新鮮な感動

2005年11月10日 | 雑感 -
今日は、木曜日――。
父が日頃通っている医院が、お休みの日である。

そういう日に限って、急に具合が悪くなった父は、ベッドから起き上がれなくなった。
いつものように、急遽予定を変更して、三駅隣の大型総合病院まで車を走らせた。
そこは、今年の七月に休日診療にかかって、応急処置(点滴)をしてもらった病院である。
すでにカルテを作成してあるので、私自身は安心して、ぐったりとした父を促した。


「大きい病院じゃなぁ」

「人が、いっぱいおるわ」

「こりゃ、すごいなぁ」

父は、“かわいい感動”をしていた。
見るもの全てに興味をそそられ、視線は“きょろきょろ”と動きっぱなしだった。
具合が悪いのに・・・。

父は、七月のことを、すっかり忘れ去っていた。
勿論、具合の悪いときに来診しているので、記憶がないことは愕くべきことでもなく、
父と付き合うなかでは(比較的)頻繁にあることだったりもする。

父の反応を見ていると、過去のことはすっかり無かったこととして処理されており、
“今日初めて見ること”として、新鮮な感動を受けているようだった。
当然ながら、大きな感動ではないが・・・確実に“かわいい感動”は感じたみたいだ。
「一粒で、二度美味しい」――そんなキャッチフレーズのごとく、何度となく
感動や刺激、そして驚きなどを受けられる“得な状況なんだろうなぁ”と思った。
おそらく父の場合は、一度深く感動したものに対しても、ふたたび“新鮮な感動”を
覚えることができるのかもしれない。


「新鮮な感動」――。
これこそ、“欠乏感”を感じている現代人にとっては“宝石のような響き”かも・・・。
なんて刺激的な言葉だろう。
今や、この“新鮮な感動”というものは、“貴重なものになってしまった”と思う。
実際「大きな感動」であればあるほど、容易に経験することができなくなってきている。

「感動」は・・・・・
“当たり前のことを(当たり前に)繰り返す日常をおくっている人”にとってみれば、
経験することが厳しいのではないだろうか。
いや、「起こりにくい」「ほとんど起こらない」と断言できるかもしれない。

オートマティカルに物事が進んでいって、動作も結果も予想通りで、さして努力もない。
そんな日常を過ごしていると、「感動」というものには出会えないものである。
それに、“できて当たり前なこと”を、ただ自動的に(日々)繰り返しているだけでは、
“無感動人間になってしまう”――そんな危険性をはらんでいる気がする。
そうしているうちに、(そういう“当たり前ばかりの日常”を過ごしているうちに)
いつの間にか“意識的な行動”を忘れがちになって、通り一遍になってしまい、
挙句の果てには「感性」が廃れてきそうだ。(おぉ、こわっ!)
感性が廃れてくるということは、人間的魅力が半減することでもある。
“オートマティカルで、当たり前の日常”がもたらすものは、かなり大きそうである。
しかし、当然ながら、利点もある。
失敗はしないし、適度に手抜き可能で、余裕があるので余力が残っている。
何より“ヒヤヒヤ”“ドキドキ”がない分だけ、疲れることがない。
おそらく、ある種の“安定感”もあるだろう。
非常に楽な生活だと思う。
こういう日常には、憬れる部分があるけれども、やはり私の性分にはあわないようだ。
「自己成長」や「自己実現」、はたまた「内面的充実」に惹かれる自分自身の志向は、
オートマティカルな日常には“物足りなさ”をどうしても感じてしまうのだろう。

私は、「知的好奇心」がない生活には、興味がそそられない。
決して背伸びすることなく、それでいて“現状に満足しないで”チャレンジしていく―。
そうして、“やったことのないこと”や、“自分の関心事”に正面から向かい合い・・・
もしそのことが成功したら、「スゴイ!」「あたしって、やっぱりステキ!」てな風に
手前味噌に褒めちぎってあげたいものだ。
         (これが、とにかく“ものすごい快感”である!)
それこそ、私が考える「感動」の一つでもあり、「生きる喜び」なのかもしれない。
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思い込み

2005年11月08日 | 雑感 -
「人間は、“思い込み”の動物である」。
これは、二十年前ぐらいから、人生訓のようにしてきた言葉だ。
私自身で“どれだけ自分勝手に思い込んでいるか”という・・・ゆるぎない現実のもと、
私は常に(様々なケースでもたらされる)“自分の判断”を疑ってきた。
ある意味では、自分の思考の特徴や傾向だと言えるだろう。
また、思い込みが助長しないように、自分が常日頃“気をつけていること”でもある。
そのおかげで、たくさんの発見をしたことがあったし、選択&決断の助けにもなった。
・・・良いことばかりではなく、“ふりだし”に戻らざるをえなくなったこともあるけどネ(笑)。


今日もまた、“思い込み”の加減を、父の動向によって知ることになった。

それは・・・今年の九月以降、お風呂に入らなくなっていた父が、何の“障害”も無く、
自宅の狭い風呂場で入浴できたから・・・だ。

これまでバスタイムを楽しめていなかった私が“これじゃいかん”と思い至り、
今日は・・・ゆっくりと入浴しようと思った。
バスダブにお湯をはって、のんびりと時間を過ごした後で・・・
びっくりするものを目撃した。
誘ってもいないのに、服を脱ぎだして入浴準備にはいった父――である。

それまでは、何度誘っても駄目だったし、サポートすると話しても動かなかったのに、
今日は自発的な行為だった。
完全にボケてしまって、「“過去の記憶”や“自分の意識”を忘れてしまったのかも」と
父に確認してみたが、そうでもないようだ。
動けなくなったことは記憶していて、入浴前には「ひきあげてくれよ」と一言かけられ、
入浴後も「あかんと思うたけれど、いけたなぁ」と感想をこぼしていた。

父は、何故・・・自発的に入浴したのだろう?
「時間」が経って、“父の記憶”が変化してきたのだろうか。
心の中で、ゆっくりと“わだかまっていたもの”が、解けてきたのだろうか。

はたまた、私が(自分の価値基準のもとに)入浴を強く誘っていたことが、
父の“不安”をかきたて“恐怖心”をあおっていたのだろうか。
それで、入浴を拒否しなくてはならないほどの“思い込み”を助長していたのだろうか。
本当に不思議なことだ。(よくわからん)

どちらにしても、無事に事なきを得て、本当に良かった!
ことの真偽は分からずとも、父の“思い込み”を“父自身が解いた”ことは事実である。
それが何よりも、嬉しいことだった。


人間は、常に思い込む。
その思い込みは、自己防衛を生む。
しかし・・・その自己防衛が間違った方向に働いてしまったら、
“自分自身”や“自分のあらゆる可能性”を阻んでしまうものである。
スタート地点から、達成率を下げているなんて、なんて馬鹿げたことだろう。

また、“思い込み”は、いろいろな“悩み”や“トラブル”を引き起こすことがある。
実際、それらの原因は、何気ない“思い込み”だったりすることが多い。

たとえちょっとした“思い込み”でも、自分では自覚がなかったりして・・・人間は、
不思議な心の癖で、そういう“様々な先入観”をつくり上げていくものなんだろう。


これまでの経験で・・・・・
自分自身の“思い込み”と向き合って感じたことは、
「自分の決め付けたレッテルの存在に気づくこと」が何よりも大切だということ――。
そして、その事実を見据えたら、我に返り・・・即座に「原点に戻ってみること」である。
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茶碗洗い

2005年11月07日 | 出来事 -
この数日間、父は具合が良いようだ。

食事の後の“茶碗洗い”を、久しぶりにしてくれている。
ゆっくりとした動作で、腰をタップリと曲げた姿勢で、
一つ一つを洗ってくれる。

しかし、よく見ると・・・
ネギの刻んだヤツとか、ご飯のつぶとか、味噌汁の卵のかけらとか、
小さな汚れがこびりついている。
時間はかかっているものの、“茶碗を洗う”という作業そのものは、
大雑把に“ざっくり”と洗うので、キチンと奇麗になっていなかったりで、
結局もう一度洗うこともしばしばである。

それでも、大きな声で「お礼」を言うようにしている。
「洗ってくれているん?ありがとう~!」
そうすると、何の発言もないが・・・おもはゆい表情で、こくんとうなずいてくれる。

毎日、洗ってくれると良いのになぁ。
やっぱり「楽」だし、(世の主婦層の気持ちがよくわかる)
何より“父の具合が良い”ということは、非常に“喜ばしい”ことである。

風呂好き親子

2005年11月06日 | 雑感 -
風呂好きの父が、自宅でお風呂に入らなくなってから久しい。

私たちは、風呂好き親子である。
昨年の父は、私の帰宅時間を見計らったように、たっぷりのお湯をはって
ゆっくりとお風呂に入っていた。
父は、一人で入るのは“もったいない”と思うらしく、自分が入った後に
「冷めるから、早く入れ」と、よくせかされた。
これは、毎日のことだった。
ほぼ毎日、この行為は繰り返されてきた。
今年に入って、父の具合は悪くなっていって、足の運びも極端に不自由になり、
自宅でお風呂に入らなくなった。
今年の九月に、入浴中に動けなくなってから、全然入っていない。

   ※父は、今「デイサービス」で入浴している。


私は、自分の好きな時間に入浴できるようになってから、気がついたことがある。
自由なはずなのに、“ゆっくりと入浴しなくなった”ということだ。
「お風呂でのんびりすると、父に申し訳ない」と思う気持ちは多少あるのだが・・・
過剰に気を遣うほどの関係ではない。
だから(正直に言うと)そのことは全然気にしていない。

それよりも・・・
父と同居をはじめてから、14ヶ月――
私の生活のリズムというのは、「父の影響をかなり受けていた」という事実だ。
私にとっての「入浴」は・・・父の入りたい時間に、父の入りたいと思う入り方で、
“常に入っていたんだなぁ”と思い知らされたのだ。

人は、誰しも・・・誰かの影響を自ずと受けているものである。
家族の間でも、お互いに気を遣ったりすることはあるし、
自覚がないままに何らかの制約を受けたり、束縛されていたり、
常に“周りにいる誰かに、様々な影響を受けている”ものなんだろう。

思い返せば・・・
一人暮らしの頃は、自由に、入りたいときに“お風呂に入っていた”。
真昼間から、本を持ち込んで、半身浴をしながら二時間近く入浴していたりもした。
入浴&サウナは、ストレス解消の一端を担っていて、私にとっては意義ある行為だから、
まさに“入りたいなぁ”と思ったときが“入り時”だったのである。

今は、どうだろう。
自由に入れるようになってからでも、一人暮らしの時のような“入浴”にはならない。
そういうことも可能なのに、自分では“そうしていない”。
何故だろう・・・と思う。
やはり、私の生活は「父の影響をかなり受けている」ということのようだ。
それは、きっと時間的制約ではない。
おそらく、目に見えない抑圧として、私の中に巣作っているものがあるのだ。
“自由でいながら、自由ではない状態”が、「今の私の日常」なのかもしれない。
そんな気がする。

お風呂好きの私が、ゆっくり入浴しないのは、良くないぞ!
疲れがとれない。(それは、よくないだろう?!)
第一、あれだけ大好きな「お風呂」なのに、“思い存分楽しんでいない”ということは、
“私自身の人生を楽しんでいない”ということでもある。
全く、困ったもんだ~なぁ~~。
反省すること至極である。


一人暮らしの長かった私は、「孤独」というものを熟知している。
常に隣り合わせに感じてきたし、「ひとりぼっち」の寂しさや心細さを痛感してきた。
そんなときは・・・“誰でも良いから、傍にいてほしい”と思ったものだ。
あの頃の私は、確実に「孤独」だった。
“孤独だった”けれども、その反面、明らかに“自由だった”のも事実である。
好きな世界で、やりたい仕事をして、日々の暮らしの中にも充足感を感じていた。

世の中には、“自由を手にしても、孤独を寄せ付けない人”がたくさんいると思うが、
私は不器用なところがあって、その上に生真面目だから、なかなか思うようにならない。
今は、自分の“感情のイロハ”を自覚し、“感情をコントロールする能力”を鍛えるため、
ただただ「“自己練磨に費やす時間”を大切にする」のみである。
これもまた、我が“健気な生き方”と割り切ってはいるのだが・・・
いつの日にか「“心豊かに活き活きと暮らせる日”が来る」ことを、願ってやまない。
それは、私にとって・・・すごく理想的な世界なんだ。
そして、同様に・・・私が“心から憬れている境地”なのである。

珍事件

2005年11月04日 | 出来事 -
本日・・・またまた発見!

和室に敷いていたマットの“びらびら”が、すっかり切り取られていた。
まわりには綿毛糸が散乱して、切り刻まれたマットは“はげ山”状態である。
 (びらびらの毛足が長いから、余計感じが良いマットだったのに・・・)

「父だぁ!」

私がやっていなければ、父しかいない・・・。

 
父は、何故か“「びらびら」したり「ぶらぶら」したりしている物”を嫌う。
オーバークロス、スポーツパンツのラインなど、“飾りのための装飾品”も駄目だ。
大きなボタン等も同様で、すぐに切って無くしたり、取り除いてしまったりする。
(「オーラの泉」的発想ならば)前世に何か因縁でもあるのだろうか。


昨夏、父が、当地に着いてすぐのことである。
着替えの少ない父に、紳士物の「白いジャケット」(一応ブランド物)を貸してあげた。
  私は“ビッグサイズの洋服”を、ざっくりと着こなすのが好きである。
  だから、紳士用のシャツやジャケットを、たくさん持っている。父に渡したものは
  ブランド物だったし、私としては(あくまでも)一時的に「貸す」つもりだった。

ところが・・・数日後、その「白いジャケット」は、突然“切り刻まれていた”。
ボタンだけは取り外されてキープされていたが、それ以外はすっかり布切れになって、
テーブルの上に盛られていた。
そして、ご丁寧にも、四角い“ハンカチサイズ”に切り刻まれていたのである。

「鼻ふきにしなはれ!」

「へっ?」

言葉が出なかった。
かなりショックだった・・・。

呆れた。

何故“切り刻んだのか”というと、「サイズが大きくて、袖が長い」から。
そして、「手元についている(デザイン的にはgood!)装飾が気に入らなかった」から。

「あぁ~~、そうかい・・・」「そうなのかい・・・」「そうだったのかい・・・」

落胆した。


高価なモノや、自分が大事にしているモノは、“父の目の前にさらしてはいけない”と
しみじみ思った。
大好きなクロスや、ストールなどは、必ず自室に持ち帰り、保管するようにしている。
もちろん、「びらびら」を保護するためだ。
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故郷に帰りたい

2005年11月03日 | 雑感 -
「いつ帰るんか?」
「今度は、いつぞ?」
今日、久しぶりに聞かれた・・・。
父は、“四国に帰りたい気持ち”が、どんどん募ってきている。

しかし、もう「一人で帰る」とは言わなくなった。

今年の五月には、“けんかごし”で言い張って、頑固に主張したのに・・・。
今の父の状態では、“一人では厳しい”と、感じているのだろう。

結局、一人で帰省した五月末は、大変な騒動になってしまった。
車椅子で移動して、完全なケアを準備したつもりではあったが・・・
入れ歯は無くすし、薬は飲み忘れるし、親戚のご厄介になって
ついには救急車で運ばれて「緊急入院」してしまった。
それまで「一人でも“できていたこと”」が、できなくなったのだ。
その事実を突きつけられ、私にとっては非常にショックなことでもあった。

「入院」は、いつも“突然の出来事”だ。
たとえ(入院期間は短期間でも)、私が帰省しないわけにはいかず・・・
スケジュールは大きく狂わされる。
そういうことは、これまでの数年間で何度も何度も経験したことではあるが、
いつも“(私自身の)複雑な感情”に疲れ果ててしまう。


今日、排泄がうまくいかない父に、提案をしてみた。
「泌尿器科にみてもらって、検査してもらおうか」
私の言葉に、父はあきらめたように答えた。
「あかんよ。かわらんよ」
「・・・もうええよ」
去年は頻繁に泌尿器科に出向いていたのに・・・。
自分から「行きたい」を繰り返していたのに・・・。

この反応の変化は、とても大きい。

父の中で、何かが変わりはじめている。
それを感じる。


田舎に帰りたいのは、実家やお墓が気になるだけではないだろう。
勿論、生まれてからずっと過ごしてきた故郷を、父が何よりも恋しいと思うのは当然だが、
おそらく、それだけではないだろう。

今日、私が感じたことは・・・
「誰かに“自分の心情を吐露したい”と思っているのではないだろうか」ということだ。
「隣のマサユキさんに愚痴りたいんじゃないかなぁ」・・・自分自身の身体の状態や、
情けない気持ち、死の恐怖、無常感、そして、日々の複雑な思いを・・・。
  (マサユキさんは、幼なじみで、小学校からの同級生である)
そんな印象を抱いてしまって、私はとても切なくなってしまった。

私が聴いてあげればいいのだけれど、“私には話せないこともある”と思う。
父にとっての“生活”そのものは、まさに「私との二人だけの生活」である。
日々の“愚痴”も“嘆き”も、当然“私がらみの話になってしまう”はずである。
実際、愚痴を聴いた私は、いつも勇気付けたり、前向きに考えて対処するのだけれど、
当事者である父にとってみれば“負担に感じることもある”と思うんだ。
たとえば、元気づけようとしたことが、逆にプレッシャーを与えたりすることもある。
「前向き」ということが、常に“有効的に作用する”とは限らないかもしれない。
私が、父と同じ土俵にたって物事を考えることは、非常に厳しいことだと感じる。
話を聴くことはできたとしても、何の反応もしないわけにもいかず・・・どうしても
私は“自分の感覚で返してしまう”。
そのために、父に対して、何らかの違和感を与えてしまうことは当然だと思うんだ。
それに、「こうすれば良いじゃない」という提案さえも、時として(父にしてみれば)
大きな精神的負担になることもあるのではないだろうか・・・。

だから、「私」ではなく・・・
客観的に聴いてくれる誰かに話したいんじゃないかと・・・そう思ったんだ。
マサユキさんなら、同じ目線と感覚で、父の思いを受けとめられるはずだ。
父は、そういう誰かに、ただ話したいんじゃないかと・・・。


今日の父の“ひとこと”――
「あかんよ。もうええよ」という言葉が、耳から離れない。
その声のトーンや、憂いの加減が、胸に迫るものがあって・・・なんとなく“つらい”。
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マヨラー

2005年11月01日 | 食事 -
父は、「マヨラー」である。
私が物心ついた頃から「マヨラー」だったので、“生っ粋のマヨラー”だろう。

今晩のメニューは親子丼、野菜餃子、味噌汁、ブロッコリーのサラダ、
というバランスのとれた献立だったが・・・
いきなりマヨネーズを、親子丼に“とぐろ巻き状態”で、ぶっかけられた。
豪快に三回まわして、やっとキャップを締めてくれた。

「へっ?!」 
       
横目で見ながら、がっかり・・・した。

いつもよくあることではあるが、やっぱり軽いショック症状に陥る。
ちゃんと味もついてるし、塩加減などなど“お味”の調味は考えているつもりだから、
「何が何でもマヨネーズをぶっかけなくても良いんじゃないかなぁ」と、いつも思う。

食文化は、人間の“個”を形作っている基本的なものである。
人其々の“好み”を、変えることはできないし、強要してまで変えようとも思わない。
「好きなものぐらいは食べさせてよ」と思う私は、「やめて」なんて言うつもりもない。
しかし、調理者としての私は、ちょっとばかり落胆をしてしまう。
自分がつくり上げた味が受け容れてもらえず、拒否されたような感覚に近いものだろう。

父のマヨネーズぶっかけ皿(椀)は、本当に意外なものまであって、誠に“幅広い”。
味噌汁だって、マーボ豆腐だって、蕎麦やソーメンだって・・・何だって大丈夫だ。
ミートソーススパゲッティなんてものまで、大丈夫だよ。
いつも、“とぐろ”で、ぶっかけているもん。

父の多彩な「マヨラーセレクト&ぶっかけマヨネーズ」を見たとき・・・
「気持ち悪い」と思いながら、好奇心旺盛な私は「どんな味かなぁ」と思ってしまい、
お皿の隅にちょっぴりのマヨネーズを盛ってみる。
「はぁ~ん、なるほど」と納得するものもあり、やっぱり“いただけない”ものもある。

そんな日々を繰り返しているうちに・・・
一様に「気持ち悪いなぁ」と思っていた私も、いつの間にかマヨネーズを片手に、
「マヨラー予備軍」になってしまった。
しかし、父に比べれば“まだまだヒヨっ子”で、人目が気になる「マヨラー」である。
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