黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・新田荘横瀬郷(ぞく・にったのしょうよこぜごう)

2020-05-02 16:06:19 | 埼玉県・総集編

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ます。

葛塚城の堀切跡には、去年のガマの穂が残っています。

でも、新芽も出ています

このまま道なりに、北上する予定でした。

でも、ひめちゃんがどうしても東に行くと主張します。

急遽、東の牧場を目指します

ヤギさん、いるかな?

おはよう、ヤギさん

獅子くんは、近寄ってご挨拶です

今朝の君の瞳は輝いているね

ひめちゃんは、ヤギさんに関心なさそうです

この橋(山神橋)の向こうの坂は、サマンサ坂です。

ひめちゃんたち家族の前にいた、黒柴第一世代・サマンサおばちゃんの魂が天に昇って行った所です。

 

 

(2018年9月14日)

横瀬神社を後に、隣の華蔵寺に参拝です。

まず、山門を目指します。

 

参門脇に、屋根に大中黒の目立つ建物があります。

毘沙門堂ということです。

大中黒の紋ということは、新田氏の関係かな?

 

まあ、山門へ行きましょう

説明板があります。

「建久5年(1194)に、新田義重の三男、新田義包(にったよしかね)が開基と言われいる」とあります。

新田義包って、だれだ?

 

参門をくぐって本堂へ進みます。

山門の所に、板東八十八番霊場とありました。

納経處→、行こうと思って、ちょっと待てよ。

百円玉は、あったっけ

百円玉2個と50円玉1個しかありません

抵抗なくおつりをくれる所もあるけれど、今回は遠慮しておこうか

御朱印は300円が相場なので、たいがい用意してくるけど、今回は失敗

また来なさいという事かな

 

もう一つの門・鐘楼門に向かいます。

次回こちらから御朱印をお願いします

隣の白い建物は、美術館ですね。

お堂を覗いてもお留守の仏様は、こちらにおいでなのでしょう

 

こちらの境内案内図にも、新田義包開基とあります。

開基新田義包の墓を確認してから、帰ります。

大日堂の裏にあるのですね。

このお堂の主・大日如来が、埼玉県の指定文化財になったのですね。

覗いてみましたけど、お留守でした。

やっぱり、美術館のほうかな?

ズーッと赤い建物だったのでしょうか?

 

後ろに回ります。

ありました

開基新田義兼公墓とあります。

 

新田義包は新田義兼みたいです。

新田義重の息子で、新田氏の2代目ということのようです。

 

新田荘の範囲は何処までか?

久保田順一著『中世武士選書18新田義重』には、「新田荘の郷々」ということで、「新田の荘田畠在家注文」という資料があがっています。

これは、岩松持国が足利成氏に、新田荘内所領の安堵を求めて提出した文書の写しだそうです。

これが平安末期の新田荘の実態を示すものだそうです

この中に「よこせの郷 畠三丁五反 在家二う」とあります。

 

あれ、「につかわの郷 田十七丁一反三十たい 畠十二丁三反廿五たい 在家廿六ちやう」とあります

そして、「さかいにとらる」と註あります。

「さかいにとらる」とは、隣接する荘によって横領されたということらしいです。

ということは、山上氏によって新川(桐生市新里町新川)は横領され、山上になってしまったということですか

新川に新田の重臣・船田善昌が住むには、少々というかかなり無理があります

 

それにしても、「につかわの郷」は、他の郷よりずっと豊かな所です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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