あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

四国遍路道の道しるべ(2)

2007-06-08 21:59:12 | 四国遍路あれこれ
 四国遍路道の道しるべ、その2は、高知県で見かけたものです。

 室戸岬を過ぎて、標高164mにある26番金剛頂寺へは、東側
から林間のへんろ道を上がります。寺まで150mのところにあっ
た簡単な道しるべ。お寺さんで作ったものでしょうか。

 残りどのくらいか、距離が分かると安心です。

 金剛頂寺から南西の国道55に向かって、やはり林間を下り
ます。「国道へ1k」と記されています。


 27番神峰寺(こうのみねじ)へは、標高200m辺りから車道に
別れて「真っ縦」と呼ぶ急坂の遍路道を標高430mの寺まで
上がります。

 遍路道の入口に立つ「神峯遍路道」の標識。車道は石碑の
右側を上がります。

 その遍路道の途中に下がる、へんろみち保存協力会の遍路札。

 あちこちの遍路道にたくさん下がっているこの札を確認でき
ると、道を間違えていないと分かり、ホッとします。

 29番国分寺から30番善楽寺へ向かう車道、南国市の西端
近くにあるヘンロ小屋5号蒲原付近の「四国のみち」の標識。

 へんろみち保存協力会の赤い遍路札も止めてあります。

 高知市内に入り、浦戸湾を見下ろす32番禅師峰寺(ぜんじ
ぶじ)の下、遍路道と車道との分岐点に立っていました。

 遍路道は、右側からひとしきりの急登です。

 最近、電柱などに印刷されるようになった、遍路道である
ことを記す四鈷マークと、ブルーのシール。どういう団体の
ものなんでしょうか。

 36番青龍寺を打ち終え、浦ノ内湾沿いに進む、高知県水産
試験場付近の県道23号線の電柱にあったもの。

 浦ノ内湾を過ぎ、県道314号にある佛坂は、県道をショート
カットする短い遍路道で越えます。その入口にある新しい遍路
標石。

 このような標石は、平成に入って建てられたので「平成遍路
石」と呼ばれています(2つ手前の写真・禅師峰寺の下にある
ものも「平成遍路石」です)。

 坂を下ると、番外霊場・仏坂不動尊(岩不動)があります。
 
 仏坂遍路道の途中にある37番岩本寺への道標。

 誰が吊したのか、鈴が下がっていました。
 
 36番青龍寺から37番岩本寺への途中の中土佐町で、七子
峠(287m)に向かって、そえみみず遍路道と大坂遍路道の
二つの遍路道があります。その分岐に立つ標識です。

 そえみみず遍路道は、古くからの遍路道の雰囲気をよく残す
コースとして人気が高かったのですが、現在、四国横断自動車
道の工事のため、2008年末まで通行止めです。

 37番岩本寺から、足摺岬にある38番金剛福寺までは80km
の長丁場。岩本寺から5km余り、国道55号をショートカットする
片坂遍路道の入口付近にあった標識。

 落ち葉がいっぱいの林間を抜ける、気持ちよい遍路道です。

 足摺岬まで9kmほどに迫った窪津漁港の横から、漁港を見下
ろす遍路道に上がりますが、その入口付近にあったかと思われ
る古い石仏の台座に彫られた遍路道の標識です。

 このような、お地蔵さんなどの石仏に遍路道であることを記し
たものは、何か所かで見ました。(続く)

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四国遍路道の道しるべ(1)

2007-06-07 23:19:33 | 四国遍路あれこれ
 「四国遍路あれこれ」、次は、遍路道にある道案内の標識、
いわば「道しるべ」ともいうべきものを紹介します。

 遍路道を歩くには、「へんろ道保存協力会」編集の「四国
遍路ひとり歩き同行二人」という2冊の冊子のうち、「地図
編」に記載された地図が頼りです。

 その「地図編」を見ながらでも、実際歩いて行くと、分岐や
山道などで、この道でよいのだろうかという疑問にしょっちゅう
出くわします。

 そんなときにタイミングよく、標識があると安心して進めるの
が道しるべで、歩き遍路にとって大変心強い援軍です。

 1番霊山寺からの順路に沿って、遍路道で撮った道しるべを、
何回かに分けて紹介します。

 最初は、3番金泉寺から4番大日寺に向かう道筋、徳島自動
車道をくぐり、3番奥の院・愛染院(あいぜんいん)へ向かうへん
ろ道にある、いくつかの標識です。  

 手前の石の「へんろ道」と彫られているのは、かなり古いもの。
奥の木製は「四国のみち」の標識、それぞれの上にある赤い色
の小さい標識が、もっとも頼りなり数も多い「へんろみち保存協
力会」が設置した標識です。

 これも「四国のみち」の標識。「四国のみち」と、へんろ道保存
協力会の地図上の歩き遍路道とは、必ずしも一致しませんが、
かなりのルートが重複しているので、その場合は、地図上と現地
でのルート確認に使えます。

 この場所は、8番熊谷寺から9番法輪寺への途中、田んぼの
向こう(写真の左手)に法輪寺の森が見えてくる辺りです。

 10番切幡寺から11番藤井寺に向かう道では、幅広い吉野
川の流れの間にある2つの沈下橋を渡ります。

 この標識は、最初の大野島橋に向かう左岸堤防の上り口に
あるもの。

 すぐ先、堤高の高い左岸堤防から大野島橋を見下ろせると
ころに立つ、へんろみち保存協力会の標識。


 11番藤井寺の境内左手奥から、最初の「遍路転がし」と呼ぶ
険しい山道にかかります。その入口に立つ標識です。


 焼山寺に向かう山道へ。最初のひと上りを終え、端山休憩所
と呼ぶ吉野川の展望が開けた場所を過ぎ、番外霊場・長戸庵
に向かう道すじに立つ「四国のみち」標識と、古い道しるべ。


 焼山寺への道は、標高500~600m前後の稜線上の上り
下りが続きますが、最後の下りは、左右内谷川沿いの集落・
左右内(そうち)に向かう急な下り。

 集落への下り口に立つ、へんろ道保存協力会の標識です。
 下の「最後まで残った空海の道ウオーク」と記されたもの
は、日本ウオーキング協会が毎年実施する、「空海の道ウ
オーク」のグループが立てたものです。

 12番焼山寺から次の13番大日寺へは、2つのルートが
ありますが、北側の玉ヶ峠(450m)への上り口、車道から
山道にかかるところに立つています。


 17番井戸寺から徳島市内を通過し、18番恩山寺まで1㎞も
ない辺りに、壇ノ浦の合戦に向かう源義経の上陸地があります。
その記念碑そばにある「四国のみち」の標識です。


 19番立江寺から第2の遍路転がし、20番鶴林寺への途中、
少し迂回すると番外霊場・星の岩屋があります。
 
 勝浦川沿いから星の岩屋への上り道の入口、星谷集落の
三差路に立つ標識。

 絵入りの大きな板の標識は、地元で建てたもののようです。

 20番鶴林寺へ向かう3つのへんろ道のうち1番西側、勝浦
川右岸の棚野集落からの幅広い山道にある、古い標識。


 20番鶴林寺の山門を入り、本堂に向かう杉木立の参道に
立つ、中務茂兵衛(なかつかさもへい)が179度目の遍路で
奉納した遍路石。

 中務茂兵衛は、22歳で故郷の山口県を出て、1922年に
高松市で亡くなるまでの明治・大正時代、1度も故郷に帰る
ことなく、280回もの四国遍路をしました。

 その間、たくさんの道標を建立し、現存するだけで230基
に及んでいるそうです。

 20番鶴林寺から21番太龍寺へのへんろ道、若杉谷川沿い
から標高430mの太龍寺へ向かう山道の、登坂口付近にある
遍路標石。


 21番太龍寺を打ち終えて第2のへんろ道を無事通過し、阿瀬
比から22番平等寺へ向かうへんろ道の最後のピーク、大根峠
(200m)に下がる、へんろみち保存協力会の標札です。


 この中で幾つか紹介した「四国のみち」については、下記Web
をご参照下さい。 
       http://www.skr.mlit.go.jp/road/smiti/smiti.html                         〈続く〉
 
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銀座から丸の内を散歩

2007-06-06 23:16:40 | 江戸・東京を歩く
 今日は東京都心に出かけ、東京駅から銀座、丸の内、淡路町を
経て御茶ノ水駅まで、何か所かに寄りながらの都心ウオーキングを
しました。



 東京メトロ東京駅で下車、八重洲口に回り、まず、八重洲ブック
センターに入りました。地形図と遍路本を求め、京橋から銀座に
向かいます。

 数寄屋橋交差点際にある、数寄屋橋公園には「銀恋の碑」があり、
「銀座の恋の物語」の一節が彫り込まれています。


 交差点のはす向かいにあるソニービルには、環境月間にちなむ
東京電力の企業広告が掲げられています。やはり環境にちなむ
ソニーの大きな企業広告も右手にありました。


 数寄屋橋交差点の南西側にある数寄屋橋公園には、終戦直後
のNHKラジオの人気番組、「君の名は」の作者、菊田一夫さんの
筆跡で「数寄屋橋此処にあるき」の碑が建っています。


 その背後にある大きな彫刻は、1970年大阪での日本万国博で
おなじみ、岡本太郎の作品です。


 そばを走る東京高速道路の高架下にある商店街、銀座ファ
イブに入り、2階にある富士フォトサロンでの写真展を観覧
しました。 

 ここでの写真展は、いつ見ても素晴らしい作品なので、自分
の写真撮影の参考になり、おなじみの寄り道の一つです。

 高速道路の西側の小公園には、「明治大学発祥の地」碑が
ありました。

 明治大学の前身、明治法律学校が、明治14年(1881)に
旧島津藩主松平氏の上屋敷跡だったこの地に開校したとの
ことです。

 JRのガードをくぐって北側、有楽町駅そばにある電気ビル
に入り、「ふるさと情報プラザ」を訪ねました。

 ここでは、東京都を除く全国各道府県や市町村のパンフレ
ットがもらえるので、やはり寄り道の一つ。今日は、近く歩く
予定の地域のパンフレットを幾つかもらいました。

 電気ビルの西側を貫く丸の内仲通りに入り、北に向かいます。

 この通りは、車道よりも両側にある歩道の方が幅広く、街路
樹や花の植え込みなどもあり、散歩にはよい通りです。

 ところどころに、このような変わった彫刻も置いてあります。


 明治安田生命館のガラス窓に、この通りが1丁ロンドンと呼ば
れた頃の古い建物の写真が展示されていました。

 これらの写真を見て、一昨年の今ごろと昨年7月にウオーキン
グで訪ねた、ロンドンの現在の町並みとよく似ていることを思い
出し、さらに、大手町の職場に昭和30年代に勤めていた頃、
このような建物が丸の内に多かったことも思い出しました。


 先日の新聞で、東京駅丸の内口の建物が、建築当時の3階建て
に復元されるため、近く工事が始まると報道されていました。

 間もなくこの赤レンガの周囲は、覆い隠されて見えなくなり、
修復後の姿は、写真で見たことのある円形ドームの屋根に変わ
るのであろうと想像されます。

 この右手にある東京中央郵便局に寄り、最近発行された記念
切手を3種購入しました。東京中央郵便局も、再開発で高層ビル
になることが、やはり最近、報道されていました。

 大手町ビルを抜け、一つ西側の日比谷通りに出て、首都高都心
環状線が高架で走る日本橋川を渡り、延長上の本郷通りに進み
ましたが、カメラの電池切れで、この先の写真はありません。

 小川町交差点、ニコライ堂横を通過し、JR御茶ノ水駅の北、神
田川にかかる聖橋を渡り、湯島聖堂の近くに最近移転した日本
ウオーキング協会にも立ち寄り、東京メトロ御茶ノ水駅から帰途
につきました。(距離 約7km)
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カントリーウオーク柴又・市川

2007-06-05 21:39:16 | カントリーウオーク
 そろそろ、アジサイやショウブが見頃になってきたようです。
梅雨入りの時期ですが、関東の梅雨入りはもう少し先になりそう。

 今日のレポートは、一昨年5月下旬に東京・葛飾区から千葉県
市川市を歩いた、カントリーウオークグループの例会模様です。

===========================

 2005年5月29日(日)



 JR常磐線金町駅に集合し、16人が4組に分かれて10時8分
に南口をスタートする。

 京成金町線の東側を平行する都道307号を南に向かう。国道
6号下を過ぎ、イチョウ並木の歩道を進むと、東側に500m余り
は金町浄水場沿いとなる。

 まもなく柴又の町並み。だんごやせんべい、くず餅などの店が
並ぶ門前町を進んで帝釈天(たいしゃくてん)に詣(もう)でる。
山門、鐘楼、本堂など、みな精巧な木彫に飾られている。参拝
客も多い。

 本堂横から東に抜け、寅さん記念館入口そばの階段を上がる。
記念館上は公園になっていて、江戸川や対岸の矢切方面が一望
できる。

 クローバーの咲く右岸堤防を下り、江戸時代初期に始まったと
いう矢切の渡しへ。

 32人乗りの渡し船はひとり百円、さわやかな風を感じながら、
対岸の矢切まで5分ほどである。

 松戸市に上がり、用水沿いに北総公団線のガード下まで進む。
流れにはカルガモが泳いでいた。高架線路の南側を平行する道
を段丘下に向かう。南側では、千葉県江戸川浄水場の工事が
進んでいた。

 栗山集落沿いに少し南進、山すそから急階段を段丘上に上が
る。浄水場横を南に行くと、林の横に栗山古墳の標識が立つて
いた。

 かつて人や馬などの形象埴輪や円筒埴輪が見つかったとのこ
と。いま林は下草が茂っていて、古墳そのものは確認できない。

 北側の住宅の南端から林の中の細道を下ったところに、神仏
分離以前は一体だったと思われる栗山日枝神社と本久寺が並ん
でいた。

 高台なので、西側の浄水場工事の様子などがよく見える。

 先ほどの階段下へ戻り、斜面林の細道に入る。木陰の斜面を
斜めに上がる気持ちよい道。下矢切の段丘上に出て、野菊の墓
文学碑のある公園に12時18分に着いた。

 他のグループは到着していて食事中だった。桜の木陰で弁当
を広げる。

 公園からは、西側の江戸川方面の展望がよい。
 
 昼食を終え、13時12分に出発する。車道をまたぐ陸橋で東
側に回り、伊藤左千夫の「野菊の墓文学碑」前を回って車道に
下りた。



 午前中通ったコースを逆に、斜面林の上から本久寺に下り、
段丘の下を南に少し進む。里見公園に向かって上がる斜面に、
カタバミがたくさん花を開いていた。


 里見公園は、文明11年(1479)太田道灌が臼井に籠(こ)
もる千葉孝胤(たかたね)討伐のため築いた国府台(こうのだい)
城跡。

 その後、足利義明が北条の軍勢2万基と戦い敗退、明治以降
は陸軍教導団が移され、兵舎が並ぶ軍隊の町となったという。

 緑に覆われた公園にそのような歴史が隠されていたとは…。
公園は昭和34年(1959)の開園。南側にはバラ園があり、
見ごろな花から芳香が漂っていた。


 公園を出て東に向かう。近くにかやぶきの家があり、式正織部
流(しきせいおりべりゅう)茶道の看板が立っていた。

 同流派の茶道は千葉県無形文化財になっていて、現在は織部
桔梗会が文化財の保存をしているという。

 県道1号(松戸街道)近くの家の常緑広葉樹の枝に、わらで作
った蛇のようなものがしばってある。

 ちょうど顔を出した奥さんに聞くと、「ここは国府台の境界に
あり、昔から集落に悪が入らぬようにする魔よけとして、毎年
正月に作り替えている」とのことだった。


 国立国府台病(こうのだい)院横を入ってじゅん菜池緑地へ。
キショウブが咲き、亀が甲羅干(こうらぼ)しする池の北側に、
ジュンサイの自生地がある。

 現在は数が減り、この日も来られていた松田仁松さん(83)が
中心になって保全を図っているようだ。


 ベニバナトチノキの咲く国府台6丁目の住宅地を抜け、北国分
1丁目の丘陵にある小塚山公園に入る。


 杉、赤松、コナラ、エノキなど豊富な樹林を上がり、公園上部
のベンチで小休止した。


 もう一つ東側の丘陵は堀之内貝塚公園。遊歩道に貝塚が露
出していて、白い貝の破片がたくさん落ちている。「国指定史跡
堀之内貝塚」の説明板があったが、文字がかすれていてよく
読めなかった。

 北国分3丁目の住宅地を経て、15時58分、ゴールの北総
公団線北国分(きたこくぶん)駅に着いた。

(参加 17人、天気 晴、距離 11㎞、地図 草加、松戸、
 船橋、歩行地 葛飾区、松戸市、市川市)
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四国八十八ヶ所ヘンロ小屋をつくる会

2007-06-04 23:07:55 | 四国遍路あれこれ
 5回にわたり、四国遍路道の休憩所を紹介しましたが、この
中に、普通の東屋(あずまや)とは少し違った形の休憩所が幾
つかあったことに気づいた方も、おられたことでしょう。

 歩き遍路をされた方は、「ヘンロ小屋○号」というように表示
された小屋で休まれた方も多いかと思います。


 これらは、建築家で近畿大学教授・歌 一洋(うたいちよう)
さんがすすめているプロジェクトです。


 歌先生は、徳島県海部町(かいふちょう)のご出身で、幼少
の頃からお遍路さんに「お接待」をしてきました。


 先生は、お遍路さんが休憩・仮眠できる小屋を、遍路道に
89棟つくる計画で、歌さんと地元の方々がボランティアで、
設計、建設を進めています。


 ヘンロ小屋造りは2001年にスタートし、15年ほどで89棟
全部を完成させる予定です。


 ヘンロ小屋には、1号から順次号数がつけられていて、今年
2月現在で22号まで完成しました。


 これらヘンロ小屋プロジェクトを支援しようと、昨年2月に、
「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋をつくる会」が発足しました。


 会では、ヘンロ小屋建設を支援するとともに、遍路文化の
保存、継承に協力することや、講演会などの啓蒙活動を行う
ことなども目的としています。


 私も、発足後間もなく入会しました。


 会長は、発足当時は、「花へんろ」などの作家・早坂 暁
さんでしたが、体調の関係で、昨年11月からは、元朝日
新聞論説委員の辰濃和男さんが就任されました。


 歩き遍路をされた方は、遍路道で日差しを避けて休憩した
り、雨の時の昼食場所など、休憩出来る場所の必要性を
何時も感じておられたことと思います。


 この機会に、目的にご賛同の方は、「四国八十八ヶ所ヘン
ロ小屋をつくる会」に入会され、ご支援をいただければと思
い紹介しました。

 会費は、年額1口3000円で、2口以上も可能です。

歌 一洋 建築研究所のWebは以下をご覧下さい。

    http://uta.rgr.jp/ 

 

 

 

 



 
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「四国へんろフォーラム@東京」

2007-06-03 23:31:11 | 四国遍路あれこれ
 今日午後、東京・吉祥寺の前進座劇場で開催された、『四国
へんろフォーラム@東京』に行って来ました。

 主催は、「四国へんろ道文化」世界遺産化の会で、パネラーは
以下の5人でした。

 元朝日新聞論説委員で、3度の四国遍路をされた、辰濃和男
さん。最近、「歩き遍路-土を踏み風に祈る」を出版されました。

 NHKドラマ・チーフプロデューサーで、昨年の秋に放映された
四国遍路がテーマの土曜ドラマ「ウオーカーズ」を担当された
鈴木圭さん。

 映画プロデューサーで、最近「団塊、再起動」を出版された
増田久夫さん。

 フォーラムの直前に上演されたミュージカル「夢へんろ~どん
な時も希望をすてず~」の作・演出をされ、松山市の劇団ミカン
座座長の戒田節子さん。

 三味線奏者で、大学卒業の年と翌年、三味線の奉納演奏を
しながら四国遍路をされた月岡祐紀子さん。 

 フォーラムは、58番仙遊寺住職・小山田憲正さんがコーディ
ネーターになり、2時間にわたるパネルディスカッションが行わ
れました。

 発言の要旨は以下のようなものでした(敬称略)。

(辰濃)44歳の現役の時の遍路は、お四国大学へ入って「自分
と向き合う」ことを感じ、60代の2度目では、「人との出合い」を、
3回目の70代では「自然との出合い=自然に祈る、感謝」を
感じた。


(鈴木)昨年のドラマ「ウオーカーズ」は、44歳で制作したが、
辰濃さんの初めてのお遍路の歳なので、ご縁を感じた。

制作中、プロデューサー日記をホームページに掲載したところ、
放映前から遍路への思いを記した長文のメールをたくさんいた
だき、反響の大きさに驚いた。

(増田)遍路の経験はないが、60歳の団塊世代で、昨年暮れ、
仙遊寺でのヨガの修行がご縁で、出席させていただいた。

最近、「団塊、再起動」という本を出した。団塊世代は60歳で
リセットするのではなく、リブート(再起動)なのだという内容
だが、まさに遍路はリブートではなかろうか。

(戒田)自分は、松山市内の50番繁多寺近くで育ち、母親など
がお遍路さんに米を接待していたのを、小さい頃から見ていた。

現在は松山のミカン一座の座長で、四国をテーマにミュージカ
ルを制作・上演している。今日のミュージカルは、引きこもり
の子どもたちが四国遍路に出て、変わることを盛りこんだ。
遍路をした子どもたちに取材してみて、自然に身を置くことの
大切さを感じた。

(月岡)父が尺八奏者だったので、幼少の頃から三味線を習
っていた。高校時代に三味線を弾きながら全国を回る「ごぜ」
さんのことを知った。

 同じような経験をしてみたいと思い、知人に勧められ、大学
卒業前に1人で、三味線の奉納演奏をしながら四国遍路をし
た。苦しいこともあったが、後半にはすっかり遍路にはまった。
翌年、カメラマンの女性との2回目の遍路は楽しい気持ちで
回ることができた。

(辰濃)遍路は遊びの心が大事。ふだんの群からはぐれて、
1人で遊べるのが遍路ではないだろうか。
お接待とは、物でいただくだけでなく、心や力もいただくのだ
と思う。

(増田)20歳で世界放浪の旅を経験した。南米からヨーロッパ
に回り、ドイツではユースホステルを中心に宿泊したが、遍路
に通じるものがあったように思う。

近年、CWニコルさんと映画造りをしたが、ニコルさんの活動
から、地球の大切さを学んだ。

(鈴木)ドラマは芝居だが、実際に遍路をするということは、
芝居ではできない何かがあるのではなかろうか。

(月岡)遍路に行く前には、何か結果を出さなければという思
いがあったが、歩いているうちに、不完全でもよいのではない
かと考えるようになり、歩くことが楽しくなった。

(辰濃)歩くと脳を刺激する。苦と楽は一体、死と生とは一体
だと思う。

(小山田)遍路をすることで、はだかの自分に出会えると思う。
四国遍路道文化を世界遺産にという考えは、「共生の心を伝
えたい」という思いから出発したことである。


 パネラーやコーディネーターの発言の主旨とは違ったかも
しれませんが、このような話題がありました。これ以外の
発言もありましたが、メモしてないので省略します。

 なお、このシンポジウムを主催した『「四国へんろ道文化」
世界遺産化の会』のWebは以下をご覧下さい。
  
   http://88henro.org/article/3874350.html

 このシンポジウムの直前に上演された、四国遍路をテーマ
にした、みかん一座のミュージカル『夢へんろ ~どんな時も
希望をすてず~』は、立ち見も出るほどの大盛況でした。

 同ミュージカルは、6月23日(土)と24日(日)に松山市内
でも上演されます。詳しくは上記Webをご覧下さい。
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久しぶりの箱根

2007-06-02 19:27:26 | Weblog
 今週初めの5月28日(月)~29日(火)、箱根・姥子のホテル
での、伯母を偲び、中国に赴任する従兄弟の壮行会を兼ねた集
まりに出かけ、初めての場所や、30年ぶりくらいの箱根を訪ね
ました。



 新宿から小田急ロマンスカーで箱根湯本まで行き、湯本からは
久しぶりの登山電車で強羅に向かいます。

 登山電車の最もきつい勾配は1000分の80、いまは廃線と
なった、あのJR信越線横川~軽井沢間の碓氷峠越えにあった
1000分の68より急で、もちろん日本一の急勾配です。

 一気に上ることは出来ないので、3回のスイッチバックで進み
ます。営業距離は全線8.9kmですが、下の箱根湯本の標高
が95m、終点強羅が542m、標高差は約450mあります。

 塔ノ沢駅と大平台駅の中間、最初のスイッチバックになって
いる信号所からは、いま登ってきた線路の鉄橋が見下ろせます。

 写真の鉄橋を渡って左に進み、反時計回りに半円形のカーブ
を描いて、撮影した信号所まで上がってきたのです。

 終点の強羅駅に近づいた登山電車。

 もちろん乗ってきた電車ではなく、次の電車です。

 強羅駅はログハウス調の造りです。


 宿の送迎バスで姥子にあるホテルに入った後、夕食まで時間
があるので、近くを散策してみました。

 箱根ロープウェイの下に近い三差路際に、秀明館という古く
からの温泉宿がありました。


 構内にある薬師堂の内部。お堂のそばには古い石仏が数体並
んでいました。


 この日(28日)関東は気温が下がり、ここでは13℃。上着
なしでは少し寒いくらいですが、ツツジやシャクナゲが見頃で
した。



 翌29日の朝食後、ホテルの中庭に出ると、雲間から短い
時間だけ富士山が顔を見せてくれました。


 Oさんがレンタルしてきた車で、近くの大湧谷まで行き、遊歩
道を噴煙のそばまで上がってみました。

 ここを訪ねたのは、30年ぶりくらいでしょうか。


 芦ノ湖へ下って湖畔沿いに南端まで行き、箱根関所跡を訪
ねました。

 箱根関所は、江戸時代初期の元和5年(1619)に設けられ
ました。

 徳川幕府は、全国53箇所に関所を設けましたが、その中で
も、中山道の木曽福島(長野)、碓氷(群馬)、東海道の新居
(静岡)、そしてここ箱根(神奈川)の4箇所は規模が大きく、
最も重要な関所と考えられていたようです。

 箱根関所の復元はこの3月に終わったばかりのようで、いず
れの建物も真新しい装いでした。

 これは、関所の中枢ともいうべき大番所です。

 大番所内部には、役人の人形が並んでいます。


 私たちは南側の京口御門から入ったのですが、北側には、
この江戸口御門が復元されています。


 ほかに、足軽番所、厩(うまや)、雪隠(せっちん=便所)、柵
などが復元されていました。

 急斜面を少し上がると、見張りをした遠見番所の小さい小屋
があり、芦ノ湖の南面が見下ろせます。

 関所の北側にある、箱根関所資料館にも入り、高札や通行
手形など、関所に関するいろいろな資料も拝観しました。

 ちなみに、関所と資料館共通の入場券は大人500円です。

 箱根関所バス停からバスで小田原へ出て、往路と同様、小田
急で帰途につきました。
  

 

 
 



  

 

    
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アートウオークセラピー(星山から子安の里へ)

2007-06-01 11:45:24 | ウオーキング
 2007年5月27日(日)

 カントリーウオーカーのやまさんと、パートナーの敬子さんが
企画して神奈川県・三浦半島を歩く「アートウオークセラピー」、
今回は、3月21日に歩いた葉山町と横須賀市境より北から東
側、下山川沿いを上がり、葉山町星山から横須賀市の「子安
の里」と呼ばれる辺りを歩いた。



 京浜急行 新逗子駅に10時に集合、バスに乗り葉山終点で
下車する。何時もいろいろなものに気づくやまさんが、ここ葉山
バス停が、下山川の橋の上にあることを発見した。たしかに、
橋の上のバス停は珍しい。

 橋の下流(写真の背後)、右岸から北側は葉山御用邸である。

 左岸沿いの住宅地に入り、台地に向かって少し上がると、万福
寺がある。檀家の人たち数人が生垣をせん定していた。
 
 新しい山門をくぐって境内へ。のれんの下がった六地蔵があり、
そばに、いまも使える手押しポンプがある。墓参りに来た人は、
このポンプでくんだ水を使うようだ。

 寺は、葉山町のボーイスカウト・ガールスカウト発祥の地でもある
という。

 住宅地を700mほど東に進むと、巾着形にカーブして流れる北山
川が見下ろせる。


 川に向かって下り、橋を渡って星山の集落へ。背後の林のあちこち
でウグイスが鳴く。

 斜面を少し上がって観音堂に行く。ちょうど出会ったご近所の須藤
さんに教えてもらい、お堂の奥を更に上がると、平兼盛の墓と伝わる
五輪塔が小さいお堂に祭られていた。 

 お堂には、「忍ふれど 色に出にける 我が恋は 物や思ふと 
人の問ふまで」の歌が掲示され、この歌が兼盛の作であったこ
とを改めて認識した。

 須藤さんがカギを開けて観音堂に上がらせて下さり、普段は
閉めてある2体の観音像も見せていただいた。

 子育て観音として、近在の人の信仰を集めているという。
  
 周辺は、海の町がイメージされる葉山とは思えぬ、木々や山
などに囲まれている。それらの新緑を眺めながら昼食にした。

 「すぐ下の棚田には、間もなくホタルが飛び交う」と須藤さんは
言われた。


 星山橋に向かって下ったところに茅山荘があった。かやぶき
の山門をくぐると、下山川の流れを取り入れた、緑豊富で広い
別荘地。毎週日曜日には、座禅会も開かれているようだ。


 星山橋を渡り、小さな赤鳥居の穴守稲荷神社のそばから、林間
の斜面を南東に上がる。ウグイスがいっそう間近で美声を競う。

 小さい三差路際に、町文化財「星山の庚申塔」が5基並んで
いた。


 すぐ先からは、北側の展望が開け、梅林の向こうに新緑の
山並みが見晴らせる。ここでスケッチタイムとし、その山並み
などを、15分ほどスケッチした。


 星山集落を抜け、葉山町と横須賀市の境になる稜線に沿って
林間を南西に進み、標高150m近いピークを越えて少し下る。

 T字路を南へ、横須賀市に入ってさらに林間を進み、途中の
休耕した畑に腰を下ろし、合唱タイム。まず、韓国ご出身のK
さんのリードで「アリラン」を原語で習う。

 そのあと、敬子さんのオカリナに合わせ、「わかば」「緑のそよ
風」「牧場の朝」「おお牧場はみどり」など、この季節にふさわし
い唱歌を合唱した。

 子安川右岸に下って中地梨橋を渡り、県道21号の山側を走る
里道を関渡集落へ。この辺りから東側一帯が「子安の里」と呼ば
れ、古い庚申塔や、名木、長屋門などが残っている。

 もう咲き出したアジサイを背に、今日のメンバーの記念撮影。


 集落の東端へS字状に回り込んだところにある軽部家には、
横須賀市内でただ一つ、神奈川県名木百選に指定されいる大
きなモチノキがあった。

 樹齢は約300年とか。もとは雌雄2本あったようだが雄木は
枯れて2000年に伐採されたという。

 県道を横切り、四ツ谷橋を渡って無人の西光院で休憩する。
大イチョウの下に、小さい六地蔵が並んでいた。

 民家の散在する四ツ谷から吉原集落へ上がる。傍らの民家で、
収穫した青梅を無人販売していた。1袋300円だったので購入
する。
 
 吉原集落の南端辺りから、新緑あふれる大楠山周辺の眺望が
よい。


 うっそうとした暖帯林を、ホトトギスの声を聞きながら下り、海岸
間近の秋谷に下る。

 海沿いを走る国道134号の手前に、なまこ壁のりっぱな長屋門
があった。秋谷の名主だった若命(わかめい)家の長屋門で、横須
賀市の文化遺産である。

 敷地内には、秋谷の氏神、神明社もある。

 国道に出て、近くの秋谷バス停に16時15分に着いた。

(天気 晴、距離 8km、標高差累積 860m、地図(1/2.5万)
 鎌倉、秋谷、歩行地 葉山町、横須賀市)
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