あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

熊野古道 伊勢路を歩く⑦<熊野本宮大社・小雲取越え>

2008-10-19 21:58:10 | 熊野古道を歩く
 今日は、JR武蔵野線沿線を歩き続けている「カタツムリ歩行」
に参加しましたが、レポートは別途とし、5年前の今日歩いた、
熊野古道の報告を続けます。

==========================

 2003年10月19日 第5日 熊野本宮大社・小雲取越え
 =整備された小雲取道=


 
 7時半に朝食をして、8時過ぎに旅館のマイクロバスで出発。
熊野川左岸沿いに国道168号を進んで、土産物店などの並ぶ
熊野本宮大社前で降りる。

 4日連続で、荷物はYさんに運搬していただけることになった。
出発を前に、太い杉木立に囲まれた熊野本宮大社に参拝する。

 熊野本宮大社は、熊野速玉大社、熊野那智大社と合わせて熊
野三山と呼ばれ、その中心で、全国3000の熊野神社の総本山。
約2千年前の崇神天皇615年の鎮座という古社である。

 寺のような山門、檜皮葺(ひわだぶき)の神殿、神殿を取り巻く
板垣などの落ち着いた彩りに、その歴史が感じられる。

 熊野三山のシンボル、八咫烏(やたがらす)の大きな幟(のぼり)
も目についた。


 昨日1日だけ歩いたYさんがここから帰宅するので今日は20人。
そのYさんのリードで「エイエイオー」をして記念撮影後、熊野本宮
大社の大鳥居前をスタートする。


 小雲取越え道が始まる請川までは、熊野川に沿った国道168号
を3㎞ほど進む。幅広い熊野川は水が少なく河原の方が目につく。
バスの時間待ちで、結局、Yさんも請川まで一緒に来た。

 請川橋そばの和菓子屋の前でKさん手配の弁当を受け取り、少
し先の下地橋バス停横から小雲取越えの道に上がる。

 茶の花などが咲く数戸の民家を過ぎると杉林。木立の間から2、
3か所で熊野川の流れが見下ろせたが、やがて展望は無くなった。

 菅笠に白衣の巡礼姿の若い女性が休んでいた。Eさんが聞くと、
熊野三山を歩いて回っているという。熊野古道は、若い人も引き
つける何ものかがあるようだ。

 木もれ日の差し込む道に落ち葉が積もり、やわらかな足触り。
斜面をトラバースするように進んだ道は、右側の谷への分岐を
過ぎて尾根道となる。

 幅広く石畳が敷き詰められ、江戸時代、駕籠も通ったことが実
感できる。

 よく枝打ちして背の高い杉木立の中、上り道が続くので、ゆっ
くりと上る。万才(ばんぜ)峠への分岐を過ぎると傾斜がきつくな
り、やがて右に回り込んで百間ぐらに着く。

 西側の展望が開け、重畳と連なる緑の山並みの大展望である。


 加法山(609m)の西斜面、標高450m付近をトラバースしな
がら進むと、右から林道が上がってきて交差する。「皇太子殿下
行啓の地」の新しい石碑が立っていた。

 数年前、皇太子殿下が、この先のコースを歩かれたとのこと。

 杉木立の下の尾根道、ところどころにリンドウが一輪ずつ咲い
ている。たくさん積まれた小石の上に地蔵が立っていた。旅の
途中で亡くなった人の霊を慰めるために造られたものだという。


 杉木立の下に休憩舎があったので昼食とする。石堂(いしどう)
茶屋の跡で、西側の谷には水場もあるようだ。

 案内板によれば、茶屋の名は、この辺りから砥石が出たのが
語源のようで、里人は「イシンド茶屋」と呼んだようだ。

 昨日まで、古道を行き交う人はわずかだったが、今日は日曜
日なので何グループかの人と会う。食事を終わる頃、抜いてきた
10数人のグループが着き、腰を下ろした。


 茶屋の先には苔がビッシリ生え、緑のじゅうたんの上を歩くよう
な感じ。しばらくは幅広い石畳の尾根道が続き、杉落ち葉が一杯
積もった丸木の階段もあった。

 東側の山並みの展望が開け、やがて桜峠。すぐ先に明治の末
年まで桜茶屋があり、庭先に桜の大木があったとか。いまは斎藤
茂吉の歌碑が立つ。そういえば皇太子行啓碑以降、ところどころ
に歌碑が立っていた。


 茶屋跡から赤木へ下る道を分け、尾根道は赤木川に向かって
下り始める。一輪ずつ咲くリンドウや、随所に立つ歌碑、句碑を
横目に、ピッチが上がる。


 杉林が途切れて展望が利くようになり、谷筋を大きく蛇行する
赤木川や、小和瀬の集落が眼下に迫ってきた。


 石畳が終わり、いわゆる膝が笑うような急斜面が続くので、転
ばぬよう注意して下る。



 石の祠(ほこら)に納まった足切地蔵を通過して間もなく、赤木川
左岸の小集落、小和瀬に下りた。川を渡ったところにトイレがあっ
たので最後の休憩をする。

 赤木川右岸の車道を進み、支流、小口川の中の島にある小口
自然の家に15時前に着いた。よく伸びた庭の芝生で靴を脱ぎ、
ストレッチ体操をして宿に入る。

 自然の家は、小学校の跡に建てられた木造平屋建て。学校の
ような板張りの長い廊下に沿って部屋が並んでいる。

 夕食は食堂のテーブルで、地元の産物中心の家庭料理を美味
しくいただいた。


〈コースタイム〉熊野本宮大社8・55~9・19ー請川(弁当受領)
10・00~10ー小雲取上り口10・14ー南側の谷への分岐10・42ー
万才峠への分岐11・12ー休憩11・15~25ー百間ぐら11・45~53
ー林道交差地点12・05ー石堂茶屋跡(昼食)12・19~13・05ー
桜茶屋跡13・37~45ー足切地蔵14・25ー赤木川橋際の休憩所
(WC)14・31~45ー小口自然の家14・55

(天気 晴、距離 17㎞、地図 伏拝(ふしおがみ)、本宮、歩行
 地 和歌山県本宮町、熊野川町)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道 伊勢路を歩く⑥<横垣峠~丸山千枚田~楊枝川>

2008-10-18 21:39:48 | 熊野古道を歩く
 昨日に続き、5年前の今日歩いた、熊野古道伊勢路の4日目の
レポートです。

 写真は、フイルムカメラで撮ったのをスキャナーに取り込み、退
色した色の修整もしましたが、デジカメ画像と比べると画質がいま
ひとつです。

===========================

 2003年10月18日(土) 第4日
 横垣峠、風伝(ふうでん)峠、通り峠、丸山千枚田
 =慶長の遺産、丸山千枚田=



 毎日、朝は雲一つない快晴だったが、今朝は曇って遠望は利か
ず、期待した海からの日の出も見えなかった。

 7時半過ぎ、宿のマイクロバスで御浜町神木(こうのぎ)まで送って
もらう。横浜のOさん、千葉のWさんが加わり、21人で8時10分に
スタートした。今日もYさんに荷物を運搬してもらえる。

 道標に従いミカン畑の間を西に向かう。雲が低く今にも降り出しそ
うな雲行き。ミカン畑が終わりヒノキの林に入った。風がないので、
上り坂が続くと汗ばんでくる。


 高度が上がり、樹間から展望が開けてきた。霧の向こうに熊野灘
らしいのが見える。でもこの先、最終日まで海とはお別れか…。

 ポツポツ雨が落ちてきたが、木の下なので雨具を出すほどでは
ない。水場のある地蔵さんのところで休む。ヒノキ林を緩やかに上り
下りして横垣峠(305m)に着いた。自然石の新しい峠標石がある。

 峠の先は、ゆるいカーブの続く石畳を下って車道に出た。ここで、
車道組と車道を横切る古道組に分かれた。古道は林の中を緩やか
に下り、折山地蔵の先で坂本川沿いの棚田の横に出る。

 ススキやセイタカアワダチソウを見ながら田のあぜ道を進み、折山
神社前で車道組みと合流して休憩する。周辺には、かなり前に収
穫を終えた石積みの棚田が広がる。あぜのコスモスが見頃である。

 車道を進んで坂本の集落を抜ける。柿の実が色づき、まだ緑の
夏みかんも実る静かな里道だ。

 車道は、杉木立の間や風伝窯と記された窯元の横を過ぎ、国道
311号を横切って向地から大杉の集落を抜ける。大杉には、その
名のもととなった2本の大杉が、松のような枝振りで立っていた。


 尾呂志(おろし)川を渡って川瀬集落を過ぎると国道に合し、風伝
(ふうでん)トンネルの東側に出た。風伝峠へは、トンネルの南側
(下の写真左側)に残る車道を入る。


 薄暗い杉やヒノキの木立の下を進み、最後に少しだけ車道をショ
ートカットして山道を登ると、あっけなく茶屋のある風伝峠(257m)
に出た。

 風伝峠は、我々の進む本宮道と、吉野へ向かう北山道との分岐
点。風伝とは風顛(ふうてん)の当て字で、風の良く通る峠のこと。
峠の手前の尾呂志は、峠から吹き下ろす風伝颪(おろし)が転じた
もののようだ。

 峠からの下りも、車道組と古道組に分かれ、トンネル西側の国道
に向かったが、迂回する車道に比べ、山道を真っ直ぐ下った古道の
方が早かった。

 国道を500m足らずで北側の狭い車道に入り、通り峠へ向かう。


 棚田と点在する数戸の集落の間を進んで、集落最上部にあった
トイレのところで休憩する。

 集落から峠への上り口に標識が無かったので、別の道に少し入っ
て戻った。杉林の下、苔むした石垣の道などを進んで、ほどなく通り
峠(390m)に出る。

 右手に入り、木の手すりもあるかなりの急斜面をジグザグに進み、
展望台に上がった。眼下に、地形そのままに緩やかなカーブを描く
丸山千枚田が一望できる。

 丸山千枚田は、慶長6年(1601)にはすでに、7haの水田に
2200余枚を数えたとの記録があるという。近年、550枚まで減
少していたのを、条例を制定して保存会により1340枚まで復田
したとのこと。

 全国の棚田が、減反政策や耕作者の高齢化でどんどん減ってい
る中で、復田したのはうれしいことである。

 いまは刈り入れ後で、土の見える田んぼはやや色彩に乏しい。
田植え後の水の入った時期とか、刈り入れ前の黄金田の景観を、
再訪して見たいものだ。


 道沿いに一輪ずつ咲くリンドウの間を丸山集落に下る。



 千枚田最上部を少し西に回り、水車や休憩舎のある芝生の広
場で昼食とする。

 今日の弁当もNさんの、ふる里茶屋「おかげさんで」製。高菜の
めはり寿司、サンマ寿司、ミカン汁で炊いたいなり寿司が詰めて
あった。いずれも御浜町の産物を使った郷土料理。棚田を眺めな
がらおいしく味合う。甘いミカンもまたたくさんいただいた。

 千枚田の間を下り、大栗須集落を抜けて板屋川沿いの三差路
に出た。川の左岸に沿って進み、時計塔のある新しい木造校舎
の入鹿(いるか)中前を通過し、紀和町役場の先、鉱山資料館前
で休憩する。天気が回復して青空が広がってきた。


 すぐ先の三差路を南に入った板屋川の支流に、小さい魚がたく
さん見える。一族山(800m)の山ふところに向かう集落には、
サザンカが咲き、ムラサキシキブが実を一杯つけている。

 今日はまだ先が長い。一族山の山腹、標高250m付近をほぼ
等高線沿いに走る県道780号に入ると、自然に先頭のピッチが
上がり、前後が少しずつ離れてきた。

 ヒノキや杉林の下を西から南に回り込んで行くと、西側の展望
が開け、明倫小学校跡に出た。

 沿革の説明板を見ると、2棟の校舎やプールの表示もある。

 当時は、周辺に集落もあったのだろうか。現在その面影は全く
無く、桜の植えられた一帯は、夕陽の丘公園と呼ぶ自然公園にな
っている。


 更にハイピッチで進み、大規模鶏舎の並んだ三差路を左に入り、
最後は少しだけ舗装の途切れた山道を下って楊枝川(ようじがわ)
集落に出た。

 色づき始めた山波を見ながら、楊枝川に沿って右岸を一気に進
む。日が傾いて涼しさを感じはじめた頃、熊野川との合流点に出た。

 今回の最長距離を歩き、疲れもつのる。前方に見えた三和大橋
に向かって急いでいたら、橋の手前で迎えのマイクロバスが来て
くれた。


 三和大橋を渡って左折、赤木川左岸の熊野川温泉「さつき」旅館
に17時過ぎに着いた。

 平屋建ての比較的新しい旅館。温泉に浸かって疲れをとる。夕食
は和食のコース料理。、紀州鶏のすき焼きや熊野の海の魚などを
美味しくいただいた。

〈コースタイム〉神木8・10ー横垣峠8・50ー折山神社前(WC)9・21
~30ー風伝峠上り口10・10ー風伝峠10・30~35ー通り峠上り口
(WC)11・05~10ー通り峠11・30ー展望台11・39~47ー丸山千枚
田(昼食・WC)12・18~55ーオートキャンプ場三差路13・13ー鉱山
資料館前(WC)13・53~14・09ー明倫小学校跡14・50~55ー大型
鶏舎の分岐15・22ー楊枝川集落の車道15・49ー三和大橋北詰
16・43=熊野川温泉さつき17・05

(天気 曇後晴、距離 29㎞、地図 木本、瀞八丁、大里、本宮、
 歩行地 三重県御浜町、紀和町、和歌山県熊野川町)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道 伊勢路を歩く⑤<甫母峠・逢神峠・松本峠>(続き)

2008-10-17 17:53:50 | 熊野古道を歩く
 8月25日まで続けた、5年前の熊野古道伊勢路のレポートが、
ずっと中断したままでしたが、今日から続けます。

 続きのレポートは、偶然にもちょうど5年前の今日、10月17日
の午後からになりました。

============================

 2003年10月17日(金) 第3日(続き)



 緩やかな円弧を描く新鹿(あたしか)湾沿いに回り、今は静かな
海水浴場の休憩施設前で昼食となる。今日の弁当は、Nさんが、
奥様の店の弁当を用意して、荷物運搬のYさんと待っておられた。

 Nさんは、明日歩く御浜町にお住まいで、町の教育長をされた
方とのこと。

 眼の前180度に広がる緑の山並みと、真っ青な新鹿湾を眺め
ながらの昼食。ほかではあまり得られぬぜいたくな眺めだ。

 食後は、Nさん自家生産の甘いミカンを幾つもごちそうになる。
余ったのもどうぞと言われ、いただいてザックに入れた。

 記念撮影をして午後のコースへ向かう。


 国道311号を少し進んで、JR紀勢本線の甫本トンネル入口付近
からはトンネル上の山道と国道とを行き戻りする。


 東波田須集落では、南向きの急傾斜地に並ぶ民家の前の狭い
道をトラバースして通過、わずかに残る鎌倉時代のものという苔
むした石畳道を上る。


 中波田須町から西波田須町にかけては、集落の上を走るカーブ
の多い国道を車に注意しながら通過し、休憩舎のあるところから
大吹峠への山道に入った。

 孟宗(もうそう)竹の竹林の間を十分余りで大吹峠(205m)。
あっけなく上がったので休憩もせず下りへ。峠の先にも立派な孟
宗竹の林がある。


 やがてヒノキ林となり、石畳を下ると右側の谷間の展望が開け
てくる。


 赤い前垂れをした常夜灯と地蔵さんの前を通過し、石を切り出
して山塊が平になった石切場付近で車道に下りた。近くの路傍で
ひと休みする。
 

 再び国道311号に出て、海沿いの旧道を進んで大泊町を抜け
る。宮川の橋を渡って間もなく、右手の標識に従い今日最後の峠、
松本峠へ向かう。

 標高差はわずかだがかなりの傾斜、ビッシリ敷き詰められた石
畳を上がって竹林の中の松本峠(135m)に着いた。

 赤垂れをつけた地蔵や石塔が立っている。地蔵には鉄砲傷があ
るようだが、確認はしなかった。


 林の中の遊歩道を南に進み、展望のよい休憩舎に上がる。西側、
眼下の熊野市街から真っ直ぐに延びる七里御浜の展望がすばらし
い。その先、滝見の岡からは、大泊の湾の北側、山の中腹から落
ちる清滝と呼ぶ大きな滝が遠望できる。


 遊歩道の尽きたところは、鬼ヶ城跡。鬼の見晴台と呼ぶ展望台
があり、大泊の町並み(下)や広々とした太平洋が一望である。


 階段状の東側の遊歩道を一気に下って観光バスの駐車場に出
る。アーケードのある土産物店の間を抜けると、海岸の巨大な岩
盤が浸食された奇勝・鬼ヶ城である。



 岩をくりぬいたトンネルの先は千畳敷といわれる広い岩盤、それ
に覆いかぶさるような岩の間を半島を一周する遊歩道が続いて
いる。

 海にそぎ落ちるような岩盤に付けられた細い遊歩道、鉄製の手
すりにつかまりながら慎重に上り下りして半島の西側に出た。


 日暮れて涼しくなってきた。熊野市の中心、木本(きのもと)町
の市街地に入り、17時近く熊野市駅に着いた。


 迎えのマイクロバスで、市街地や熊野灘を見下ろす高台にある、
かんぽの宿熊野に入る。

 大浴場で汗を流す。夕食は、いつもと違うテーブルに椅子での
和食コース料理。Nさんの知人、Hさん差し入れの日本酒などを
いただき、初めてのカラオケも出て、にぎやかな晩餐となった。

〈コースタイム〉三木里バス停7・33=曽根バス停7・55ー甫母峠
上り口(WC)8・10~16ー曽根一里塚8・40ー甫母峠9・01~07ー
楯見ヶ丘9・17~33ー猪垣記念碑10・15ー新逢川橋(二木島駅
そば)10・42~53ー二木島峠11・31~35ー逢神坂峠11・54~
12・00ー湊川橋12・36ー新鹿海水浴場(昼食・WC)12・49~
13・20ー大吹峠登り口(WC)14・19~28ー大吹峠14・40ー山道下
った車道15・02~04ー松本峠登り口15・16ー松本峠15・28~34
ー鬼の見晴台15・50~52ー鬼ヶ城千畳敷16・18ー周遊路終わり
16・37ー熊野市駅16・55

(天気 快晴後晴、距離 19㎞、地図 賀田、磯崎、木本、歩行
 地 尾鷲市、熊野市)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道 伊勢路を歩く④<甫母峠・逢神坂峠・松本峠>

2008-08-25 23:41:10 | 熊野古道を歩く
 2003年10月17日(金) 第3日 
 甫母峠、二木島峠、逢神坂峠、大吹峠、松本峠、鬼ヶ城
 =五つの峠を越える=


 
 今日も、Y山本さんが不要な荷物を運んでいただけるとの
こと。民宿嬉志野の前からバスに乗り賀田(かた)湾沿いに回
って、JR賀田駅の南、賀田バス停で下りた。

 左手に、賀田湾や大クスノキなどの森に囲まれた飛鳥神社
を見ながら国道311号を1㎞ほど南下し、曽根町の町はずれ
から甫母(ほぼ)峠への上りにかかった。

 上り口にある、コンクリートの祠に入った古い六地蔵が、わ
れわれの安全を見送ってくれているようだ。


 民家の間から急な石段を上がってゆくと、真珠貝の養殖イ
カダなどの並ぶ賀田湾の展望がよい。

 鏡のように静かな海面に周辺の山並みを映し、すがすがし
い眺めだ。

 ヒノキの木立の下に古い石垣が目につく。猪垣(ししがき)と
呼び、猪から畑の農作物を守るために作られたもの。

 巡礼供養塔の上あたりで、再び賀田湾の展望が広がる。


 わずかな盛り上がりからそれと知れる曽根一里塚跡を過ぎ、
幅広い石畳を上がって甫母峠(305m)に着く。

 薄暗い杉やヒノキの木立の中に休憩舎がある。傍らに、Y
さんの友人、Oさんが待っておられた。Oさんも伊能ウオーク
で熊野古道のガイドをされた方。

 甫母峠は、曽根次郎坂・太郎坂とも呼ばれ、ここが紀伊と
志摩の国境で自領、他領がなまったものとか、古道の石畳
や猪垣のことなどを話していただいた。

 峠には、古いお地蔵さんも鎮座していた。


 10分ほど先に、大川さんお勧めの楯見ヶ丘と呼ぶ展望の
良い場所があり休憩。木のベンチもあり海からの風が気持ち
よい。

 Oさんから、手作りの熊野古道の木札、つきたての栃餅と
草餅をいただく。餅はやわらかでおいしかった。

 この先、二木島(にぎしま)までの熊野古道は、平成4年の
19号台風による被害で歩けなくなったが、大川さんが一人
で風倒木を整理して復興されたとのこと。そのお陰で私たち
も今日歩けるのだと思うと、そのご尽力に深く感謝する。

 尾根上を進む古道は、適度に落ち葉が積もった歩きやすい
土の道。この稜線にもウラジロが多い。ところどころに木の
階段も設けられていた。

 下るにつれて苔むした猪垣が増え、城壁かと思われるよう
な立派なものもある。

 説明板によれば、寛保元年(1741)から1年で築いたのだ
という。そばに「猪落とし」と呼ぶ落とし穴もあった。

 山道が終わり、国道311号バイパスの西の谷橋に下りた。

 二木島湾の最奥部と、それを囲むわずかな民家を眼下に見
下ろす好展望の場所。ここでOさんと別れる。

 ミカン畑の横から急階段を上り下りして、新逢川橋を渡った
ところで休憩した。JR二木島駅はすぐ先の高台にある。近く
の路上でミカンを売っていた。


 JRの鉄橋下を抜け、背後に山の迫った相川の民家の間か
ら階段を上がって駅北側の高台に出る。廃屋の屋敷の庭先
を抜け、石の祠に鎮座するキリシタン灯篭(下)の前を進んで
二木島湾を見下ろす国道に出た。




 少し先、コンクリートの壁面に急階段があり、熊野古道の
表示に従いその階段を上がる。再び山道となり、良く手入れ
された真っ直ぐな杉木立が並んでいる。

 苔むす谷間の石畳を上がって二木島峠(240m)に出た。

 ここも展望はないので小休止で通過。緩やかな下り坂は日
が差し込み、草の生えた土の道が多い。


 水場のある沢を横切ると小さめの石畳道。間伐され比較的
明るい杉林をゆるやかに上り、三つ目の峠、逢神坂(おおか
みざか)峠(290m)に着く。やはり杉木立で見晴らしはない。

 下りは背の高い杉木立の下、緑に苔むした立派な石畳が目
につく。再び猪垣が現れ、右手に石積みの棚田も見えてきた。


 橋間集落の民家の間を通過し、湊川を越えて新鹿(あたしか)
の海岸に出る。              (続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道 伊勢路を歩く③<馬越峠・八鬼山越えコース>続き

2008-08-24 18:34:07 | 熊野古道を歩く
 きのう、8月23日(土)の所沢の最高気温は19.8℃とか。
あの暑かった夏はどこへ行ったんでしょうか…。

 引き続き、5年前の熊野古道 伊勢路2日目の後半です。

=========================

 2003年10月16(木) 第2日〈続き〉  
 馬越峠・八鬼山越え  =熊野古道一の難所越え=



 献灯所の先から、いよいよ熊野古道一の難所という八鬼山
越えの山道に入った。ススキや野菊、ゲンノショウコなどの咲
く緩やかな道がわずかで終わって上り坂となる。

 行倒れ供養碑を過ぎ、水場のある駕籠立場(かごたてば)で
まず休憩。


 開けた西側、真砂川の谷側に、樹齢300年という大ヒノキ
が立っていた。谷筋からの風が気持ちよい。


 少し先には、清順上人供養碑がある。清順上人とは、戦国
期、長らく途絶えていた伊勢神宮の遷宮を復興させた尼僧と
のこと。

 真砂川の対岸を走る国道311号から林道を車で回り、七曲
がりの下でYさんが弁当を届けて下さった。

 同乗されてきたNさんの知人、N先生から、熊野古道の石畳
は、かなかけ石と言い、カンナをかけたように滑らかなこと、
この先にあるあかんべ地蔵のことなどを説明していただいた。

 N先生は、もと小学校長で伊能ウオークの際、尾鷲から熊野
までのガイドを務められた方と聞く。(N先生を中心に記念撮影)

 いよいよ今日のやま場、七曲がりの急坂だ。うす暗いヒノキ
林の中、苔むした石畳は滑りやすいので慎重にゆっくりと上る。


 七曲がりが終わって幾分傾斜が緩む。道の両脇にウラジロ
が多くなったのに気付いた。ずっと下からあった身の丈1m足
らずの古い地蔵さん、N先生の言われたあかんべ地蔵を確認
しながら上ったら、3、4個ほど見つかった。


 空腹と上り続きで疲労もつのり、皆、口数が減ってきた。蓮
華石と烏帽子岩のある桜茶屋一里塚跡を通過し、ようやく九
木峠に着いた。展望はないので昼食はもう少し先ですることに
なる。

 木々に覆われて涼しい尾根、丸太の階段や石畳の道を進む
と、そぼくな社殿の三宝荒神堂がある。

 八鬼山日輪寺の跡で、「その歴史は1300年もさかのぼり、
西国三十三番第一番札所の前札所として、八鬼山越えの巡
礼が道中の安全を祈った」と記されていた。

 その先には立派な石畳があり、637m三角点の先で江戸
道と明治道に分かれる。

 昼食地にと期待し、江戸道を少し入ったさくらの森という新
しい芝生広場に出る。


 広場からは、山並みが入り組んだ複雑な海岸線の向こうに
熊野灘の雄大な展望。

 皆思わず「すばらしいー」と感嘆の声。広々とした展望を前
に、遅い昼食をする。




 素晴らしい展望の後には、厳しい下りが待っていた。はじめ
は緩やかな稜線、落ち葉が一杯の道筋にリンドウが一輪また
一輪と咲いていたが、やがて急坂となった。

 転ばぬよう、杖を頼りに慎重に下る。鎖の付いた木の手すり
も現れ、高度はどんどん下がるが明治道との合流点がない。

 通過したのかと思っていたら、ようやく合流点に出た。どうや
ら明治道を下った方が楽だったようだ。

 その先は、沓川の源流に近い沢沿い。傾斜もゆるみ、やが
て林道に出た。大石がごろごろする川を見下ろし、名柄(なが
ら)一里塚の手前から流れに沿って左岸を進んだ。


 紀勢本線の線路が近づいたところで名柄町の集落に回り、
国道沿いにある三木里(みきさと)の湾に面した小公園に着
いた。休憩後、ストレッチ体操をして疲れをとる。


 湾の西側で魚がしきりに飛び跳ねている。魚を間近に見よ
うと堤防沿いに回り、海水浴場の中心辺りで眺める。どうも
ボラが飛んでいるようだ。

 国道に出て、郵便局の少し先にある民宿・嬉志野(うれし
の)に着いた。道路を挟んで本館に女性、別館に男性が入る。

 三木里はNさんご夫妻の故郷。一旦実家に帰られたNさん
も戻られ本館で夕食。

 Yさん差し入れの東紀伊千鳥という特産の鶏肉や、地元の
魚料理など、盛りだくさんの料理をいただいた。

〈コースタイム〉鷲下バス停8・07~18ー夜泣き地蔵8・30ー
林道横断点8・47~9・01ー馬越峠9・12~15ー桜地蔵9・30
ー馬越公園(WC)9・39~50ー尾鷲市街ー東邦石油東北端
(尾鷲節歌碑)10・48ー献灯所先(WC)10・53~11・03ー駕籠
立場11・30~35ー七曲がり下(弁当受領・N先生の話)11・40
~56ー七曲がり上12・18ー九木峠12・49~59ー荒神堂(水場)
13・19ーさくらの森(昼食)13・28~14・02ー江戸道・明治道合
流点15・00~11ー名柄一里塚跡15・26ー名柄町海岸の公園
(WC)15・44~16・00ー民宿嬉志野16・15

(天気 快晴後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 引本浦、
 尾鷲、賀田、歩行地 海山町(紀北町)、尾鷲市)

 注:歩行地の地名は当時のもの、( )内が現在の地名。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道 伊勢路を歩く② <馬越峠・八鬼山越えコース>

2008-08-23 13:30:15 | 熊野古道を歩く
 今日は、夏が過ぎて行く「処暑」とのこと。昨日からすっか
り涼しくなり、今夜はカントリーウオークの仲間で暑気払いを
するのですが、その必要もないくらいの気温です。

 5年前に歩いた熊野古道伊勢路のレポートの2日目です。

==========================

 2003年10月16(木) 第2日  
 馬越峠・八鬼山越え  =熊野古道一の難所越え=


 
 尾鷲(おわせ)市街地の北端、三重県尾鷲庁舎前のバス停
から国道42号を、8時1分発の南紀特急バスで昨日の方向
に一駅戻り、海山(みやま)町の鷲下(わしげ)バス停で下りる。

 今日は、NAさんの弟さん、Yさんが、荷物を次の宿まで運
んで下さるというので預け、皆、軽装である。

 参加者は、NAさんの高校の同級生、Sさんが加わり20人。
国道横のわずかな広場で体操をして出発する。

 バス停からすぐに馬越(まごせ)峠への山道。大きくて滑ら
かな石畳がヒノキや杉木立の下に続いている。


 石室のような祠(ほこら)の中にある夜泣き地蔵を過ぎると、
石畳は2、3人並べるくらいの広さ。紀州藩の駕籠(かご)に合
わせて1間半(2.7m)の幅をとったのだという。

 一里塚跡もあったようだが気付かずに通過し、1時間足らず
で海山町と尾鷲市との境、馬越峠(325m)に着いた。



 丸木造りの避難小屋や、自然石に彫られた江戸末期の俳
人、可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)の句碑(上)、熊野古道
の説明板などがあるが、一帯は杉木立に覆われ展望は全く
利かない。

 小休止だけで下りにかかる。

 上りに比べると小さめの石畳道をどんどん下る。途中、レン
ガ造りの地蔵堂に入った桜地蔵があった。

 説明板によれば、旅人の安全を祈って奉納されたもので、
以前は石積みの祠(ほこら)だったとか。

 同じ説明板に、「熊野古道の石畳は、全国有数の多雨地帯
なので、大雨による路面の流失や崩壊を防ぎ、夏草やシダ類
などの繁茂を押さえて道筋を確保するためであった」とも記さ
れていた。

 広葉樹が増え、明るくなった道を下って行くと桜並木となり、
行者堂のそばに馬越公園がある。桜も多く、今は萩が見ごろ
である。

 ススキや野菊などの咲く道、眼下の尾鷲市街に向かって下
り、北浦町の住宅地に入る。新しい野口雨情の歌碑があり、
そばのコスモスが咲き乱れていた。



 ゆるい傾斜地に続く墓地の間を下ってゆくと、江戸後期の
念仏行者、徳本上人(とくほんしょうにん)名号碑がある。

 晩年は、江戸小石川の伝通院一世になった人とか。

 その先、民家の軒先で売っていた採り立てのミカンをEさん
などが買い求め、分けていただいた。

 尾鷲の市街地に入り、朝日町から林町辺りには、黒焼きし
た板を壁に張った古い家があちこちに見られた。Nさんご夫
妻の新婚当時のお住まいがこの地だったとのこと。

 水量豊かな中川を越え、火力発電所の高い煙突が左手に
近づく。正面には八鬼山(やきやま)の山塊が大きく迫って
きた。

 円いタンクの並ぶ東邦石油横から矢の川を渡り、川沿いに
対岸の東邦石油の東端まで進む。

 その三差路に「ままになるなら あの八鬼山を 鍬でならし
て通わせる」と八鬼山道を歌った尾鷲節の歌碑が立っていた。


 折り返して東邦石油の南側山すそ、桜並木の道を少しずつ
上ると、越えてきた馬越峠方面の展望が利いてきた。


 山頂近くの八鬼山荒神道を遙拝するという献灯所の近くに
トイレがあったので小休止する。       (続く)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊野古道 伊勢路を歩く① <ツヅラト峠コース>

2008-08-22 21:12:04 | 熊野古道を歩く
 押し入れに休眠中の写真を探したら、5年前の2003年
10月に「熊野古道 伊勢路」を歩いたときの写真が出て
きた。

 「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録される前
年のことであある。

 当時はフィルムカメラで撮り、プリントが色あせていたが、
スキャナーに取り込んで色修整し、なんとか使えるように
したので、その時のレポートを順次掲載する。

=========================
 
 第3次・第4次中山道ウオークで大変お世話になったNさ
んご夫妻から、8月中旬(2003年)、熊野古道 伊勢路・
本宮道ウオーキングのお誘いをいただいた。

 ご案内によれば、1日当たりの歩行距離は中山道ほどは
ないが、急しゅんなアップダウンがあり、厳しい行程が多い
とのことであったが、私も、以前から熊野古道は歩いてみ
たいと思っていたので、参加することにした。

 
 2003年10月15日(水) 〈第1日〉 
 ツヅラト峠コース  =峠から熊野灘の絶景=


 
 前日の冷たい雨も上がり、スタートにふさわしい穏やかな
晴天となった。集合はJR・近鉄線松阪駅南口へ10時45分。
4月の中山道を歩いメンバーを中心に、19人が集まった。

 11時5分発三重交通の南紀特急バスに乗り、JR紀勢本
線とほぼ並行の国道42号を南西に進み、大内山村の梅が
谷バス停で下りた。

 完歩を目指して全員で元気良く、「エイ・エイ・オー」の檄
(げき)を飛ばし、12時30に出発する。

 すぐ先の三差路を西に、県道758号に入り、大内山川沿
いにコスモスの咲く小川口から中野集落へと進む。刈り入れ
後の田んぼに吹く爽やかな秋風が気持ちよい。

 中野橋の先の小公園で昼食。最近整備されたらしい近畿
自然歩道の案内板や休憩舎、トイレがある。


 小公園から500mほどで栃古(とちこ)川との合流点。大内
山川を北西に分け、栃古川沿いに進むとすぐ、消防センター
がある。東側の田んぼと川の間に、猪(いのしし)除けのトタン
板が並んでいた。

 のどかなたんぼ道が終わると渓谷が迫り、ツヅラト峠への
登山路に入る。

 清流のせせらぎを聞きながら杉木立の下を少しずつ上る。

 上り坂を20分ほどでツヅラト峠(357m)に着いた。



 休憩舎があり、南方にこれから下る長島の家並みや緑の
山並み、その向こうに広がる熊野灘の展望が広がる。




 西側の稜線を少し上がった展望台からは、さらに見晴らし
がよい。最初の峠での思いがけぬ展望に皆、感激した。


 ツヅラトとは九十九(つづら)折りのこと。峠は、かつて伊勢
と紀伊の国境。伊勢から熊野に向かう旅人は、この峠に立っ
てはじめて熊野の海を目にしたという。その感激は、今日の
我々よりはるかに大きかったろうと思う。

 下りはかなりの急降下。皆、用意した杖を出して慎重に下
る。私も杖を使うのは初めてだが、確かにバランスを取るの
に有効である。杉や桧の木立の下、名のとおり連続するカー
ブをどんどん下る。

 しかし、杉木立の中の右カーブを曲がった辺りで、Mさんが
足を踏み外し頭から落下。幸い10数mほどで止まったが、
左目の下が大きくはれあがった。

 山道が終わり、車の入れる林道に出た。そこに表示されて
いたタクシー会社に電話して、Mさんは病院に直行すること
にした。

 傾斜が緩くなり休耕田や田んぼが現れた。志子川を左岸
から右岸に渡って志子の集落に入るが、すぐに左岸に戻る。

 行く手が開けて花広場に出た。水辺にホテイアオイが咲き、
その下に一面コスモスの花畑が広がる。


 もう一度志子集落へ左岸から右岸へ行き戻り、志子川と
赤羽川の合流点に出て、すぐ先で別の支流沿いに入る。山
砂を採掘したのか、地形図上は山となっているところが平に
えぐり取られていた。

 田山集落近くのカーブ点で、標識に従い簡易舗装の山道
に入り、ちょっとした峠を越えて山本集落へ。「フウラン群生
地」の表示や、二郷神社、地蔵院前を通過し、今日のゴー
ル、JR紀伊長島駅に着いた。


 16時41分発紀勢本線下りに乗り、17時10分に尾鷲(お
わせ)駅着。男性は潮来(いたこ)旅館に、女性は別の民宿
に入る。夕食は全員、潮来旅館でいただいた。

〈コースタイム〉梅ヶ谷バス停12・25~30ー小公園(昼食・
WC)12・50~13・14ーツヅラト峠登り口13・35ーツヅラト峠
13・55~14・08ー花広場15・00~05ー赤羽川を離れる三差
路15・24ー紀伊長島駅15・54

(天気 晴、距離 9㎞、地図(2万5千分の1) 間弓、長島、
 歩行地 三重県大内山村(大起町)、紀伊長島町(紀北町))

 注:歩行地の地名は当時のもの、( )内が現在の地名。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする