恥じらい

2005年11月27日 | 介護日記 -
最近の父は、パンツをはかないことが多い。
就寝時は、ほとんど“はいていない”。
下半身だけは何もつけず、寝ているみたいなのだ。
正確に言うと、寝るときは“はいている”が、起きるときには“はいていない”。

      ※深夜の排泄に失敗して、衣服をよごしてしまうので、
        おそらく“最初から脱いでいる”のだと思う。
        あったかい電気毛布があるので、寒さも感じないし、
        本人にとっては“ぬくぬく”で快適らしい。

同居をはじめた頃は、パンツは常に“はいていた”。
それに比べれば、最近は「ちょっと無防備ではないか」と思う。
“男としての自覚が足りない”などとは、毛頭言うつもりはないが・・・
急に誰が来るかわからないし、せめてベッドから出るときには“はいてほしい”ものだ。

しかし・・・
父の不安定に変化する体調や、脳細胞の状態を考えると、
パンツをはかないことが“楽で快適な状態なのだ”ということがよく分かる。
だから、「はいたらどう?」とも言わないし、「はきなさい」なんてことは言わない。
それに、今のところは、日中は“ちゃんとオシャレをしてくれる余裕がある”から、
そう大きな問題でもないのだが・・・。
私としては・・・下半身を、唐突に(それも頻繁に)見せられるのは「!?」である。


今夜は、早い時間から、すでにパンツを脱いでいた。
「もう、寝るつもりなんだな。早いなぁ」

ところが、就寝体勢に入っている父が、“頭を洗ってくれ”と、突然言い出した。

「いいよ」
私は、洗髪シャワー付きの洗面台に促した。
ベッドから起き上がった父は、“下半身まるだし”のまま歩いてきそうになった。
“げげっ、あのまま来るのかな”と思った途端、ちゃんと踵をかえして、
パジャマのズボンを着てくれようとした。

“親子といえども、ちゃんと気を遣ってくれたんかいなぁ”
“まだ、恥じらいは残っているみたいだ”

恥じらう気持ちがあるということは、羞恥心が優っているということ―。
まだまだ父は、ボケっぽいけれど“フツーの老人”の領域にかろうじているのでは・・・
完全なる“ボケ老人”ではないのではないか。
・・・・そう思いたい出来事だった。

そして、なんとなく、ほくそえんだ出来事だった。
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