あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

熊野古道中辺路を歩く⑨(近露~滝尻)

2008-12-06 11:35:14 | 熊野古道を歩く
 第6日 2008年10月30日(木)〈続き〉

 少し先の十丈峠付近の鞍部で北側が開け、果無山脈や下の二つ
の集落が見下ろせる。今日初めての好展望地である。


 稜線の右をトラバースして、ヒノキ林の下の大門王子跡へ。小さい
社があり、地元白浜中の全校遠足で滝尻から道の駅まで歩くという、
3年生の一団が休憩していた。

 2年生、1年生のグループとは、その先で行き交う。

 小さい池の横を通過し、緩やかに杉林を下って行くと、ウッディな
休憩舎があったが、トイレは使用禁止だった。

 2体の石仏が祭られた大日如来堂を過ぎ、上地集落に入った。
西方に滝尻集落が展望できる。

 細い車道との交差点付近にあった高原(たかはら)霧の里休憩所
に入り、昼食とする。

 中には、711年ぶりに訪れた皇室という皇太子殿下と、その後訪
れた秋篠宮殿下の写真が展示されていた。

 こんな張り紙もある。「年をとった」と思われる方はご一読を…。



 広場からは、北に果無山脈や集落の棚田などの気持ちよい展望
が広がり、すぐ下に新しい水車小屋が設けられていた。




 すぐ先の熊野神社は、中辺路で最古という、室町時代前期の様
式を伝える権現造りの社殿で、県の文化財である。

 境内に、ご神木である太いクスノキが2本立っていた。

 下地集落を抜け、NHKのアンテナ塔の下から急な下りとなる。
針地蔵尊を過ぎて一旦車道に出て、再び林間に入った。

 稜線上を進み、細い車道を斜めに横断する。ここを下れば今日の
宿だが、気づかずに進む。3の標識で気づいたが、まだ早いので
近露王子まで行くことにする。翌日の行程を考えると、結果的には
その方がよかった。

 展望台への入口を過ぎ、2の標識の先からは、木の根の多い急
降下となる。


 折り畳み杖を頼りに慎重に下り、ヒノキ林の下の不寝(ねず)王子
跡で小休止する。


 すぐ下に「乳岩」と呼ぶ大岩がある。詳しい話は省くが、奥州の藤原
秀衡夫人がこの岩屋で出産したという伝説の地である。


 すぐ下には、女性がくぐれば安産するという「胎内くぐり」があった。

 さらに下って富田川の橋のそばにある滝尻王子へ。クス、杉など
のうっそうとした木々の下に趣ある社がある。

 ここから、私が前日スタートした熊野本宮大社までが、中辺路の
なかでも多くの人が歩く、メインルートともいえるところ。

 500mごとに1,2,3…と増え、熊野本宮大社に近い祓所王子
の75まで続く、数字標識の出発点でもある。


 休憩所と売店があり、売店でバスの時間を聞いたら3分後という。
急ぎ橋を渡って滝尻バス停に着いたら、そのバスが来た。


 バスは国道311号を3分ほどさかのぼり、中芝で下車する。旧道
をしばらく進み、15時42分に栗栖川の旅館きけうやに入った。

[コースタイム]近露・旅館たかだ7・35ー近露王子7・45~50ー箸折
峠(牛馬童子像)8・20~26ー大坂本王子9・00~07ー逢坂峠9・32
~35ー上多和茶屋跡10・05~19ー悪四郎屋敷跡10・50ー十丈峠
11・03~09ー大門王子11・43~48ー高原霧の里12・26~13・03ー
熊野神社13・05~20ー針地蔵尊13・42ー3標識14・11~15ー不寝
王子14・44~50ー滝尻王子15・07~18ー滝尻バス停15・20

(天気 晴、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 栗栖川、歩行地 田辺市
(旧中辺路町)、歩数 28,700(旅館まで))
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熊野古道中辺路を歩く⑧(近露~滝尻)

2008-12-05 21:38:38 | 熊野古道を歩く
    
 第6日 2008年10月30日(木)
 =近露~滝尻=


 
 6時5分起床、7時朝食。私とは逆に熊野本宮まで行くという隣
室の男性は、6時に食事して早立ちした。7時35分に近露(ちかつ
ゆ)の、旅館たかだを出る。隣の棟では、水車が回っていた。

 道中の集落は、かなりの家並みが続く。「このあたりは熊野街道
の宿場として賑わい、江戸時代には10軒近くの宿屋があった」と、
近露伝馬所のあったという丹田商店前に記されていた。

 日置川の橋際が近露王子跡。杉、カシ、モミジなどに囲まれた一
角に、大本教主・出口王仁三郎(おにさぶろう)の筆による「近露王子
之碑」が立つ。
 

 そばの北野橋を渡って「箸折峠入口」の標識から山道へ。


 少し上ると展望台の東屋があり、近露の家並みや背後の山並みの
展望がよい。


 箸折峠に向かって上がる。峠のすぐ手前に、鎌倉時代の宝篋印塔
(ほうきょういんとう)がある。


 そばにあるのが、中辺路のシンボルとして知られる牛馬童子像。

 高さ40㎝くらいの小さな石像だ。右は役行者(えんのぎようじや)像。

 車道の上をトラバースする道を下り、小さな道の駅「牛馬童子ふれ
あいパーキング」のそばに出る。


 道の駅には寄らずに通過し、再びヒノキや杉林の下を進む。

 右手に流れる津毛川は、すぐ上流でトンネルになっていて、山向こ
うに抜けていた。

 流れ沿いに下った大坂本王子跡は、杉木立下のせせらぎのそば。

 自然石の標石と鎌倉時代後期の笠塔婆のみだが、説明板には、
建仁2年(1201)に後鳥羽上皇に随行した藤原定家が、この王子
に参拝していると記されていた。

 石畳道や木の根の多い道などをひと上りして、林道と交差する逢
坂峠へ。小さい歌碑が立っていた。


 「三休月の伝説」の説明板を過ぎ、アップダウンの少ない気持ちよ
い尾根道が続く。


 ヒノキ林の下に上多和茶屋跡の説明板がある。


 その先から急坂を下り、杉林をトラバースする。悪四郎屋敷跡や、
小さな地蔵の祭られた小判地蔵を過ぎる。


 緩やかに下り、少し開けたところに十丈王子の石碑が立つ。

 丸木を割ったベンチと、すぐ先に古いがウッディな休憩舎があった。

                                  (続く)

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熊野古道中辺路を歩く⑦(熊野本宮大社~近露)

2008-12-03 21:25:13 | 熊野古道を歩く
 2008年10月29日(水)〈続き〉




 三越峠から、薄暗い杉木立の下を小さい流れのそばに下って湯川
王子へ。

 現在は杉林ばかりだが、「往時はここに上皇や女院の御所、貴族
の宿舎などが設けられた」と記されていた。


 湯川川を横断したすぐ先に、蛇形地蔵がある。熊野往還の人々が、
よくこの峠路でダルにとりつかれたので、この地蔵尊を建てて旅人
の遭難を防いだという。


 王子製紙社有林の表示の横から湯川川の支流の右岸沿いとなる。
京都の芸者、おぎんが追いはぎに襲われて命を奪われ、土地のもの
が哀れんで建てたというお銀地蔵を過ぎて沢を離れ、上り道となる。

 林道を横断、さらに上がっが岩神峠(655m)は岩神王子跡だが、
自然石の標石が立つのみ。


 急坂を能瀬川に下り、仲人茶屋跡のところで林道を横断する。
樹林の切れ目からは、急斜面の杉林が望まれる。



 その先は石段などの急な上りとなり、わらじ峠へ出る。一里塚跡
を通過し、間もなく熊瀬川王子。やはり林の中に自然石の標石だけ
だった。杉木立の下のアップダウンが続く。


 少し先に、石屋根の小さな地蔵と休憩舎の東屋がある。


 車道に出て、その車道を少しショートカットして小広峠へ。峠付近
からは舗装道路となった。民家の前に小広王子跡の説明板のみが
立つていた。


 16時半近くなったが、まだ先が長い。幸い携帯電話も通じたので
宿へ現在地を連絡し、少し遅くなることを伝える。

 あとは舗装路の下り道だが、日没が気になるので先を急ぐ。


 斜面の向こうに太陽が隠れたが、南側は緑の山並みが広がる。


 中川王子跡を過ぎ、上地集落に入ると、平安時代の陰陽(おんみ
よう)師・安倍晴明腰掛け石というのが、民家の傍らにあった。

 上地集落の一番高所を走る細い旧道を上がり、秀衡桜に着く。

 奥州の藤原秀衡が、杖にしていた桜を突き刺したのが成長した
ものとか。このあたりでかなり暗くなった。そばに、趣ある休み処
があった。


 横にある継桜王子社には、太い杉が数本立つていたが、暗くな
り枝振りなどは確認できない。フラッシュをたいて王子社だけ撮る。


 方杉(ほうさん)集落から道中集落へと足を速め、ときどきライトも
つけて道を誤らぬよう確認する。比曽原王子に急ぎ参拝した。

 ようやく近露(ちかつゆ)集落に入り、近野中の先を下って18時
5分に、旅館たかだに着いた。

 熊野本宮大社を出たのが8時半だったのが響き、すっかり暗く
なってしまった。アップダウンの多い長丁場なので、7時台のスタ
ートが必要だったと反省する。

[コースタイム]熊野本宮大社8・34ー三軒茶屋9・17ー伏拝王子
9・50~10・00ー水呑王子10・35~38ー発心門王子11・02~22
ー猪鼻王子11・37~40ー船玉神社11・50~52ー道ノ川(55標識)
12・34ー三越峠(昼食)13・03~28ー湯川王子13・47~52ー蛇形
地蔵14・00~05ーおぎん地蔵14・29ー岩神王子15・10~16ー
仲人茶屋跡15・37ー能瀬川王子16・14~17ー小広王子16・30ー
中川王子16・58ー秀衡桜17・10ー継桜王子17・15~20ー比曽原
王子17・35ー近露・旅館たかだ18・05

(天気 晴、距離 24㎞、地図(1/2.5万) 伏拝、発心門、皆地、
 栗栖川、歩行地 田辺市(旧本宮町、中辺路町)、歩数
 43,300)
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熊野古道中辺路を歩く⑥(熊野本宮大社~近露)

2008-12-02 21:29:53 | 熊野古道を歩く
 第5日 2008年10月29日(水)


 
 6時40起床、7時30分朝食。湯の峰バス停8時14分発で行く
予定で宿を出たら、川湯温泉経由の8時3分発があったので乗り、
8時20分に本宮大社前で下車した。

 石段を上がり、昨日参拝した本宮大社にもう一度お参りする。

 本宮大社の左手から、背後に回り裏鳥居に抜けた。

 近くの祓所(はらいど)王子社跡には、小さなほこらがひとつだけ。


 団地の東から細道の石段を上がり、杉林の木立下の山道に入
った。

 杉木立下の幅広くて緩やかな上りが続く。滝尻から続く500m
ごとの標識、最初は「75」で、以下減って行く。72を過ぎると緩
やかな下りとなり、三軒茶屋跡に出た。

 トイレのある新しい休憩所があり、ご夫婦が露店を出していて、
10時ころになると、古道歩きの人で賑わうとのことだった。

 吊り橋を渡って再び緩やかな上り。今日もリンドウがあちこちに
咲いている。ウラジロがいっぱいの林の中でガサゴソと音がして、
ちょっとビックリする。

 見上げると、男性がウラジロ取りをしていた。取ったのを袋に入
れて密封後、1週間くらいしてJAに出荷し、JAの倉庫で冷凍保
存して正月用に出荷するのだという。

 形の良い葉を選んで取ると1枚10円になり、孫への小遣い稼ぎ
にやっているとも言われた。

 間もなく林が切れて伏拝(ふしおがみ)集落の茶畑が現れ、上か
らご夫婦が下りてきた。この茶畑が、NHKの朝のドラマ「ほんま
もん」の舞台になったとか話してくれた。

 そばに、最初の王子社、伏拝王子跡の小さいほこらがあり、左
に和泉式部の五輪塔が並ぶ。

 ここからはるか谷間の下に、熊野本宮の旧社地・大斎原(おおゆ
のはら)が望まれる。


 傍らに新しい休憩所とトイレがあり、婦人会の方2人が地元産品
や温泉コーヒーを販売していた。


 伏拝は、山に囲まれた高原上ののどかな雰囲気の集落。


 北に和歌山・奈良県境になっている果無(はてなし)山脈の緩や
かな稜線が広がる。

 民家や畑は北向きの斜面に散在し、大きな柿にすずなりの実が
色づく。


 数多い茶畑では、せん定作業中の人があちこちで見られ、集落
の西側の民家の前には、つるべでくむ菊水井戸があった。

 集落の外れから、緩やかに上がる山道へ。ヒノキ林の樹林下に
ウラジロの多い道をトラバースして、水呑王子社跡に下った。

 「水呑王子」と彫られた石碑のみ。横に、名前の起こりとなった
冷水が流れ出ていた。そばに桜が数本ある明るい広場があり、大
きな休憩舎が出来ていた。

 車のほとんど通らぬ車道を進むと、ペアや数人のグループ、そし
て熊野古道の語り部に引率された20人前後の団体4、5組と行き
交う。このあたりが中辺路の人気コースらしい。

 発心門集落に入ると、Y字路際に木の彫刻がたくさん並び、無人
販売のミニスタンドもあった。


 集落の先に、新しい休憩所の東屋とトイレが出来ていた。

 NHKの「ほんまもん」で何度も紹介されたという杉の美林スポッ
トの先が、発心門(ほつしんもん)王子跡。朱塗りの小さい社がある。


 たまたま私の地元、所沢ナンバーのご夫婦が来たので、少し話
を交わす。市の東部にお住まいとのことだった。

 発心門王子のところで車道に分かれ、杉木立の下を真っ直ぐ下
って行くと、車道の舗装が終わるところへショートカットして出た。

 その先は砂利道となり、車道からヒノキ林への段を下って、猪鼻
(いのはな)王子跡へ。

 杉木立の下に、「猪鼻王子」と記された小さい石碑があるのみだ
った。

 さらに進むと船玉神社。小さい鳥居の奥に2つの社殿があり、右
手は稲荷神社のようだった。


 神社の前が、湯の峰温泉からの熊野古道赤城越との合流点。
ここにも広い東屋があり、一帯の広場は桜に囲まれている。

 音無川に沿って上流に向かい、車道が終わって山道となった。
 流れの瀬音を聞きながらの気持ちよい道。やがて橋を渡って、
流れを離れる。少し先で、再び砂利の車道に出たが、路肩が崩れ
て通行止の表示があった。車は進めないが、崩壊地の横を進める。

 地図上、道の川という小集落の表示があるが、そのあたりは深
い杉木立の下で、廃屋がひとつだけ確認できただけだった。

 杉木立の下をひとしきり上がり、三越峠に出た。


 車道のカーブ点に三越峠休憩所があったので入り、13時を過
ぎたので昼食としたが、林が開けている前面からの風が冷たい。
                           (続く)
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熊野古道中辺路を歩く⑤(小口~熊野本宮大社~湯の峰)

2008-11-28 23:25:12 | 熊野古道を歩く

 第4日 2008年10月28日(火)
 =小雲取越(こぐもとりごえ)=


 
 6時起床、6時30分に朝食。7時3分に小口自然の家を出発
した。快晴で冷え込み、周辺の山に朝もやがかかっている。今日
は、きのうの大雲取越に続く、小雲取越である。


 小口川沿いを小和瀬まで進み、橋を渡って民家の横からいきな
り急登が始まる。

 同宿の江戸川区のHさんが先発し、後発の福岡の3人にも間も
なく抜かれる。

 急斜面なのでゆっくり上がるが、すぐに大汗をかく。小雲取越に
は、請川の下地から500mごとに数字の増える標識が立つ。逆
行の小和瀬から上がると、まず「25」の標識があった。

 その先には長塚節の歌碑があり、傾斜が幾分緩んだ。


 杉木立下の気持ちよいトラバース道となり、桜茶屋跡へ。明治末
まで茶屋があったところ。現在は東屋があり、眼下に小和瀬の集落
が見下ろせる。


 同宿の皆さんが休んでいたので、これをご縁にと記念撮影をする。
私が休憩中に、皆さんは先発した。


 その先は緩やかなアップダウンが続き、大雲取越同様に歌碑も
立っている。石堂茶屋跡には、古い東屋と水場があった。


 こけむす杉木立の下を進み、小石をたくさん積んだ賽の河原地蔵
を過ぎて、緩やかに下って行く。

 「皇太子殿下行啓の地」の記念碑があり、そばで林道と交差する。
林の左斜面をトラバースして行くと、西方が開けた百間ぐらに出る。

 好天なので、重畳たる山並みの大展望がすばらしい。Hさんが休
んでいた。

 その先も万才峠分岐から松畑茶屋跡へと、歩きやすく道幅も広め
の左斜面のトラバースが続く。


 松畑茶屋跡には、長い木のベンチがあった。

 このあたりはウラジロが多く、リンドウもあちこちに咲いている。

 緩やかな下りが続くので、ピッチも上がる。熊野川が見下ろせる
ようになり、さらに進むと請川の家並みも見えてきた。


 さらに一気に下って国道の下地橋バス停際に下りた。福岡の3人
がバス停で昼食中。私もそばの草地にシートを敷いて昼食とする。


 右に熊野川の流れを見ながら請川を通過し、さらに川沿いの国道
168号を進んで、本宮の町並みに入った。国道沿いは、電線を地
中化してすっきりした町並みだ。

 「熊野大権現」の旗の並ぶ急な石段を、熊野本宮大社に上がって
参拝する。

 この門の奥、檜皮葺の厳かな社殿が並ぶ門内は、撮影禁止だった。

 石段を戻り、福岡の3人が帰途のバス待ちをしていた本宮大社前
バス停の横から、熊野川の中洲にあった旧本宮大社跡、大斉原(お
おゆのはら)へ向かう。

 幅約42m、高さ約34mで日本一という大鳥居をくぐり、広い旧社
地に入る。第10代崇神天皇の御代に社殿が創建され、歴代上皇、
法皇、女院の行幸啓は百数十度に及んだという。

 明治22年(1889)の大水害で8つの神殿が倒壊し、主神の4神
殿を現在の地に移したもの。社殿跡を一巡し、手前(南側)の国道に
出た。

 本宮の町並みの南端付近の旧道から、熊野古道「大日越」(だい
にちごえ)と呼ぶ山道を、今日の宿のある湯の峰に向かう。

 いきなり杉木立下の薄暗くて急な上り。ゆっくり上がるが、小雲
取越をしてきた後だけに疲労が残り、ペースが上がらない。

 りっぱな杉の並ぶ月見ヶ丘神社を経て、さらにひと上り。大日越
にも立つ「2」の標柱から先は、緩やかな下りとなった。

 やがて広葉樹林下の急降下となり、またひと汗かく。ほぼ下り終
えたところにあった、湯峰王子の朱塗りの小さい社に参拝する。

 そばに、高浜虚子の句碑が立っていた。

 少し下ると湯の峰温泉街。川を挟んだ狭い谷間に、旅館や民宿
などが並んでいる。

 温泉街の中ほどに熊野曼陀羅第15番の東光寺があり、そばに
温泉くみとり所と公衆浴場があった。


 バス停で行き先や時刻などを確認、川の左岸を上がって、16時
に民宿てるてやに着いた。

 全部で3室だけの、こぢんまりした宿。洗濯機を借りて洗濯中に
入浴。熱々の温泉で、たっぷり水で薄めて入り、手足をよくもむ。

 夕食は18時から。栗ご飯に馬刺し、とろろ汁、煮物など盛りだく
さん。皆なおいしく頂いた。

[コースタイム]小口自然の家7・03ー小和瀬7・23ー長塚節歌碑
8・05ー桜茶屋跡8・35~48ー石堂茶屋跡9・35~41ー林道横断
10・02ー百間ぐら10・20~35ー万才峠分岐10・58ー松畑茶屋跡
11・03ー⑤標識11・33ー下地バス停(昼食)12・04~35ー世界遺
産センター13・25ー熊野本宮大社13・30~14・00ー大日越上り口
14・21ー月見ヶ丘神社14・50~55ー峠15・10ー湯峰王子15・40
~47ー民宿てるてや16・00

(天気 快晴、距離 20㎞、地図(1/2.5万) 本宮、伏拝、歩行地
 新宮市(旧熊野川町)、田辺市(旧本宮町)、歩数 37,200)

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熊野古道中辺路を歩く④(熊野那智大社~小口)

2008-11-27 21:13:28 | 熊野古道を歩く
 熊野古道より後に出かけたレポートが、先になったり途中に入っ
たりで、なかなか熊野古道の報告が進捗せず、今日は、ちょうど
1か月前の10月27日分の報告です。

============================

 第3日 2008年10月27日(月)
 =中辺路のハイライト・大雲取越=


 
 この日は、中辺路で一番の険路・越前峠を越える「大雲取越(おお
ぐもとりごえ)」と呼ぶ山道である。

 6時5分に起床、6時半からの朝食も、夕食同様部屋に運んできて
くれた。宿坊だが、朝の勤行(ごんぎよう)(お勤め)はなかった。
 7時7分に宿坊・尊勝院を出る。

 昨日お参りした青岸渡寺と熊野那智大社に、もう一度旅の安全を
祈願し、「熊野道」の標識に従い青岸渡寺の横から石段へ。


 熊野那智大社からは、500mごとに「1 大雲取越」と記された石
標が立ち、2、3…と数字が増えてゆく。

 太い杉林下の石段が終わり、那智高原と呼ぶ開かれた一角に上
がる。昭和52年(1977)の全国植樹祭開催地を公園にしたもので、
桜並木の紅葉がよい彩り。


 公園の駐車場の先、「熊野道」の石標の横から石段を上がる。
しばらくは杉林の下を進み、登立茶屋跡を過ぎる。


 西からの風が強まりこずえがうなる。寒くなったのでジャンパーを
着たが、歩くうちに汗ばんできて、8の石標のところで脱いだ。

 間もなく、後発の女性が追いつき追い抜く。路傍にはリンドウが
咲いていた。


 船見茶屋跡には東屋があり、勝浦の町や那智湾などが見下ろせ
る。追い抜いた東京・江戸川区のHさんが休憩していた。


 すぐ近くが船見峠。5年前に熊野古道伊勢路歩きの最後、逆コー
スでこの大雲取越えをしたのだが、その時この峠付近で、冷たい
風を避けながら食事したことを思い出す。峠からは熊野灘が見える
はずだが、曇天ではっきりしない。

 峠付近は歩きやすい土道だったが、その先からはやや急な下りで、
石畳の残るところもあった。林道に下ったところに、「八丁の堀割」と
「花折街道」の標識が立つていた。


 少し先で林道の右へ入り、流れに沿っての上り道となる。再び林道
を横断、再度林道に出て1㎞余り下り、地蔵茶屋跡に着く。

 東屋で先着のHさんが昼食中。少し早めだが私も昼食とし、Hさん
と話しながら食べる。今日の宿は、同じ小口自然の家とのこと。道路
の反対側には、がっちりした休憩所もあった。

 Hさんは先発し、以後、宿まで追いつくことはなかった。11時45分
に出発する。

 大雲取地蔵尊(上)の横から林道を離れ、こけむす石畳道を上がって
石倉峠へ。



 峠には斎藤茂吉の歌碑が立ち、道しるべでもある古い無縁仏も
残っている。


 峠からの下って行くと沢沿いとなり、長塚節の歌碑がある。最後の
越前峠に向かう上りには、リンドウがあちこちに咲いていた。

 大雲取越の最高点、越前峠(870m)は、杉木立に覆われ薄暗い。

 峠には、土屋文明の歌碑をはじめ、小中学生の登頂記念碑、大峰
奥駈(おくがけ)修行者の木札などが幾つも並んでいた。

 峠の先からは、杉木立下の長い下りが続き、古い石畳道も多い。
ひざを痛めぬよう、折り畳み杖を頼りに慎重に下るが、次第に足の疲
れを感じる。この下りにも、歌碑が幾つか立っていた。

 幅広い石畳道がV字状にカーブして、傾斜はやや緩んだ。しかし、
さらに石畳の長い下りが続く。

 伐採した杉丸太が、こけで緑色になったところもあった。

 小さい石仏や橋の久保旅籠跡を過ぎると、休憩所の古い東屋が
ある。傍らに、須川峡生の「鯉のぼり大雲取の一軒に」という歌碑
が立つていた。


 両側にウラジロが増え、うんざりするほど下り、大岩の上に梵字が
三つ記された円座石(わろうだいし)に着いた。梵字はコケがむして
字は読みにくい。

 円座とは、わら・すげ・いぐさなどを渦巻き状に丸く平たく編んだ座布
団のような敷物のこととか。この上で熊野の神がそれぞれに座って、
お茶を飲んだり相談をしてのだという。

 さらに1㎞近く下り、ようやく人家が現れ、その間を抜けて車道に下っ
た。近くの東川にかかる渡月橋際に小公園があったので小休止する。
古くて字が全く読めない西行の歌碑があった。

 近くの小口(こぐち)郵便局の先で、小口川の橋を渡り、小口自然の
家に15時8分に入った。

 5年前にも泊まった2度目の宿。廃校になった小学校の校舎を転用
した建物で、入口は独特のとんがり屋根。長い廊下に沿った教室を
仕切って部屋になっている。

 洗い場に洗濯機が2台あり、下りで汗をかいたので洗濯をして乾燥
機で乾かす。
 
 夕食は18時過ぎから食堂で。たっぷりの鍋物などメニュー豊富で、
食べきれないほどだが、皆おいしかったので全部いただいた。

 この日の同宿は、先着のHさんと、福岡・久留米の高校の山岳会メ
ンバーで、卒業後も山登りを続けているという3人の男性。

 3人は私と同年というが、現在もスイスの山や南北アルプスなどハー
ドな山にも登るという山のベテラン。

 Hさんも、キリマンジャロに上り、スペインの巡礼の道を歩き、スキュ
ーバダイビングも楽しむというアウトドア派。いずれも元気な皆さんの
話を聞き、元気をもらった。

[コースタイム]青岸渡寺宿坊・尊勝院7・07ー那智高原7・50ー登立
茶屋跡8・40~49ー船見峠9・37~49ー八丁の堀割10・10ー林道へ
10・34ー地蔵茶屋(昼食)11・10~45ー石蔵峠12・04ー越前峠12・39
~47ーVカーブ点13・30~35ー東屋14・09ー楠の久保旅籠跡13・59
ー円座石14・33~40ー渡月橋際(小公園)15・00~03ー小口自然の
家15・08

(天気 曇後晴、距離 15㎞、地図(1/2.5万) 新宮、紀伊大野、
 本宮、歩行地 新宮市(旧熊野川町を含む)、歩数 26,000)
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熊野古道中辺路を歩く③(新宮駅前~熊野那智大社)

2008-11-24 20:35:56 | 熊野古道を歩く
 第2日 2008年10月26日(日)
 =新宮駅~熊野那智大社=〈続き〉



 近くの那智駅に回って見た。朱塗り社殿造りの駅は無人で、併設
の温泉施設があるが観光案内所などは無い。那智山参拝客のほと
んどは、車を利用するようだ。

 那智の町からは浜を離れ、那智川沿いを那智山を目指すことにな
る。出発しようとしたら本降りになったので雨具を着ける。

 前方に見える谷間に向かい、那智山への車道を2㎞ほど進む。牧
野々からは曼陀羅寺の石標に従い、細い旧道で家並みの間を抜け
た。


 集落が終わり、杉林の下の緩やかな山道へ。


 荷坂峠には尼将軍供養塔がある。尼将軍とは源頼朝の妻、政子
のこと。頼朝夫妻は熊野信仰が厚く、那智山の寺の建立もしている
という。


 林を抜けたところの「ふたらく霊園」に、幹囲2.9m、源頼朝
(1147~99)の死後に植えられたと伝えられているという、伊勢
平柿と呼ぶ甘柿の古木があった。


 旧道に戻り、街道らしい風情の残る市野々へ。この集落には老杉
に囲まれた市野々王子神社がある。雨もやんだので、雨具を外した。


 市野々に続く二の瀬も、街道筋らしい家並みが続く。


 さらに麓集落(上)を抜け、車道を横断すると那智山の入口、
大門坂である。


 南方熊楠が3年間滞在した大阪屋旅館跡や、新宮藩の関所跡な
どがあり、土産物店なども現れる。


 樹齢800年という夫婦杉など、太い杉木立の並ぶ坂道を、267段
上がる。


 途中には、九十九王子最後の多富気王子社跡もあった。


 さらに最後は急な石段を、増えてきた観光客と一緒に上がり、熊
野三山の二つ目、熊野那智大社に着いた。朱塗りの社殿に参拝し、
この先、熊野古道中辺路歩きの安全などを祈願する。


 境内にある、樹齢約800年、樹高27m、幹回り約8.5m、平重盛
の手植えと伝えられるクスの大樹に圧倒される。


 隣接する西国三十三観音霊場第1番札所の青岸渡寺にも参拝、
本堂前に流れ落ちていた、延命の水と呼ぶ清水をいただいた。


 そばの展望台からは、三重塔の向こうに、垂直に落下する那智
大滝の豪壮な流れが遠望できる。


 今日の宿、青岸渡寺の宿坊・尊勝院にザックを預け、三重塔の
先から石段を下り、那智大滝の下にある飛滝神社に参拝した。


 日没が近づき薄暗くなってきた。帰路は別の道を通り、16時17
分に宿坊・尊勝院に入る。

 庭に面した6畳の部屋で、空調はない。大きな風呂場だが入浴
者はほかに1人だった。洗濯機を使わせてもらえるか聞いたら、
宿坊の方が洗って乾燥の上、夕食後に持ってきてもらい感謝する。

 夕食は17時15分過ぎから。精進料理だが品数が多く、皆おい
しくいただいた。

[コースタイム]ステーションホテル新宮7・40ーサークルK7・50~
55ー浜王子社8・07~15ー高野坂入口8・50ー展望台9・18~20
ー三輪崎駅9・37ー南珠寺10・00~05ー佐野王子10・20~30ー
宇久井駅10・46~48ー小狗子峠11・30ー浜の宮王子・補陀洛山
寺11・56~12・33ー那智駅往復&雨具直用(補陀洛山寺)12・53ー
尼将軍供養塔13・30~35ー市野々王子13・54~14・05ー大門坂
入口14・25ー大門坂上14・48ー熊野那智大社・青岸渡寺15・01
~23ー宿坊尊勝院(荷物預け)15・25~30ー飛滝神社15・50~55
ー宿坊尊勝院16・17

(天気 曇時々雨、距離 21㎞、地図(1/2.5万) 新宮、歩行地
 新宮市、歩数 41,300)

【王子とは】 京都から熊野三山への参詣道には、「熊野九十九
王子」という、熊野権現の御子神をまつる分社が点在する。これ
を王子と呼ぶ。参詣者は道中、それら王子を巡拝することで、まだ
遠い熊野を遙拝し、旅の安全を祈願したという。
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熊野古道中辺路を歩く②(新宮駅前~熊野那智大社)

2008-11-22 22:15:19 | 熊野古道を歩く
 初日だけで中断していた、熊野古道中辺路(なかへち)のレポー
トを続けます。今日は、本格的に歩き始めた第2日目です。

===========================

 第2日 2008年10月26日(日)
 =新宮駅前~熊野那智大社=


 
 6時20分に起床、7時から朝食サービスがあり、7時40分にステ
ーションホテル新宮を出た。

 雨がポチポチしていたので、ザックカバーをする。熊野速玉神社
への参拝は昨日済ませているので、反対の海岸方向に向かう。

 熊野地2丁目にあったサークルKで昼食のおにぎりを買う。王子
町3丁目で海岸沿いに出て、黒松林沿いを少しで右に入り、最初
の王子社、浜王子神社へ。

 狭い境内だが広葉樹が多く、その下に小さい社が祭られていた。

 JR紀勢本線が浜に出るところで、上を越える車道に上がる。少
し戻って海岸の堤防沿いへ。王子ヶ浜と呼ばれる直線の砂浜が、
先方に2㎞ほど伸びている。

 コンクリートの防波堤と線路の間の狭い道が、熊野古道である。


 王子ヶ浜の先端まで進み、保線小屋のところで線路を渡って高
野坂に向かう。


 林間を上がって進むと、途中で林が切れ、振りかえると王子ヶ浜
が見下ろせる。


 樹林の終わり近くからは往復10分ほどで、展望台へ行ける。
展望台からは、行く手の三輪崎漁港方面が望まれた。


 一部残る石畳道も下って、その三輪崎に下り、JR三輪崎駅前
から線路沿いの旧道へ。熊野古道は港のそばを回って国道42号
に出るのだが、こちらは車が少なくてよい。

 次の紀伊佐野駅近くの南珠寺には、紀伊国日高郡に生まれた
念仏行者、徳本上人(とくほんしようにん)の碑があった。

 国道に出ると間もなく、復元されたばかりの佐野の一里塚がある。


 近くには、スパーセンターと呼ぶスーパーや、ドラッグストア、電
器店、食堂。映画館などが集まった複合商業施設があった。

 その末端付近の小さい林の中が佐野王子跡。「王子跡」の石碑
と、数基の石仏が並ぶだけだった。


 このあたりの国道42号には歩道が無く、高速で車が通過する
危険地域なので注意が必要。無人の宇久井駅でトイレを借りた。

 宇久井の町並みを抜け、国道が左に急カーブするところで、右
への旧道に入り、線路の西に回る。

 那智勝浦自動車学校の横を進み、車道を横断し、廃車置き場の
奥から小狗子(こくじ)峠へ向かう。


 竹やぶや杉林などを峠に上がり、峠を下るととミカン畑や棚田が
現れた。


 白菊の浜の説明板のある狗子の浦付近は、歩道のある国道を
進み、次の大狗子峠は国道より海側に残る、旧国道のトンネルを
抜けた。


 再び国道42号に入ると、歩道がない。車に注意して赤色海岸沿
いを進む。那智湾の向こうに、勝浦の温泉旅館などが望まれる。


 那智駅の近くから、山側の静かな旧道に入ってホッとした。

 正午近く、浜の宮王子社跡の浜の宮神社に着く。


 推定樹齢800年という大きなクスノキが、鳥居の上に大きく枝
を広げていた。



 隣接するのが補陀洛山寺。補陀洛浄土(観音の浄土)に渡海する
場所で、境内には復元された渡海船が展示されていた。


 少し雨が落ちてきたが雨宿りの場所もないので、神社の隅の古い
ベンチで昼食にする。                 〈続く〉

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熊野古道中辺路を歩く①(熊野速玉神社と新宮市内)

2008-11-06 22:32:58 | 熊野古道を歩く
 熊野古道中辺路(なかへち)と高野山への歩き旅を終え、4日夜
帰宅しました。
 
 延べ11日の旅の模様を、これから順次紹介しますが、今月前半
は幾つかの予定があり、連続的に報告できないかもしれません。

 今日は、初日の模様です。

===========================

 第1日 2008年10月25日(土)
 =熊野速玉大社と新宮市内を巡る=


 
 東京駅7時33分発ひかり403号に乗り、名古屋から特急南紀
3号に乗り換え、13時25分に新宮駅に着いた。

 駅に近いビジネスホテルにザックを置き、熊野三山(速玉・那智・
本宮の各大社)のひとつ、熊野速玉大社と、新宮市内の社寺を少
しだけ巡ることにした。

 熊野速玉大社は、駅の西北西にあり、すぐ北を和歌山県と三重
県との県境になる熊野川が流れている。

 駅から北東へ線路沿いの道を進み、石段を上がって市民の憩い
の場で、「丹鶴城公園」と呼ばれる新宮城跡に上がる。

 新宮城は、別名丹鶴城と呼ばれ、関ヶ原合戦の後、和歌山城主
淺野幸長の家臣、淺野忠吉が慶長6年(1601)に築城を開始した
とのこと。

 城はないが石垣が残り、台地上なので和歌山市内や熊野灘、熊
野川の向こうに紀伊山地の山並みなどの展望がよい。


 城跡を下り、西に真っ直ぐ進むと、熊野速玉大社である。

 大きな朱の鳥居をくぐり、塗りかえて鮮やかな社殿に参拝して、
明日からの熊野古道中辺路歩きの安全などを祈る。


 背後の森は豊富なナギに覆われ、境内にも、ご神木で平重盛の
お手植えとして知られ、幹回り6m、高さ20mで、わが国最大とい
うナギの巨木がある。


 社殿の前には、熊野御幸と記された石碑があり、後白河上皇三
十三度、後鳥羽上皇二十九度など、熊野詣でをされた皇室の名と
その度数が記されていた。

 境内にはほかに、樹高21m㍍、目通り幹回り1.65mの、モク
レン科の常緑高木、オガタマノキや、近くで育った文豪で詩人、
佐藤春夫の句碑などがある。

 神社背後から続くナギの純林の南側に沿う狭い通りを、南に向
かう。城下町の面影を残す家並みは別当屋敷町と呼び、旧建設省
の手作り郷土賞に入賞している。


 その一軒の家の柵にはうツタカエデが、よい彩りを見せていた。


 通りに沿って幾つかの寺が続いている。その一つ、本広寺は、
延宝6年(1678)新宮城主三代の水野重上(しげたか)以後、水野
家歴代の菩提寺となっているという。


 千穂小に近い宗応寺は、山門の2階が鐘楼になっているが、由
緒などは記されてなかった。


 少し先に、朱の欄干(らんかん)の太鼓橋があり、急な石段が上
に向かって続いている。

 熊野速玉神社の摂社、熊倉神社で、熊野三山の主神降臨の霊
地、熊野信仰の根本ともいうべきところとか。

 毎年2月6日の夜、白装束に身を固めた祈願者が、神火を松明
(たいまつ)に受けて538段の急石段を下る火祭りで知られるのが、
この社なのである。

 鳥居をくぐってその階段を上がってみた。自然石を積んだ石段が
カーブしながら上がっている。

 特に下半分が急で、このようなところ、をよくかけ下りられるもの
だと、熊野の男意気に感心した。

 上がった断崖の斜面に神社が祭られ、その上に巨大な岩がのし
かかっている。


 ここからも、最初に訪ねた新宮城跡や熊野灘、熊野川河口付近
の市街地などの展望がよい。


 千穂小の横から東へ、国道42号を横断し、国の天然記念物であ
る「浮島の森」を訪ねる。

 市役所にも近い市の中心街、周辺は住宅や商店に囲まれた一角
に、東西約96m、南北約55m、面積約5000㎡という水辺に囲ま
れた緑の島のようなところ。

 縄文時代は海が侵入して島だったが、その後、海が退き、沼沢地
の植物の遺体が多数集まって形成された浮島だという。

 周遊路が設けられ、有料で入って一周できるようになっている。
島内には、スギ、ヤマモモ、イヌウメモドキ、オンツツジなどがびっし
り繁茂していた。

 駅のそばに戻ったころには、日暮れが近づき薄暗くなった。踏切
を越えて近くの徐福公園に行く。

 徐福は、2200百年ほど前、秦の始皇帝の命で、不老不死の霊
薬を求めて船出して、たどりついたところがこの熊野の地だったと
伝えられているという。

 公園内には、初代紀州徳川藩主・徳川瀬宣が建立したという徐
福の墓(下)や、新しい石像、不老の池と呼ぶコイの泳ぐ池などが
あった。


 半日足らずの新宮散策を終え、17時過ぎ、近くのビジネスホテル
に入る。

(天気 晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 新宮、歩行地 和歌山県
 新宮市)
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熊野古道 伊勢路を歩く⑧<大雲取越え、熊野速玉大社>

2008-10-20 18:32:22 | 熊野古道を歩く
 5年前の今日歩いた、熊野古道伊勢路歩きの最終日は、難路、
大雲取越えと、熊野三山の最後、熊野速玉大社参拝の模様です。

===========================

 2003年10月20日(月) 第6日
 大雲取越え、熊野那智大社、熊野速玉大社
 =無事、大雲取を越える=
 


 最終日は、八鬼山と並ぶ熊野古道の難所といわれる大雲取越
えである。今日は荷物も全部持ち、時間もかかりそうなので、朝食
は5時50分と早い。

 体操後、バスで向かうOさんとWさんに見送られ、濃い朝もやの
中、19人が小口自然の家を出た。まだ明け切らず、ひんやりした
空気が気を引き締めてくれる。


 小口川の支流、東川に沿った小集落の途中から、道標に従い石
段を上がって大雲取道に入る。


 「熊野古道(大雲取越え)1」の道標が立ち、以後、500mおきに
ある。陽が差し込まない杉木立の下、薄暗い苔むす石段を上って
円座石に出た。

 大岩に、丸で囲まれた梵字(ぼんじ)が3文字記されていた。

 小雲取道と同様、この道にもところどころに歌碑が立つていた。
ガスが晴れ、木の間から青空が見えてきた。苔むす石畳が続き、
水のある休憩舎や柿の久保旅籠跡(290m)を過ぎる。


 土屋文明の歌碑の先、胴切坂で道はヘアピン状に折れた。3人
は並べるほどの幅広い石畳の急坂、りっぱな杉木立の中を、歩一
歩とゆっくり上り、今回の最高点、越前峠(870m)に着いた。

 杉木立の下に歌碑と説明板がある。小口自然の家に同宿してい
た若い女性2人が追いついてきたので、シャッターを押してもらう。


 緩やかな下りの後、階段状の急な石畳を下りると流れが現れ、
長塚 節の歌碑があった。歌碑の最初「虎杖の…」は何と読むの
か?、

 Nさんが「イタドリ」と言われ、少し先の沢沿いに生えていたのを
教えてもらう。子どものころ、若芽の茎をしゃぶったスカンポだった。

 こちらは、斎藤茂吉の歌碑である。


 沢を離れて再び上りとなる。左に緩くカーブする辺りで西側の展
望が開け、大台ヶ原方面だろうか、高い山並みが遠望された。

 石倉峠(805m)を越えて、杉落ち葉が一杯で苔むす石畳の急坂
を下り、林道の横切る地蔵茶屋跡(702m)に着く。

 小さいお堂があり、赤布をまとった石の地蔵さんがたくさん並ん
でいた。

 1㎞余り、アザミや白い野菊の咲く沢沿いの車道を進む。岩壁
にはリンドウがたくさん咲いている。

 再び山道に入り、粥餅茶屋跡を過ぎる。この先、古道と車道は
何か所かで交差を繰り返す。緩い上り下りを経て、やや急坂を上
り、無線塔横を通過すると、舟見峠(868m)である。

 勝浦辺りの海が見えるらしいが、霞んでいて確認は出来ない。
その海の方からの風が冷たい。風を避けて道路際に腰を下ろし、
自然の家のおにぎりを食べた。


 少し先の舟見茶屋跡を過ぎると、砂混じりの歩きやすい道とな
った。左手にススキの大群などが見え、冷たい風がやや強まる。

 上りも多少はあるが次第に高度を下げ、登立茶屋跡を通過し、
1㎞ほどで広い駐車場のある広場に出た。


 もう山道は終わった。ススキや色づいたツツジなど、秋色の彩
りを見せる自然公園を抜け(上の写真・Kさん撮影)、杉木立下の
石段をどんどん下って、待望の熊野那智大社に着いた。

 展望広場からは、朱塗りの三重塔の向こうに、山腹を落下する
那智大滝が見える。


 バスで回ってきたOさんとWさんが、皆を待っていた。
 色鮮やかな朱塗りの熊野那智大社に参拝し、無事到着出来た
ことに感謝する。


 そばの西国三十三番札所第1番 青岸渡寺(せいがんとじ)にも参
拝。檜皮葺(ひわだぶき)の古い本堂が、長い信仰の歴史を伝えて
いる。


 観光バスやマイカーで来た参詣人が多い。この6日間、自動販売
機やコンビニなど、近代文明から隔絶していた世界から、急に現世
に引き戻されたことを実感する。

 土産店などの並ぶ車道まで下り、太い杉木立に覆われた石段を
下って飛滝神社に参拝。祭神は眼前を垂直に落下する那智大滝で
ある。

(鳥居付近と滝とではコントラスト差が大きく、滝の色が飛んでしま
いお見苦しいですが、ご勘弁を…)

 土産店の間を抜けて、バスの始発地、那智山神社お寺前の駐車
場まで行き、バスでJR那智勝浦駅に出た。最近は、マイカーと観
光バス利用が主で、電車で来る人はわずかなのか、温泉を併設し
た神殿造りの駅は無人だった。

 普通電車で新宮駅まで行き、熊野三山の最後、熊野速玉(はや
たま)大社に向かう。

 踏切を越えて駅の西側に回り、1㎞余りで熊野速玉神社に着く。
全員無事、全行程を歩き終えた御礼の参拝をする。


 この6日間、ご親族や知人の方々を含め、大変お世話になったN
さんからご挨拶があり、全行程が終わった。


 ほとんどの皆さんは市内のビジネスホテルに向かい、私を含め5
人が新宮駅から列車や高速バスで帰途についた。

〈コースタイム〉小口自然の家6・37ー円座石7・00ー休憩舎(水場)
7・20~27ー柿の久保旅籠跡7・49ー胴切坂8・04ー越前峠9・02
~08ー石倉峠9・37ー地蔵茶屋(WC)9・50~10・02ー古道・車道
分岐10・26ー舟見峠(昼食)11・15~35ー登立茶屋跡12・09ー駐車
場(WC)12・33~40ー熊野那智大社・青岸渡寺13・01~11ー飛滝神
社(那智の滝)13・40~50ー那智山神社前バス停(WC)14・00~15=
那智勝浦駅15・23=新宮駅15・44ー熊野速玉神社16・11~25(完)

(天気 晴、距離 17㎞+3㎞(新宮市内)、地図 本宮、紀伊大野、
 新宮、紀伊勝浦、歩行地 熊野川町、那智勝浦町、新宮市)
コメント (2)
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