最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

感動!永田和哉先生の生き方

2006-02-22 17:56:53 | 医療と健康
私は、脳外科医永田和哉先生に手術をしていただいたわけでもなく、
診察を受けたことがあるわけでもないので、実際にお会いしたことはなかった。

単に2年足らずのネット上のおつきあいであった。
先生のホームページはくも膜下出血を経験した私には
とても有用なことなどが書かれていて何度も読み返した。
自分の本を出したり、ホームページを作ってみたりした時に、
有名な先生のサイトには珍しく掲示板がついていたので、
私も参加してみたくなって恐る恐る書き込み(忘れもしない2004.8.25)をして、
自分がくも膜下出血になったこと、ホームページを作ったことなどを書いてみた。
するとすぐにお返事を下さり、暖かい言葉を下さった。
相互リンクも付けて下さった。
それからはやみつきになり、何度も書き込んでみたり、
自著「しぶとく生き残るためのヒント」をお送りしたりしたが、
そのたび、お返事を下さった。

先生のホームページには先生の意見や、お仕事の様子などが、書き込まれていた。
脳神経外科医として真っ向から病魔と勝負する様子にはいつも「すごい!」と感じた。
掲示板で知り合った、ネット友達とも楽しい関係が出来た。
皆、脳神経外科関係の患者さんだ。

そんな関係でしかないのに、先生が御危篤という報に接した時、
何故か、ものすごいショックを受けた。
そして、どうしても最後のお別れがしたくて今日、
先生の掲示板で知り合った、
わはは@むーむーさんと一緒に告別式に参列させて頂いた。

そこで、何故私がこんなにショックを受けたのかが分かった気がした。
先生は、4年前からお亡くなりになるまで
NTT東日本関東病院の脳神経外科部長を務めていらしたが、
その病院のご勤務が決まる時に
ご自分がガンに冒されていることをお知りになったそうだ。
それからは、手術、抗ガン剤とご自分の闘病を続けながら、
脳神経外科医という過酷なお仕事を人の何倍も精力的に続けられていた。
マスコミにも登場し、色々なところで名医といわれ
先生の手術を受けたくて全国から来る患者を一人でも助けようと、
自分自身をむしばむ病魔と闘いながら、長時間の手術もこなしていたとか。

そうその気迫が、あの先生のホームページ「脳と健康のホームページ」の中に
あったのよね。

会場に流れていたビデオで先生が
「医者のやることはまず、患者さんの痛み、苦しみを分かること」
とおっしゃっていたのと
最後に奥様が
「主人は早くに逝ってしまいましたが、皆さん気の毒と思わないで下さい。
 とても幸せな一生でした」
とご挨拶されたのが、心に迫りました。

48才で天に昇ってしまった先生。
飛行機操縦がご趣味でしたね。
思い切り飛び回って下さい!


コメント (10)
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