母は末期癌だそうです。
今日までの様子です…
1月17日(土)
土曜日、1時に母の担当医から話があると14日(水)に
病院から携帯に電話があってから、何となく悪い予感がしていました。
でも木、金と母の様子はどんどん良くなって、痛みも熱もなくなってきたというし、
顔色もだいぶ良くなってきたので、そうでないと、必死で思おうとして、
入試の時に合格発表を見に行く気持で病院に行きました。
ナースステーションで、要件を告げ、姉と、「大丈夫だよね」と言い合いながら、
ラウンジで待っていました。しばらくすると看護婦さんに案内され、部屋に通されました。
医師の様子で、これは悪いとすぐにわかりましたが、思ったよりずっとずっと悪い話でした。
母は膵臓、肝臓その他、開ければ、癌がお腹の中にいっぱい広がっている。
末期で、もう打つ手はないということです。
抗ガン剤を使ったとしても、多少最期を伸ばすことが出来るかどうかという状態だそうです。
これからどんな風に癌が広がってどんな症状が出てくるかは、全くわからないが、
苦しむ場合もあるし、案外楽なこともあるし、それは医師にも分からないということでした。
食事を今日から開始して、もし、食べられるようなら、すぐに退院ということにしましょう。
もう少し良くなってからと言ってるともう帰れなくなりますからと言われた。
人間はいつか終わりが来ることはわかっていましたが、
つい半月前には全く元気にしていた人が、いきなり末期癌だなんて
………そんなことがあるんですね…
何とか、痛みもなく、すこしでも苦しみのないように願うだけです。
母には膵炎を起こしていると説明することにしました。
病室に行くと母は昨日よりまた気分がいいということで
夕食が出るということで大喜びしていました。
1月18日(日)
昼に病院に行くと、ちょうど昼食を食べていました。
3分粥とスープ、麩の煮たもの、みかんのゼリーでした。
ゼリーは食べたくないと言いましたが、他は食べられました。
昨日の夕食は食べたらちょっと、痛くなったけど、朝食と昼食は大丈夫、熱もないし、トイレも順調。
この調子なら、すぐに退院できると、退院してからあれもこれもという話ばかり。
あまりに元気そうなので、昨日の話は、ウソだと思ってしまいます。
1月19日(月)
今日の母は、とても疲れている様子だった。
シャワーを浴びたそうだ。普通なら、1週間ぶりだったので、
さっぱりするのに、グッタリと疲れてしまったようだ。
いつもおしゃべりな母が、最初座って話していたのに自分から横になって辛そうなので、
姉としばらくラウンジに言って話をして病室に戻ると寝ていた。
声をかけて帰ることを告げると、ちょっと気持ち悪いと言った。
熱も少しあるようだった。辛くなったら看護婦さんを呼ぶようにと言ったら、
「わかってるって。ちょっと寝れば治るわよ !」と相変わらず強気。
1月20日(火)
食事も普通食に近いものが夕べから出されたようだ。
夜中にお腹が張って苦しかったけど、当直医師の指示がなかったのか、
下剤の座薬を出してもらえず苦しかったとか。痛み止めを飲んだら大分楽になって、
朝、座薬をもらって出したら、快調になって朝食と昼食は全部食べられた。
「どんどん良くなってるのよね」と言っていた。
姉に帰りに聞いたら、医師から、
「何とか食べ物が収まるようなので、一度退院しましょう」
と、言われたそうだ。母は一人暮らしだし、どういう風にしようか…
一応、しばらく姉が泊まり込んで面倒を見ようということになりました。
その後はどうなるか……。その時に考えることにして…
今日までの様子です…
1月17日(土)
土曜日、1時に母の担当医から話があると14日(水)に
病院から携帯に電話があってから、何となく悪い予感がしていました。
でも木、金と母の様子はどんどん良くなって、痛みも熱もなくなってきたというし、
顔色もだいぶ良くなってきたので、そうでないと、必死で思おうとして、
入試の時に合格発表を見に行く気持で病院に行きました。
ナースステーションで、要件を告げ、姉と、「大丈夫だよね」と言い合いながら、
ラウンジで待っていました。しばらくすると看護婦さんに案内され、部屋に通されました。
医師の様子で、これは悪いとすぐにわかりましたが、思ったよりずっとずっと悪い話でした。
母は膵臓、肝臓その他、開ければ、癌がお腹の中にいっぱい広がっている。
末期で、もう打つ手はないということです。
抗ガン剤を使ったとしても、多少最期を伸ばすことが出来るかどうかという状態だそうです。
これからどんな風に癌が広がってどんな症状が出てくるかは、全くわからないが、
苦しむ場合もあるし、案外楽なこともあるし、それは医師にも分からないということでした。
食事を今日から開始して、もし、食べられるようなら、すぐに退院ということにしましょう。
もう少し良くなってからと言ってるともう帰れなくなりますからと言われた。
人間はいつか終わりが来ることはわかっていましたが、
つい半月前には全く元気にしていた人が、いきなり末期癌だなんて
………そんなことがあるんですね…
何とか、痛みもなく、すこしでも苦しみのないように願うだけです。
母には膵炎を起こしていると説明することにしました。
病室に行くと母は昨日よりまた気分がいいということで
夕食が出るということで大喜びしていました。
1月18日(日)
昼に病院に行くと、ちょうど昼食を食べていました。
3分粥とスープ、麩の煮たもの、みかんのゼリーでした。
ゼリーは食べたくないと言いましたが、他は食べられました。
昨日の夕食は食べたらちょっと、痛くなったけど、朝食と昼食は大丈夫、熱もないし、トイレも順調。
この調子なら、すぐに退院できると、退院してからあれもこれもという話ばかり。
あまりに元気そうなので、昨日の話は、ウソだと思ってしまいます。
1月19日(月)
今日の母は、とても疲れている様子だった。
シャワーを浴びたそうだ。普通なら、1週間ぶりだったので、
さっぱりするのに、グッタリと疲れてしまったようだ。
いつもおしゃべりな母が、最初座って話していたのに自分から横になって辛そうなので、
姉としばらくラウンジに言って話をして病室に戻ると寝ていた。
声をかけて帰ることを告げると、ちょっと気持ち悪いと言った。
熱も少しあるようだった。辛くなったら看護婦さんを呼ぶようにと言ったら、
「わかってるって。ちょっと寝れば治るわよ !」と相変わらず強気。
1月20日(火)
食事も普通食に近いものが夕べから出されたようだ。
夜中にお腹が張って苦しかったけど、当直医師の指示がなかったのか、
下剤の座薬を出してもらえず苦しかったとか。痛み止めを飲んだら大分楽になって、
朝、座薬をもらって出したら、快調になって朝食と昼食は全部食べられた。
「どんどん良くなってるのよね」と言っていた。
姉に帰りに聞いたら、医師から、
「何とか食べ物が収まるようなので、一度退院しましょう」
と、言われたそうだ。母は一人暮らしだし、どういう風にしようか…
一応、しばらく姉が泊まり込んで面倒を見ようということになりました。
その後はどうなるか……。その時に考えることにして…