最初はSAH

2000.11にくも膜下出血(SAH)発症。無事後遺症もなく生還。今興味あること:脳のこと,教育のこと,テニスのこと

生きることへの執着

2021-02-01 14:23:06 | 大動脈解離
今回の病気で、我ながらびっくりしているのは、
自分で救急車を呼んだことです。

午後2時頃でした。
昼食を食べて、夫は散歩に出かけていました。

リビングのテーブルの横に立っていた時、
本当に何の前触れもなく、
いきなり、喉元にものすごい痛みを感じました。
まるで、ナイフを刺されたように。

もうびっくりして、その場に立ったまま、頭の中では、
「どうしよう?これは救急車を呼ばねば!!!」
と思いましたが、同時に
「誰もいない!電話はどこ?動けない!」

そこまでははっきり記憶があります。
でもどうやって、救急車を呼んだのかは、全く思い出せません。
スマホに履歴があるのですから、すぐそばのテーブルの上にきっとあったのでしょう。
あの痛みの中、スマホを操作して救急通報したこと自体、我ながらあっぱれです。

履歴が4回あることを後から、息子に言われて、
救急隊との会話を思い出しました。
通報だけでなく、ちゃんとやりとりしているのです。

「玄関は鍵がかかっているので、直接2階にお願いします」
「到着しました」
「一番奥のベランダの窓の鍵を開けました」
「今、梯子で登ってます」

ここまでの会話は、後で思い出しました。
どうやって窓の鍵を開けたのでしょう?
歩けたのでしょうか?

そこからは全く覚えていません。

ここからは夫の話。

夫が散歩から帰ってきたら、家の前に消防車2台と救急車1台が停まっていたので、
「えーっ!火事?」と思って、救急隊の人に聞いたら、
「急病人です」と言われ、
2階に駆け上ったら、ベランダに面した和室に救急隊の人が6,7人いて、
真ん中に私が倒れていたそうです。

それから、久我山病院に搬送され、救急でCTを撮って、
大動脈解離らしいと判断して、ここでは手術ができないので、
榊原記念病院に移送できるように交渉してくれたそうです。

久我山の救急で診てくださった医師が、付き添ってくれて、また救急車で出発。
看護師さんが励ますように
「元気出してくださいね」
と、夫の肩をそっと撫でてくれたので、
「もうダメなのだな」
と悲観的になったとか。

榊原記念病院について救急に入ると、すぐに緊急手術といわれ、説明があったとか。
娘、息子、姉も駆けつけていっしょに、説明を聞いたそうです。
その時の、医師の様子態度が、本当に自信たっぷりで、見かけもいかにもできそうな(姉の感想)医師で、
「大丈夫です。時間がないので詳しい検査はせずに、まず開けてみて、処置します」
「心臓の弁を取り替えたり、脳動脈の分岐のところまでの処置になると少し時間がかかります」
と、言ったとか。
開けてみて判断して処置ができるなんて、経験を積んだ医師にしか言えない言葉!

「この先生に任せれば、きっと大丈夫!」

と、みんな一安心したとか。

午後5時に手術開始で、午後8時15分頃、無事成功といわれたそうで、みんな
「ほーっ!!!!」としたそうです。

それにしても、人間って、生きようとする力ってすごいものです。
私は、普段は延命治療はして欲しくないと思っていますが、
いざとなると案外、生に対する執着が強く、徹底的に戦うと言い出すかも……
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする