今週は、慌ただしい。
そのスケジュールの中でも、“必要性に迫られてきた”ということもあり、
来るべき冬将軍にむけて、新しい機能を備えた「エアコン」を設置することにした。
工事に来てくれた業者さんは、転居前に住んでいたマンションオーナーのご紹介である。
東京に長らく住みついてきた私にとって、こういう“親近感ある関係”は心地が良い。
気楽に相談できるのは、相互扶助的精神が感じられる当地の雰囲気からだろうか。
基本的には、“個人の人柄の問題”かもしれないが・・・
とにかくアットホームである。それに、親しみやすい。
(おせっかいで、無駄話も多少多いけれども・・・ネ)
また、「あの人に聞いてみよう。紹介してくれるかも」という発想が
私自身にも湧いて、実際にもそのとおりに行動してしまうということは、
これまでの大都会生活にはなかった関係性である。
さぁ~て、まずは「エアコン選び」である。
今年の春まで住んでいたマンションでは、管理会社がエアコンの選択を間違って(?)
温度調節の効果が少なく、残念な思いを感じていた。
12畳のリビングに、6畳タイプのエアコンでは・・・やはり厳しい。
ちょっとばかり値段をケチったり(?)したら、あとで(違った意味での)後悔をして
悪影響があるのだと思い知った。
だから、はり込んだ!
ちゃんと12畳~14畳用のエアコンを買い、1階の中央に設置したのである。
おかげさまで、パワー全開!
“朝一番の暖め”などは、びっくりするぐらいの早さである。
エアコンの設置工事が終わり、リモコンの置き場所を壁に打ち付けるとき・・・
工事の人は窓枠の高い位置に穴を開けた。
それは、立った人の目線の位置で、ちょうど目に付きやすい場所ではあった。
しかし、私の脳裏には「車椅子に乗った父の姿」が自然と浮かんできて、
「その位置では手が届かない」と瞬時に感じてしまった。
そして、すぐさま位置を変えてもらったのである。
父と同居する以前の私なら、きっとこういう感覚を抱くことはなかったかもしれない。
けれども今は・・・常に父の状態を意識しながら、何かを感じているようだ。
現実問題として、その必要性があるから、自ずとそういう思考回路になってしまう。
人の意識というのは、“こういうもの”である。
・・・常に変わるし、状況に則して感じ方も変わってくる。
それに、見る角度や、立っている位置によっても、感じ方は変わるはずである。
だから、一人の人間の「心」が“ずっと変わらず、そのままでいる”なんて、ありえない。
“一生、変わらない”なんて、ありえないのだ。
しみじみ、そう思う。
それにしても、“町の風景には障害者用の配慮が、ほとんどなされていないなぁ”。
どのエリアにも、健常者としての意識が感じられる。
今でこそ、駅などでバリアフリーやスロープなどの設置が常識化してきたが・・・
一昔前の工事のものは(ほとんどが)健常者目線で造られている。
また同様に、舗道全般に関しては車(運転者)目線で造られ、歩行者への配慮が乏しい。
“絶対数が多いこと”や“力関係の理由”で、当然といえば当然の流れではあるが・・・
社会には少数派の人々も生活しているわけだから、完全に無視してしまうことは
いかがなものかと思う。
そんなことを考えていたら・・・
なんとなく“社会の傲慢な態度”や“多数派の一方的な考え方”を感じてしまった。
そして、過去の自分自身を振り返ったりして、複雑な感情に満たされてしまった。
「全ての人にとって快適な社会を形成すること」は、かなり難しいとは思うけれど・・・
それに向かって少しでも“協調していく努力”を、気配として感じていたいものである。
でなければ、徐々に心がすさんでいきそうだ。
そういえば・・・
かつての父は、エアコン嫌いだった。
“のどに悪かった”からだと思うが、今は「あったかいなぁ」と気に入っているようだ。
エアコンの性能も上がっているし、昔と比べてかなり機能性が向上している。
長時間つけていても、のどがカラカラになることはない。
人々にとっての快適性を研究していった結果が、ここに結集されているのだろう。
何でもそうだが・・・「努力して、最善を尽くすこと」こそ、大切なことなんだと思う。
「ありがたや~!」技術者さんに感謝である。
<今日帰宅したら、エアコンは「on」になっていて、部屋は“ほんわか”だった!>
これからは、“寒い冬”も“暑い夏”も、このエアコンにお世話になることになるなぁ。
そのスケジュールの中でも、“必要性に迫られてきた”ということもあり、
来るべき冬将軍にむけて、新しい機能を備えた「エアコン」を設置することにした。
工事に来てくれた業者さんは、転居前に住んでいたマンションオーナーのご紹介である。
東京に長らく住みついてきた私にとって、こういう“親近感ある関係”は心地が良い。
気楽に相談できるのは、相互扶助的精神が感じられる当地の雰囲気からだろうか。
基本的には、“個人の人柄の問題”かもしれないが・・・
とにかくアットホームである。それに、親しみやすい。
(おせっかいで、無駄話も多少多いけれども・・・ネ)
また、「あの人に聞いてみよう。紹介してくれるかも」という発想が
私自身にも湧いて、実際にもそのとおりに行動してしまうということは、
これまでの大都会生活にはなかった関係性である。
さぁ~て、まずは「エアコン選び」である。
今年の春まで住んでいたマンションでは、管理会社がエアコンの選択を間違って(?)
温度調節の効果が少なく、残念な思いを感じていた。
12畳のリビングに、6畳タイプのエアコンでは・・・やはり厳しい。
ちょっとばかり値段をケチったり(?)したら、あとで(違った意味での)後悔をして
悪影響があるのだと思い知った。
だから、はり込んだ!
ちゃんと12畳~14畳用のエアコンを買い、1階の中央に設置したのである。
おかげさまで、パワー全開!
“朝一番の暖め”などは、びっくりするぐらいの早さである。
エアコンの設置工事が終わり、リモコンの置き場所を壁に打ち付けるとき・・・
工事の人は窓枠の高い位置に穴を開けた。
それは、立った人の目線の位置で、ちょうど目に付きやすい場所ではあった。
しかし、私の脳裏には「車椅子に乗った父の姿」が自然と浮かんできて、
「その位置では手が届かない」と瞬時に感じてしまった。
そして、すぐさま位置を変えてもらったのである。
父と同居する以前の私なら、きっとこういう感覚を抱くことはなかったかもしれない。
けれども今は・・・常に父の状態を意識しながら、何かを感じているようだ。
現実問題として、その必要性があるから、自ずとそういう思考回路になってしまう。
人の意識というのは、“こういうもの”である。
・・・常に変わるし、状況に則して感じ方も変わってくる。
それに、見る角度や、立っている位置によっても、感じ方は変わるはずである。
だから、一人の人間の「心」が“ずっと変わらず、そのままでいる”なんて、ありえない。
“一生、変わらない”なんて、ありえないのだ。
しみじみ、そう思う。
それにしても、“町の風景には障害者用の配慮が、ほとんどなされていないなぁ”。
どのエリアにも、健常者としての意識が感じられる。
今でこそ、駅などでバリアフリーやスロープなどの設置が常識化してきたが・・・
一昔前の工事のものは(ほとんどが)健常者目線で造られている。
また同様に、舗道全般に関しては車(運転者)目線で造られ、歩行者への配慮が乏しい。
“絶対数が多いこと”や“力関係の理由”で、当然といえば当然の流れではあるが・・・
社会には少数派の人々も生活しているわけだから、完全に無視してしまうことは
いかがなものかと思う。
そんなことを考えていたら・・・
なんとなく“社会の傲慢な態度”や“多数派の一方的な考え方”を感じてしまった。
そして、過去の自分自身を振り返ったりして、複雑な感情に満たされてしまった。
「全ての人にとって快適な社会を形成すること」は、かなり難しいとは思うけれど・・・
それに向かって少しでも“協調していく努力”を、気配として感じていたいものである。
でなければ、徐々に心がすさんでいきそうだ。
そういえば・・・
かつての父は、エアコン嫌いだった。
“のどに悪かった”からだと思うが、今は「あったかいなぁ」と気に入っているようだ。
エアコンの性能も上がっているし、昔と比べてかなり機能性が向上している。
長時間つけていても、のどがカラカラになることはない。
人々にとっての快適性を研究していった結果が、ここに結集されているのだろう。
何でもそうだが・・・「努力して、最善を尽くすこと」こそ、大切なことなんだと思う。
「ありがたや~!」技術者さんに感謝である。
<今日帰宅したら、エアコンは「on」になっていて、部屋は“ほんわか”だった!>
これからは、“寒い冬”も“暑い夏”も、このエアコンにお世話になることになるなぁ。