健康

2005年11月22日 | 雑感 -
「身体が、不自由なく、
 自分の意志のままに動くこと」の“有難さ”・・・
いつも忘れている。

「身体なんて、動いて当然だ」と
思っている自分の意識―――本当は、当然じゃないのに、
                  当然だと思い込んでいる。

環境問題が叫ばれるようになって、
やっと言われ始めた“水や空気の有難さ”と同じだ。


     食事をしているとき、歯が痛い父の顔は、どんどんゆがんでくる。
     その顔を見ると、自分まで痛みが襲ってきそうだ。
     そうして、食べている食事の味が変わってくる。
     今日の父は、車から自力で降りることができなかった・・・。
     その巨体を私の肩につかまらせながら、ひきずるように力を加える。
     父の足の痛みが、私の身体をつらぬいていくようだ。


父の暮らしぶりを身近で見て、その日常を介護していると、
こうしていられる“自分の身体の有難さ”を、本当に感じるんだ。
フツーに歩ける。フツーに食べられる。フツーに感じることができる。
なんて自然で、なんて有難いことなんだろう・・・。

パーフェクトではないにしても、
ある程度の「健康」を保ていることに“感謝したい”と、
心から感じてしまう。
この“ささやかなシアワセ”は、
これからも自分で守っていかなければならない。

自分の“ささやかな人生”は、
こうした“ささやかなシアワセ”のもとに成り立っているのだから―。