(以下は、旧勤務先のOB会報に投稿したエッセイを修正したものである。)
カジノ法案が国会で可決され、数年後には日本のどこかにカジノがいくつかお目見えする運びとなった。その一方でカジノ依存症の懸念が取り沙汰されている。だが、私がカジノ依存症になることはありえない。以下、そのわけを説明したい。
1970 年代の始め、私が某商社の ニューヨーク支社勤務だった頃、たまたまロサンゼルスに出張する用事ができた。仕事は金曜日に終わり、土曜日の朝のフライトで NY に戻る予定だった。 しかし、かねてより行きたいと思っていたラスベガスに立ち寄ることを思いつき、LA → NY のエアチケットを LA → Las Vegas → NY に切り替えて、追加料金を自費で払った。土曜日の昼ごろにラスベガスに到着し、その日の夜のフラ イトで NY に戻る日帰りのスケジュールである。もちろん一人旅だ。
賭け事に弱い私としては、カジノで儲けること は期待せず、半日楽しく遊んで損しなければ上出来と考えた。それでも事前に勉強しておくことは必要だから、ギャンブルガイドを購入して熟読した。そして、ルーレットとブラックジャックに狙いを定めた。
飛行機の窓から見ていると、砂漠の真ん中に光り輝くラスベガスの街並みが忽然と現れた。まるで蜃気楼のようだった。 空港からホテル街の中心までタクシーで僅か10 分。さぁ、憧れのラスベガスにやってきたぞ! どのカジノホテルに入ったかの記憶は ないが、ともかくチップを 300 ドル買った。 当時の私としては、思い切った大金である。
行動プランとしては、先客にまぎれて小出しにチビチビ張りつつ、まず雰囲気に馴染むこと。本格的に賭けるのはそれからにする。だから、人だかりしている台を選んだのだが、私が席についたとたんに、そのテーブルにいた客が一斉にいなくなり、私だけがディーラーと向き合う 形になってしまった。
「まずは小出しにチビチビ張る」という作戦は、ディーラーと差し向いになると不可能だった。 ルーレット台に1枚とか2枚のチップがあるだけでは、サマにならないし、後ろに見物人もいる。つい見栄を張って、一度に何枚ものチップを複数のマスに張ったから、300 ドルのチップが全部消えるまで15分もかからなかった。 心の中ではショックだったが、顔には出さず 「時にはこんなこともあるさ」というような表情を浮かべて、その場を去った。ブラックジャックは残念ながら諦めざるを得なかった。
帰りのフライトまで何時間もあったはずだが、どのように時間を潰したかの記憶はない。多分、スロットマシンで遊んだのだろう。到着したときのワクワク感はどこへやら、落ち武者気分でラスベガスを後にした。
その後ラスベガスを訪れたのは、勤務先を早期退職して LA に住むようになった 20 数年後である。ワイフと何遍も行ったが、ギャンブルは全くやらなかった。昔の苦い経験がトラウマになっていたのである。
では何を目的にラスベガスに行ったのか。それは高級レストランでの優雅な食事やブティックでのショッピング、そしてステージショ ウ。特に、「O」(フランス語の eau は水の意) は、舞台が広いだけでなく高さもあり、30 メー トルほどの高飛び込みがエキサイティングだった。豹が出 てくる大仕掛けのマジックショウも楽しめた。 要するに、私にとっての ラスベガスとは、非日常的贅沢を楽しむ場所な のである。
さらに、ラスベガスは街中がディズニーランド のようなもの。野外の海賊船ショウ、色とりどりの光線でライトアップされる噴水のショウ、 高い天井に映し出される青空がいつの間にか星空に変わる大回廊などがすべて無料。時間が経つのを忘れるくらいだ。ラスベガスはエンタテインメント性満点の街で、ギャンブルなんかしている暇はないのである(笑い)。
話をギャンブル依存症に戻す。そもそも、パチンコ依存症の人たちを放置しておきながら、カジノ依存症を懸念するのは筋が通らぬ。パチンコ店は日本国中どこにでもあり、入場料はゼロ。一方、カジノは入場料が6千円 と高額で、回数にも制限があり、そして住まいから離れたところにある。その両者を同列に比較するのはナンセンスだ。
それでもカジノ依存症になる人はいるかもしれぬが、そういう人は 所得が多いはずで、依存症になっても生活に困るようなことはあるまい。政府がそんなオツム の弱い高所得者の心配をする必要はない。
日本にできるカジノがラスベガスのような楽しい場所なら私も行きたいが、ギャンブルする気は毛頭ない。そういうわけで、私がカジノ依存症になることはあり得ないのである。 終