今日は父の29回目の命日です。
29年ていうと、もう大昔のことですが、
あの日のことは鮮明に憶えています
29年前、1980年4月26日は土曜日でした。
このころにしては夏のような暑さが急に来た日でした。
私は近所の団地の公園で、上の子(当時5才)を遊ばせていました。
お昼少し前だったと思います。夫が息を切らせて走ってきて
「お父さんが倒れて救急車で病院に運ばれたって!」
と言うので、慌てて家に帰り、子どもを義母に預けて車で病院に駆けつけました。
実家は私の家の近くなので、病院も車で10分くらいのところでした。
着いて、病室を確かめ階段を上っていくと、母に会いました。
「どう?」
と聞くと、母はただ首を振りました。
病室に着くと、ちょうどストレッチャーからベッドに移すところでした。
廊下で待つようにいわれ、しばらくして医師が出てきて
「これだけひどい発作で助かった人を私は見たことがない。覚悟してください」
と言われた。ひどく苦しそうな呻き声を一定の間隔であげていた。
脳圧が高まった時に出るのだとドクターが言った。
間もなく、気管切開をして声は止まった。
そして、心臓に電気ショックをかけたが、もう動かなかった。
その間わずか2~3時間だった。
死亡診断書には「心脳卒中」と書かれていた。
そのころ、もうCTはあったが、検査する間もなく、解剖もしなかったので、
はっきりした死因はわからないが、「くも膜下出血」だったと思う。
父は中学の国語の教師だったが、その年3月に定年退職している。
退職してわずか26日目だったということだ。
母の話によると、退職金の運用のことで銀行の人が自宅に来て、書類を書いている時、父が突然、
「ちょっと、ここ、代わりに書いてくれないかな?」
というので
「どうしたの?」
といって母がそばに行くと、とても気分が悪そうだったので
「横になった方がいいわ」
と立ち上がって寝室まで歩いていってベッドに入ろうとした途端に激しい痙攣を起こし、嘔吐したということだ。
意識もないので慌てて救急車を呼んだそうだ。
母はもうその時からずっと一人暮らしだった。
孫も3人もいたので、いい年だったような気がしたが、55才だった。今の私より若い!
今頃父に、父の見ることのできなかった29年分のこの世のできごとを教えて、楽しく語り合っていることだろう。
書いていたらもう27日になってしまいました。
29年ていうと、もう大昔のことですが、
あの日のことは鮮明に憶えています
29年前、1980年4月26日は土曜日でした。
このころにしては夏のような暑さが急に来た日でした。
私は近所の団地の公園で、上の子(当時5才)を遊ばせていました。
お昼少し前だったと思います。夫が息を切らせて走ってきて
「お父さんが倒れて救急車で病院に運ばれたって!」
と言うので、慌てて家に帰り、子どもを義母に預けて車で病院に駆けつけました。
実家は私の家の近くなので、病院も車で10分くらいのところでした。
着いて、病室を確かめ階段を上っていくと、母に会いました。
「どう?」
と聞くと、母はただ首を振りました。
病室に着くと、ちょうどストレッチャーからベッドに移すところでした。
廊下で待つようにいわれ、しばらくして医師が出てきて
「これだけひどい発作で助かった人を私は見たことがない。覚悟してください」
と言われた。ひどく苦しそうな呻き声を一定の間隔であげていた。
脳圧が高まった時に出るのだとドクターが言った。
間もなく、気管切開をして声は止まった。
そして、心臓に電気ショックをかけたが、もう動かなかった。
その間わずか2~3時間だった。
死亡診断書には「心脳卒中」と書かれていた。
そのころ、もうCTはあったが、検査する間もなく、解剖もしなかったので、
はっきりした死因はわからないが、「くも膜下出血」だったと思う。
父は中学の国語の教師だったが、その年3月に定年退職している。
退職してわずか26日目だったということだ。
母の話によると、退職金の運用のことで銀行の人が自宅に来て、書類を書いている時、父が突然、
「ちょっと、ここ、代わりに書いてくれないかな?」
というので
「どうしたの?」
といって母がそばに行くと、とても気分が悪そうだったので
「横になった方がいいわ」
と立ち上がって寝室まで歩いていってベッドに入ろうとした途端に激しい痙攣を起こし、嘔吐したということだ。
意識もないので慌てて救急車を呼んだそうだ。
母はもうその時からずっと一人暮らしだった。
孫も3人もいたので、いい年だったような気がしたが、55才だった。今の私より若い!
今頃父に、父の見ることのできなかった29年分のこの世のできごとを教えて、楽しく語り合っていることだろう。
書いていたらもう27日になってしまいました。