「身体が、不自由なく、
自分の意志のままに動くこと」の“有難さ”・・・
いつも忘れている。
「身体なんて、動いて当然だ」と
思っている自分の意識―――本当は、当然じゃないのに、
当然だと思い込んでいる。
環境問題が叫ばれるようになって、
やっと言われ始めた“水や空気の有難さ”と同じだ。
食事をしているとき、歯が痛い父の顔は、どんどんゆがんでくる。
その顔を見ると、自分まで痛みが襲ってきそうだ。
そうして、食べている食事の味が変わってくる。
今日の父は、車から自力で降りることができなかった・・・。
その巨体を私の肩につかまらせながら、ひきずるように力を加える。
父の足の痛みが、私の身体をつらぬいていくようだ。
父の暮らしぶりを身近で見て、その日常を介護していると、
こうしていられる“自分の身体の有難さ”を、本当に感じるんだ。
フツーに歩ける。フツーに食べられる。フツーに感じることができる。
なんて自然で、なんて有難いことなんだろう・・・。
パーフェクトではないにしても、
ある程度の「健康」を保ていることに“感謝したい”と、
心から感じてしまう。
この“ささやかなシアワセ”は、
これからも自分で守っていかなければならない。
自分の“ささやかな人生”は、
こうした“ささやかなシアワセ”のもとに成り立っているのだから―。
自分の意志のままに動くこと」の“有難さ”・・・
いつも忘れている。
「身体なんて、動いて当然だ」と
思っている自分の意識―――本当は、当然じゃないのに、
当然だと思い込んでいる。
環境問題が叫ばれるようになって、
やっと言われ始めた“水や空気の有難さ”と同じだ。
食事をしているとき、歯が痛い父の顔は、どんどんゆがんでくる。
その顔を見ると、自分まで痛みが襲ってきそうだ。
そうして、食べている食事の味が変わってくる。
今日の父は、車から自力で降りることができなかった・・・。
その巨体を私の肩につかまらせながら、ひきずるように力を加える。
父の足の痛みが、私の身体をつらぬいていくようだ。
父の暮らしぶりを身近で見て、その日常を介護していると、
こうしていられる“自分の身体の有難さ”を、本当に感じるんだ。
フツーに歩ける。フツーに食べられる。フツーに感じることができる。
なんて自然で、なんて有難いことなんだろう・・・。
パーフェクトではないにしても、
ある程度の「健康」を保ていることに“感謝したい”と、
心から感じてしまう。
この“ささやかなシアワセ”は、
これからも自分で守っていかなければならない。
自分の“ささやかな人生”は、
こうした“ささやかなシアワセ”のもとに成り立っているのだから―。