ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。
葛塚城の堀切跡には、去年のガマの穂が残っています。
でも、新芽も出ています
このまま道なりに、北上する予定でした。
でも、ひめちゃんがどうしても東に行くと主張します。
急遽、東の牧場を目指します
ヤギさん、いるかな?
おはよう、ヤギさん
獅子くんは、近寄ってご挨拶です
今朝の君の瞳は輝いているね
ひめちゃんは、ヤギさんに関心なさそうです
この橋(山神橋)の向こうの坂は、サマンサ坂です。
ひめちゃんたち家族の前にいた、黒柴第一世代・サマンサおばちゃんの魂が天に昇って行った所です。
(2018年9月14日)
横瀬神社を後に、隣の華蔵寺に参拝です。
まず、山門を目指します。
参門脇に、屋根に大中黒の目立つ建物があります。
毘沙門堂ということです。
大中黒の紋ということは、新田氏の関係かな?
まあ、山門へ行きましょう
説明板があります。
「建久5年(1194)に、新田義重の三男、新田義包(にったよしかね)が開基と言われいる」とあります。
新田義包って、だれだ?
参門をくぐって本堂へ進みます。
山門の所に、板東八十八番霊場とありました。
納経處→、行こうと思って、ちょっと待てよ。
百円玉は、あったっけ
百円玉2個と50円玉1個しかありません
抵抗なくおつりをくれる所もあるけれど、今回は遠慮しておこうか
御朱印は300円が相場なので、たいがい用意してくるけど、今回は失敗
また来なさいという事かな
もう一つの門・鐘楼門に向かいます。
次回こちらから御朱印をお願いします
隣の白い建物は、美術館ですね。
お堂を覗いてもお留守の仏様は、こちらにおいでなのでしょう
こちらの境内案内図にも、新田義包開基とあります。
開基新田義包の墓を確認してから、帰ります。
大日堂の裏にあるのですね。
このお堂の主・大日如来が、埼玉県の指定文化財になったのですね。
覗いてみましたけど、お留守でした。
やっぱり、美術館のほうかな?
ズーッと赤い建物だったのでしょうか?
後ろに回ります。
ありました
開基新田義兼公墓とあります。
新田義包は新田義兼みたいです。
新田義重の息子で、新田氏の2代目ということのようです。
新田荘の範囲は何処までか?
久保田順一著『中世武士選書18新田義重』には、「新田荘の郷々」ということで、「新田の荘田畠在家注文」という資料があがっています。
これは、岩松持国が足利成氏に、新田荘内所領の安堵を求めて提出した文書の写しだそうです。
これが平安末期の新田荘の実態を示すものだそうです
この中に「よこせの郷 畠三丁五反 在家二う」とあります。
あれ、「につかわの郷 田十七丁一反三十たい 畠十二丁三反廿五たい 在家廿六ちやう」とあります
そして、「さかいにとらる」と註あります。
「さかいにとらる」とは、隣接する荘によって横領されたということらしいです。
ということは、山上氏によって新川(桐生市新里町新川)は横領され、山上になってしまったということですか
新川に新田の重臣・船田善昌が住むには、少々というかかなり無理があります
それにしても、「につかわの郷」は、他の郷よりずっと豊かな所です