日本にはいわれのない差別がある。とか、、エタ()と呼ぶ差別がそれである。顔形が同じ日本人なのになぜそのような差別が生まれたか。歴史を辿っても、起源がよくわからないし、定説もない。
ところが、たまたま読んだ「逆説の日本史 第22巻 西南戦争と大久保暗殺の謎」(井沢元彦著)の補遺編に納得できる解答を見つけた。しかし、「民差別」の起源を説明する井沢氏の論理は、護憲派を批判する方向に展開する。
「動物を殺すこと、その肉を食べることをタブーとしない先住の縄文人がいるところに、肉など食べなくても生きていける稲作民族である弥生人が優秀な武器(青銅器・鉄器)を持って侵入し、縄文人を征服支配し隷属させたために生じた差別・・・」と井沢氏は説明する。
つまり、差別は二千年数百年も昔から存在したということになる。牛や豚を日常的に食べ、皮革製品を日常的に使用する現代人が、そのを生業とする人々を差別するのは理不尽な話だが、現実にはその差別は存在する。
さて、弥生人は九州から勢力を広げ、まず西日本を制圧したから、差別は西日本に厳しく残り、東日本には少ない。そして、天皇家の宗教儀礼には大嘗祭など稲作に関するものはあっても、「血や肉」に関するものはない。
朝廷の行動様式の基本は穢れ忌避だから、奈良時代までは天皇が亡くなるたびに遷都した。平安時代になると経済性の理由で遷都は廃止されたが、朝廷は治安・軍事を東国の武士たち、すなわち縄文人の末裔に任せるようになった。天皇家は軍事権を放棄したが、天皇家は神の子孫であり、他の家系も取って代わることはできないということと、穢れからもっとも遠い存在であることで権威が維持された。
元寇の時に嵐が来たとはいえ、上陸した元軍を追い払ったのは鎌倉武士だが、朝廷は武士たちになんの褒美も与えなかった。勝利は神風すなわち神の力だと考えたのである*。
すなわち、日本人には「軍事は悪」という深層心理があったが、それでは国の安全保障に支障が起きるので、明治時代になると中国の朱子学と日本古来の神道をミックスした思想を創造した。それが昭和20年の敗戦とともに,一気に平安時代の「穢れ忌避」にまで戻ってしまった。すなわち、憲法9条を守れば戦争は起きないという護憲派の思想であり、神に祈れば戦争に勝てると考えた平安時代の朝廷の思想に通じるものである。
しかし、それでは自衛隊の存在をどう説明するのか。自衛隊の存在は認めないが、仕事だけはやってほしいという護憲派の主張は自衛隊員に対する差別にほかならない。
井沢氏の主張の概略を述べたが、理路整然としており、私には反論の余地が見つからない。
(注)日本側の資料にも元側の資料にも、日本の勝因は台風だと記されている。しかし、実際には元軍は地上戦で鎌倉武士に敗れたのだ、という説がある。日本の朝廷としては、鎌倉武士の奮戦を認めたくなく、勝因は八幡神の霊験によるものとしたかった。一方、元としても、武力で日本に敗れたと認めたくなかったので、台風のせいにした。つまり、台風は両サイドのでっち上げだという。そして、井沢氏は“神風でっち上げ”説を支持している。