日は母親の命日です。もう亡くなって53年経ちます。
今月初めに、生まれ育った南武線矢野口駅近くの矢野口交差点周辺を散策し、
昔の思い出に浸りました。
交差点近くの川崎街道沿いにある乳イチョウ。気根が乳房のように垂れさがる事を
母から教えてもらいました。現在も元気で大切に保護されていました。
矢野口交差点。鶴川街道と川崎街道が交差します。
昔の矢野口交差点(旧鶴川街道)に面した生そば「ごとう」
<父>の子どもの頃は「そばや」と言う、量り売りのお菓子屋で、
お客さんが来ると、母に頼まれて買い物に行ったものです。
マーガリンも量り売りしていました。ワタナベの粉末ジュースもここで
買いました。思い出すとキリがありません…。
お菓子屋の「そばや」が、今はそば屋になっています。
ややこしいですね。
旧鶴川街道沿いに進みます。
そば処「あめや」も健在。お客さんがくるとここから焼きそばの出前を
頼んだものです。何故焼きそばだったのでしょうか。
子どもの頃、「あめや」がそば屋で、「そばや」がお菓子屋なのが不思議でした。
松本商店は松本ビルになっていました。
子どもの頃、松本商店の奥側に住んでいました。
まわってみると、マンションになっていて、全く面影が残っていません。
「あめや」の先には、読売ランド入口の信号があります。
梨畑が広がる景色は、昔と殆ど変わっていません。
左奥にあった半鐘は防災無線になっていました。
車は新しい鶴川街道を利用するため、交通量は少ないです。
2021年5月8日 東京都稲城市にて オリンパスTG-5
最後に稲城村政施行130周年の写真展で見つけた写真をご紹介します。
昭和31年(1956年)に小泉和男氏が撮影しました。
矢野口駅周辺の商店街です。丸角屋衣料品店、桝喜医薬品店が写っています。
昔の車の形が良いですね。野良犬も…。写真右奥には半鐘も見えています。
当時、矢野口駅周辺には梨畑が広がっていました。この梨畑で殺人事件があった
という松本清張の小説があったと記憶していますが、何という小説だったか、
いろいろと調べても分かりません。
おはようございます。
懐かしい街を歩かれたのですね。
子どものころの記憶、その場所に行けば、次々蘇ってくるものですね。
死語のお写真、我が町もよく似たものでした。
小学校の100周年の記念で集められた写真とそっくりです。
私も懐かしく見せてもらいました。
我が町でも数年前に古い町並みの写真展を行った居ました
私は37年生まれですが、我が町などとんでもない田舎町
私の子供の頃はまだ、バスは運航指示器が「赤い板」が
曲がる方に飛び出る物でした・・・懐かしい
31年でこれだけ高級車が走って居たのですから田舎との違いを感じる写真でした
「黒い樹海」ではないでしょうか。
たまたま自転車で近くまでいったため、懐かしい場所を巡りました。
次回は、「あめや」「生そば ごとう」で食べてみたいです。
昔の記憶を忘れない様に、ここを本籍にしています。
本籍と同じ古い住所表示看板(自治会が設置)を見つけました!欲しいですが…。
当時はどこも同じような景色だったのですね。
アスファルト舗装はされていなかったようです。
昭和31年に風景写真を撮る人は、ほとんどいなかったと思います。
撮影者は高級車が3台も通ったので、記録に残したかも知れませんね。
車種は何なのか、誰が乗っていたのか、興味が広がります。
ボンネットバスの運行指示器は、記憶にあります。
小説は「黒い樹海」の可能性があるのですね。
情報提供ありがとうございます!
早速、図書館で調べてみます。
当時は南武線は単線でした。複線工事のために飯場ができ、
梨畑はなくなったと記憶しています。